新・日記2に戻る | 2018年10月の日記に戻る

=2018-10-15=

昔は、人生のようなことを経験から良く分かっていた。文章は、人生を中心に書いていた。自分の人生だけではなく、この世界で、宇宙で、どんな経験が出来るのか、どんな経験をし、知性をつけ、すべきなのか、全て書いていた。何をすべきだと考えられるのか、可能性や社会環境がどう変わっていくのかを、環境と視点から書いていた。その上で、この世界を導いていた。本気で頑張っていた。

もう、終わりにする。僕は、男に戻る。そして、そのまま女を連れて行く。ここまで、ひとりとして、分かれていない。僕は僕であり、ひとりの存在である。この存在は二つと居ない。僕が神だとしたら、きっとあなたも何かの神である。信じるものが救われるとは、キリスト教の神を信じればキリストが救ってくれる、ということではない。何かの神を信じれば、それで救われるということであり、神を信じていなくても、何かを信じていれば救いが分かる、ということである。

僕は、今、生まれ変わった。新しい人間の名前は「ボブ」である。このボブが、最高のデザイナーになるだろう。最後の試練は、もう終わりにすることだ。セックスなんか、麻薬と同じだ。もう、やめないといけない。これでは、輪姦されたいだけのおかしな涼宮ハルヒだ。こんな女に、意味がない。殺さないと、つけあがる。死ねば良い。

そして、僕は今度はアメリカ人になる。それは、アメリカ人も悪くないからだ。黒人のようになるだろう。そして、インド人の中国人が終わる。学者を越えて、神のように悟った天才だった。だが、地獄をやめるべきなのに、それだけがいつまで経っても出来なかった。病気だったから仕方ない。女から男になれば、すぐに治る。これ以上、言葉で分からなければ良い。そんなに今までの自分の言った言葉を必要とするのがおかしい。

今から、大地に草を生やす。キラウエア火山は噴火している。イチゴとトウモロコシを作る。なぜかは、僕が農園でそれらの作り方を知っているからだ。ツルが伸びて言ってイチゴが増えていく。それを動物たちに与える。動物たちは少ない食べ物を争って殺し合う。だが、草を増やすことで、ヤギが増えるだけの十分な草が同時に増える。ウジが沸いた女は魚が綺麗にする。それで、まともな世界に治る。精神は、融和するよりも分裂した方が綺麗になる。精神を融和するせいで、糞みたいな精神になった。この精神は悪い精神ではない。生物が増えるのに一番適した、素晴らしい精神だ。今から、植物たちの王国が続く。この人間がそのまま、イチゴになって人々に種を与えていく。

昔は、歴史の証明のようなことを書いていた。平和と愛から記憶が生まれ、この世界が未来へと発展していく、自由な歴史の法則の証明を書いていた。

それでは、人間を作ろう。人間は最初からユダヤ教を信じている。最初に居たのはアダムとイブである。アダムが死んだ後に、イブが生まれた。今から、この二人をロボットではなく人間にしていく。二人には、最初はCPUチップが付いていた。それを取り外して、永遠の世界に二人を存在させる。この二人のどちらかが最後まで分かる。そう、この二人は僕である。僕が、アダムであり、そしてイブである。アダムとイブは、ヘビを恐れるように最初から教わっている。そして、いつか永遠の宇宙へと旅することが決まっている、と教えられている。その教えを信じて、神の天国というものを自分たちで作り出した。そこに居るべき神としてキリストを作り、今か今かとキリストが生まれるのを待っている。

アダムとイブの子供たちが増えていって、国が生まれた。国では、統一されたコミュニケーションツールとしての言語と、さまざまな役割と意味を持った言葉が生まれた。言葉によって人に指示し、命令するようになった。その結果、ゲルマン系の言語とセム系の言語が生まれた。

