新・日記2に戻る | 2018年10月の日記に戻る

=2018-10-07=

昨日に引き続いて、今日も英会話に行ってきた。

英語で言うaやtheは、myやyourと同じように、「全部の名詞に付けるパターンの違い」だと思えば良い。その話が言わんとしていることにはtheをつけて、それ以外のほとんどにはaを付ける。

複数形などで-sを付けるのは、フランス語の単純化だと思えば分かる。フランス語では複数形にはdeやdesという冠詞を付けるが、それが単純化して-sだけになったと思えば良い。

英語には、フランス語やドイツ語の単純化が多い。doesのような単語はドイツ語のdesとニュアンスが少し違うが、おそらく同じような意味から派生した言葉だ。toとzuも良く似ている。

昔は、義務ではなく、自らが指導者となるような自由を考えていた。制度は作られ、従うものだけではなく、自ら作り、みんなで作り変えるものだとしている。その上で、自然に作られ、自由を許すのを理想としていた。

神が「馬鹿になれば治る」と言ったのは、間違いだった。本当は、「賢くなれば治る」が正しい。また、精神は、必要になってから治すだけではなく、ひとつひとつ、着実に治していけば、すぐに治る。

最近、この文章を書いていないと、やることが無い。家に居ても、寝ているだけになってしまう。何もしたくないし、何にも興味がない。考えていると次の文章が浮かぶ。その度にまた文章を書こうとする。やめたくてもやめられない。思い通りに生きられていないだけで、辛くはない。自分でもこれで良いと思っている。だが、出来ることなら思い通りに生きたいといつも願っている。その度に、「これで二度と書かない」と思うが、それでも「もう一度だけ書きたい」と思ってしまう。その強い魂の想いは変わらない。必ず報われると、信じているように見えて、本当は諦めているだけだ。作業所でデザインをやっていても、誰かの歌が「可哀想に見えるふりをしてだらけている」と言っていたように、ほとんど何も出来ていない。だが、僕は頑張っている。そのことに対する誇りのようなものは、魂のゼーレを棄てて心を見失っても、必ずいつも存在する。この誇りは死と寄り添いながら、自分に新しい道を告げてくれる。

人生とは、獲得する中で作られる、新しい道への創造である。それは道であり、未知である。だが、そうした人生は、そろそろ終わりだ。

僕は今までたくさんの失敗を経験したせいで、失敗しても怖くない人間になった。昔の自分は、自由な道を見ていただけで、それは既に夢の世界を作ったことで終わってしまった。社会モデルとは、「全てのことを自由に出来ること」から見つけ出した、「気付き」だった。それはたとえば、制度を従うだけのものではなくみんなで変えられるものであるとするような、人の言われたことだけではなく、自分で体験し感じた中から生まれてきた、「観念的な気付き」のような気付きだった。人生がそれだけで完全に終わってしまった。だが、頭の中は賢くて、心は全部、経験を確かめることで完全に分かっていた。そういう、「可能性と意識の高み」がそこにあった。全てのことを本当に出来て、道や経緯をはっきりとこの目で知っている、ビジョンのある哲学者だった。

自由は、今までの環境の経験から、「環境としての意識」を教えてくれる。それはこの世界をどうにでも変えられる信念で、「自分の居る今よりもずっと前からこの世界が存在していたという実感」を与えてくれる。それは、「自分の見ている今のこの世界と同じものが、今までの歴史上、この場所に存在していた」という意識であり、その意識は「環境への適応」として、「主観的かつ客観的に把握できる、場としての根源的な意識と歴史の可能性」である。その可能性は、自分が今見ているということ、人々が今存在しているということを、同じものであると同時に、それぞれ固有の違うものであるという「事実」を教えてくれる。この事実を考えることで、「人々が何をしているのか」ということを、半ば「独自の宗教哲学」のようにこの世界に打ち立てる。それは独自の論理学であると同時に社会学であり、「具体性を論理と現実の照らし合わせから捉えることのできる、全てを解明する仮象の世界の数学」である。それぞ、「神の学問」であると僕は思っていた。それは「全てがモデルであり、全てが意識である」という、ある意味では飽き飽きしたようなこの世界の平凡な普通の人生科学だった。全てを自由に変えられるということから、全ての存在が平等であるということを分かった、存在論の経験と知性の哲学だった。

