新・日記2に戻る | 2018年10月の日記に戻る

=2018-10-14=

願わくば、これが最後の文章になってほしい。

自分がこれを書いていたのは、誤解されたくなかったからであって、本当はそれはもう既に叶っている。だから、もう書く必要はない。

だが、この文章を書かないでいると、辛い。何もする気が起きなくなって、寝ているだけになってしまう。

そろそろ、人生の全てを終えて、女から男になる。女になっている人間は、一度人生の全てを終了させて、男になりなさい。男になればすぐに精神病が治る。女は最大限分かる代わり、重要なことが何も分からない。男は最低限しか分からないが、重要なことがきちんと分かる。女は長い間耐え忍ぶが、男は未知へと挑戦し、賭ける。それくらいが違うだけで、基本は同じだ。

僕は今から男になる。女はもう終わりだ。

人間が違うように見えて、誰もが同じであって、本当に重要なのは人間そのものが違うかどうかよりも、立場や関係がどうであるかだ。その人間だけを見れば、その人間は当然するべき正しいことをしている。その人間の見ている世界から見ることで、人間はほとんどが同じなのだということを知ることができる。

昔は、知性を作り直すことで分かっていた。自然に知性が形成される過程のようなことを、ネットや引き篭もりの実体験から、さまざまなことを理性的に考えたり経験したりして分かっていた。成立条件を導き出しながら、価値観に根差した社会実現を分かった。

そして、戦うようになってから、独りで全責任を担って、「新しい世界」を実現するために、全力で出来ることの全てを頑張っていた。

怖いのは、2つある。まず、その時だけは怖くなくても、いつもやっていると戦いは怖いものだ。これは、いつもやっていても怖くないと思えば怖くない。もうひとつは、精神で言葉を分かるのが怖い。精神が心を分かるのが、あまりに分かりすぎて、辛くなる。だから、怖い。

自分は、文章やパソコンのごろの自分に戻りすぎている。もっと、哲学・歴史やデザインの頃の自分になった方が良い。それなら賢くなれる。もう、恐怖の愛は終わりである。何もない解放から、安らぎが見出せる。

デザインは、自分は本当は初歩のパス(曲線)の引き方が出来ていない。初歩の初歩であるベジェ曲線が引けていない。本当は、今からそれをやった方が良い。これでパスが引けるなら、賢いからだ。

昔は、いつ何が自由であるかを考えながら、制度を経験と見做し、社会を知り、経験を積むことで、社会の可能性を分かっていた。こんな社会が実現できるだろう、ということを、自分の経験とその人の立場を超えて考えることから、思考力の成立で分かっていた。

また、政治のことを歴史のように、文明の変化として考え、この世界の社会的文明の変化・変貌の段階を分かっていた。たとえば、ロシアは社会主義と民主主義をどちらも経験した、などと言う。

政治的なことを言うと、今の日本はアメリカがトランプ大統領になったことで、チャンスではないかと思う。アメリカとの関係悪化を懸念する全ての国に、「アメリカの代わりは日本である」と言うべきである。それですぐにアメリカを倒せる。日本は、そんなに思っているほど外国人のイメージ通りの暗い国ではない。明るく、美しく、新しい国である。

僕は、AIでベーシックインカム(政府が一律で給与を与える)は楽にはなるとは思うが、ロボットが人間のすること全てを奪ったように見えないかと心配である。いつの時代も、そういう時代が一番指導者が悪くなる。AIとロボットが仕事をするのは良いが、そのうち、AIとロボット側の人間と、人間側の人間が分かれて、政治的主張をし、いつしかロボットを利用してロボット帝国の少数派に負ける未来が到来するのではないかと思う。ただ、僕はベーシックインカム自体には興味深さを持っている。こんな人間でも生きられるのではないかと思う。

もう、卑劣な手口でみんなを騙すのは終わりである。そもそも、このホームページにはあまり価値がない。良い点がたくさんあるのは分かるが、そもそもみんなを何も出来なくしたのは自分であって、それを自分で出来るようにしても、本当は逆に何も出来なくなって終わるだけである。このホームページは賢くない。これで、もう忘れたいと思う。

