新・日記2に戻る | 2018年9月の日記に戻る

=2018-09-11=

昔の自分は、人々との苦しみや悲しみの分かち合いから、真実の経験を知り、「価値観の確立」を知り、それが「アイデンティティの満たされる社会」に昇華して、「本当に世界を自由にする方法」を分かっていた。

この世界の全てを解決できるようになって、おかしな革命をネットからテレビまで、全員に見せ付けて偉大な導きをやっていた。

見ていてほしい。僕はこの世界を幸福にする。絶対に幸せな世界にして、人々の全員を平等に救う。絶対に、僕は悪いことをしない。この世界を絶対に最高の世界にする。

だが、椎名林檎(最近好き)が行っているように、「果たされないことなど大嫌いだ」というだろう。それなら、僕は果たされる約束をしたい。僕は、まだ、この世界で生き続ける。決して死なず、決してみんなから離れることはない。この人間に、別れというものはない。この文章というコミュニケーションツールがなくなったとしても、地球がひとつであるという事実は変わらない。宇宙はひとつだ。地球は丸いから、必ず僕らは地球という星の上で結ばれている。たとえ僕が先に死んでも、天国では永遠の魂を持って結ばれているはずだ。それだけを、約束しよう。僕に友達は居ないが、それもあって、僕らは平等なひとつの輪に生きられるだろう。僕に恋人が生まれたとしても、あなたが永遠の愛の人であることに、変わりはないだろう。

僕は軽口をたたく。本当は、「あなた」と僕が言っているのは、妄想の産物に過ぎない。そこからして、おかしい。あなたはどこにも居ないのが、昔から僕は分かっていない。夢の世界から恋人が降り立つと思っている。僕を面白おかしい登場人物にするアニメなんか、一番嫌いだ。

馬鹿が治るのが早くてよかった。これで、50歳とかになって馬鹿が治るのは悲惨だ。ネットはしない方が良い。ネットで遊びまくっていると、すぐに認知症になって馬鹿になる。完全に狂った人間でも良いから、知性はあった方が良い。健康は要らない。治る必要などなかったのに、馬鹿で愚かな普通の人間になった。この経験で、健康だけが大切だと勘違いする人間が多いが、必要なのは健康ではなく、個性と才能である、

僕に結婚願望は全くない。セックスなんか絶対にしたくないし、子育てをこんな馬鹿ができるわけがない。僕はこの国を最高の愛の国にする。それが僕の愛のカタチである。

昔は、独立性を社会に求めることが多かった。この社会は、あまりに独立性が少なく、自分で自由に出来る範囲が少ない。共同体のような国にして、それぞれの共同体を独立させ、本当の自由を実現し、本当の平等を実現する。そのためには、全員に平等に大きな力を与える。そのようにすべきだと、本気で考えて、革命的な文章を書いていた。

自分は、新しいロボットになるのが怖い。今までのロボットを変えて、新しいロボットにすると、もう治らなくなる。それが怖いだけで、歩き回っていつまでも忘れて考えるようになっている。覚えて考えるようになれば、日本語が分かる。覚えないから分からないだけだ。

昔は、事前に全てを考え、そのために疑い、実体験から分かったことを実感で考えて分かっていた。人間は、事前に実体験から経験を考えると、カール・マルクスが考えたのと全く同じことを考えるようになる。マルクスはどうでも良いが、本当にアイデンティティの実現を考え続けると、誰でも、人間の社会における人生のことを全て分かった上で、全員のことを「どのようにしたら救えるのか」分かる、精神と社会のマスターになる。中卒に多いのは、高校の知識があると、逆にその知識のせいで分からなくなるからだ。

そして、考えたくないことは、考えない方が良い。出来るだけひとつのことを信じて、考えてはいけないことは考えない方が良い。考えるべきでないことを考えるのが、一番愚かで間違っているからだ。そういう人間に、悪い人間が多い。

昔は、さまざまな人々との関わり合いから価値観の確立に気付き、アイデンティティとなってそれぞれの自由な社会を築くような、そういう人生論や社会論を書いていた。その上で、独立や共同体のような理想の世界を、段階的に、さまざまな事象の実現から考えていた。

