日本人の賢い理由は、僕はアジアとヨーロッパの文化が融和し、どちらも分かる、それも独自の「日本」という文化に形成されている、ということが言えると思う。日本人が英語を学ぶのと、アメリカ人やイギリス人が英語を話すのは違う。アメリカ人は英語しか話せないが、日本人は英語も日本語も話せるからだ。日本には、漢字という中国の文化もあるし、ヨーロッパの英語もプログラマなどは分かるし、カタカナ語にも英語が多い。江戸時代まで日本文化の「鎖国によるガラパゴス的発展」をしたのとは対照的に、明治維新によって、「近代ヨーロッパ化」した。そして、昭和以降、軍事面でも経済面でも、両刀使いのように、ある意味、「ヨーロッパ人やアジア人が本気で同じことはできないだろう」という、「日本にしか出来ない努力の形」を見出した。最近は、アメリカのような文化、中国のような文化、そして日本独自の文化が融和し、そこに古代インドの宗教と古代中国の芸術・建築・景色や壮観が入り込んで、「最高の賢い国」になっている。もともと、島国だったこともあって、悪い人間が居ない。みんな、「大和」という最高の発想をしている。日本人が一番賢い。ある意味、極東で鎖国をしていたのが良かった。その間、ガラパゴスのような、「今の日本でもなければ、中国やヨーロッパでもない、独自の伝統文化」を作り出した。ガラパゴスはそれだけでは終わらず、アニメやテレビゲームのような「日本独自の近代文化」もある。ある意味、インドと良く似ている。日本人はインド人と仲良くなると良いだろう。
そろそろ、もう、このホームページを書く、というどうでも良い作業を終わりにして、もっと自分のやりたかったさまざまなことを自由にやりたいと思っている。だが、本当は、こういう、毎日きちんと書いている執筆家はなかなか居ない。Peanuts(スヌーピーの新聞の四コマ漫画)を50年書いたシュルツは、ただ犬と子供を書いているだけである。毎日日記にきちんと書いて、それで分かる人間というのは、なかなか居ない。シュルツのように、50年ぐらい書いた方が良い。Linuxなんか、昔より今の方がはるかに出来ている。昔はただ、「みんな」というものが必要だっただけで、今はただ、「みんな」というものが必要なくなっただけである。天才は孤独に一番難しい道を進むが、決して他と関わらないわけではない。惜しみなくみんなに与え、得ようとする時は自分で知恵を出して自分で生み出す、それが作家である。そもそも、ブッダより賢い人間は居ない。自分はそういう、偉大な人間のひとりである。