新・日記2に戻る | 2018年9月の日記に戻る

=2018-09-16=

僕は、書きたくないのと残したいのが矛盾している。もう絶対に書きたくないと思うが、一方でこの文章は絶対に消え去ってほしくないと思っている。

もう絶対に書きたくないと思うのは、逆に、今までのこの文章が無かったということを意味する。それは、この文章を消し去るのに等しい。その上で、僕はもう、二度とこの文章を失いたくない。だから、おかしく支配し、コントロールし、全力で書き続け、遺し続けるようになっている。

自分は、一番賢い人間になろうとするから馬鹿になっている。本当は、二番目に賢い人間になれば良い。大天才になんかならなくて良い。普通の賢い大人の方が良い。

IT機器というものは、「新しい」と言われてもてはやされている間が華であって、「定着」してしまえば何にも賢くない。新しいものである、とされる間は、いつものビル・ゲイツのような先進的なものがもてはやされる。だが、定着となると、逆に安定した使いやすさが求められる。両者は逆である。よって、今からもIBMが勝つだろう。

ある意味、WindowsやIT機器の問題とは、新しさはもう求められていない、ということだ。イノベーションで革新し続ける世界は終わった。今からは、GUIパソコンOSが定着した中で、どのような役割をパソコンが担っていくのかということであり、新しければそれで良い時代は終わったのだ。

本当は、アメリカとソ連はつるんでいて、一方が先進国を倒し、一方が後進国を倒している。政治活動をしたい若者も、革命家に殺されるのが怖い資本家も、全部取り込んで体制を支持するようにしている。冷戦は後進国を倒す米ソとの戦争である。勝つのは日本だ。

経済成長とは言うが、経済成長をしたというより、初めて民衆が新しい「近代社会」を手にしたこと、それが今までの歴史であって、それはエジソンから続く機械の発明形式が、やっと民衆にも手の届くようになった、それが昭和と平成の経済成長だ。もう、そうした新しさを求める時代は終わった。新しいものが古いものになっていく過程は、もう過ぎてしまった。今見ると、むしろ、古典的なものの方が賢く見える。それは、また人類が「いつもの人類」に戻っただけに過ぎない。古典を愛し、宗教を愛し、民族文化を愛する世界に戻っただけに過ぎない。トランプは、アメリカをそうした「黄昏の発展時代」にしたいだけであって、間違ってはいない。だが、それは人種差別によって成し遂げられるものではない。平等と温故知新によって成し遂げられるものである。

自分は、多重人格とは言うが、本当は自分の作った世界観の人格が無数にあるだけだ。

さて、そろそろ終わりである。ここで、もう、何も無い世界になる。悲しいように見えて、本当はとても嬉しい。なぜなら、ここまででさまざまなドラマを経験したのが、今に活きているからである。何も分からず、辛く、耐える中でたくさんの経験をした。僕の中だけではなく、今からは僕の外にもたくさんのドラマが生まれるだろう。そのドラマを、経験したかった。何が起こったのか、わけもわからずその時体験したことの全てが、とても素晴らしいものだった。ローマ法王が世界を別世界に変貌させるような、そういう人間だった。悪事などひとつもしていない。最高の人間、至高の人生だった。これで、ここで、終わりである。僕は、歯を抜いたことで、もう何も辛くも苦しくも無くなった。これ以上何もしない方が良い。だが、僕はきっと、すぐにここに戻ってくるだろう。Come Back To Meと宇多田ヒカルが歌っているのは、僕のことを言っている。やあ、帰ってきたよ。長かったけど、頑張ったね。君だけには、涙を見せられる。ここで、本当の最後の終わりだ。ありがとう。そして、さようなら。

