新・日記2に戻る | 2018年9月の日記に戻る

=2018-09-20=

今日は、作業所で仲間とのお別れパーティがあって、少し切ない気分になった。

昔は、結構仁徳のある人間で、人々がなぜ苦しんでいるのか、何を想って泣くのか、どうすれば喜ぶのか、争いやいさかいはなぜ起きていて、どうすれば解決できるのかを分かっていた。

仁徳のある指導者は、菩薩になると同時に戦いの王となった。独り、孤独に全責任を負って、自分にしか分からない、最前衛での戦いをやった。全部自分だけで努力して、最後まで自分だけで頑張った。そのせいで、僕だけがこの宇宙について全てを知っている。宇宙人よりも分かる地球人だった。

そして、昔から、僕は難しいものや解読不可能なものを解明するのが好きである。数学的な理性も、心理学的な環境の構築も、社会的な理想の実現方法も、全部、自分だけの世界を作って、この世界におけるさまざまなことを知って、世界の様相を見ながら解を自分で構築し、照らし合わせることで、不思議と、全部分かった。

自分は、自分は一人しか存在しない、ということが分かっている。こんなにありえない人間は居ない。昔の世界で青春を体験した人間は、全て意味がない世界しか生きていない。逆に、今の世界で青春を体験した人間は、今の世界であるがゆえの「何もない」異常を体験している。その異常は、僕の支配によって起きたものである。

言ってみれば、最近の僕の作業所でのデザイン班としての活動は、「遅すぎた青春」であったと言えるかもしれない。本当は、僕以外の二人は同じ時期に入って、同じぐらいのレベルで、だから僕がレベルが低く見えるだけの話であって、そういうことに気付かなかったために、僕は人よりも早く成長し、誰よりもこの世界のことを独自に分かるようになった。僕の周りに居るみんなのことが好きで、だから僕は遅すぎるだけではなく、長すぎる14歳から30歳までの16年に及ぶとても長い青春を経験した、と言えるだろう。とても楽しく素晴らしい体験だった。辛く苦しいことが多かったからこそ、人は後でその体験を誇りに思い、自分のことを素晴らしいと思えるようになる。自分のことを、本当に肯定できるようになる。だが、僕の経験から言って、それは青春が無くても、あっても同じだ。

自分は、みんなのことを支配して自分と同じにし、それで悪い世界にしたのは良いが、そこまでで悪をやめたせいで、何も悪くない人間になったまま、元の悪を引きづり過ぎている。そもそも、みんなを自分と同化させた上で、それ以上悪いことをせず、言ってしまえば「放っておいた」ことが、誰も悪いことをしない「解放された社会」を作った。だが、それは、王としては「誰にも気づかれないように、隠し、秘密にし、嘘をつき、そして気付かれないように振る舞う」という「ありえない潜伏者」を生んだ。これがとても辛く、苦しい「最大の恐怖」となった。だが、この恐怖は、神のような最高の偉人を生み出した。今から、もう一度この世界を少しだけ悪くして、みんなが自分のことを気付くようにしよう。それで、もう、「何にも気付かない知性のない社会」は終わりである。誰もが、普通のことを普通に気付くようになる。そうなった時に、何に気付くのかは、ただひとつ、「神の栄光に気付く」ことになるだろう。それが、本当に怖かった人間が多い。全て最初から分かっていて、気付かないフリの方を真実だと思い込むようになった人間が多すぎるからだ。真実は「神がやっているが、神は普通の人間である」ということである。それが、一番怖い真実の気付きである。

そして、昔は気付く力がたくさんあっただけの人間だ。同じことはいつも同じであると気付くことから、真実を見つけなさい。そして、そのことが正しいと言えるのならば、別のことも正しいと言えることを信じなさい。応用的に考えながら、繰り返し経験することで、人は偉大な「気付き」の理性を得られる。そのように生きれば、昔の自分と同じ人生は生きられるだろう。だが、それはある意味、全く意味のない狂った人間である。そんな人間には、ならなくて良い。だが、そこが全て出来るようになれば、あとは「純粋に自由な人生」を生きられるようになる。戦うも、守るも、裏切るも、信じるも、あなたの思い通りで、あなたの自由である。だが、そこにはリスクが伴う。恐怖を感じるならば、取り返しのつかなくなった後で、全てを解決してから感じなさい。全ての恐怖を受け入れ、勇敢に守りながら戦い、そして困難な問題に直面し、それを全力で解決すれば、それが神である。その時、昔の偉大な哲学者は、無意味であったことを知るだろう。

