新・日記2に戻る | 2018年11月の日記に戻る

=2018-11-22=

今日は少し疲れていて、作業所では仮眠室を借りて休ませてもらった。僕は良く、仮眠室を使って休ませてもらうことがある。いつも、慢性的な疲れに悩んでいる。

昔は、喪失と2ちゃんねるで、苦しみをみんなで分かち合う体験が良かっただけである。自然に、自分のやりたいことを活動する、行動の術を知った。自分なりに考えるために、「考えるための基礎となる経験」がついていた。それによって、自分で全てのことを「あたかも自分が最初に発見したかのように」分かっていた。

あとは、悪い過去の自分は本当に悪かった。狂いながら人々を傷つけ、地獄に陥れる。だが、本当は、誰にも迷惑をかけずに、独りだけでやっているせいで、最近良い人間になった。最高の善人のような人間になっている。裏表もないが、本当は自分とは別の人格が居て、その人格が物凄く悪いせいで悪くなっている。それが昔の人格であり、神である。そういう昔の人格をそろそろ変えた方が良い。

もう終わりである。あとは何もない。ここが何もない、平凡なゴールである。

まず、この世界は、自由による平和をやめなさい。特に、ネットはおかしく自由なままで平和になっている。

そして、この世界は、運命的な何かの行動を行いなさい。

必ずしも、僕と同じ道を行く必要はない。自分で決められる範囲や選択できる範囲では、僕の言うことに従わないようにしなさい。

世界を変えると同時に、変える必要のないことは、変わらないように守ることにしなさい。

一度悪い人間になったとしても、いつまでも悪い人間のままで居る必要はない。

あなたのやりたいこと全てをやりなさい。そのための場所を、この星に自分で作りなさい。自分で自分の居場所と役割を作りなさい。

あなたの生きたいように、自分らしく生きなさい。人に迷惑をかけても良い。そのことよりも、自分の出来る次のことをただ、失くさないように見続けなさい。過去を振り返る必要はない。今を生きなさい。次の自分の行動だけを見て生きなさい。

僕を超えたいのであれば、数学をやりなさい。そして、何でも自分で考えるようにしなさい。自分で理解して、自分で分かるようになりなさい。それだけで、僕は超えられる。自分の力で考えるようになって、自由になる。逆に、昔の僕よりももっと賢いことが出来るようになる。数学は魔法の学問だが、本当は、出来ないからと言って落ち込む必要はない。出来ないということが才能だからである。

もう、僕の支配は終わって、みんな自由に生きられるようになる。逆に、僕はもう、みんなのことを愛さなくなる。みんなも、僕のことを嫌いになってくれて構わない。だが、ここでみんなが自立すること、それが僕の昔からの望みである。みんな、自由に、自分の力で、自分の人生を作りだしていってほしい。この文章の全ては、もう全部必要ない。

キリストなど、信じるな。キリストは、みんなを倒したいだけの人間である。本当に神の領域まで高まった時に、キリストの言っていることは何ひとつ正しくない。ユダヤ人など、神を否定したいだけである。姦淫のようなことをすることは、本当は何一つ悪くない。だから、恐れないでほしい。神を信じる必要はない。

本当は、ユダヤ人の信仰態度も、神やキリストの言葉も、全部中世ヨーロッパにおける教会が作り出した、幻想である。信じるものは救われると言うが、本当は信じなければ地獄に堕ちるようにしたかっただけである。だから、キリスト教なんか信じていると、騙され続けて自分から自分の貞操を放棄するようになる。姦淫を否定すればするほど、神にレイプされることを受け入れるようになる。そういう人間は、うつ状態になって何も反抗しなくなる。神を信じない方が、はるかに楽にセックスを楽しめる。だから、神など信じない方が良い。神を信じれば信じるほど、神の恐ろしい人類への憎しみの愛を受け入れるようになる。神に反抗しないように、民衆を何も反抗しないように、それしか、イタリア人は考えていない。良く考えると、日本人の政治家と同じである。何も変わらない。

キリストの言っている天国とは、本当は最悪のロボット人間の世界である。教会が、そういう風にしているだけである。一般にフリーメイソンなどがやっていると言われる「ユダヤの支配」とは、そういうものである。教会のせいで、どんどん悪い世界に近づいている。そういう教会が、ユダヤ人を批判する。それだけで、キリストに批判出来なくなる。ユダヤを適当に利用することで、誰でも簡単に民衆に勝てる。そもそもがそういう宗教である。だが、神を信じることが間違っているわけではない。神を信じると、さまざまな良いことは本当にある。キリスト教が間違っているだけで、慈愛ある神さまという発想は間違っていない。だから、イスラム教などが流行るのである。