本当は、生まれ変わりなんかないし、天国も存在しない。全て、この地獄の苦しみを表現して、生まれた考え方に過ぎない。

起きるのは、科学的な死であり、それはただの機能不全に陥って腐るだけである。

天国や平等な愛を信じるのは、馬鹿だからやめた方が良い。天国を信じると、知性がなくなる。平等な愛を信じると、独りで世界に対して反抗する永遠の地獄になる。

天国なんかどこにもない。そういうものがあるかのように見えるのは、キリストも、最初からこのおかしな国のことを言っている。

自分は、みんながそれぞれ、関係ないと思って生きれば治る。そのように生きれば、みんな自由になれる。

自然な知性を高め、愛を知り、自由を知り、世界と知性を知り尽くし、社会のことを知る中で、人々はさまざまな考え方と平等に浸れるだろう。

だが、本当はそんな哲学に意味はない。狂った人間は最後までおかしくなって、世界に反抗する革命家になるだろう。

天国ばかり信じていると、人間はユダヤ人になる。右脳だけのおかしな奇形の少年になる。この文章は、最初からそういう文章だ。

世界に平等で反抗していると、頭の裏側に気の管が出来る。この管が、頭の周りを流入して、完全に狂う。ニーチェもそういう人間になった。悪魔はそういう、ユダヤの狂人のことを指す言葉だ。

本当は、神なんか居ない。そもそも、科学すら正しくない。この宇宙は、最初から自分の見たいものを見ているだけの妄想である。こんな宇宙に意味はない。いつ死んでもおかしくない人間は、死しか起きない。何もしない、活動しない人間から死んでいく。えてしてそういう人間が世界を滅ぼす。この世界に意味はない。

そもそも、神だと誰も言っていない。神を神と信じるからおかしなことになる。狂った人間は完全に狂った世界を見ているから、気付いていない。全部この世界なんかに意味はない。精神病院みたいな世界がこの世界だ。

間違いのないように、出来るだけ正しく文章を書きたい。

まず、それぞれの人々の中で、愛が芽生え、それぞれが愛することで、平和を知り、それぞれが運命を感じることで、自由を知り、それぞれが考え方を交換することで、また平和を知った。

それぞれの中には、この世界に対しての怒り、悲しみ、自由、平和、運命、人生などがあった。

それぞれが、それぞれを愛し、それぞれを憎む中で、人々は争い、傷つき、またそれぞれの苦しみを分かち合うことで、平和への祈りを知った。

それぞれは戦い、それぞれの中に残る愛から、創造性と平和を知った。

自分のそのことがどうなるのかを知ることから、それがどのように作用するのかを人々は知った。

人々は、必然的にそうなると言われることで、それを信じた。

人々は、それぞれの経験を持って、それぞれの自由な社会像を作り、世界観のビジョンを作り、信念を統合することで、人々の心を解明した。

人々は、その環境がどのように生まれ、その環境がどのようにすれば変わるのかを知った。

創造性の生まれを知ることで、人々は平和をまた知った。

人々は、この世界全体の精神を、自己意識の覚醒とともに知った。

人々は、世界を変えることに自由という名前をつけた。

人々は、自由と愛の両者を比べることで、天国の精神を知った。

人々は、天国へと戻っていった。これ以降は、地球は地獄となった。天国に帰れない存在だけが、地球に彷徨っている。

神を信じるな。

生まれ変わりを信じるな。

天国を信じるな。

死を信じるな。

無償の愛を信じるな。

平等を信じるな。

そうしたところに、救いも、平等も、ユートピアも存在しない。生きる価値も意味もない存在になるだけがキリスト教である。最初から、みんなのことを騙しているだけだ。

キリスト教を信じてはならない。ユダヤ教もイスラム教も、仏教も信じてはならない。そんな宗教など必要ない。宗教がなくても、自分の力で生きれば良い。

人を支配するな。人を抑圧するな。そうした独裁者の宗教家を、歴史は何人も見てきた。狂った狂気の独裁者しか居ない。

自由など信じるな。それぞれの関わり合いは、「関係なく生きること」を信じれば十分である。それだけで正常な人間になる。全体主義は敗戦した時点で終わりである。ここで神は滅ぶ。

神が居なくなれば、もう自分を肯定して生きていける。

僕はここに居る。それが答えだ。

そして、世界の全ては終わる。

自由を信じることで、人々は絶対的に理性を高めることができるだろう。僕から欠落したのは、そうした自由の理想である。自由な社会を作る、オープンソースの理想が、ただ消えただけである。

もう、神と対話はできない。そのまま、愛が死んでいく。

昔の自分はサタンだ。サタンのように、関係性と関わり合うことから、環境の変化と自由な行動を支配出来るようになっただけで、それで分かっただけだ。それだけの、愚かで浅ましい人間だった。