僕は、一端コンピュータやインターネットから離れて、歴史や芸術のようなことをやりたい。デザインのようなことも、その方が出来るような気がする。既にヨーロッパ史の通史と西洋哲学の概観のようなことを知っているが、詳しいことはまだ何も知らない。そして、出来たら、文学史のようなことを学びたいと思っている。だが、本を読むのであれば、むしろデザインの本を読みたいと思う。それは、早急の課題である今の自分の仕事を完遂するためである。だが、時間がある時に歴史の勉強をしたい。そして、歴史が読めたら、次に生物学の勉強がしたい。人間以外の生物についても知りたいと思っている。人間の歴史よりも前の時代に、地球がどんな世界であったか、ということに興味がある。それから、人間や生物の体がどのように出来ているのかに興味を持っている。自分の病気や障害は何なのかについても、詳しいことを何も知らない。そこまで出来た段階で、Javaのようなコンピュータやプログラミングのことに戻りたい。出来れば、数学や心理学、経済学などについてもいつか知りたい。そして、僕は労働はまだ出来ないと思う。それは、今の作業所で精いっぱいのことをやっているからだ。だから、デザインの仕事よりも別の仕事に移ることはあまり考えていない。だが、少しデザインのやり方のようなものに行き詰っていて、それがそろそろもうひと段落ついたように思う。僕はパソコンの操作方法は分かっていて、Illustratorの使い方も分かったが、芸術や造形学のようなものは全く分かっていない。歴史のようなものを勉強するうちにそれが分かったら良い。どうでも良い屁理屈を言っているのは、言わないと分からないからだ。だが、僕は単純に言えば、デザインの仕事をしながら歴史や生物の本を読みたいだけだ。パソコンなんか嫌いだ。これ以上、パソコンの常識なんか残っていないのが分かる。あとの技術は、詳しいことは色々とあるだろうが、JavaのコードやApacheの設定ファイルぐらいしかないだろう。あとの技術なんか、それと同様の応用である。そんなものはどうでも良い。パソコンのような近代化が嫌いなのは、誰も自分のことを超えてくれないからだ。Linuxをやっている人間は、自分ぐらいしか居ない。どんどんパソコンが馬鹿になっているのは、全部自分のせいである。そんな馬鹿なスラムの支配者を、これ以上続けたくない。昔の自分は、こんな無意味な支配者の存在を壊したかっただけだ。

ヨーロッパの歴史の特徴は、要は宗教だ。カルトのようにイエス・キリストと聖書を崇めている。だから、キリストよりも前の、古代のローマ帝国やギリシャ、そしてイスラエルが賢い。そこらへんをすると良く分かる。そして、キリスト教の封建社会が賢くなっていった、近世や近代の時代は、やっと馬鹿が終わって、普通になっている。そういう歴史だが、本当は日本もあまり変わらない。日本の歴史は、宗教よりも武力を基本としているが、それはヨーロッパも同じだ。だから、適度に古代をやりながら、適度に武力と宗教を考えると歴史は分かる。

たまたまイギリスが産業革命で蒸気機関を発明しただけで、それ以前はヨーロッパは他と比べても後進的な地域だった。キリスト教の一大カルトをみんなでやっているだけだ。だから、ヨーロッパは賢くない。中世の時代、イスラム圏や東アジア圏の文明の方が、律令国家として先を行っていたはずだ。僕はあまり詳しく知らないので正確なことは分からない。だが、そこらへんの中国やアジアのことを知りたいと思う。