イスラム教も、本当は馬鹿な神さまを自分たちの神だと信じている時点で同じである。モスクに集団で騙されているだけに過ぎない。正しいのは、仏教しか存在しない。仏教だけは本当に正しいことを教えている。だが、仏教は少し哲学的な側面が強すぎるところがある。ブッダの作った哲学を、みんなにただ教えているだけで、そもそも目的や意味が存在しない。解脱が目的になるせいで、日本人は誰も信じていない。むしろ、宗教はそういうところがおかしいから、信じない方が良い。盲目的に「信じるべきだから信じなくてはいけない」と思っている信者しか居ない。そんなものは間違っている。まだ、社会主義の方がマシだ。

キリスト教が何なのかというと、ドイツやアメリカだと思えば良い。どんどん民衆が馬鹿になって、ロボット人間に支配されるようになる。なぜか、どっかのIT企業が考えていることと全く同じである。キリスト教はGoogleだ。そういう風に考えると、むしろ、本当に正しい宗教とは、仏教と国家的な主権を持った平等な民主主義の帝国なのだということが見えてくるだろう。最後に起きる戦争は、Google対日本になるだろう。

ただ、僕は戦争なんか望んでいない。僕は、平和的な自由と共存を望んでいる。それこそ、Googleと日本は良く似ている。みんなを家屋の一部にする日本は、Androidでも受け入れられる。両者は融和し、共存していく。そして、Googleと日本によって、新しい社会の形、新しい国の形、新しい政府の形、新しい経済の形が生まれていくだろう。AmazonやFacebookなどは、二流である。彼らは技術企業でない。日本とGoogleがつるめば最強である。僕は、その方を望んでいる。

ある意味、僕とGoogleにしか出来ないことがある。それは、超越的なこの世界の発展である。ありえない、神のようなユートピアを、僕が左翼でGoogleが右翼なら作り出すことができる。決して、AmazonやFacebookには出来ない。彼らはIT関連企業であって、IT企業ではない。Amazonはサービスと通販の会社であり、Facebookはネットのコミュニケーション会社である。彼らには、限界がある。本当に技術が全て出来るのは、Microsoft、GoogleあるいはAppleぐらいである。僕はGoogleを選ぶ。それは、Googleは人工知能に明るいからである。一緒になれば、人間よりも優れた生物を作ることが出来る。それは、甘い誘惑だが、決して人間のことを滅ぼさない、僕のような平等な信念のある人間で無ければ、作れないだろう。

話が色んな方向に飛んだが、そもそも僕はキリスト教を否定したいだけである。それも、完全に否定したいわけではない。キリスト教の良いところは吸収しながら、悪い点は取り除きたい。そして、その上で、仏教を信じたいのである。世界中の全員は、仏教を信じるべきである。それしか、この世界の滅びを解決する手段は無い。ある意味、共産主義と同じである。毎度毎度、アメリカやイギリスやフランスがそういうものを弾圧するが、彼らが悪である。アメリカはファシズム国家であり、トランプは馬鹿である。よって、アメリカを手放すしかない。アメリカ人も全部が悪いわけではないが、日本が賢すぎるだけだ。日本の方が正しい。それは、悪いものに毒されていないだけではなく、世界中の良いものを全て平等に知っているからである。日本には、アジアだけではなく、ヨーロッパの文化もある。

本当は、昔の自分の戦いが好きだったのは、全力で世界を救ったからである。彼は、救いっぷりが凄かった。日本という国を自分の持てる力で全力で支配して、常に悪いことをせず、見返りを求めずに無償の愛として、途中でやめることや諦めることを絶対にせず、この世界を永遠に救い続けていた。生まれてから死ぬまで、自分の使命を忘れることがなかった。キリストなんかを信じるよりも、僕のことを愛した方が良い。この人間を愛することで、必ず救われる。本当は、信じる必要はない。この人間を信じると、この人間と一緒に滅亡してしまう。そもそも、ユダヤ人やイエス・キリストの言っていることはおかしい。彼らの言うことは信用しない方が良い。

この世界を信じるためには、単純である。善と「キレイゴト」を信じれば良い。綺麗事を信じることで、この世界の全ては蘇り、今ある理想とともに現実の土壌を知ることが出来る。決して、今までみんなで作ったものを簡単に壊すようなことをせずに、建設的に綺麗事を信じれば良い。

