新・日記2に戻る | 2018年11月の日記に戻る

=2018-11-06=

僕は、血が最後まで治って楽になった。その理由は、「統合」と「成熟」にある。

まず、男と女の二人になってセックスなんか、しない方が良い。そのせいで、疲れているだけだからである。セックスのようなことを多重人格の力でしなければ、楽になる。

そして、多重人格は、本人に「統合したい」という意志があれば治る。そして、それによって辛かった血は治る。神経が一度死んで楽になる。

だから、僕はこれで多重人格の作家を終えて、統合する。

自分は、成長が遅いわけではない。早すぎるせいで、繰り返すのが辛いだけである。成長が早いから、何度も同じことを繰り返している。だから、プログラマと作家が終わって、次はデザイナーになる。それは、本当は、何も終わっていない。今までやったことは、全部やっている。

僕の大学は、本当は馬鹿な大学ではない。ハーバードやMITレベルなのを、本人が分かっていないだけで、本人はネガティブに考えるから鬱病になっている。ポジティブに考えれば、こんなに賢い人間は居ない。日本語が分からないのも、世界に興味がないのも、みんなが馬鹿だからである。

あとは、成熟である。昔の僕は、子供や教育のことを変えたいと思っていたが、それは「自立」せよというよりも、それを「成熟」と結びつけていた。自分の成熟する経験を考えながら、「子供はもっと経験し、世界を知り、社会を変える体験をして、自分の力でこの世界を考えられるような、成熟した大人になる教育をすべき」だと考えていた。当時は、普通に高校や大学にそういう人間が多いのは、子供だったから分からなかった。

自分が子供に見えるのは、そういう成熟を最近、していないで退化ばかりしているからである。もっと成長すれば、精神や血も治るし、デザインやパソコンのことも人並みに出来るようになる。出来ないのは、赤ん坊に戻れば精神が治るからである。それが間違っている。成熟すれば、成長する。そうすると、大人になる。成熟することで、大人として生きられるようになる。

血を治す秘訣は、「治らない部分は治らないから、異常でも良いなら治る」ということである。異常になっても良いなら治る。そもそも、骨の中に金属の棒が入っている時点で、足の精神は治らない。異常になっても良いのであれば、足はすぐに治る。

最近、僕は、この世界は簡単になりすぎていると思う。パソコンやIT技術の発達のせいで、どんどん全てのことが簡単になっている。だが、同時に、簡単になることで馬鹿になっている。簡単には、してはいけないのである。あるいは、簡単になったとしても、簡単ではない従来のやり方も教え、やっていかなければならないのである。

そのうち、世界はITチップを人間にも埋め込むようになるだろう。人間の皮膚に埋め込まれたチップとインターネットが繋がって、「絶対に防がれないセキュリティ」となり(表現がおかしいかもしれない。「絶対に防げるセキュリティ」だろうか。)、世界の全てが繋がり、「何でも出来る」ようになるだろう。だが、僕はそれを国家が利用することは無いと思っている。なぜかと言うと、国家がIT化を進めるよりも先に、国家という制度そのものが無くなるだろうからである。IT化によって、単純作業で働くのはロボットになり、国家として権力で人々が支配されるのは無くなって、自由な共同体になるだろう。僕はそうなると思う。Google、Amazon、Facebook、Appleのことを、GAFAと呼んで「最近の四天王」と呼ぶ人は居るが、僕はそれらの次の時代が来ると思う。その時代では、もう、パソコンは成熟したツールとなり、政府のような良く分からないものがそれらを公的なものとして管理するようになるが、その代り、その管理者は今のような政府や権力者には担えない、全く新しい時代がやってくる。そこでは、人々は自分たちの手で何をするか、しなければならないかを決める。今の、巨大IT企業だけが何とか管理することが出来ているネット世界は終わる。本当に、選ばれた人間とロボットだけがITを完璧に管理するようになるだろう。それらは決して権力の上に立たず、インフラを下から支えるようになる。金儲けは無くなって、ベーシックインカムでロボットが働くようになるだろう。

子供がパソコンが習得しやすいと言うが、それはテレビゲームの影響である。テレビゲームをやっているせいで、そういうIT系のものの理解が早い。だから、実際にはテレビゲームのようなものがなくなれば、Windowsを子供が簡単に習得することは出来なくなるだろう。