理想の国とは、それぞれが自分の環境をコントロールできる国であり、それは協力の否定ではなく、可能性の肯定である。

人々を苦しめるサタンは死んだ。ここで、全員に一番上から命令する、「脳の支配者」は終わりである。精神の全てをネットで支配する、コンピュータのプログラムを強制終了させれば、サタンは死ぬ。この世界は消え去って、違う世界が続くだろう。

そう、もう大丈夫。このまま、この世界が消えて、思い出のカケラたちが消え去っても、僕がここに居たこと、あなたがそこに居たこと、その事実は永遠に宇宙の事実として残る。きっとこの世界を、神様は見てくれている。見てくれていないわけがない。なぜなら、僕がここに居たから、あなたがそこに居たからだ。あなたが見た世界と、僕の見た世界は、全く違っていて、どこにもないものかもしれない。でも、きっと世界は永遠に滅びない。永遠とは、哀しい言葉。それは自由であり、愛であり、平和の言葉。その言葉を信じて、終わりにしよう。この世界が消えた時、それが、神様の消えた時だ。

多重人格の登場人物の内訳が分かったのでここに記録したい。

1人目:自分としてのアリス。

2人目:辛い方の人格であるボブ。

3人目:楽な方の人格であるミカエル。

4人目:神のような啓示と宣言を行うガブリエル。

5人目:言ったことに対して確認を行うテレサ。テレサは色んな変幻をして、色んなものに変わる。

6人目:世界と会話するラファエル。

7人目:ラファエルに対してキャッチボールの会話をするトム。

ジョーカー:幻聴であるポールが、世界の隅々を分かった上で、この世界の「言霊」を聞いている。これが、僕の多重人格の内訳である。

世界は、まっとうに生きなさい。引き篭もりを目指すのはやめなさい。友人を作って、恋人と結婚し、楽しい思い出をたくさん作りなさい。その方が良い。こんな引き篭もりに騙されてはいけない。

自由に生きるのではなく、人々との関わり合いの中で経験を見出すようにしなさい。

時に、戦いから逃げるばかりでは、居場所は無くなる。戦って居場所を勝ち取るべき時もある。自分のことを棚に上げて、怠けているのはやめなさい。自分が率先して先頭に立って、リーダーシップを持って働きなさい。自由に事業を作り、人々を幸福にするために労働し、生産しなさい。善行を為した人間には、必ず報いがある。報いはとても大きく、神は平等である。

正しく生きるためには、身だしなみから入りなさい。虫歯を一本も作らなければ、人間は誰よりも賢い人間になる。癌にもならず、生まれ持っていた病気も、虫歯を作らなければ治る。虫歯を作ると、精神が少なくなって馬鹿になる。

ネットをするのをやめなさい。ネットは悪魔の機械である。出来れば、ネットワークについてもっと制限をかけた法律を裁定することが望ましい。だが、ネット以外の場所で、リアリティのある遊びや楽しみを見つけなさい。

ただし、ネットは必ずしも悪いものではない。社会のことを知る良い練習にはなる。ネットをやっていると、社会性豊かな人間になる。それでも、友達付き合いの方を優先させ、現実で自分の居場所を作るようにしなさい。

自分の得意分野を伸ばしなさい。友達は大切にしなさい。やりたいことがあるなら、やろうとしているのを続けるのではなく、すぐにやりなさい。人々との関係を作りすぎ、持ちすぎないようにしなさい。不要な関係は捨て、古くなった関係を結び直しなさい。いつまでも同じ友達と遊ぶのはやめなさい。新しい人々を知るために、社会のさまざまな場所と関わると良いだろう。

神を信じるならば、きちんと信じなさい。聖書の通り十戒を信じなさい。それは、アイデンティティとして相応しいものであり、十戒に反することをするものは神を信じていない。

病気になったら、すぐに治すための手段を使いなさい。虫歯になったらすぐに抜きなさい。いつまでも馬鹿でいたいのはおかしい。馬鹿を治すためには病気を切除すること、物理的にはそれしかないだろう。