僕は、そろそろ社会主義者をやめようと思う。見ていると、資本主義はとても素晴らしい社会になっている。日本人は昔は馬鹿だったが、今では誰もが賢い、秩序のある理想の共同体と、理性的に判断する賢い政治家・学者による「専門家的社会」を形成している。最初に社会主義が主張していたようなことは、資本主義が、資本主義のままで、既にほとんど実現している。また、ロシアのような旧ソ連の国も、資本主義の経済成長と投資を呼び込む「遅れた資本主義国」に完全に変貌している。今の世界、社会主義を叫ぶ人間など、居ない。

この世界が永遠に続いて欲しい。永久の世界の中で、昔のような馬鹿で愚かな世界に戻らないでほしい。この時代を「繁栄期」と呼ぼう。繁栄期は3000年続くと神が言っている。これが、神の言うような天国の世界になる。2000年後に僕は生きていないが、その時代では天国のような最高の社会になる。眠る時に見える夢の世界は、その一端である。それで終わりにしよう。この世界が永遠に続くべきだ。

昔の日本が辛かったのは、本当は勝ち組と負け組に分断されていたからだ。オタクやニートのような負け組と、勝ち組が分断されて、オタクをみんなでのけ者にし、セックスだけを快楽とするような、間違った世界だった。今の日本が辛いのは、僕がそれを統治し、統一したからだ。今では、オタクやニートのような価値観も、勝ち組の金や恋愛のような価値観も、一緒のものであり、何も変わらない。そこに、区分を用いるべきではない。それは、ただ、僕が「全部を同じである」と認識し、「僕に従え」と言ったからだ。それで日本は正しい帝国に戻った。これが、新しい日本の帝国だ。最高の、神の王国である。神の王国は3000年続き、その間、何一つ、一切変わらないだろう。宇宙が時間を刻む意味は、もうない。これが永遠である。

本当は、その神の王国が始まる前に、ロシアで大きな変化が起きる。強者の独裁主義による平等をやめ、本当の原点に立ち返って、成功する新しいソ連をやる。だが、このソ連では、社会主義などしない。今のままの政治体制を、ただ「絶対に変わらなくする」。これによって、完全な「永遠に今のまま」の世界となる。その「最大限の安定」が世界全体を良くする。リアリティとアイデンティティの無い世界は無くなり、完全な現実感と幸福感を地球は取り戻す。ネットは、今のまま、何も変わらない。テレビも、機械も変わらない。今のままでエコ政策を進めれば、地球温暖化が無くなるだけではなく、それを契機として、全ての環境問題が解決する。ユートピアが訪れ、弱者全員が日本人並みに豊かな生活をするようになる。

本当は、米ソが分かれているとは言うが、二つは同じものである。核兵器は、「米ソ」というひとつの国が持っている。日本と中国の冷戦体制は、ただ、「米ソという一つの国が米ソ以外の全ての国に対して起こしている戦争」である。なぜそれをしているか、それは今のような「正しいユートピア」を作りたいからであって、二つに分かれているのは、「その方がみんなが頑張るから」である。よって、中国と日本は、この世界の確立とともに、融和し、共存していく。北朝鮮も、アメリカも、おかしなことをあまり言わなくなって、そのまま1995年に戻る。それが最善である。

社会主義や共産主義のようなものが目指していた全ては、資本主義が既に実現している。あとは、労働の格差を是正すれば終わりである。単純に、政治家主導で、正社員以外を禁止すれば良い。それで終わりに見える。本当は、生活保護や最低賃金、障害者福祉や生活支援などが目指している政策で、ほとんどは解決済みである。誰もが水も食べ物も満足に手に出来るようになった。全てが世界史の終わりを告げている。暴動が起きることもなくなり、世界のほとんどは「日本化」していくだろう。日本の進むべき道が正しいのは、なぜなら、アメリカや中国は資本主義すぎて馬鹿だ。日本ぐらいのバランスが良い。日本は資本主義を信じない保守であり、良く考えられた資本主義をやっている。この資本主義を世界に広め、人々を同じにしていけば、良くなるだろう。最初から日本人は、それが分かるせいで、右翼にしかならない。その右翼が、正論を言っている。それで、もう、自由になるだろう。最近欅坂46などの左翼的言論や、Superflyなどの右翼が増えたのは、全部自分のせいである。最後に資本主義をやる前に、歴史を総ざらいしただけだ。この歴史を踏まえて考えれば、今の資本主義はより良いものになるだろう。自分の望むのは、昔からそれだけである。今の世界から、全ての過去の世界まで、一度総ざらいをしたかっただけだ。

