新・日記2に戻る | 2018年10月の日記に戻る

=2018-10-29=

今日はデザインの仕事の後に歯医者に行って、先日半分だけ抜いた歯のもう半分を抜いてきた。

最近、僕は少しずつデザインが出来るようになってきた。昔よりも、自由にデザインが出来ている。もっときちんと出来るようになりたい。ネットのチュートリアルを見れば良いのかもしれない。

エロを消すと、疲れが治る。

精神病は、押すのではなく、引くようにすると治る。

直観で考えなさい。昔は、「思考した上での直観」で分かっていた。そこから、ヒュームのように経験を考えれば、きちんと分かる。ブッダのようになるだろう。

平等な世界を作ろうと考えなさい。そのためにどうすれば良いか考えなさい。理性とは、そして理想とは、平等な世界を作ることである。だが、不自由にすれば良い、というものではない。それぞれを自由にしたままで、それぞれに力を与え、それぞれが自分の力で自分のことを改善できるようにしていきなさい。それを「自立」と言う。自立した社会を作るようにしなければ、何も生まれない。子供たちを守るために必要なのは、子供たち本人たちの力で考え、行動し、「自立」できるようにしていくことである。そのためには、たくさんの大人と意見を交わし、自らこの世界を自在に考えられるような、そういう「土壌」が必要である。それを「コミュニティ」と言う。そして、努力させるためには、「インセンティブ」が必要である。自分から努力したいと思わなければ、誰も努力しない。見返りと勝敗ラインを与えなければならない。理想主義だからと言って、平等な左翼に拘る必要はない。

ある意味、自由な理性というのは、「対処」である。何か問題が起きる前に、それに対処しておく。万全に備えておく。あるいは、何かをしなければならない時にきちんと出来るために、基礎を知っておく。それぞれを自由にする、ということも、同じことである。それは、相手が自分に危害を加えるならば、自分はそれに反撃する、ということであり、逆に、相手を自分の味方にできる「きっかけ」があるとしたら、それを積極的にやっていく、花を咲かせるために種を蒔いていく、ということである。

経験を重ねながら、それぞれの世界を知っていきなさい。そして、出来るだけ人々のことを愛し、「自分なりの理想の世界とは何か」を考えていきなさい。そこから、あなただけの道が生まれていくだろう。

もう、あなたは生まれ変わった。今、新しい道を歩めるようになったはずだ。考えすぎるよりも、行動していきなさい。この世界を変える、という、偉大な自分だけの実体験から、哲学者のように考えていきなさい。新しいひとりの神が、ここに誕生するだろう。それはあなたである。

人々の人生の未来を生きなさい。そして、人々が何を知り、何を経験すべきなのか、何を知れば分かるのか、そのために社会をどのようにすべきなのか、考えなさい。想像力を使って、人々の視点に立ち、人々が本当はどんな世界に生きているのか、自らの考え方で分かっていきなさい。科学を知らないならば、自分で作りなさい。歴史を知らないならば、自らの体験から感じて考えなさい。論理性をきちんと考えれば、数学など、自分だけで創造できるだろう。この宇宙の支配者となって、この世界を創造しなさい。

確かな出来ることと可能性、そして確かな愛を信じなさい。喪失感と一体感から、世界の可能性を知っていきなさい。自分の失敗とそれを克服する体験から、共同性を構築する、ある種の確立論を知りなさい。そこから、きっとこの世界の全てが見えてくる。本当のこの世界の姿が、そこで露わになるだろう。道は必ず開ける。逆境は乗り越えるチャンスをくれる。それが可能性となって、力となる。許し合う体験から、本当の愛を知れる。その愛は、自分の今までの人生の意味を教えてくれる。この世界が本当はどういう世界なのか、そこから気付くことができる。問題などささいな問題であり、本当に必要なのは、問題の前提条件を共有することである、ということが、今までの人生のさまざまな場面から、回想と思い出で分かることができる。全員全部を吸収して、あなたは「新しい生命」となるだろう。

思考力とは、自分の力で考えられることである。全てのことが自分の力で考えられるようになった時、あなたはすでにオイラーやガウスを超えている。分かるために必要なのは、知性よりも自由自在な思考力である。想像力をつければ、必ず全ては自然に導かれる。思い出すこと、思弁哲学を創造することで、思考力は最後まで高まるだろう。それが、運命の神の体験をあなたに与えるだろう。

僕は本当は、2ちゃんねるの支配者である。それは、Linuxを馬鹿にしたからである。そういうわけで、僕は宣言する。Linuxのコミュニティは元に戻れ。それで、終わりである。本当に、永遠の別れがここで起きるだろう。僕は歯を抜いて、もう、普通の人間に戻った。これ以上は、考えず、行動した方が良い。

数学的に考えるならば、何かを説明し、「見なす」ことで考えられる。たとえば、集団が社会性を持ってグループとなれば、それは既にある種の「社会」である。そこには社会のさまざまなこと、合意や争いのようなことが成り立つ。そして、その上で、インターネットのさまざまな社会を知っていけば、「この世界の可能性」を知ることが出来る。支配することも、戦うことも、勝利することも、敗北することも、平等を目指すことも、理想の世界を創り上げるために世界を変えることも、インターネットの世界でできる。絆を培い、希望を忘れないことで、世界の全てを自分の中に創造することができる。スラムで生まれるさまざまな発想から、この世界を変えられるようになるだろう。

