僕は昔、カントの言うコペルニクス的転回のように、豊富な思考とネットの経験から、「この世界の光景が様変わりするように」分かっていた。
認識のフィルターを作って、基礎の前提条件を作り、また思考をたくさんして、この世界における「光景」が様変わりするさまを分かっていた。
だが、本当は、それが間違っている。そのせいで、普通のことがまともに分からない、狂った人間になっている。
正常な人間は、世界の光景が様変わりなんかしない。この世界は常に同じ、つまらない普通の世界である。そういう人間が、まともに賢いだけである。それなら、そろそろ賢くなる。
僕は、ネットワークやハードウェアの勉強がしたいと思っている。ソフトウェアというものは、OSや開発環境で用意された関数ライブラリを使い、ネットワークなどについても設定して利用するだけであり、面白い点は少ない。面白い点があるとすれば、それはネットワークである。最近は、ホームページとサーバーの技術が一番面白い。そういう時に、ハードウェアとネットワークの知識があると有効である。
それから、僕は、デザインがそろそろ、きちんと人並みに出来てきたような気がする。僕はレイアウトや効果などは分かっているが、具体的にアートワークやオブジェクトをどのように配置・加工していくか、ということがまだど素人並みに出来ていない。だから、もっとオブジェクトを作りたい。そして、オブジェクトをたくさん配置することで綺麗なデザインを作りたい。イラストやパスを描きたいというよりは、望み通りのグラフィックスを作りたい。
そして、僕は英語が嫌いだ。昔はドイツ語やフランス語がしたかったが、僕は最近、英会話学校に行っているのに英語が嫌いになった。もっと、別の良いところに行きたい。何かを教えてくれるところに行きたい。だが、本当は、そうした教えてくれるもの、というものは、もうあまり残っていない。それこそ、僕は英語が嫌いでも絶対に英会話学校には行く。なぜなら、今のまま、継続することが大事である、ということが分かっているから、やめるわけにはいかないからである。ただ、自分なりに、教えてもらわなくても自分で学ぶことはできると思う。それが、放送大学の授業であれば、それはそれで良い。
不思議と、この世界の光景が変わっていくのは、テレビとネットが悪い。そもそも、自分はこの世界を支配なんかできていない。世界が悪くなっているのは、自分のせいではなく、Facebookのせいである。
そして、自分はひとりだけ、分かっている。みんなは何も分かっていなくても、僕はひとりだけで全て分かっている。この世界は、今のところまだ何もない。今から良い世界になる。それは本当は僕が何かをやっているからだ。それは説明することのできない、奇妙な体験である。誰にも知られず、気付かれずに、言葉と愛の力でこの世界の王になった。