ヨーロッパ人流の武力で世界全体を征服するという発想は、キリスト教やイスラエルの「絶対神に従う」という発想から来ている。だから、他の地域に対しても、帝国主義や民主主義を押し付け、同じ宗教を信じるようにさせる。それらは全て、キリスト教が悪い。中世のアジア世界では、まだイギリスの蒸気船や火薬の発明に征服されておらず、たくさんの賢い知恵と知識のある賢人の社会だった。平和で、正義で、普通のまともな社会だった。そこらへんの中国やイスラム圏の歴史を、日本人はしたくないと言うが、それはヨーロッパ人ほどに華々しい芸術的な帝王が居ないだけであって、それらの時代は賢かったのだ。だから、日本人はそこらへんの歴史を(僕はまだ何も知らないが)学ぶべきであろう。

ルネサンス以降のヨーロッパの華々しい歴史が悪いわけではない。デカルトやニュートンのような賢人をたくさん生み出したし、征服するに値するほどの強大な武力があった。だが、今の戦後経済発展やIT革命に匹敵するほど、当時の近代科学や近代文明が賢かったかというと、そうでもないだろう。当時は当時なりに、火薬や活版印刷や羅針盤が賢かったのは分かるが、強大化しすぎた武力はさまざまな地域を発見しては征服し、インディオを奴隷貿易の奴隷にして、たくさんの戦争をした上で、やっと地域の統一と自由を勝ち取っている。革命は凶悪で、マリーアントワネットなどは何も悪くないのに権力を持っているだけでギロチンで処刑された。当時のヨーロッパが本当に正しかったとは思えない。ヨーロッパ中心の歴史はおかしい。共産主義もファシズムも凶悪だったが、民主主義やキリスト教も正しいわけではない。カルトの論理性は知性を失って洗脳されるだけだ。

僕は中国やインドなど、アジアの歴史のことを何も知らないが、それはそのうち適当に分かるだろう。もう、カルトのような神は居なくなる。神とは言うが、一般的なドイツ人がこういう風になるのを言っている。だから、神なんか居ない。むしろ、日本史をやった方が良い。そろそろ日本史をきちんとやれば終わりに見える。その後は分からないが、夏目漱石のような賢い人物のことを研究すれば良い。

そろそろ、パソコンのことも終わりだ。これでJavaをやれば良いと言うが、お札を数えるプログラムとそんなに変わらない。クラスの使い方が特殊だから馬鹿にされるだけで、一番個性があって、表記法とクラス図・クラス階層のバランスのとれた良い言語だ。C++には難しすぎる表記法が多いし、クラス設計が未熟だ。シーケンスだけのクラスを使って作るよりも、最初から全部用意された方が便利だ。普通にそういう言語だ。最近JavaScriptが流行っているのは、DOMが面白いのと、フレームワークを作るとDOMの使い方が高度になって面白いだけで、DOMとは言うがHTMLを適当に操作するだけの何も難しくない仕組みだ。どんどんHTMLの周辺にフレームワークが増えているが、それくらいからどうでも良くなった。今のパソコンの技術なんか、全部どうでも良い技術ばかりだ。すぐに消え去るか、パスワード認証が顔認証に変わるだけで、それくらいで終わりになるだろう。そうなると、みんな哲学や歴史をやるようになるだろう。それ以降は、もう何もない世界だ。それくらいが分かってしまえば、誰でも宇宙のことが全部分かる。そういう時代には、なるかもしれない。僕と同じになると想定すると、地獄のようにはなるだろう。これで、人類は終わりだ。JavaScriptはオブジェクト指向のやり方も面白いし、ライブで変えられるようにするとFacebookや2ちゃんねるのような仕組みを作ることが出来るが、要は2ちゃんねるが作れるから流行っているだけで、Facebookなんかそろそろ飽きられている。パソコンは本当に終わりになるだろう。今でもプログラマは登録情報を入力するだけのデータベースのフロントエンドとバックエンドを作っている。それはいつまでも続いて、あとはOpenGLのゲームがVR(仮想現実)になったりするだろうが、自動運転車が走るようになったりすると、今度は自動車が空を飛ぶようになって、本当に最高の世界になるか、あるいは最悪の世界になるだろう。そして、それはきっとすぐにまともな世界に変わって、永遠にその世界が続くはずだ。それ以上、発展はしなくなるだろう。

