そもそも、こちらは狂っているだけである。こちらを手放して抹消すれば、自分の病気は治る。こちらをすごいとか、偉大だとか、賢いとか、そういう風に思って、こちらで成し遂げたことに執着するから、精神病が治らない。こちらを手放し、こちらを消せば、すぐに昔の理性的な大人に戻る。昔の方が本当に賢かった。悪いのは、みんなをこちらにして偉大な人間にしようという、浅はかな心である。
「自分が悪い」と思うと、血は滞る。「自分は悪くない」と思うと、血は流れる。
あなたは悪くない。誰に何を悪いと言われても、あなたは悪くない。自分を悪いと信じることは、全く良い結果を生まない。間違っている時でさえ、自分を悪くないと信じることが、自分にとって正しい。だが、間違い自体は認めるべきである。
目は、目の周りの筋肉をつければ治る。目の周りの筋肉を殺そうとするから、目が悪くなっている。
文化的な価値観を分かった方が良い。昔は、科学的・芸術的な発想と文化的な価値観を知り、実感することで分かっていた。
また、生成的な社会を書きながら、「文化を作り、価値を生み出す」という社会論を作っていた。「ジェネレーション」のような生成的社会論だった。「常に文化と社会は生み出されている」と考え、そこから自由な社会構造論と歴史を作っていた。
みんな全員を一流の大学と会社に入れた方が良い。あるいは、技術や知識をオープンに共有すること。そのことからしか、真の自由や真の平等は達成できない。
自分は、当たり前のことを当たり前だと感じなくなっている。もっと、普通のことを当たり前だと感じた方が良い。そうすると科学者のようになれる。逆に、普通のことを当たり前だと信じていると、哲学者になる。それが物理学と哲学の根本的な違いである。
勝つために努力し、戦うために努力するのは、間違っている。全て、戦うために努力しているだけが資本主義だ。真の自由や真の平等を達成したいなら、勝つために頑張るのではなく、協調や協力の下で平和に共存すべきである。
ルソーの言っているように、軍事力で勝つ人間は、軍事力で負ける。武力で勝ち、倒す人間は、武力で倒され、負ける。ソビエトは軍事力によって勝とうとしたが、それは無数の犠牲者を生んだ。よって、僕は軍事力によって勝つことはしない。僕は信じる力と善と愛の力で勝つ。そうすると、これは信じる力と善と愛の力でしか、負けることが無い。
自分は、アニメの女をやめて現実の女にし、その上で上へと上がっていくと楽になる。