トランプやトランプ支持者に言えることは、民主主義の崩壊でも核戦争でもない。もっと違う、「国という体制そのものの終わり」が近づいている。これからの世界、普通の賢い今の大人たちには、パソコンやITのことは分からない。分かっているように見えて、本当に分かっている人間ははるかに違うレベルのことを分かっている。国や政府や権力者には、そうした世の中の動きが管理出来ず、理解も出来ない。Googleが何をやっているのか、今の共和党はまるで分かっていない。面白いサービスを作っているとしか、認識できていない。Googleの考えていることは、次元が違う。だから、Googleには誰も勝てない。FacebookやAmazonやAppleも同じである。どんどん、「今の世界は古臭いもので、GAFAだけが未来が分かる」という世界になってくると、むしろ、アメリカ合衆国の権力者なんか、ただの馬鹿で良い。ネットが支配する選ばれた人々の意見に盲従する、馬鹿な右翼で良いからである。そうなってくると、むしろ、本当は皮膚にチップを埋め込む必要はない。もっと高度な技術で、簡単に取り外せるようになるからである。心配は要らない。たくさんのチップを盗むようなことは出来なくなる。それは、別の人間の生体反応を受けると、自動的に壊れるとか、そういう風にすれば良いからである。

ただ、取り外せるようにするとは言うが、それは解決策に見えて、実際は取り外せなくなるだろう。完璧なセキュリティを実現するためにそうするべきだ、と言う人々が標準技術を作るからである。本当は、その方が楽で儲かるからに過ぎない。だから、IT化なんか、日本は早々にやめた方が良い。ITが見ている未来は最悪の未来だ。ITなんか、人間をロボットのように従えたいだけの、アメリカの技術に過ぎない。本当の人類の未来は、アメリカの未来ではない。

これでは自分がロボット人間社会をやりたいように見えるかもしれないが、そうではない。僕は、全くの逆である。僕は最後まで、そうしたロボット化の社会に抵抗するだろう。僕は、人間が人間であること、それ自体をやめることは決してしないだろう。それを、自尊心、人間性、自由、そして万物と現象への慈悲の気持ちによる「救い」であると言えるだろう。

心が不安で怖いのは、思い出すのが怖いからである。思い出すと、狂うのが怖い。

本当は、思い出せないのは神を信じているからであり、それ自体は悪くない。分からなくなっているように見えて、まともな人間になっている。

馬鹿になっているのは、中学生のころの自由な数学的世界観を忘れているからである。中学生には、自由にこの世界を「開拓」できる「情熱の夢の可能性」がある。それを思い出せば、すぐに哲学者ができる。デカルトやカントのように、普遍的な経験の実現と思考の同一性による開拓を理解出来る。

全てのことを、「出来る」ことから考えなさい。ものについては、「どうすれば出来るのか」だけではなく、「なぜ出来るのか」、そして「何を目的として作るのか」を考えなさい。

全てのものは、同じように在る。そして、在るように在る。それを信じることで、物質とは意識である、人間とは環境である、ということが分かる。全ては、「何が出来るのかということを決める関係における現象」である。そこでは、「関係によって現象が生まれる」という真理がある。そして、「正しさとは心理的に経験を信じていることだ」という真理が生まれる。

社会について言えば、今のこの社会がこの社会になっている必然性などなく、全ては歴史的な自然に起きた結果であり、いくらでも変えられる、そして変えることが出来ると考えるべきなのだ、ということが分かる。それは、気付きであり、精神性の構築である。

全ては人間である。全ては人間の生み出したものである。人間の生み出す全てのものは、知性と歴史に基づいている。それは人々の発見と経験の歴史であり、同じ惑星における行動の結果こそが物語である。誰よりも優れた奇跡のストーリーを、誰もが生み出している。この世界は運命であり、愛である。いつか見た愛、いつか見た夏、いつか見た人間の素晴らしさは、夏である。そして、現れる白き天使は、降り積もる雪の結晶のように、美しい冬である。

この世界は映画じゃない。起きることは、作りものではない。自分で作ってきたものである。人生とは、自分で創造するものであり、何億と居る人間全てにとってそれは変わらない。人間がたくさん居れば、それぞれのライフストーリーがある。だが、この星はひとつしかない。そして、共同性の感覚を生むために失敗を経験するその経験は、全員に共通の「現実世界におけるイデアの物語」である。