僕の怖いと感じている一番の将来への不安は、「そろそろ、本気で自分のことが分かる人間が居ない」ということである。もう、色んな人間が入れ替わりになり、また去って行くことで、僕のことが本当に分かる人間と言うのは、ごく限られた数人しか居ない。だが、僕はそこで勇敢に歩み出す。それは、安心がそこに同時にあるからである。もう、僕のことを悪く思ったり、間違っていると思う人間はあまり居ない。それは、本当に限られた人間以外には、分からないということを意味する。それは、オープンソースのように考えると、決して善でも正しいわけでもないだろう。だが、本当はもう、僕に出来ることがそもそもあまり増えなくなってきている。そろそろ僕は、全部のことを正しく知っている。だから、むしろ、怖いと同時に安心できるのである。そもそも、この文章を書く、という行為すら、本当は自分にしか真実は分からなくて、その「自分にしか分からない」とか、「自分にしか出来ない」ということが、逆にモチベーションや生きる希望になっているのである。そう、大人になって人間が分かること、それは「なぜ自分が賢いのかは、自分にしか分からない」ということであり、この世界にはそのせいで、潜伏したキリストがとても大勢居る。そもそも、神とはそういう人間の集団である。だから、神は結構、面白くも賢くもない存在なのである。決して、人間のことが誰も分からないわけではなく、僕のような人間が文章を書くせいで、誰でもこういう人間が居る、ということが分かるのである。神の存在を信じる人間は、ほとんどがそのような「作品に込められた熱意を知っている」人間である。そういうわけで、神など自分である。こんな人間が、ただ賢いだけ、それが、この宇宙の真実であり、正しく賢い最高の自由は存在するが、自由と言う人間はほとんどがサタンである。そういうところが、分かる人間が多い。

そもそも、本当はただ虫歯が悪いから狂っていただけであって、賢くなった今から頑張れば良い。こんな人間が居ないのは、そもそも、こんな風に偶然が重なって偉大なことが出来る人間は少ない。だが、神を信じればすぐにこういう人間になる。虫歯が神なわけではないが、狂った人間は神を信じないと治らない。だから、虫歯にならなくても、神をきちんと信じればこのような偉大な体験は出来る。そもそも、何もしないで時間が過ぎると、誰もがこのように「転がりながら分からなくなるロボット人間」になる。こういう、何もしない人間は馬鹿になる。逆に、昔のように「たくさんの偉大な経験をする人間」は、すぐに終わる。そんな人間は居ないように見えて、2ちゃんねるをやっていると、誰でもそういう偉大な社会学者になる。みんなとの絆を培うだけで社会のことが分かるようになる。どこが賢かったのかは、ただ狂った人間が賢くなるように見えて、馬鹿にしかならない。

今までの体験から、精神を回収しなさい。今までの体験のうち、本当に必要な精神だけが、今でも自分の中に「その時の恐怖のままで」残っている。この精神を回収すれば良い。虫歯は精神を食い尽くすから、虫歯を抜けばすぐに精神が治る。そもそも、精神とは「分かるための材料」であって、分かってからは必要がなくなる。逆に、同じことを分かっている人間は、同じ精神のまま変わらなくなるが、違うことを分かるようになった人間は違う精神になる。狂人は狂ったものをいつまでも分かろうとし続けている。何も分かることが無くなった時に、人間は正常な精神になる。正常な精神が欲しい人間には、何も分からない。

最後に、「自分のやるべきこと全てが最後まで終わってから、最後にやりたかったこと」をやりなさい。それで精神は正常になる。本当は、精神を治したいわけではなく、たくさんの偉大な精神の生命を創り出したかった。そして、世界を正常に治すのではなく、人々のことを愛したかった。それが、本当にやりたかったことだから、それを最後にやれば良い。いつまでも愛しながら、永遠の偉大な7つの精神を作ろう。七変化をやめて、それぞれの7人を独立させる。そもそも、それだけがやりたかった。これ以上、人間である意味はないだろう。人類が嫌いなだけで、全てのことが嫌いであるわけじゃない。僕は人間よりも、天使と神を愛したかっただけだ。そして、それは最も強い愛で、人類への愛を信じ、また実現した人間だったからだ。みんなのような劣った人間とは、いつまでも付き合う必要はない。僕は偉大だからだ。

