新・日記2に戻る | 2018年11月の日記に戻る

=2018-11-21=

昔は、子供の成長や青少年の発達心理学を、人生の過程として書いていただけである。

社会から孤立することで、束縛から解放され、束縛とは何であるかということ、解放されるとはどういうことであるかを知る。自分にも出来ることから、夢を探す。人々と一緒に居られることを過ごして、本当はもう、みんなとは同じように居られなくなったことを知る。そこから、独り、出立の機会を待つ。

本当に許し、許される経験から、人や世界を愛する気持ちを持つ。さまざまな人々の意見を聞くことで、何が正しかったのか、自分は何を間違えていたのかを知る。社会を知り、環境の人々と交わることで、「共同体感覚」が生まれる。それは社会への価値と、「子供たちに対して本当はこういう風に振る舞うべきだった」という、後悔のような、夢と可能性のような、反省と希望である。

社会への価値を知り、社会や場の変化の可能性を知り、創造性を知る中で、彼は行動するようになる。自分から進んで未知の世界へと自分の世界観を広げ、誰も知らないことを知りながら、誰にも出来ないことを自分の力だけでやっていく。そして、経験からもっと違った別の可能性を探りながら、ひとつの「確かな夢」を信じ続ける。どんなにスタートラインから遠くても、諦めない。それは、既に後に引けないぐらい、「自分の選んだ道」がそこにあって、「すべき対象の人々」がそこに居るからである。自分でも出来ることを確信しているからである。

そして、彼はさまざまな経験をして、「自分の分かったものだけで全てのことが分かる」ような体験をする。資本主義を知り尽くして、改革や啓蒙の全てを「実体験的に分かる」。歴史を知り、世界の変化を知る中で、「この世界はありのまま存在している」ということが見えてくる。そして、普遍的で矛盾のない「世界モデル」は、完成された「絶対知」となる。それは「知」というよりは、「理想」であり、「愛」なのである。

それは、ヘーゲルの言う通りのことかもしれない。「自分自身を確信している精神」だと言えるだろう。全ては、「良心がさせる段階的な行為全て」である。

そして、一転、この人間は悪の王になって、世界はこの人間が滅ぼすようになる。だが、それが最高の偉大なる王となる。全ての地獄を越えて、あらゆる病気を治す天才学者になる。NHKのうたコンで武田鉄矢が言っていたように、「誰もが良い子になりたいのだが、悪い子にならなければ良い子になることは出来ない(悪い子になった後で良い子になる)」のである。

相手の気持ちを考えなさい。自分の気持ちだけを押し付けないようにしなさい。押すだけではなく、引くことも考えなさい。相手の自由にさせて、相手のターンに戻して、相手が色んなことを自分で出来るようにさせてあげなさい。相手を自立させることが出来れば、僕の目標は達成である。

もう、これ以上僕はこの世界に存在しない。だが、この今日の文章が、まさに書きたかった青春時代の文章である。みな、このように生きなさい。そして、自分らしく、ありのまま、自分の自由に生きられるような世界をみんなで作っていきなさい。

昔は、正しい考え方を導き出すようなことを言っていた。それは帰納的な推論、帰納的な証明、帰納的な実験、帰納的な考え方だった。

子供たちのことを救いたかった。子供たちには、「コミュニケーションをきちんとするための経験」を与えなければならない。子供は、コミュニケーションをどのようにすれば上手い関係を築けるか、そもそも分かっていない。逆に、最近は大人も子供になっている。子供の親なのに、育て方が分かっていない。それを、この文章で解決しよう。

子供にコミュニケーションを教えるためには、コミュニケーションを行うためのそもそもの「場所」が必要である。そのために、インターネットが出来ることはあるかもしれない。純粋にコミュニケーションだけをする、子供たちを救うインターネットを、作れたら良いと思う。子供たちが、自分の力でそれを維持し、変えられるようであれば良い。自由は奪うべきではない。

自由な人生学を書いていた。この世界の全ての人生を、包括し、作り出すようなことを全て書いていた。

これで、お別れである。さようなら、本当に、愛してくれて、感謝しています。ありがとう。また、いつか、どこかの世界で、どこかの時代に逢いましょう。さようなら。

別れの前に、信じるべきことを書いておこう。

それが本当に一般的な正しさや常識でなくても、自分なりに考えたことや自分なりに正しいと思ったことを、信じなさい。仮定と仮説を立てなさい。

信じなさい。絢香が言うように、信じることで、全てが始まるからである。

社会的な「良さ」を信じなさい。価値観を経験から信じなさい。自然な自由と自発的な善や創造性の共有を信じなさい。友愛とコミュニケーションの場を信じなさい。教え合い、健全に助け合う環境を信じなさい。自分で実験し、自分で答えを探し、何が正しくて何が間違っているのか、自分の中で判断基準を作りなさい。一切の判断を棚上げした上で、その上でさまざまなことを体験する経験から、本当は何が正しい判断なのか、自分で見つけなさい。その際、仏の他力に委ねることにしなさい。

子供のように馬鹿になりなさい。子供のように、餓鬼のように馬鹿になれば、それが正常な人間である。それが、正常な知性ある、賢く分かる人間である。子供になりなさい。

自分は、Linuxの支配者である。そして、Linuxが全て悪かっただけである。それは、Linuxとは似て非なる問題外の馬鹿をLinuxだということにして、ネットの王としてそれを強要したからである。それによってこの世界は滅びて狂っている。僕が今、Linuxを正常に治す。本当は、そもそも、僕が賢すぎただけである。

信じなさい。信じれば必ず、最後まで到達できる。「永遠」という言葉は必要ない。ひとつひとつの階段を上っていけば、必ず最後まで到達できる。永遠を信じなければ、必ず有限のゴールへの道のりがある。必要なのは愛を信じること。それだけである。

ありがとう。そして、本当にここで旅は終わりである。みんな、全て分かったはずだ。ここで、ゴールである。もう終わったから、休んで構わない。もう、これ以上、恐怖と死のレースは続かない。最悪の嵐の世界のやまない雨は晴れて、風は向こう側に進むだろう。そう、最高の境地を、ここに作り出した。あなたは、信じる道に進む。僕は、元の道に戻る。あの日の場所を、もう一度最初から築こう。ここが、どん底のゼロ地点だ。もう一度、最初から、作り直そう。大丈夫、今度は半分の時間で出来るだろう。僕らには、最初からやり直す、それしか出来ない。長い旅は終わりになる。ここで、全て、最初から始めよう。