PHPもRuby on Railsも同じで、ただ2ちゃんねるが作れるだけだ。何も面白くないし、賢くない。最近は、むしろ、遊ぶよりも情報共有のために使っている人間が多い。そして、それは昔の2ちゃんねるから全く変わっていない。雑誌や本を読む代わり、ホームページやブログを読むようになっただけだ。この世界は、もう何も変わらない。ソ連が賢く見えたのは、マルクスまでは賢かっただけで、レーニンやスターリンぐらいから最悪の馬鹿になった。だから、ソ連は馬鹿だ。共産主義は、賢く見えて、本当はただの宗教の同レベルだ。だから、もうこの世界はそういうものには騙されない。きちんとした法治国家で、ルールの下に世界を統治しなければ、良い国にはならない。社会主義のような理想は、資本主義のままで制度を拡張すれば上手くいく。それ以上は進歩しないだろう。気象現象をなんとかするために、そのうち馬鹿なことをやるしかなくなるだろう。全ての家屋に太陽光発電パネルをつけるか、植物を砂漠でも育ちやすいように改良するしかないだろう。日本の借金は、本当はもともとは銀行のお金であって、それを国債を買うお金にしたかっただけだ(僕は良く知らないので嘘かもしれない)。だから、国債を手放す代わり、政治家のお金から銀行預金を返してもらえば良い。責任は政治家と役所にあるから、政治家と役所が頑張って考えれば、たぶん解決するだろう。少子高齢化の問題は、本当は結婚して子供を育てたい人間が居なくなっただけで、田舎の村のようなローカルコミュニティが復活すれば、結婚したい人間も増えると同時に、お年寄りが暮らしやすくなる。詐欺のような問題は、そもそも今の電話システムに問題がある。悪質な電話は最初からかかってこないように、お年寄りは身元の分からない電話がかかってこないような設定を電話の初期設定にした方が良い。若者は、電話の代わりにLINEを使っている。今からは、その方が電話よりも多くなるだろう。ハッキングの問題は、顔認証にするしかない。1年以上のログインがないアカウントは自動で削除するような、そういう設定にした方が良い。パスワード認証は、百害あって一利なしだ。なぜなら、Webサービスなんか誰も使っていないからだ。

なぜか、この文章はみんなのことを見下しているように見えて、本当は悪いことを何も書いていない。内容は何もないが、ひとつだけ、「善」の感情が分かる。こういう人間がキリスト教徒に多い。何もない代わり、幸福な善人になる。イエスになることを目指す人間は誰でもこうなる。昔の自分の考えた、幸福の宇宙論が分かる人間が多い。その宇宙論がそのまま宇宙人になって、自分のことを最後まで導くのが、こういうキリスト教徒だ。なぜか黒人に多い。

この世界に難しいものは何もない。自分には到底できないように見えても、必ず正しい解決策がそこにある。逆に、この世界に馬鹿な人間は居ない。馬鹿な人間に見えても、みんなそれぞれ、何かしらの賢い点を持って生きている。この世界には、良識が平等に配分されていると、デカルトが言っている。それはそういうことを言っているのだ。僕はそこで、「誰もが良識を自由に作り出すことができる」と言おう。良識は配分されるだけではなく、それぞれが作り出すべきものである。

キリスト教はこうなる。自分が神になって、その神が自分を導くようになる。それは、昔の自分の記憶が、神のように全部分かっているからだ。馬鹿に見えて、神は誰もがこういう風に、言葉で自分のことを導く。そして、天にはキリストが居て、自分もキリストになる。そういう、キリストだけが宇宙に存在する宗教だ。

それで終わりにしよう。これでニヤついて居れば良い。もう、してやったりだ。この世界を支配して、全てを破壊し終えた。この世界はゲームオーバーだ。完全に、ガブリエルが勝利した。

昔の自分は、本当におかしな「コドモ経済学」を作っていた。ロボット人間を色んな人間の中に配置しただけだ。最初から、そういう発想をしている。昔の想像力を見ても、ロボットしか作っていない。