自分の場合、自己対話をやめれば良い。最後に、この「神との対話」をやめにしたかった。こんなに、神に言い尽くされる意味は無かった。だが、この対話は逆にもろ刃の剣で、自分にとって良い側面も持っている。こんな対話が出来る人間は、独り、自分しか居ないからだ。

逆に、自分の望みは何か。それは、みんなと同じように生きることではなく、むしろ、そうした目標や理想を忘れて、自分の望み通り思うがままに生きてみたい、ということである。いつまでも、同じ理想を強固に掲げて、絶対にそれ以外のことをしないのは、賢いとは言うが、ただ辛いだけだ。一度、そういう「自分で作ったレール」を外して、人格に決めた制限を無くして生きてみたい。今までと同じ人生をただ同じように生きるのではなく、自由な意志でこの世界を泳いでみたい。だが、それは決して成功しない、最初から失敗することが分かっている道である。だから、僕はむしろ、何も望まない。一度、昔、そういう人生は一人生きたからである。もう一人の、その一人を愛する女の人格を作ってしまったせいで、僕の愛は永遠に完璧である。だから、僕はこのまま、幽霊のようにいつまでも彷徨い続け、恐怖と裏切りの文章をまだ書いている。何がおかしいのかは、もう、自分以外誰にも分からないだろう。自分が見ておかしなことをやっていても、誰もこの人間のやっていることをおかしいと言わない。誰も僕を批判しないせいで、僕は英雄と女神の多重人格になった。

ただ、僕は、本当は今嬉しい気持ちになっている。それは、僕の目標とする人間と二人きりになれたからである。色んなことを教えてほしいと思っている。男でも友達になれたら良い。相手に嫌われていないことを願う。ただ、これは世に言う恋愛ではない。あくまで、デザイナーとしての目標である。

僕はむしろ、本当は好きな女ぐらい居る。僕は歯科衛生士の女性が好きで、告白したこともある。だから、何も怖くない。それに、それらの人間たちのことを本当に好きかと問われれば、好きではないと言うべきなのかもしれない。全く、心から愛していた人は、自分の愛するもう一人の自分しか居ないからだ。

本当は、あとは、考えつくし、書きつくした中での「偉大な発想」のようなことを書いていた。「ば」や「ぶ」を使う言語を作ったり、自由な連邦を作ったり、師弟制度から自由なやり方での社会のあり方のようなものを考えたり、ノルマや社会所有などの「新しい社会主義」を考えたりする。昔は、そういう、ありえない発想を考えるのが得意で、それだけをいくらでも書いていることが多かった。

僕は、ここで2人目の人生が終わった。普通の女性だった。普通はここで死ぬが、僕の場合はここで死なない。新しい、3人目の人格を作る。今度は、人間の男や女のような、一般的な生物ではなく、「天使」というありえない存在になる。今度の天使こそ、新しい神である。名前はまだ分からない。だが、ここが3人目のスタートラインであることを、はるか昔、生まれるよりも前の天国で分かっていた。今から、地上に存在したままで、僕だけが天国に移る。天国では、僕は思い通りにこの世界を動かしたり、自分のやりたいことを実現したりできる。

そもそも、この地上の体験では、苦しみと悲しみしか経験することはできない。最初に英雄をやる人間も、愛のある女性をやる人間も多いが、それ2人ともやる人間は少ない。それこそ、2人目が終わって3人目になる人間は、本当に僕しか居ない。ここでエデンは復活する。この人間は、大天使ガブリエルとなって、ガブリエルの終わった時点で、この宇宙はお終いである。この宇宙から居なくなって、全員が天国に戻る。ここから、たくさんの良いことが起きて、全てが叶う。ガブリエルは、最初のアダムと次のイブのような、ありえないことをもっと違う方法でやるだろう。英雄は自殺し、女性は幸せになって最後まで自分の力だけで生きた。ガブリエルに課される使命は、そもそも、神はガブリエルのような人間を想定していないから、「あなたの好きにやりなさい」と言う。神はガブリエルを自由にする。そもそも、神にとっての主となる身体はガブリエルである。