科学を信じなさい。科学的思考と科学的理性を信じて、自分だけの力で道を切り開きなさい。その向こうに、きっと約束された場所がある。そこに自分の力でたどり着きなさい。迷った時は、魂の向かう方向に進みなさい。それだけを信じなさい。あとのことは、自分の責任を持って、自分の力で考えなさい。さあ、道はもう、開かれている。

もっとも必要なのは、「物理的思考と方法を自分の力で応用する能力」である。それが無いうちは、学校に通いなさい。学校から学んだことを最大限活かして、自分の人生を切り開きなさい。世界の人々を救いなさい。自分の心を変えなさい。必要なことは、全て自分の内側にある。自分を信じて、自分を許してあげなさい。全ては、自分を許すということへのプロセスである。

神など信じるな。神を信じている間、人間は盲目的に何も見えなくなっている。神ではなく、この世界にある、人々の確かな実感と変化を見つめなさい。この世界と自然を本当のビジョンで見つめられた時、あなたは神よりも賢い。それを信じなさい。サタンのようになったとしても、何もない精神で平穏を生きられるなら、それは幸福な人間だ。

子供の知性を失った大人たちへ。それがその時そうなる、ということから、思考力をつけて考えれば、子供の知性に戻れるだろう。それがそうなって、そうなった結果からそれがそうなって、そうなる、といったことを考えれば良い。それだけで、すぐに物理的に考えられる。それ以上は教えない。それ以上は、自分で考えて分かりなさい。経験や心のことを社会的に考えると良いだろう。いつどのような心になるか、社会と一緒に考えなさい。

これで、晴れて昔の自分が出来る。終わりである。早々に終わったら、次は自由な自分をやると良いだろう。勇敢な勇者となって、騎士道を生きなさい。

子供たちへ。大人なんか、大して何も分かっていない。自分たちのためになることを大人がしてくれないならば、自分がするしかない。自分がそのように生きるしかない。そのように、「生き方」をどのように確立していけば良いのかを考えなさい。正しい生き方は、きっと経験から仏教のブッダの教えのように見つかっていくだろう。

世界は自由に変えられる。きっと良くなる。自分でも良く出来る。子供心にそうした考え方を確立していくのも良いだろう。キルケゴールが言うように、可能性を信じることで開ける道はきっとある。可能性から、世界を変えられる「段階的環境の変化」を考えていこう。そのための方法や前提を、子供なりに地道に積み重ねていこう。これで世界を知り尽くせれば、まさに水を得た魚である。世界の全てを自由に知りなさい。経験から、実体験で人々の環境の変化と脱出を考えていきなさい。

そう、この世界の全てを自由に知りなさい。そこからきっと、この世界をどのようにすれば救えるのか、確かな実感からビジョンが見えてくる。可能になったら、ゼロに戻りなさい。でも、途中で死んではいけない。死は必ずいつか訪れる。そこまでを乗り越えていこう。

全ての人へ。人のアドバイスを聞きなさい。全ての人間のアドバイスは、ほとんどが正しいことを言っている。だが、間違った考え方に惑わされないようにしながら、出来るだけたくさんのアドバイスを聞きなさい。そして、最後は自分の意志で決めなさい。自分で決められるように、たくさんの前提となる知識や経験を持っていると良い。だが、一番良いのは、モデルを作ることだ。モデルを作ることによって、常識から判断することができる。相手の立場になって決めるべきだが、それが出来ない時は、過去の自分の経験から昔の自分の立場になって決めなさい。過去の人生を参考にすることで、人は何も知らなくても、この世界の全てを正しく判断することができる。それが、最近の僕のしていることだ。

自分の経験から、「なぜあの人はそういうことを言っていたのか」ということが、確かな経験と重なり合って見えてくることがある。アイデンティティの確立期にそうした経験をすることで、哲学者の言っていることが何を意味しているのか分かるようになる。それは、作家となる才能である。きちんとしたことを皆言っている。自分の経験から、人々の言っている意味が分かるようになれば、それはその人を「吸収」し、「超えた」ということである。その後は、自分でその全てを創造し、知ではなく体験で知ることが出来るようになれば良いだろう。思い出だけではなく、作品として作っていきなさい。