誰かが分かるならば、自分にも分かる。そのように、中学生のように考えなさい。そして、本当に分かるために、「目的を気付くこと」を行いなさい。そこから高校時代のような青春のストーリーが生まれるだろう。目的を気付くことから、価値観を転換させ、社会の持つ本当の意味と力と価値を知りなさい。この世界の本当の姿と、宇宙の本当の能力に気付きなさい。それを、可能性と呼ぶ。そして、可能性は実現性となり、「全てのことを構築出来る人間」になる。そして、「自らが出来ることから、自己が自由自在に考えられる」ようになる。それは、「さまざまなものになれる自由」となって、「この社会を如何様にも作り変えることのできる経験の社会モデル」を作り出す。自分がさまざまなものになれるだけではなく、この世界をいかようにも作り変えることが出来るようになる。それは、必ず、「全ての社会の可能性」から、理想に気付き、自由に気付き、正しい「善良な権力のあり方」を知る。そして、この世界における、王となるだろう。人々は愛に歓喜し、滅亡に失望し、継続に耐え、導きによって正しい秩序を生み出し、たとえ知性がなくなっても、たとえ耐えられない恐怖が襲っても、愛することを忘れず、最後まで努力する、「死へと向かう道」を最後まで創造するだろう。

もっと反抗しなさい。愛は反抗から生まれる。絶対に耐えられない屈辱への反抗と、怒りから愛は生まれる。神は怒っているからこそ、慈愛溢れる存在として書かれる。絶対に許すことのできない仕打ちへの反抗から、本当の友愛を知ることが出来る。失敗を経験したものにしか、その失敗への対策を講じることは出来ない。失敗をたくさん経験すればするほど、成功できる可能性は向上し続ける。それがやがて実って、ダビデは現れる。キリストも、そういう人間である。キリストは、この人間のことが好きだっただけだ。

昔は、Linuxのことが出来ると思って不登校の高校に飛び込んだが、何も出来なかっただけだ。辛く悲しい体験をした末に、「環境をみんなで変える」という真理に行き着いた。みんなで環境を変える、という考え方が好きだった。そこから環境の変化の意識を分かった。世界モデルを作りながら、全体像を見て考えた。科学と宗教の両極端に立ちながら、両者を融和した。物体とは振る舞いであり、物体を物体だと認識するのは経験的に信じられるだけであるとした。宇宙は暗闇であり、透明な黒だとした。それくらいのどうでも良い引き篭もりだった。最後に狂って、世界を変えたようなつもりで、女王のフリをしていた。

これで全て書いた。もう、書いていないことはひとつもない。あとは、むしろ、昔から共産主義者だ。昔は無政府主義のような、自由な人間だった。この人間が一番悪い。死んだ方が良いのは自分だ。それで、終わりにしよう。僕が「見つけた」ことで、あなたも「見つける」ことが出来たら良いと思う。鏡のように、僕とあなたがそれで同じになれるだろう。昔から、自分にしか知らないものが多い。昔はそれが不登校の引き篭もりのインターネットだった。最近は、それが神と革命と学問になった。どちらかと言えば、昔の方がかっこよかった。理想的な情熱と、決して曲げない信念と、諦めない希望と、絶対に信じない自由があった。だが、こちらの方が良い人間だ。こちらは地獄を経験して、そのままで幸福を見出す、神のような無償の愛のある、献身的なシスターだ。

昔は、自分の夢を信じていた。「自分の信じた道はこれだと信じて引き篭もりになったから、何が何でもやらなければいけない」と思って、Linuxの作り方を探っていたが、何も出来なかった。逆に、こちらは、自分で考えざるを得なくなっただけだ。これ以上、狂いたくなかった。耐えられないほど怖くなって、何も分からない中で、救いの手をいつまでも考え続ける。自分の人生は、自分の出来ることは全部やった、不幸でも満足のいく人生だった。この人生を人々に与えたかったが、それを本当にもう終わりにしよう。みんな、自分のせいで、うつ状態の地獄になっている。だから、僕のことを殺したい人間が多いのだ。僕が悪いとは言わないが、僕に比べてみんなは、何ひとつきちんとできていない。ここで、僕の教えられる内容は終わりである。あなたがあなたを生きれば良い。僕を叶えるのではなく、あなたを叶えるように生きてほしいと思う。さようなら。またいつか、どこかで会おう。