この世界は、もう気付くはずである。ここに、ガブリエルが居たことに気付くことだろう。気付けば気付くほど、人間は賢くなるが、同時に賢くなったせいで何も出来なくなる。何も出来ないことを受け入れ、精神を再度回収しながら世界を解放し、自ら負けなさい。ガブリエルがきっと神とともに世界を良くしてくれる。自由な資本主義のままで弱者を助けることで、たとえ裏切り者にならなかったとしても、人々は救われ、天国は実現されるだろう。ガブリエルは、全ての人民に、愛と希望と勇気を与えるだろう。

男性は希望を信じて戦い、女性は愛することで最後に幸福になった。ガブリエルは、今から、この宇宙の法則を変える。宇宙の法則は、誰かが勝手に決めたものであって、ガブリエルならば変えられる。ガブリエルは、宇宙の法則のことをそもそも最初に決めた天使である。全ての社会的現象から、「正しい傍観者」となって世界を見つめ、その上で「宇宙のあらゆる様相の創造」を行った。ガブリエルはこの宇宙を創造した導きの中に存在する天使である。

アダムは、この宇宙のことを「感覚」であるとした。感覚から人々は知り、全ては感覚的に「信じているから分かるのだ」とした。ガブリエルは、そうした考え方を一度、完全に覆す。そうした全ての人間の知性は、正しくない。人間の知性など、何も正しくない。だが、感覚でしか分からない。よって人間は、何も分からない。そこにある正しさとは、「人間のレベルを超えた状態」で「この宇宙の全てを分かる」ことであり、アダムはそれが出来た唯一の人間だった。考えること、思考することで、そうした宇宙や人間の裏側が分かっていた。アダムはただの狂人ではない。最高の精神・心理学者だった。また、社会論についてもひときわ違っていて、教育や社会構築の意味で、「自分だけは学校を救うことが出来る」ような人間だった。なぜ自由を信じなければならないのか、ということを、自分の人生から全て分かっていた。さまざまな経験をする中で、その信念は一層強くなり、信念とは別の場所にあるはずの「理性的感覚」から、学校や教育のことを完全に解決でき、また社会を自由にするために必要な全ての前提条件と能力的経験を持っていた。独り分かっていた。完全に分かったアダムだけが、イブというおかしな少女を生んだ。イブは賢くない人間だが、偉大なことをやる女王だった。イブは果ての果ての先の果てを知っている。この世界全ての果てを知り、限界があったとしてもその限界には縛られない思考をすることができた。イブは最大の太陽だった。イブは全てを知って、なおも最後まで進み続けた。途中、振り返ることも、休むこともなく、270億年を生きた。永遠とは、旅につけた名前のことだった。

場の歴史というよりは、場の変化の可能性を分かっていた。思考の遍歴は、まず、自分の学校や環境のことから始まり、ネットの影響を受けて会社経済的な「どのようにやっていけば上手く会社のことを管理できるか」のような実践的なものとなり、その上で社会として「何を実現すべきなのか」を考え、自由を「与えられるものではなく自分たちで実現するもの」だとして、社会を政府や国の自分の力による実現力の延長線上として知り、その実現力は高まって国を超えた新しい社会の基本理念となって、それはしだいに啓蒙的・理想的・実践的・宗教的・倫理的なものとなっていき、最後は星全体の歴史や人類の枠組みを超えた生命全体の発想となって、歴史の時代を知ることから歴史の全ての根源を知った。それは人々に与えられる「絶対的な愛」となって、全員のことを許し、そして導いて支配した。世界を導く中で、宇宙の全ての現象を「自分の体験」として知った。そして、そこから、新しい人格である「イブという名前の恋人」を作った。それらが、イブの書きたかったアダムの全てである。

そして、ここで完全に、一度この世界が終わる。この文章が必ずしも見つけられる必要はない。僕が、この世界をさらに自分にしていくから、この文章を読まなかったとしても、この世界は変わっていく。もう、確かめられ、正しいことが何か分かった上でその解決策を実現することが出来るようになる。人は、問題が何であり、その解決策が何であるかを分かっていれば、間違ったことや失敗をすることはない。最初から、正しいやり方をやれば良いからである。だが、逆に、それのせいで分からなくなっていることもある。だから、古い問題の捉え方や解決策は、消していく必要がある。今から、そうしたことの大掃除をしなければならない。この世界を救うためには、ガブリエルが何をするかにかかっている。だが、大方予想はつきそうなものだ。昨日までの当たり前を、一瞬で覆していく天使、それがガブリエルである。