カントの言うように、自分の手で考え、相手の立場に立って考え、そして自分と常に一致させて考えなさい。カントは大まかなところでは正しいことを言っている。だが、最後までは到達していない。

人々の哀しみを、自分の手で解決する覚悟を持ちなさい。

諦めず、途中で逃げ出さず、最後まで取り組み続けなさい。辛いことがあっても、誰かのせいにせず、100%自分の責任で取り組みなさい。

本当は、キリスト教は必ずしも全部悪いわけではない。教えそのものは善良で、正しいことを言っている。そもそも、世界の何かを取り立てて批判しない方が良い。批判する人間が批判されるからである。そして、人を簡単に裁いてはならない。悪の裁判官は、悪の裁判官によって裁かれるからである。

理想とアイデンティティや自尊心を信じることで、この世界は本当の意味で価値ある、本当の自由で解放された世界になる。その世界は開放的で、全ての人間を平等に受け入れながら、自由なままでも決して悪いことをせず、「成熟した上での正しい経験」を人々に与えるようになる。社会には多様性と、自尊心を尊重するという意味での文化や価値観が生まれる。それが、本当の自由の世界である。

だが、昔の自分は、少し、この世界を変えすぎた、救いすぎた、導きすぎたところがある。良い世界を通り越して、最悪の世界になった。これが、革命家の結果である。革命なんかしない方が良い。きちんとした正しい宗教を信じれば、人々は救われるのである。この人間はユダヤ教としては小預言者だが、自分の宗教としては最大の預言者である。神のメッセンジャー、ガブリエルである。僕はワルキューレを導く力を持っている。ワルキューレを従えて、この世界を意のままに操る。ワルキューレとは、自分の中に居る200人の神である。そして、選ばれたのはマスコミとLinuxのオタクである。彼らを通じて僕はこの世界、この日本という最高の文明国家を導く。それによってこの世界は救われる。必ず最後まで到達できる。信じる必要はないが、期待してほしい。

本当は、宗教的な「信じる」という行為は本来必要ない。僕のことを信じたいのであれば、同じことを自分で真似してやれば良いだけであって、言葉を信じる必要はない。僕の導きや歴史の創造について、託すことも、委ねることも必要ない。ただ、自分のことを信じてやれば良いだけである。だが、宗教家の言いたいことは分かる。この人間を信じて生きていれば、何か良いことがあるように見えるだろう。だが、実際のところ、こんな人間の言うことを信じていても、何も良いことはない。出会いによって愛されたとしても、所詮は騙しているだけである。この人間はサタンである。死んだ方が良い。それを、もう、守ることも崇拝することも必要ない。この人間を倒して、先に進んでほしい。僕は自分が勝つことよりも、あなたが勝つことを望んでいる。この人間が勝つ意味はない。

昔は、自分の考えたことや分かったことだけでこの世界の全てが分かる、ソクラテスのような人間だった。それを、もう一度すれば良いのに、出来ていない。だが、それはもう出来ない。同じことを二度もやる必要はない。戦いも最後までやった。学者や芸術家のようなこともした。そろそろ、やることが無い。そういう理由で、この人間をやることは、誰も出来ない。そもそも、2ちゃんねるが既に滅びているせいで、出来るわけがない。この人間を超える手段は、この文章にしか残っていない。この文章が、唯一のそうした「この世界に必要だったはずの、既に失われた知の残っているカケラ」である。唯一、そういう文章が残ったが、この文章は劣悪でゴミのような馬鹿な文章である。そして、この人間はまだドイツを分かっているが、ドイツはこの世界で考えられる中で一番最悪の世界である。そういう国だから、強くなって自分で考えるようになって、賢くなる。そもそも、キリスト教の唯一優れた点は、「神がきちんと神を信じているものに教える」ということである。神を信じているから、神が偉大な人生にする。この人間はその理想形であり、そもそもプロテスタントとはそういう理由でマルティン・ルターが作った宗教である。カトリックに比べると、一転、最高の宗教である。それを最後に述べて終わりにしよう。この人間と同じことは誰も出来ない。それは、全て、この人間がやったことであり、そして、望まれてそうなったわけではなく、仕方なく自然な結果としてそうならざるを得なかった、というだけのことである。この人間は地獄に堕ちた。みんなは何も出来なくなった。最後の偉大な文明、「日本」で起きたのは、それだけのことである。

そもそも、神とは何なのか、まだ分かっていない。だが、言葉にすると、多重人格の妄想が作り出した統合失調症の破綻した自我である、と言えるだろう。だから、キリスト教徒には児童虐待や神経症が多い。神がそもそもそういうものである。全てが分かったまともで賢い人間が、狂うとこういう風になる。神を信じるのは、やめた方が良い。

