新・日記2に戻る | 2018年11月の日記に戻る

=2018-11-11=

昔は、「何が何を意味しているか」とか、「何が何をもたらすか」とか、「何が何の理由になるか」とか、「目には見えないけれど大切なもの」を良く考えていた。

最近は、全ての理由を考えた。戦いながら、理由全てを説明することで分かっていた。

これは新しい戦争である。僕は平和が好きだが、神を信じる僕の方が勝つ。旧約聖書の教えから言って、この馬鹿が勝つべきだ。きちんと弱者を助けて、恐ろしい神に従っている。この人間が正しい。障害者と付き合いながら、弱者を助ける国を作り、慈愛ある無償の愛で人々を助けているから、新約聖書から見てもこの人間が正しい。

旧約聖書では、神を信じる者が正しい。この人間が勝たなくては意味がない。だから、この人間が勝つだろう。きちんと良いことが起きて、この人間は幸福になる。ただ、ユダヤ人になりたかっただけである。

サタンを信じるな。サタンを信じる者は、地獄に堕ちる。僕がそれを実証した。だが、サタンも神を信じれば、天国に行ける。裁きの時に判断されるのは、全て、キリストの言っていることをどれくらい守っているか、ということである。僕が一番キリストの言うことを守っている。

自由になりなさい。自由を信じなさい。自由のない共産圏では、逆らうと収容所送りになり、殺される。自由が平和である。それぞれの自由を許すことで、それぞれの文化や慣習は共存できる。もっともっと自由になれば、必ず世界は良くなる。その上で、神を信じなさい。天の神を信じることで、この世界はこの世界のままで天国になる。キリストの教えを信じれば、裁きの日に復活して天国に行けるだろう。その裁きの日は、死んだ日ということになっているが、本当は天国の訪れた日である。この世界は、ひとりのメシアによって、この世界のままで天国になるのである。キリストの教えを守ると、精神性が高くなって、病気が治る。無償の愛と見返りを求めない善を信じることで、ソクラテスのような哲学者の高い意識と精神性に近づける。

こういう人間の特徴として、「宗教を信じれば救われる」というのがある。神は、地獄に堕ちた者のことを最後まで救ってくれる。治らない病気は治り、分からないことはきちんと分かる。だが、その時点で、現実世界に意味はなくなる。家入レオが言っているように、「現実なんか必要じゃない」ことになる。それが、宗教の境地であり、必ず幸福な人間になる。だが、神はサタンのことが嫌いだ。サタンになりたい人間のことを、神は罰して地獄におとす。神は、信じる者を救う。

自分の手で、モデルを作りなさい。自由と気付きから作られるその理性のモデルのことを「世界モデル」と言う。世界モデルを作ることで、この世界にある全てのことを「仮象の世界を作る」ことから知ることが出来る。洞察し、分析し、想定しなさい。世界観の違いから、哲学的な「考え方の転換」を知ることができる。万人への差別のない無償の愛がなぜ正しいのかを、そこから経験的かつ理性的に知ることが出来る。

かけがえのないものを失ったからと言って、悲しむのはやめなさい。悲しんでいても、次のことは見えてこない。一度、この世界と離別して、分かっていることの全てを消しなさい。そして、もう一度分かり直すことで、何が正しかったのか、何が間違っていたのか、「己の全てが見えてくる」。そこから、新しい世界へと旅を続けられるようになるだろう。この教えは、新しい神の教えである。恐ろしいことに、神は「一度作り上げたもの全てを自分の手で壊す非情な運命」を最初から決めている。

これぞ、神の業である。バンプの言う、「埋もれる前の歴史のよう」な文章である。これが神の文章であり、神の教えである。そういうわけで、神とは一般的な普通の平凡なユダヤ人である。どんなに悪いことをしたとしても、自分自身は自分の味方である。そうした時、神を信じれば、神は自分の唯一の味方になってくれる。孤独を癒し、勇気をくれ、底なしの恐怖を取り除いてくれるのは、神である。

本当は、神が罰を与えているわけではない。生まれる前に、自分で決めているのである。この人生は、「全ての人々を裏切り、大切なもの全てを失い、自分で作り上げた大切な世界を自分の手で滅ぼし、自分の積み重ねた理性と知識を失って、何も出来ない地獄になった時に、自分がどれだけ勇気を出して自分やみんなのことを信じられるかを試す」という問題のためにあった。神と僕は、最初からそれだけをしたかった。辛かっただけに見えて、芸術的な作品がたくさん残ったり、あるいはこの世界の全てを平和な世界に変えることができた。だから、「失ってはじめて得るものがある」という考え方を、昔から僕だけが貫いているのである。引き篭もりになっても、愛を忘れなかったし、何も分からなくなっても、文章だけは毎日かかさず書いていた。世界に対して間違ったことを一度もせず、神を疑ったこともなかった。

あえて言えば、「みんなを自分にしたのを悪いと思っている」ということが言える。みんな、自分のクローン人間になった。だが、神はそれを「良い」と言っている。みんな、きちんと賢くなった。日本人は、どんどん目覚めて賢くなっている。この人間が神である。だから、最初から神なんか居ない。だが、神を信じると、こういう風に賢くなる。日本人には、分からない境地だ。神を信じないと、成功しないし、発見もしない。ドイツ人が発明し、アメリカ人が成功するのは、そういう理由である。人種的に優れているわけではない。金髪をただみんなで増やしただけが白人である。

おそらく、ドイツで金髪の集団が戦いに勝っただけである。それ以外の人間たちを皆殺しにした。だから、金髪になっているだけであって、そんなに優れているわけではない。僕は、日本人の方が賢いと思う。日本人は、勝利や敗北よりも、文化的な向上を取る。だから、たくさんの和やかな文化がある。より紳士的で、文明的な国、それが日本という人種であり、決して文化を創造しないわけではないと、僕は自分の人生の経験から、はっきりと確信を持って主張できる。日本人にも、文化の創造は必ずできる。ドイツの文化よりも、もっと優れたものを長い時間をかけて作っている、というだけである。