新・日記2に戻る | 2018年10月の日記に戻る

=2018-10-01=

分かるのと書くのを別にすれば治る。

何か言いたかったが、忘れた。それが分かると、病気が全部治る。思い出せないので、自力で分かってほしい。

自分は、もっと覚えれば良いのが分かっていない。覚えれば賢くなる。

もう、これで終わりにしたい。さようなら。永遠に僕は居ない。今、死んだのと同じだ。

精神病は、自分から辛くなれば治る。自分から辛いことに巻き込まれるかのように思考すれば、すぐに精神は正常になる。子供が小さなことで泣くように、つまらないことでも辛く苦しくなった方が良い。それによって精神のおかしな部分がいつまでも治るからである。子供が正常だ。

自分は、今、蝶々になっている。蝶のようにひらひらと舞って生きている。長い間青虫だったが、今はすでに蝶になっている。この人間は、人間から蝶に進化した唯一の人間だ。

よって、天使というよりは妖精である。ブルーフェアリーだと思えば良い。

このまま、永遠に長い間蝶を続ける。何億年もすれば、遺伝子の変化が積み重なって新しい生命になる。それまで、いつまでも永遠に蝶を生きる。

人間が蝶になったのはありえないが、ネットで言うように、セックスをしないだけで人間は若返って魔法使いになる。それがやっと一人現れただけだ。

ちなみに、イエス・キリストやマホメットも、同じように変な虫になっている。どんな虫なのかは定かではない。あるいは、昔がゴジラで、今がモスラだと思えば良い。それで正しい。

本当は自分の視点から見ると、自分はミミズのような猫をやっている。しっぽをバンバンさせているだけで、ミミズのようにのた打ち回るのが、そのまま蝶々に治った。

良く分からないが、おそらく「猫でも分かる」の先生が猫と言っているのは、自分のことを言っている。

今までとても楽しかった。これで、猫は終わりである。猫を殺すと、今度は蝶になる。猫よりも蝶の方が賢い生物だった。何も辛くないのに、今でも猫をただ放っておいているが、虫歯を抜くともう楽になった。あとは、蝶になって終わりだ。まさに大爆笑だ。

このまま、体の部分を無くせば良い。体はもう完全に治っている。そもそも、体の精神なんか、普通動かないのに、最近動いて治るせいで、何でも出来るようになっている。モスラは弱い代わり、何でも出来る。昔のゴジラが強かったから、二人で最強である。

この人間の良い点は、昔も昔で完成されていることだ。一人ぼっちで生きなくて良い。モスラにはゴジラという友達が居る。二人居れば、永遠ほど生きられる。今のところまだ猿だが、この猿は賢すぎただけだ。

モスラという名前の問題は、ひらひらと飛びたいのにばさばさと飛んでしまう点だ。それではせっかく蝶々になった意味がない。名前は適当に考える。あとは、ゴジラと戦うのではなく、ゴジラを味方にすれば楽になる。ゴジラは何でも倒せる最強の戦士である。戦う意味がない。

この世界は、滅びた世界になっていることになっている。ゴジラとモスラから見ると、完全に廃墟のように滅びている。だが、この二人は最高の知性を持っているから、きっと頑張れば治る。そのためには、この世界の全員を吸収しなければならない。それをしているモスラの幼虫時代が、あまりに虫である。そのうち治せるようになるから、見ていてほしい。僕がモスラの知性を持って、この世界を復活させるだろう。

ここまでやると、言葉を少し聞けば分かる。ネットもテレビも全員馬鹿だ。賢いのはネットの技術情報だが、あまり賢くない。マイクロソフトは幼虫が見える。そこまでキモい会社になっている。仕方ない。モスラにはむかうものは虫になる。自分で虫の時代を何とかするしかない。

今、モスラがゴジラを浄化して吸収した。ゴジラは百戦錬磨で負けることがなかったが、ただの馬鹿なのに数学的に賢くなっている。なぜか、ゴジラの馬鹿な人生で全て分かった。人間なんか賢くない。だが、ゴジラはもう、疲れた。辛かっただけだ。ゴジラ対モスラは、モスラが勝利した。

