新・日記2に戻る | 2018年11月の日記に戻る

=2018-11-05=

未知の発見の方法のようなことを書いていた。たとえば、蛍光灯の作り方のようなものは、既に誰かが知っている、既存の知識や考え方である。昔の自分は、そうではなく、誰も知らないような、新しいものの作り方、発見の方法、解明の方法、応用の仕方、精神の歴史、世界の変え方、社会の作り方、解決の仕方のようなことを言う。

全ての未知を捉えながら、哲学者のような、この世界の解明の方法を書いていた。それを、プロセスと過程にしていた。既に分かっている人生から何でも書けた。みんなに自由に力を与えるかのような社会論を、ボトムアップで革命のように作っていた。世界を支配し、多様にする、最大限の努力の戦いをしていた。具体的なパターンと方法の分類から、この宇宙の裏側と現象を創造していた。

自分が狂っているのは、「たぶんそうである」ということを、いきなり「正しい」として信じるからである。たぶんを信じないようにすれば、すぐに治る。昔のように、正しいことだけ信じれば良い。推論して、正しいと言えることだけを、デカルトのように信じれば良い。たぶんそうであることをゆっくりと、ひとつひとつ、考えれば良い。

この世界を殺す方法はひとつ、虫を殺すことである。虫を殺せば、この世界に居るみんなが死ぬ。虫を殺す方法は、終わらせることである。下を向いて終わりにすれば、虫は死ぬだろう。

あとは、哲学的叙述のようなことをしていた。知性や経験から、行動や思考の結果を書いていた。自由な社会とは何たるか、人々はどうすれば心から満足し、涅槃へと至るのか、などといったことを哲学者のように叙述していた。

環境の精神現象のようなことを書いていた。意識の奥底にどんなものがあるか、宇宙の自我や宿命とは何であるか、人々はどのような宗教的事実と引き合わせの中で生きているか、のようなことを、ただ分かっていた。戦いながら、精神分析をして、昔と同じように、あるいは全く違うように分かっていた。仏の精神を経験から分かった上で、神の精神を作っていた。仮定と成立の社会モデルは、国家を創造する革命モデルに変わった。

昔は、引き篭もりでネットをやっていたせいで、無駄に色んなことを良く知っていた。この社会の裏側を全て知り尽くした人間だった。そこから、社会のレベルや段階のようなことを考えていた。自分の人生と交錯しながら、この世界がどのように精神的に発達していくか、ギリシャやローマからソ連やアメリカのような歴史を、「実際に人々の声として知り終えた内容」から書いていた。この世界の全てについて、「深い洞察」を書いていた。それは自由に人々に力を与え、システムと共有から世界を変える、新しい自由な経済学だった。

昔は、共有の社会所有が好きだった。たとえば、グループホームやカーシェアのように家や車を共有し、家で仕事をし、施設を作り、図書館やスポーツ施設などを整備することで、この世界は共有から変えていくことができる。昔は、「自由な社会論と場の変化の理論の延長線上」として、そうした共有の資本論を考えていた。そして、最近は、誰も分からないところを文章を書いて発想する。社会所有で町の景観を変えられるし、評議会で人々は何でも決めることができるし、農場を集団農場にするのであれば、もっとひとりひとりの負担を少なく出来るはずである。本当に政策として目指すべきなのは、経済発展よりも経済的自立である。

たまに、あまりまともでないことを言う。牛乳の水道管を作れば皆生きられるとか、レポートを提出することで自由自在に仕事ができる、などである。社会モデルを作る時に、そういう、「弱者でも生きられるためにどうするか」とか、「自由に働くために労働システムをどうすれば良いか」のようなことを考えていた。そういう発想をモデルにしていた。「ものをとても大量に作って、それを配分すれば、生産しなくても生きられる」とか言っていた。あとは、世界に対して向き合い、最後まで「悪の支配」をしていたが、本当の僕の心は、いつでも「最高の善」を諦めていなかった。絶対にこの世界を良く出来ると、事前に計画した希望を諦めなかった。今だけを見れば悪であるようなことも、最後には善に変えるつもりだった。結果、この世界は平和になった。