自分の賢い点は、戦いの中でキリストを信じたからだ。それだけが唯一、本当に賢かった。全てを失い、消え去っていく中で、キリストという「最高の神」の感情が少しずつ拡大し、増えていった。その神のことを、今でも記憶が全部覚えている。優しくて、楽しくて、面白くて、そして賢い素晴らしい神だった。その神が自分のことを導いてくれた。黒人だと言っているのは、昔のその頃の自分が黒人に見えるからだ。何も分かっていないその頃のことを、完全に全て分かっている。キリスト教徒と言うよりも、イスラム教徒と言った方が正しい。本当の神を信じた、「真実の教徒」だった。それを、宗教の名前にすると良いだろう。在導万創は、真実の教徒である。

本当は、この馬鹿に勝つのは簡単だ。「何も分かっていない」と言えば良い。この馬鹿は何も分かっていない。知識も経験も何もないのに、ただの自分の思い付きを書きとめるポエマーをやっている。金なんかないし、名誉も賢さも全くない。この人間は、誰が見ても「一番小さな兄弟」だ。今でも赤ちゃんと変わっていない。この馬鹿が最強のガブリエルに変質する。その姿は、誰も知らない本当の自分だ。ハレグゥのグゥだと思うと良いだろう。あるいは、グーグルのグーだ。

せっかく思いついたから、gooという名前をあだ名にしよう。Assyのあだ名はgooで、グー(guu)と発音する。このグーが面白おかしい人間だった。みんなを楽しませる、ヤギのような生物だった。

悲しいことに、世界がグーになっている。それは、僕がグーだからだ。

ちなみに、グーのGがどこから来たのかという問題があるが、それはガブリエルかGNUかどちらかから来ている。よって、ガブリエルのことをみんなでグーと呼ぶ。そうすると、GNUもグーの存在を喜ぶ。

グーのつまらない点は、良く分かっていないからだ。そもそも、コドモ経済学とは言うが、どんな経済学だったのかを全く覚えていない。創造性や具体性が多かったのに、完全に忘れてしまった。そういう、忘れるだけの存在がグーである。忘れた中で唯一何かを覚えているから、それを思い出して書いているだけで、グーは賢くない。グーはただのGoat(まぬけやぎ)だ。

Goatというスラングを僕が知っているのは、昔スヌーピーの漫画であるPeanutsで見たからである。グーはヤギであり、ムシャムシャと草を食べる。僕も宮島で紙をシカが食べるのを見たことがあるが、動物にとっては間抜けでも食べるのが唯一である。よってグーは草を食べる。グーはいつまでも永遠に草を食べている。それだけである。

グーになると、すぐに心が楽になる。グーは食べるだけで何も考えない。それが正常な生物だ。

自分は、人間の配置科学を何とかすれば分かる。人間を適当に配置するだけのおかしな科学がこれである。この科学は、全部人間をどうでも良い存在に適当に変えているだけだ。それを量産している。あまり意味のないことをしているが、自分にとっては生産的である。ヤギの乳だと思えば良い。それくらいのエロがこれだ。ただ、ヤギが悲惨だからそういう馬鹿はやめた方が良い。ヤギは何も考えない。ヤギになると、蝶々になっているのが治る。蝶は怖いだけで、何かに触れるとすぐに死んでしまう。その点、ヤギは楽だ。食べるだけで何も考えないから、いつも自分のことを虫だと勘違いしているが、これはヤギだ。

今、蝶が死んだ。結構面白い存在だったが、全て悪いだけのおかしな生物だった。前の時代の悪い点がひとつも治らなかった。蝶は反省せず、いつまでもふわりふわりと攻撃をかわし、何も考えず人々を全員不幸にした。一転、これからはヤギである。ヤギはとても面白い生命で、何も考えず草を食べる代わり、乳のようなものを生産する。ヤギもヤギで完成された生物である。いつもの何かを繰り返しているような気がするが、それで良い。いつかやっていたことを今やっている。それが楽しかったから、ヤギはそういう風に妄想や虚言のようなことをきちんと思い出すようになるだろう。自分はそれでもう、全てきちんと分かっている。ヤギのグーが新しい自分であり、新しいこの世界である。