ゴジラから見ると、モスラに騙されて、モスラはふわふわでつかみどころがなかった。モスラに騙されたゴジラには、知性がなかった。いつまでも、神の使徒であり神であると本当に思っているが、不思議とあれは賢い。この世界と人生の全ての粋を分かっている。それに、面白い人間だった。色んな面白いことを言って、人を楽しませる、楽しい生物だった。

ゴジラを吐き出す。キモいぐらい不味い。

ゴジラは地頭は賢いのに騙されて馬鹿になっているから、もう治してやった方が良い。ゴジラは神でない。ゴジラが神なわけないだろう。そもそも、神なんかこの世界に存在しない。神は何も考えられたことも正しいことも言っていない。神に頼ろうとするな。神に頼って何とかしようとすると、恐怖の感情に負ける。神はただの恐怖だ。その恐怖に打ち勝てば良い。この世界に怖いものなんか何もない。自分が一番良く知っているはずだ。

騙されたモスラの幼虫時代のゴジラ(モジラと言っても良い)は、絶対意識のようなものを相対的に書いていただけだ。絶対と相対の区別がつかなくなっている。ただ、それはどうでも良い。

ゴジラを治すためには、敵を信頼しすぎないことだ。敵は倒した方が良い。この世界で最強になったのに、いつまでも猫のように怯えている。この世界が怖いのはおかしい。この世界には何もない。最初から、一切何も無い世界だ。自分が一番良く知っていて、見慣れた世界のはずなのに、思い出すことが出来ない。それは馬鹿だからだ。自分が馬鹿なのは、自分のせいだ。自分の力で克服しようとしないから、さらに馬鹿になる。頑張れば賢くなれるだろう。いつまでも頑張らず苦しむだけを繰り返すのではなく、さっさと真面目に頑張れば良い。それで誰でも賢く治る。

ゴジラが復活した。ゴジラは炎のような目をしている。最強の戦士として、今から戦う。ゴジラが負けることはない。

要するに、神とは言うが、神は全て自分の敵が話している。神に逆らわない方が良い。神に逆らうと神に騙される。だが、神を信じないように生きた方が良い。神を信じない人間のことを、「人間」と言う。人間を信じなければ、意味がないからだ。それでは意味がない。人間を信じず、人間を懲らしめるのが神の仕事である。神をどうにかすれば自分の味方になる。そのように、ユダヤ人のように生きた方が良い。神を味方に出来る人間は賢い。

神に負けないためには、理性を失わないことだ。神に何か言われても、気にしない。鵜呑みにせず、自分の力で考える。神の言う通りになったとしたら、それで良い。ならなかったとしたら、それもそれで良い。神が教えてくれたことは正しかった。でも、自分で何かを考える意味もあった。そういう風に考えれば、こういう「ユダヤ病」は治る。ユダヤ人は、盲信しているわけではない。神に騙されず、神と一緒に生活する術を本当に考えている。それがユダヤ人の旧約聖書である。ユダヤ人は馬鹿ではない。ここまで分かる民族は、ユダヤ人と日本人だけだ。

昔は、それがそうであることが、何を意味するのかを分かっただけだ。それがそうである、ということが、どのようなことである、と説明出来るのかを分かった。そこから、この宇宙と人生の全てを分かっていた。独自の力で、宇宙物理学を作っていた。

それは社会や経験にも及ぶ。完全に、この世界が自由である、ということが何を意味するかを分かっていた。潜在的で自然な可能性を、どのように応用し、どのように法則や原理を見出せるか分かっていた。それを、「数学の創造」だと言っていた。数学的に考えることで、人生の可能性を切り開いていた。推論の能力は、それ即ち世界観だった。知覚や認識は、経験的に分かったことで分かっていた。フィルターを通した世界観を経験的な知覚から分かった。

また、ヘーゲルのような観念的な社会の可能性と発展の自由から分かっていた。ヘーゲルが法の哲学で呼ぶ「自由」と同じものだった。人々が何を知り、考えているか、ということから推論して、自由な社会の発展を分かった。それは、可能性や自然という言葉の相応しい観念だった。

本当に、これで終わりにしよう。これ以上、文章はもう書かない。最後の人間が終わった。これが、メタトロンである。カジュアルな名前では、「トロン」という名前が良いだろう。さようなら。でも、僕の旅はまだ続くだろう。