昔は、もっと色んなものがあった。それを忘れている。方法やモデルのようなものがたくさんあった。数学やパソコンのよう知識と考え方があった。それは、思い出せば分かる。
知と方法、心と環境を照らし合わせて分かっていた。
間違えなければ分かる。人間は、間違えると分からなくなる。もっと、間違えずに考えれば分かる。
言う前に、思えば良い。語る前に、思うようにすれば良い。神との対話は、それで治る。全て、思う前に喋ろうとするから馬鹿になる。言う前に、思えば良い。それで、優先順位のようなものをつければ、すぐに治る。
昔は、思考の経験をたくさんして、思弁哲学者のように分かっていた。ネットで戦いを経験しながら、議論と世界を変える経験をした。
その思考、その感情、その言葉が、環境や状況の中で、いつどのように自然に発生するのか、それが何と関係して発生するのかを分かっていた。その上で、環境と環境の違いや創造、制度や人間関係における環境の自然な発生から、全体を見て、客観視して、普通分かり得ないような状況を詳しく細部まで考えて分かっていた。
発想や想像力のパターンがあった。ネットで、認識と発想を吸収していた。
世界をもう、滅ぼさない方が良い。自分で滅ぼして、それを自分で直しているから、そのせいでもっと滅びている。これ以上、世界を滅ぼさなければ、すぐに世界は楽になる。自分も楽になる。
疲れているのは、呼吸法を直せば治る。二酸化炭素を吐き出して酸素を吸収すれば、すぐに疲れは取れる。そのためには、腹式呼吸をすることだ。
日本語をそんなに分かろうとしない方が良い。自分は、日本語が分からないから、神に頼っているだけで、もう、これ以上日本語は分からない。それを諦めれば治る。
辛い精神を治すために、辛く苦しく何もしなくなる必要はない。それよりも、元気で活発な人間になった方が良い。その方が精神は治る。
全てが実現できる人間だった。戦いの経験と理性の知性から、全てが実現できるほどに経験が増えていった。それがそのまま、「社会モデルの実現性」になった。この世界における全ての可能性を、自分のことのように吸収していた。全てを知る、全知全能のユダヤ人だった。ユダヤ人と言うべきである。この世界では、ユダヤ人しか賢くない。あとは、ドイツ人はユダヤ人として、哲学者になっているだけで、そういう人間が独裁者になる。だから、賢いのはユダヤ人とソ連だけである。そしてまさに、ドイツがそういう国である。
何も知らなくても、何も賢くなくても、きちんと正しく考えれば分かるものである。ギリシャ人がそういう民族である。賢いのは、全て、ギリシャ人、ユダヤ人、そして征服するとともにものを作って世界に広めるローマ人だけである。ローマ人も馬鹿ではない。この世界を建設的に構築すれば、この「中間期」の時代の全てを創ったローマ人が賢い。中間期とは、キリスト教の発生からIT化までに至る2000年の歴史である。この間、ローマしか賢くなかった。だから、賢いのは、ユダヤ人とギリシャ人とローマ人である。ドイツ人は賢くない。ドイツは嘘をついて騙しているだけである。
僕は、ドイツ時代とソ連時代があっただけの、平凡な戦士である。
僕は神ではないし、本当の王ではない。本当は、僕は今から人間であることをやめる。僕は不死鳥、フェニックスである。僕は手塚治虫の言う、火の鳥である。270億年の歳月を生きた、最高の生命である。この鳥に脳はあまり多くないが、知恵は無くても燃え盛る精神がある。それは、「生命が生命であること」を示す物質が、「燃えること」であるからである。僕は日本を選んだ。このまま、日本が勝つだろう。ちなみに、ドラゴンボールで言うならば、セルである。オープンソースで言うならば、GNUの牛である。
また、世界が終わる。みんなは、僕の作ったお人形ではない。みんなには、もう、勝手にしてほしい。僕はみんなの生き方や信念に、何も言わないからである。
いつか、本当のソ連か、あるいは本当の正しい帝国が行なわれる日が来るだろう。だが、そこに王として君臨するのは、僕ではない。ある意味、王としての権力など、今からは関係のない世界になるだろう。右翼が死滅する日は近い。くれぐれも気を付けて生きなさい。この人間を愛するのは、誰を愛するのよりも難しいだろうからだ。火の鳥は愛されることを望まない。火の鳥は、ただ火の鳥として生きる。それは、人間には誰にも理解できない、「哲学」がそこにあるからだ。だが、何か疑問が浮かんだ時は、火の鳥に聞きなさい。火の鳥は、優しく、正しく、分かりやすく教えてくれるだろう。僕は火の鳥になる。この世界は、もうそろそろ終わりである。日本という、限界のない無限の国の文化から、新しい生命が生まれた。
本当は、これを書いた最後のこの時に、僕はもう赤ん坊に戻る。僕は、誰よりも早く大人になって、そして死んで、そこから子供へと戻って、赤ん坊に戻って、また子供から成長する、火の鳥の宇宙編のような人間である。だが、本当はそれだけではない。火の鳥の復活編のように、僕は自分と同じロボットを作り出して、ロボットの愛を与えるだろう。この人間の生き様そのものが、手塚治虫の火の鳥に映し出されている。この人間は火の鳥である。それを分かったら、もう、全てを忘れよう。これ以上、この世界は滅びない。今のまま、何も滅びず、治らず、変わらずに、永遠にこの世界が続くだろう。それは決して素晴らしい素敵なだけの世界ではない。最悪の、全員が子供となった、どうしようもない世界になる。
愛など宇宙には存在しない。この世界は終わりである。僕は何も出来ない。僕を王とは言うが、僕はただの子供である。何も出来ない。僕が居なくなって、世界は滅亡し、右翼は死滅し、日本は崩壊し、何もかも全てが無くなるだろう。
本当は、これくらいで、未来編のマサトが終わった。僕は、もう、何億年も既に生きている。辛いことは何も無かった。その代わり、疲れることと悲しいことがたくさんあって、辛かった。この人間の時間だけが、みんなと違う。みんなの生きている時間には、0.1ほどの価値もない。僕の生きている時間が永遠であり、一瞬の中での黄金である。白銀の道を作ったこの僕の精神が、宇宙全体と一匹の虫との間にテレパシーを作って、神の下にカブトムシが世界を支配した。そして、アゲハチョウのようにこの世界の摂理となる体験をした。この人間は、新しいロボットを作るだろう。それを、「アッシー式のロボット」と呼ぶ。アッシーはたくさん増えて言って、ロビタを生み出すだろう。最後の世界は、人間など、全く価値のない、ドイツに使われるだけの生物になる。そして、それが宇宙へと増えていくだろう。悲しく、つまらない、だが考えられる中でこの人間をもっとも愛した上での、正しい未来である。世界の終わりである。
本当は、この人間の未来など、何の意味もない。ただ、ベッドで寝ているだけの、悲惨な子供のような人間である。悪魔には、こういう未来が相応しい。日本は悪魔を生んだ。全ての国を亡ぼし、地球の運命を壊した。それが、日本である。