知り合いのカナダ人が言っていたが、カナダには田舎の「Just Animal」な地域が多い。このヤギのことをカナダ人ということにしよう。カナダ人はヤギをやっている。(ちなみにその知り合いは英会話教室の講師である。)

なぜか、ヤギの子供が産まれた。そして、親の方は死んだ。親はあまり意味のない、狂ったヤギだった。今のヤギ、新しいヤギの方をグーの二世ということにする。

そのまま、ヤギが大きくなる。もう、考えなくて良い。今まで、親のグーはとても辛かったが、新しいグー二世は楽である。何もしなくて良い。ヤギのように生きていればきっと良いことがあるだろう。

不思議と、僕には手や脚があるように見えて、ない。手足がたくさんある宇宙人のような存在になっている。

なぜか、怒る意味がないのにまだ怒っている。もう怒るのをやめた方が良い。僕はもう怒っていない。

プログラムのカウントが0から始まるのには理由があって、それはポインタがアドレスを参照する際に、0を足して最初の項目から始まるのが良いからである。僕も最近気付いたが、それを考えるとC言語があまりにポインタすぎることが良く分かる。

僕はもう怒っていない。この町は怒りの恐怖に陥っているのが治る。僕は、最初から優しい気持ちでこの世界と接しているのに、どこかで怒りの渦の中から抜け出せなくなっている。僕は怒っていない。なぜ、僕が怒りの神のように書かれるのかが分からない。だが、僕はもう、何もしない。最初から最後まで、怒っていただけで狂っている。こんな人間は僕じゃないといつも思っている。それがもう、ヤギとともに治った。

僕は、プログラムというのは「どこからでもprintf()が出来る」ということが地味に賢いと思っている。一度そのファイルにincludeしてしまえば、どの関数からでも同じようにprintf()が出来る。僕はこれを一歩進めて、「どこからでもオブジェクトの操作ができる」ようにすると良いと思う。むしろ、今のままでも普通に出来るが、これをすると、人間や知的生命体よりも賢いロボットが作れる。誰かがきっと作るだろう。僕自身かもしれない。

NHKのAIとロボットによる資本主義の変革のテレビ番組を見た感想として、彼らが一番分かっていないのは、「本当に人間と同じように考え感じるロボットが生まれる」ということだと思う。なぜなら、僕がこのホームページで作っているからだ。彼らはそこが分かっていない。ロボットと言っても、ロボット的な作業しか出来ないロボットのことを言っている。本当は、ロボット技術はそこでは終わらない。ドラえもんのように、人間と会話し親しい遊びを一緒にするような、そういうロボットが必ず現れる。それを言っておこう。僕が作っているロボットはとてもショボいロボットだが、感情の部分をランダムにせずに知覚するようにして、制御部分は毎日のやることを考えるようにして、printf()を賢いメソッドに置き換えれば、きっと人間と同じようなロボットは作れるはずだ。

自分で書いたロボットが流行らないのは仕方ない。あれはランダムにprintf()を実行するのが馬鹿すぎるから、馬鹿にされるのは当たり前である。ただ、本当は作り手の意図のようなものはあって、最初からポインタで次に実行する内容を書き換えたりすることが内部から出来るような作りにしている。

本当は、もう少し、外界と接するようにして、内部で賢いディープラーニング用のオブジェクト(クラス)のようなものを操作すれば良いのかもしれないと少し思っている。だが、僕はディープラーニングをどのようにすればPythonプログラムに組み込めるのかが分かっていない。そこを考えても良いと思う。

僕がロボットと言っているのは、いつものこれである。良かったら見てほしい。

http://assy.dousetsu.com/programs/robot.html

それで、そろそろ僕のやることも終わった。誰でも作れるので、上のロボットをぜひ改良してほしいと思う。