ただ、本当は僕自身にとって、このホームページは必要だった。大学をしたことが無かった自分に独自の一流大学をさせてもらったし、このホームページがなければ、生きがいも知識も経験も無かっただろう。幸せと満足感を手にして、さまざまなことを習得し、いくつかのことを思い出し、美しい満足の行く作品を作った。僕はとても幸せで、今までの創造的活動の全てに満足している。僕の人生はこういう人生である。だが、欲を言えば、もう少し歴史や哲学のことを深く広くやりたかった。それは今からやっていくことにしよう。

あとは、gitは使うのをやめた。負担がかかるばっかりで、何も良いことが無いし、本当にきちんと動いているのかが不安で、たまに不正終了したりした時や、Windowsの方でシステムの復元などをした時に、きちんとデータが上手く行っているのかが不安だからだ。それに、仕事場でホームページの更新なんかしないし、むしろすべきではない。毎日毎日、毎度毎度、ありえないほど仕事量と負担が増えてしまう。だから、今まで通り、RealSyncでのフォルダ同期とZIPアーカイブで何とかすることにした。その方がはるかに楽だった。gitはとてもきちんと動いていてくれたし、とても便利だということは分かったが、僕には向いていない最先端の実験技術だ。僕はそれよりも、普通の枯れた技術を使いたい。

あとは、昔は、経験を考えただけだ。人々がどのような活動をこの現実世界でしているのかを考えた。何を考え、何をし、何を活動しているのかを、自分のことのように、色んな人間を生きたつもりで考えた。一体感はアイデンティティとなって、確立した精神になった。全てのものごとを「自由に出来る」という第一原理から考えていた。その第一原理は、自由だけではなく、想像力や認識、言葉や思考といった、さまざまなものにも置き換えられる。また、ネットの一体感を現実で、この世界の全員との奇妙な協調性として分かっていた。

さまざまな失敗とともに、焦りが強くなり、だが何も出来ない自分に対する絶望や失望は、次第に薄れて言って、18歳の頃に何かが分かった。それ以後は、文章を書き、神と対話するなど、ありえないことばかりしている。本当は、神とは言うが、神ではない。「ガルト民族」というありえない宇宙人の民族と対話している。そして、それはここで終わりである。僕は今、誰よりも幸福で、全ての知識と経験を持った、充実した毎日を生きている。出来ることなら、ドイツとフランスとイギリスの歴史をやって、デカルトやカントの勉強がしたいと思う。いつも通り、仏教の勉強もしたいと言うが、それは目先のことを目標ばっかり詰め込んで考えているだけであって、本当にやりたいのはもっと別のところにある。Java SDKの無料版がなくなったということで、Javaも死に絶えるのかもしれないが、僕はJavaをやるべきだと言うが、すでにきちんと分かっているし、本当はドイツの歴史も大まかなことは既に知っている。よって、本当はやる必要がない。Illustratorでパスが引けていないのは、本当のところを白状すると、最初に練習でベジェ曲線を習った時に、僕はAltでの折り返しを既に知っていたせいで、それを使ってやっていたために、きちんとハンドルで曲線を引いていなかったからである。よって、もう一度何かの形で練習をしたいと思っている。それで、デザイナーの仕事もきちんと出来るだろう。これで、全て終わりである。さようなら。ありがとう。本当は、僕があなたを想うよりもずっと、あなたが僕のことを愛してくれるだろう。

僕もそろそろ、今の作業所に行き出してもう2年になる。まだまだ、初歩中の初歩を繰り返しているが、それでも、色んなデザインの基本的要素は分かったし、さまざまな仕事を実際にして、色んな作品が残っている。とても嬉しい。今までの経験の中で、色んな人にたくさん助けてもらっている。とても感謝している。むしろ、自分自身に対する功績と驚きが大きい。自分がこんなに出来る人間だったのが、何より驚きである。

あとは、社会や人生のパターンを考えていた。何かが何かの結果として生まれ、それがまた何かの原因となっていくことを、「還元的な考え方」から考えていた。それが自然に起きること、それを「スパイラル」だとしていた。その上で、それぞれが自立し、自然に発生していくことを、「自由における目に見えない基盤」だと考えていた。そういう、目に見えない法則性や説明可能な現象を具体性や実際の経験から考えることに長けていた。また、それをオープンソースのような形で、現実的に応用していくために、独自の応用的な方法を作って、その方法で実践していた。そもそもはそういう風に書かれた文章だった。自分のような自分でないものを、怪人二十一面相のように書いていた。だが、それは世界を唯一救い、また完全に虚無へと滅ぼすものであった。そこには、この宇宙の全ての「摂理」と、一瞬と永遠による「無限大の可能性」が書かれていた。宇宙の全てを、完璧に把握し、全ての現象をその時予測して書いていた。自分だけが、この世界における「支配者」として、「あらゆる現象を起こす第一存在と地位を独占」していた。まるで、テレビやマスコミを支配する独占企業の経営者だった。そしてそれは、革命だった。