自分がデザイナーが出来ない理由、それは「何が美しいのかを考えていない」からだ。ただのWindowsのようなアプリケーションの使い方だと勘違いしているだけで、他のメンバーは何が美しいのか、模索しながらも自分の力で気付いて分かっている。アニメ的なもの、ポップなもの、あるいはスタイリッシュなものやエレガントなものであっても、「自分のデザインとしての美しさ」を他のメンバーは考えて分かっている。自分は、そこが分かっていない。ただ使う方法だけを分かっても、それは最初の一撃が出来るだけで、統一された力にはならない。だから、自分なりにデザインを確立していく必要がある。

だが、これは難しい問題である。何が美しいと思うのか、そしてそれをどのように実現していくのかは、今までの僕の力だけではできないからだ。今までの僕の力では、当たり前に分かることを自分で実際にすることでしか分かっていない。デザイン力についても、「当たり前の力」というのはあるかもしれない。照明はひとつの光源から発せられ、裏にあるものは暗くなるというのは当然分かることだが、それでも、「その光をどのようにデザインで表現するか」という方法論はそれぞれ違うのだ。

本当は、デザイナーになるだけが僕の作業所ではないし、こういう人間は最近、引き篭もりではなく精神障害者という分類になるらしく、僕のやりたいことをきちんとサポートしてくれる施設だから、やりたいことをきちんと言えば他のことはできる。だが、僕は、今のままで、Illustratorを極めたいと思う。作り込むことが出来ないのは、素材に頼ってただの普通の綺麗なデザインをしているからであって、「何が美しいのか」を自分の中できちんと確立できれば、違ってくると思う。ただ、僕の周りのメンバーも、「やってたら勝手にそうなる」と言う。だから、そんなに考えているわけではない。何が違うのか、というよりも、自分が何を忘れているのかをきちんと考えれば良い。だから、放っておいても、頑張って継続していれば、そのうち勝手に分かるだろう。

もっと、宗教のように分かれば良い。仏教は仏教で正しい。全て、自分のしたことに対する縁起である。全て、自分がやっている。そして、全てのことに意味はある。

なれるものに対する「なる喜び」というものが存在する。自分がその存在として、そのことに対してアイデンティティを感じられる喜びである。自分が、そのことに対して、「同一」になれることに対する喜びである。それが、ニーチェのような幸福主義へと繋がり、キリスト教ではない形で、人間を幸せにする。昔は、そこから、価値観の確立と青少年の心の発達を分かっていた。そのことがなれること、行為できること、そのこと自体が喜びであり、人々が今生きている、ということが感動であり、自分が自分として生きられる、ということが幸せであると同時に、驚くべき「この世の全ては奇跡である」という結論であった。

本当に治りたいのであれば、治らないようにしていきなさい。治るようにするせいで、普通のことが出来なくなって、楽が出来なくなっている。「楽に楽が出来るように」しなさい。

本当の愛は、求めるべきものではない。本当は、精神的マスターになるべきでもない。本当になるべきなのは、本来の自分を取り戻すことであり、自分以外の他人にはならなくて良い。そろそろ、それが終わった。僕ではないものになりなさい。同じにはなって良いが、支配されるのは悪い。もう少し考えれば、すぐに分かるところまで、今の日本は来ている。カントの言うように、コペルニクス的転回から考えると良いだろう。それによって、「つまらないことがたがとなって、何かの思い込みと誤解で自分はおかしいのだ」ということが分かる。自分の場合、それは他人のことが分からないことであって、客観視と言いながら主観視をするせいで分からなくなっている。実際の死や戦争を知る必要はない。客観視をやめて、主観視もやめて、ありのままに精神を眺めた時、はじめて、そこに心理学者の哲学者の知性がある。子供のように考えるな。みんなは、大人で、まともな人間であり、悪人など一人も居ない。みんな、全員、正しい。