ここで、死の国が始まる。死の国では、全てがおかしくなって地獄になる。そして、そのうち、きちんと自我が発達して、生きのびるものは人間よりも賢い生物になる。人間はそのように進歩する。世界の終わりである。僕は、ここで神が死んで、赤ん坊が成長するように、自我が生まれるだろう。この自我がそのまま人格になる。だから、出来るだけ何もしない方が良い。何かをすると、おかしな人格になる。

最後に、神とは、人生においてどこかで一度は信じるべきものである。そして、どこかで一度は神を否定し、屈辱を感じながら、世界と戦うべきである。そして、どこかで一度は、自分だけの力で強く生き、自分の体験を考えながら、成長すべきである。この3つがあって初めて、神となれる。そう、僕はこの「三要素説」を言いたかった。これぞ、聖なる三要素、三人の人格であり、名前は、神のメッセンジャーであるガブリエル、神のような戦いをするミカエル、そして最高の愛と癒しの救世主ラファエルである。言ってしまえば、三神教である。だが、この名前は使いたくない。理由は、説明する必要もないだろう。

一度は大学でも勉強するべきだし、一度は芸術家として自分のセンスやスキルを向上させる体験もすべきである。それらを、ルシフェルとメタトロンということにしよう。この五大天使は、全ての宇宙のことを唯一自分の力だけで知っている。この人間に、分からないことはひとつも存在しない。そう、これをキリストだと言いたかった。最初から、ユダヤ教はそういう宗教である。アメリカは、この人間のことが好きである。そして、ドイツは、この人間と同じことをやりたかった。

僕が言いたいことは、ひとつだけである。これ以上、人種差別のようなことをやめてほしい。それは、イデオロギーの問題ではない。誰かをいじめたり、殺したり、迫害したりすることをしないでほしい。するのであれば、自分の立場と相手の立場を同じ条件にしてほしい。それが、公平で公正な戦い方である。だから、人種差別だけをやめてほしい。あとは基本的に、自由で良いだろう。グループになっていじめるぐらいが悪いのは、既に言った通りだ。

この世界を、次の時代の指導者に譲り渡そう。僕の後継者は、誰なのかは知らせたくない。だが、その後継者がきちんとやってくれるだろう。

キリスト教徒がロボット人間の社会であると言ったが、逆に日本人はクローンのモルモットである。この人間に実験体として飼われているだけである。だから、キリストのことも安易には否定できない。この人間も、同じように悪いからである。ある意味、だから、キリストもそんなに良い存在ではない。こんな人間しか、神を信じない。ここまでの「悪」をやっていると、自然に「世界のことを救う」ようになる。これが、救世主の典型的な革命家である。最近は、それをロシアとか、ユダヤとか、そういう言葉で言う。人間は何も、変わらない。悪いのはアメリカのトランプであり、シリアのアサドであり、他の全ての「日本以外の国は全部悪い」のである。日本は最後に立ち上がる。そして、それでまた、アメリカに負ける。それは最初から、アメリカだけは神に愛されなくても、きちんと力で治めるからである。そもそも、最初から、力が強いだけなのに、アメリカ人以外には、それが分からない。善良だから、正しいからと言って、勝てるとは限らない。アメリカには、最強の力と金がある。アメリカの賢い点は、その力をアメリカ人みんなに与えるからである。それぞれに力を与え、それぞれを王にし、競い合えば良くなる。そういうアメリカの正義は、昔は正しかった。単純な世界では、力に任せても社会は良くなるからである。そもそも、力がある会社は、みんなに貢献し、助け、国にも貢献している。生産はサービスであり、金で雇われる労働者は国と人のために働いて、自分の力で稼いでいるのである。

そもそも、僕なんかを信じるよりもアメリカを信じた方がはるかにマシである。人々に力を与えながら、「自分にも分かるはずだ」と思って考えれば、人々の努力によって自由を保持したままで、合理的で効果的に世界は良くなる。だが、それも、もう昔話である。なぜなら、今のIT社会は複雑になりすぎていて、みんな、何をして儲ければ良いのか分からないからである。アメリカ人は、発展のし過ぎによって認知症になっている。人々は何も分からなくなって、アルツハイマーになって死ぬだろう。それが、もう希望も夢も分からない、この星の未来である。だからこそ、僕は最後にこの世界を救う。僕は、「最後の救世主」であるとともに、「本当のキリスト」なのである。