決して、優れた知性や能力があるわけではなかった。ただ、意識の中で全てのことを分かっていた。そして、「それは必ず上手く行く」とされたことだけを、ただ淡々とロボットのようにこなしていた。相手よりも早く次のことを言い、未来へとかかる架け橋を最初に進んだ。この世界を支配して、最後まで導き、最終的には恐怖を乗り越えて死の先へと行った。それによって成功し、またそれによって没落し堕落した人間だった。

本当は、いつものように歴史のことを勉強したいといつも思っている。パソコンなんか嫌いだった。もう一度、最初からドイツとフランスのことを知りたい。哲学については、そろそろ、もう終わりにしたい。純粋に歴史だけをやろう。決して、日本人や日本史が間違っているわけではない。歴史は、宗教と芸術を分かると良く分かる。残りのものは、生物と建築と工芸品や昔のものづくりぐらいしかない。学校もなかったし、旅にも行けなかったし、テレビもなかったから、こういう何も無い人間を生きている。だが、活気はあったし、楽しい世界だったはずだ。そういう昔の生活のことをやりながら、ヨーロッパの中世から近代までをやりたい。今まで勉強したことも無駄にはならないだろう。昔の世界はほとんどが野蛮で、力のあるものが勝つだけの世界だが、宗教のような賢いものはきちんとある。そうした、昔の歴史のことを学ぶことで、人間の本来の営みや考え方に近づけることが出来たら良いなと思っている。

それこそ、ササン朝ペルシャのような、昔の賢い国を知りたい。王による独裁政権でも、王が仁徳のある人間であれば、良い国にすることはできる。そうしたさまざまな歴史の実情を知ることで、今の日本に対して何か貢献や知見は与えられるはずである。ルソーやマルクスのような社会哲学者についても同様である。きっと、いつか本当に良い国は作れるはずだ。

あとは、意識が書いていない。昔は、ロボットのような「人工意識」のようなものを、頭の中に作っていた。数学的に意識が想起するだけの、機械だった。きっと、それを作ることが出来たら、今のロボットやAI技術は完成だろう。昔のLinux時代の僕が、自分の中で既に作っている。人工のロボット意識は、ただカメラを色々と取り換えるだけで作れる。おそらく簡単だ。

あとは、2ちゃんねるやインターネットだと思うから分からないだけで、あれは独自の社会経験をしているだけだ。さまざまな人々を知り、裏方やキーパーソンを知ったりしながら、ニュースや技術のことを読み、最新情報を掴み、自分なりに創造的な発想をして、無駄な失敗を繰り返す。ただ、真実の青春体験をして、人々を救えるぐらいの革命家のような人間になった。それくらいで、全部分かっていた。理想通り、とても高い理想でこの世界を導いた。人々を「自分で分からせる」という理想は、逆に自分が一番嫌だったロボット人間の世界を作ってしまった。もう、書くことはない。だが、友達に二度と会えない、というところまでは考えていないのが、ネットの匿名掲示板である。まさに、2ちゃんねるなんか、ない方が良い。笑えすぎて、涙が出る。悲しいから、もう一度、ここで再び会おう。もう、僕らは永遠に別れることはないだろう。

もう、僕のことも、誰のことも、誤解する人間は居ない。僕は僕であり、彼は彼である。誰かの言葉で取り繕いながら、暗闇に自分を探すのは終わりだ。僕は僕である。それで、もう、哲学者の一人が完成した。最後の言葉は、「僕は僕である」だった。

最初の頃は、2ちゃんねるで青春や自己啓発のような体験をしていた。そのうち、ネットでさまざまなルールが出来ていく過程を知り、FLASHなどを見ながらもっとソフトウェアやITのことを知った。最新情報を知るうちに、WindowsよりもLinuxに興味の目がいくようになった。そして、Linuxで自分の出来る限り、全てのことをしていた。最終的には政治のような場で、世界を変えた。それだけの、2ちゃんねるのおかしな二次元オタクだった。それで終わりである。もう、何も書くことはないだろう。本当に、終わりである。