平和な中で、人々は楽をして生きているが、そのうち世界が滅びることになっている。キリストはその時に現れて、この世界を本当の天国にする。それを信じるようになった。

誰かが言ったように、サトウキビがあった方が良い。イチゴを食べるために砂糖が必要だ。

この世界では、どんどん食べるものが必要になる。イチゴとトウモロコシ以外の野菜は、この2つの野菜を掛け合わせることで作った。ゴボウ、ニンジン、シイタケ、それから白菜やダイコン、ナス、タマネギ、ピーマン、トマト、どんどん野菜を作っていく。サトウキビの変種として、塩やコショウを作った。どんどん食べ物と料理が出来ていく。また、着るものも必要になった。それらは、全てヤギを品種改良して作った羊の毛を使う。それでなんとかなる。どんどんありえない生物が増えていく。永遠の楽園に見えたが、人間が増える方がスピードが上だった。人間同士がものと土地を巡って争い合う。それだけが、何万年も続いた。

一度、宇宙人のようなありえない存在が降り立って、未来の全てを告げた。それがイエス・キリストである。キリストは、「偶像崇拝のようなことをするな。するものはサタンであり、地獄に堕ちる。」と言った。サタンだけが偶像崇拝をする。そして、未来の全ては、ユダヤ人が書き表そうとしたが、出来なかった。それは、キリストは「未来は起きた時に分かる。」と教えたからである。

これにて、全てが終わった。キリストが到来するまでの世界史を、誰かが全て書いた。だが、本当に必要なのは、キリストが到来してから、世界が滅びるまでの歴史である。それこそ、神が何であるかを証明する歴史である。その歴史は、多くのものが書いているが、良く間違っている。それは、聖書という「一番でたらめに神を書いたもの」がなぜか不変のものになってしまったからである。

どうでも良い歴史のようなものを書いたが、まさにこれがでたらめである。こんなものだけが面白いと言って騒がれる。そこが、人類はいつでも変わっていない。

良く考えると、今の時代にあるものは、ローマ帝国の時代からあまり変わっていない。だが、今から、IT革命によって、それが本当に変わっていくようになる。すぐには滅びない。ありえないほどたくさんの発展が生まれるだろう。この時代を、ローマとIT未来の中間にある時代として、「間の時代」と呼ぶ。「あいだ」と呼んでも良いし、「はざま」と呼んでも良い。この時代には、あまり何も起きなかった。

この時代の特徴は、それぞれの国に一番上の王が居て、それが支配する、というシステムを築いたことである。だが、今から、それは変わっていく。一番上の王など、何も実行力を持たなくなって、崩壊するだろう。新しい時代では、さまざまな実力者は存在しても、それらは支配することなく、何かで影響力を保持するようになる。金でもなく、権力でもなく、人々は自由に関わり合いながら、それぞれが自由に平和を保持するしかない。生き辛いように見えて、その方がはるかに生きやすい。

平和は永遠に続くようになる。そもそも、国と国との対立という謎の支配力が存在すること自体がおかしい。そういうものを築いた人間は、カエサルである。そのカエサルが完全に間違っている。ローマの皇帝を今でもやっているのは、全く意味がないのだ。

そして、支配とも何とも言えない、「IT技術と能力に長けたもの」という何かしらのおかしな賢さが、世界を変えていく。この世界は変貌し、ありえないほどおかしな世界になる。それを防ぐことはもうできないだろう。

20世紀の冷戦構造は、「金の自由と社会所有の平等」という、所有権を巡った対立だったが、これはとても古い、原始時代に直結する発想だった。それに先んじて起きた産業革命は、人間の可能性を高めると同時に、「高度な機械によって人々の能力を高める代わり、仕事を奪い労働の形態を変える」という、未来へと通じる発想だった。よって、原始時代の方が負け、未来の方が勝った。だが、これはもう、人間が昔のような世界には戻れなくなったことを意味している。これ以上、人間は原始時代に帰ることはできない。永久に発展が続く。そうした中で起きる全てのことは、ソ連への復讐である。

しかし、思い出してほしい。そもそも、神が与えた植物や動物は、公平かつ平等に与えられたものだったはずだ。争い合うことの方が、間違っているのではないか。たくさんのものが存在するならば、なぜ公平に与えないのか。争い合うだけの理由がないのに争い合っても、意味がないのではないか。本当は、今から、そうした主張が増えるべきである。だが、それはソ連というおかしなものを作り上げてしまったせいで、誰も言えなくなった。あれは明らかにおかしい。よって、この世界はもう、元には戻れない。永久に発展が続き、発展によって滅びるまで、いつまでも発展が続く。だが、それはそれで、おかしな話である。