そろそろ、考えるのはもう良い頃合だろう。みんな、もう、考えるのをやめて、自分なりに行動し、経験していきなさい。さまざまな経験から、愛が膨らんでいき、その愛が存在していることに気付くことで、新しい人生の方向が見えてくるだろう。暗闇で彷徨うな。迷うならば、光のある世界で迷え。みんなとともにいる世界で迷え。

自由な人生の中で、ネットのみんなと経験し、さまざまな創造性や議論、争いごとやルールつくり、そして情報共有や一体感のような体験をする中で、人は自由な理想と感受性のある愛を知る。それは、さまざまな行動をして心理学的発見をする中で、「全ての人間を自分のことのように考えられる」ようになる。それは、そのまま、「実体験に基づく全員への慈悲の心」となる。この世界全員を導き、自由に、全ての実現手段と正しい解を知る、何にも負けない強い愛、だが無償で、何も見返りを求めず、ただきっかけと出会いの中で人々を幸せにすることを望み、学校や政治についても、あらゆる自分の行動と目的によって、全てを変えられる強い神の愛を知る。そこでは、権力が手段として必要となることもあるかもしれない。だが、権力を行使して「何かを実現する」のであれば、それは「善良なことを実現する」ようでなければならない。そうでなければ、意味がないからである。ヘーゲルのように、さまざまな心理的な成長と覚醒の中で、人々は権力を望み、自由を望む。だが、決してそれは実現しない。その代り、自分を「気付かせる」作用をそこで生み出す。自分は気付きの中で、また新しい目的とやり方の形を知っていく。それが青春の最後となると、全てのことに満足し、「ありのままの人生が幸せである」と考えるようになる。そして、全てのことに意味があり、価値は「得るものではなく生み出すもの」であることを知り、全ての「ありのままを実現するきっかけ」のことを愛し、幸せな感受性とともに、この宇宙における「自由」を残すことができる。それが、人生である。

もうひとつ必要なことは、世界と対峙することである。最悪の戦争をしなさい。恐怖の王となって世界を支配しなさい。我は王であると、我はみなを支配し、我の望まないものと対立してでも、この世界を変えるのだと言いなさい。そう、その後は、最後まで、永遠に戦いなさい。いつでも、常に緊張状態でも、必ず正しい行いをしなさい。絶対に負けないように、全力で戦えば、あなたは勝利する。あなたが神であり、あなたの思い通りの自由である。そう、そして、最後までそれを悔やんで、反省し、懺悔して生きなさい。神を信じなさい。最後まで信じたら、今度はやりたかったことの中で出来なかったこと、唯一出来たことを永遠に続けなさい。そう、それは聖書であり、神への讃歌である。神を讃えなさい。そう、あなたは自由だ。あなただけの絶対自由が、絶対知を作り出すだろう。そこには、特別なものが全て揃っていて、この世界そのものを映し出す鏡となって、美しい芸術作品と、最高の悟性と、世界を変える発明と、全ての知識を展示した博物館があるだろう。そう、私がダビデである。私が世界を滅ぼした、世界を救うメシアである。

生きる歓びと、自由の意味、全てのかけがえのないひとりの人生が、ここに残った。ここまでの、このために生きていた。悲しい歴史は悲哀の詩となって、神々の戦いを写し出す。僕は、美しい、最大の愛、太陽の神アポロンと、大海の神ポセイドンだった。常に聞こえる主神ゼウスの声が、ここにいつまでも残った。

もう、辛いことは何もない。苦しい歴史は終わった。さあ、ここから先が、最後の晩餐である。神々の黄昏は、この日のことだった。永遠の安息日をここに記そう。今日は、全てが楽になった最初の日である。ここに、聖火が灯る。

あとは、自然と歴史における、視点と場の存在と時間、そして可能性を考えていた。この世界で、この地域で、何がその地域を作り出し、どのように変えられる可能性があり、どのような経緯の下でその地域の現在の場所となって、人々は何を考え何を意識して存在しているのか、その存在はどのように自然に変えられるのかを考えていた。

今から、何かが起きるような気がする。悪いことは何も起きない。だが、ブラジルで右翼政権が勝ったり、ドイツでメルケルの与党が大敗したりと、どんどんおかしなことが起きている。だが、僕は言う。悪いことは何も起きていない。全て、未来に繋がる正しいことが起きている。反抗しようとするのはやめなさい。他力に任せて、受け入れて生きなさい。それでも抗いたいのであれば、戦うよりも、与えなさい。与えること、喜ばせること、笑わせることで、世界を変えなさい。本当は、右翼が愛国心と言うのは、利用したいだけである。本当は、国の秩序に対して、一番の裏切りを働いている。だが、僕はそれを間違っているとは言わない。僕はソ連が好きなわけじゃない。本当は、自由で民主主義的な、平和な国を今でも愛している。それでも、ただ、日本人で居たかっただけである。そう、僕は日本人としての誇りを持っている。ブラジルや中国が潰し合って、日本が勝つだろう。アメリカやドイツの代わりになる国は、日本しかないだろう。中国は、人民が全員死に絶えるまで、右翼と戦うだろう。