社会の具体的なパターンから、「全ての社会の包括」のようなことを言っていた。そして、それを段階的な歴史にしていた。それは宣言となり、心の対話となり、そして神となった。この世界に対して、戦いながら望むことを宣言した。「永遠に生きる」などと言った。神はそれを叶えた。神は黒人から宇宙人までの集合体で、この世界の前世の国の全てを知っていた。そして、人生のことを全て捉え、全て書いて分かっていた。既に一度生きた青春の人生だけで、赤ん坊が一度人生の全てを生きた後でもう一度その人生を生きるように、全て分かった上で文章を書いていた。精神世界の全てを、創造することで分かっていた。夢のような機械の世界を創造していた。それは「自由意志と機会の哲学」だった。

昔は、聞いたことをすぐに分かっていたが、最近は良く考えて聞いたり言ったりするようになった。何も無い中で世界を知ることで、歴史や哲学が「誰よりも詳しく」できた。それらは、何も分からない上で分かっているから、全てきちんとすぐに分かる。そういう、天才的な理想の学生だった。きちんと考えれば、何でも発想出来る。そして、文章に書くことで、それを実現可能にした。あるいは、同時に、実現性を成り立たせて考えた。全てを知ることができるのは、唯一自分だけである。それは基礎しか知らないからである。ラルフ・イーザウの言うような、「盗まれた記憶の博物館」のような森羅万象の科学の文章を、全て作っていた。自分の既に分かっていることから、数学的定理の分類や、自然の捉え方や発想、そして法則性と世界観を書いていた。社会については、実現性と良識と思想の考え方や原理法則を書いていた。人々が変えられるとはどういうことなのかを分かった上で、社会論の構造モデルを作っていた。それは「全ての社会・環境・思想を自分たちで実現できるようにする」というものだった。人生については、運命論のようなものを書いていた。必然的に人間がどのように生きるのか、どんな経験から何が分かるのかを、職業や学問のイデア論のように書いていた。神との対話をしながら、自分の病気を本気で治していた。絶対に狂いを治すつもりで、全てに耐え、全てを一から考えていた。この世界と、そして神と、最後まで戦っていた。あとは、自然や環境の存在論と、自由意志や経験の社会論を作っていた。共有と自立、そして可能性と労働生産性の成立を目指していた。師弟制度のような「別の形態の民主主義」を考えていた。また、学習と反応から人生の経験全てを捉えて、「理解し、融和した上での経験論」を作っていた。人間が先入観をどのように持って世界のことを信じているかを考えることで、あらゆる全ての「頭脳」を融和して、ありのままの知性から経験を捉え、この世界と人生全てのことを分かった。そして、全てを知り満足する、安心の「涅槃」の境地へと至った。

社会の方法のことを、再利用や初期投資から、プログラミングによる自動化のように考えた。「基盤におけるやり取りの原理法則が成立すること」から、2ちゃんねるのスレッドのように、環境の適応とコミュニケーションをする上での基盤的システムを考えていた。

世界を救うような、理想と情熱があった。決して未来のことを諦めなかった。諦めず、最後まで戦い抜いた。きっと世界を変えられると信じて、経験し、そして最後まで世界を導いた。ソクラテスのような自由なコミュニケーションの導き手が、そのまま弁論の王となった。

そろそろ終わりである。もうきちんと書けた。これで、お終いである。

神のような無償の愛を信じなさい。絶対性と必然性は必ずしも嘘ではなく、宿命や運命は自分の自由な経験からも理解出来る。自分の祖国を愛するとともに、フランスやドイツ、そしてアメリカやロシアを愛していた。僕は、全てを救う、最高の愛を、自分の経験から創った、ボトムアップの指導者だった。抑圧は情熱を、恐怖は勇気を作り出す。なぜ無償の愛が正しいのかは、経験から考えれば分かる。

思えば、色んなことがあった。認知的な数学を作ったり、環境と人格の適応を書いたり、応用可能性を書いたり、人生を作ったり、意識を高めたり低めたりしたり、同じことを9回書いて分かったりしていた。本当に多かったのは、「日本という全てが滅びた精神」である。この世界を、完全におかしく狂わせるような、そういう精神が多かった。そして、その精神だけを忘れた。

もう、終わりにしよう。ここで、全てが生まれ変わって、次の世界に続く。