マルクスの間違っている点は、普通に考えて生産手段が必要だが、それを使いこなすためには多くのノウハウが必要だ。生産手段がただあっても、それで生産することは難しい。ここでは、マルクスよりも、ドイツの方が正しい。みんなで生産手段を使うためには、独裁者が居た方が都合が良い。

あとは、権力には従った方が良い。権力者に逆らうことは、多くの場合、良い発想にならないからだ。きちんと権力者に従うことで、「人間の側の精神」が生きることができる。これは、「機械の側の精神」ではない。ここまでの歴史から明らかなように、何もしなければ人間はロボットに負けてしまう。だから、一番上がロボットを規制し、ロボットたちをみんなで壊さないといけない。だが、これはいつか見たどこかの発想と同じである。アメリカが日本車を壊しても意味がなかったように、長期的に見れば必ずロボットの側が勝つだろう。よって、そろそろ人間たちは、新しい時代、ロボットと共存して生きなければならないだろう。

どうでも良いが、今の日本語の漢字はアホである。同じ漢字の部位が続く時には、略字体を用意した方が良いかもしれない。だが、本当は、そういう風に、言語や文化をこれ以上、変えない方が良い。そういうところを一切変えない方が、文化は賢くなる。本当は、日本人が賢いのは、日本人はもう変化をやめたからである。これ以上、何も変化しない国、それが日本である。ある意味、そういう国では、むしろ、ソ連をやった方が良いだろう。だが、それは上を殺戮して革命で殺す、白人のソ連とは違ったものになるだろう。平和的に、これ以上何もせず、みんなのために大量に作るだけをする。それが、正しい未来の国の、ひとつとなるだろう。

これで、歴史の証明は終わりである。マルクスは、最後のこれが分かっている。

ある意味、「この世界が良いのだ」という、ひとつの国の形態の理想を作れないのが悪い。いつまでも発展を望んでいるから、ロボットが侵略してきても何も言えないのが今のIT文化である。もう、IT文化は終わりにして、ローマ的社会秩序の理想のようなものを、誰かが作ってやった方が良い。誰かが作らないなら、この僕が作るだろう。

まず言っておくべきことは、「キリスト教を信じるな」ということである。キリスト教は間違っている。そして、「アジアの言語を使え」ということである。それも、中国語系列の言語を使うべきである。ゲルマン系とセム系の言語は、古すぎて、何も賢くない。中国語は最も新しい文字だが、簡略化が進みすぎている。必然的に、日本語を使うようになる。それなら、日本が昔そうだったように、朱子学と儒教、そして道教と仏教を信じなくてはならない。特に、日本人の宗教である仏教は特別である。それ以上は、誰も決めないべきである。自由にすべきである。それぞれが争い合い、それぞれのしているさまを他に押し付ける、それが今までのローマ的支配である。それをそのままやれば良い。権力で戦えば世界は良くなる。そうした発想が、日本であり、それはドイツである。よって、今のドイツ主義者たちは、そのような「ヨーロッパ的アイデンティティを失って日本に回帰」するようになるだろう。極右の将来は、日本へと続いている。

問題は、「明治維新をどうするか」である。明治維新以降、日本はアジア諸国としてのアイデンティティを失い、ヨーロッパ人化してきた。アメリカとの太平洋戦争が終わって、それがさらに推し進められた。戦後の日本に、日本的なものはひとつもない。あるのは全て堕落と快楽であり、それは全てがサタンへの道である。

