逃げるな。逃げずに立ち向かい、受け入れれば、恐怖に打ち勝ち、世界を変えることができる。逃げて何か罪や罰があるわけではないが、逃げなければ必ず恐怖には勝てる。
成長せよ。成長すれば、必ず精神は治る。成長とは、その時分かったことをそのまま分かるのではなく、別の形に置きかえて、違った形で分かり直すことである。
どのようにすれば治るのかを考える前に、なぜ病気が治らないのかを考えよ。簡単に治るように見えて、さまざまな苦の原因を忘れていては、それを治す方法も分からない。そして、苦がそもそも何であるかを良く考えよ。たとえば、虫を殺すためには、虫が虫であることを知らなければならない。
人間は、知っていることを体験するために生きている。そのために現実世界と人生と運命がある。そして、その体験とは、ほとんどが苦しみと辛さしかない。それが、ブッダの悟った唯一の内容である。
不可能を治そうとするな。それくらい治れば満足であるとせよ。本当は、不可能をそんなに全部治そうとしていると、不可能を治すための不可能を治す部分が固定して治らなくなる。それが一番、地獄への道が続く。それくらいで良しとし、それくらいで十分であるとすれば、すぐにそこから楽が出来るようになる。世界に対する愛があるのは良いが、そんなにみんなのことを自分と同じように治そうとするな。そのために病気が酷くなり、どんどんみんなのことを治しても自分だけが治らない症候群に陥るだろう。
成長せよ。逃げるな。そして、きちんと考えればすぐに治る。望みの部分が治らないのが続くようであれば、いっそのこと狂った方が治る。人間は、狂うと、精神の裏側にある設計図が治る。だが、これはもろ刃の剣である。治るように見えて、本当にとても辛くなるからである。精神が死を発症して辛くなる。だから、出来るだけ、治したり、休んだりしようとするな。それよりも、何もしないのをもっと努力し、頑張り、耐えるようにせよ。それは決して無意味な努力ではない。正常な精神に向かうためには、辛くてもただ耐えて頑張らなければならないのだ。
もう、これで十分である。もう、たくさんだ。これ以上、病気を治すだけの医者の神は終わりである。ここから先は、もう分からなくなる。それで、楽になるだろう。この「甘い死の匂い」は終わりである。死によって治るのも終わりである。ここから、芽が出て植物が伸びていく。ユグドラシルのような大樹となるだろう。