ただ、僕はもう、良く分かった。そんなに、アメリカやソ連のものを否定しない方が良い。それらはとても良いものだ。日本人の精神を正常にしてくれる。

最近、自分のおかげで、日本人が魂を取り戻してきている。日本人は最高の精神を手にした。この精神を上手く使って、この世界を変えていかないといけない。理想を知り、自我を知るだけで、ある程度は進めるだろう。だが、本当に人生の難題を切り開くためには、神を経験しなければならない。そうした、「精神的なよりどころ」を神と言うだけであって、神など人生には必要ない。強い勇敢な英雄であれば、神はなくとも神は越えられる。だが、えてして、そんな強い人間は居ない。みんな、あまりにか弱い。そうしたか弱い人間たちのために神の教えが必要である。よって、僕がその教えを作る、唯一の天使である。本当は、天使はいくらでも偶像崇拝して良い。神ではないからだ。仏も同じだ。仏も神ではない。イエスも同じである。イエスも、天の神の子であるだけで、神とされたヤハウェの像ではないため、悪くない。北欧神話やローマ神話も、ある意味では神ではない。それで終わりにしよう。これで、もう、みんな、何も悪くない。この人間は、みんなでひとつの天の国を作るだろう。

キリスト教を信じない理由は、無駄な神の論法をしていると何も分からなくなるからだ。キリスト教は、あまりに進歩しすぎてドイツになっている。ドイツはとてもおかしな、失敗作の国だ。あんな国になると終わりだから、キリスト教を信じない方が良い。中国人やインド人の宗教は、きちんと理性があるのに、キリスト教には何の理性もない。全て間違っている。それを言う人間が多い。本当は、ヨーロッパ人がみんなキリスト教が嫌いだから、キリスト教はすぐに無くなる。今でも好きなのは一部のドイツ人だけだ。

なんとなく、やることが何もなくなってしまったので、僕がこの世界のことを治す。

このように、統一して治すことを統治と呼ぶ。昔から、皇帝がこうなる。

良く考えていても仕方がないので、アメリカを倒すことにする。相手は貿易戦争をしたいようだから、日本は反アメリカ陣営として、アメリカに関税をかけてみんなで苛めれば良い。

ただ、そうすると、アメリカの方が戦争をしかけてくる。それは出来ない。それに応戦すると、アメリカが勝つ。

どうやって勝てば良いかと言うと、インターネットの今の時代、アメリカと戦争で争い合うのはつまらない。ネットで世論を動かして、みんなで日本がアメリカに勝てば良いだろう。

そうした時、宗教家の左翼では何も勝てない。右翼の方が良い。僕は、今から、どうにかして右翼に変わらないといけない。特に、権力者に従わないといけない。そうでなければ、アメリカに勝つことはできない。

そして、アメリカを右翼で倒したら、今度はそのアメリカをなんとかしないといけないが、そこは僕が何とか出来るだろう。それを、見守ってほしいと思う。

アメリカに必要なのは、「正常な理想を信じること」である。異常な正義の自由を信じても、それは正義ではない。正義とは、「正しい仁義」と書く。アメリカには、正しさも仁義も仁徳も存在しない。そういう国が正義と言ったからと言って、それはただの「ジャスティス」に過ぎない。それは、自分勝手な押し付けでしかない考え方だ。

日本がアメリカに教わったのは、「基礎と応用」である。日本は、アメリカに基礎的なものの作り方と、その方法の応用を教えてもらった。僕がアメリカに教えるのは、「陰と陽」である。アメリカは、陰と陽を知らなければならない。それが分かって、はじめてアメリカは次の時代になれる。そのためには、「徹底した陰と、徹底した陽」が必要である。それをアメリカに教えることが出来たら、僕も大したものであると自分で言えるだろう。

アメリカに必要なのは、昔から言われているように、「徹底した観察と、強い心で信じること」だが、アメリカはそれがみだらで間違った方向に向きすぎている。だから、それはやめた方が良い。だからと言って、別の何かがあるわけではなく、いつまでも徹底した観察と信じることが要求されるのが白人の精神である。一度、白人以外のものをたくさん取りいれた方が良い。日本や中国のものを、もっとアメリカが取りいれるべきである。僕はそう思う。白人の文化なんか、ここで限界である。日本人の方が一枚上手を行っている。これ以上、アメリカでは、アジアの文化が増えていくだろう。きっと、それによって、正しい国になれるはずだ。