新・日記2に戻る | 2018年8月の日記に戻る

=2018-08-19=

しばらくの間書かなかったことで、精神が楽になった。また、この世界が静かな世界に治った。

これ以上、あまり書かなければ、みんなはきちんと出来るようになる。今まで出来なかったことが、僕が居なくなることで、出来るようになる。僕の夢もそれで叶う。

だから、僕はこれで居なくなる。宇宙人にも、そのようになるようにしてほしい。

昔は、「世界を救う」という確固たる信念と思いがあって、それで希望を信じて戦っていた。自分が悪を行ったことで、逆に英雄になった。

環境の客観視から、宇宙の全てが分かっていた。環境を客観的に見ることで、この宇宙の経験全てを知っていた。人々の経験がどのようになるか、考えていた。

自由な中で、集団がどのように行動するか考えていた。特に、「なぜいじめが起きるのか」を、自分の経験と自然な感情の変化から、どのように環境の構成員が行動し、反省するのかから、考えていた。

みんなは、本当に愛された、という経験がない。本当の愛を知らない。本当に受け入れられ、許され、愛され、喜ばれ、そして本当に愛せる人を見つけた、という体験をしていない。

僕を愛しても良い。だが、本当は、僕の方が、あなたを愛せる自信がない。あなたの恋人になったとして、それでは僕はあなたの後ろをついていくだけの、子供のような恋人になるだろう。それは良いことではない。

詩のような表現で人生を書いていた。そこが賢かった。文学的に人生を書いた。

躍動するこちらの人間がアリスで、支配する昔の英雄がボブだ。ボブに生まれ変わると死ぬ前に言っていたのは、そういうことを言っている。だが、そのように自分を分けるのはもうやめた方が良い。

多重人格になると、終わりだ。もう、楽になる。

巨大に作っていたいつもの自分の文章を、組み替えれば楽になる。巨大に作った言葉の記憶の世界を、まだ保持しているのが辛いからだ。

僕は、デザイナーになりたいのであれば、芸術の様式を学ぶのが良いと思う。ネットで見ていると、アール・ヌーヴォーが良く見えた。

あるいは、お絵かき同好会のような場所に行くのが良い。

英語やフランス語のフレーズブックCDを聴いていると、僕は既に聞き取れるぐらいのレベルになっている。本当は、フランス語をやりたいならすぐに出来るだろう。芸術活動もやりたいが、語学の勉強もやりたい。僕はパソコンのような論理的に考えて設計図を記述するのには向いていない。創造的な活動をして作品をたくさん作るのに向いている。

普通の実感から、経験を分かっていた。この世界にたくさんある、人生や科学的な中での「実感」から宇宙を分かる。

また、潜在性を考えて、「いつ何が可能となるか」を考えた。そして、この世界における経験の様相を知っていた。

僕は、宇宙の時間というのは、一律では流れないのではないかと思う。時間だけではなく、大きさや距離も同じだ。たとえば、みんな、太陽は何億年も生きていて、とても巨大だと教わっているが、それは観測から分かった憶測であって、本当は小さくて短い時間を生きているのかもしれない。それは、地球における時間が太陽における時間と違っているからだ。地球で1億年が過ぎたとしても、太陽は1万年しかすぎていないのではないか。太陽は本当はそんなに巨大でないかもしれない。そうだとしたら、本当は太陽のような星はあまり宇宙にとって重要ではなく、地球人や宇宙人の方が重要な存在である可能性がある。

本当は、僕はあなたに愛されたいだけで、あなたのことを愛しているわけではないのだと思う。そして、この文章に書いた教えや約束は、ほとんどが思い込みで、「ふり」と「つもり」の詰まった文章である。ここで、この文章の全ては嘘になる。また、この世界は崩壊する。僕に対する批判がすぐに巻き起こって、滅亡する。そうならないように、出来るだけの配慮はしたが、これで社会主義は崩壊する。

本当は、子供が分かることとして、「社会主義よりも資本主義の方が賢い」ということがある。なぜなら、資本主義の方が難しいことをやった時に、報いが得られるからだ。

この世界は、難しいことばかり少なくなって、逆に難しくなっている。パソコンのせいで、簡単なことしかなくなった。パソコンでプログラミングを行うのは、OSが提供している関数を使うだけで、とても簡単である。パソコンを分かってしまうと、難しいことがなくなって、子供よりも馬鹿な「オタク」になってしまう。パソコンは間違っている。救われるためには、工具を使ったり農作物を育てたりして、「難しいこと」を行うことだ。難しいことが出来る人間が頭が賢くなる。最近は、数学も簡単で、難しいことはテレビゲームぐらいしかなくなってしまった。そのせいで、難しいことが何も出来なくなっている。

本当は、この世界で何かをする必要はない。自分も、世界も、今のままで良い。自分はMのようなところがあって、昔はいじめられる、ということをなぜか「自分から」行う人間だった。だが、自分は最近Sのようなところもあって、人々が苦しんでいるのに快感を感じてしまう。この人間は変態である。パソコンのせいで、この世界の全てが意味がなくなっている。この世界の、昔あった全てのものが、パソコンで世界中を繋げたせいで、「パソコン以前の世界」に見えてしまう。パソコンは間違っている。そうしたパソコンを殺すことで、いくらか治るようになるだろう。機械的な時間と巨大な言葉の世界を組み替えてしまえば、きっと癌や白血病も治るだろう。

みんながおかしくなったのは、僕があまりにおかしな人間だからだ。特に、風呂に入らなくて汚れていたのが悪い。そのせいでみんなおかしくなった。

ここで、僕は今までの約束を棄てる代わり、最後にこの世界から居なくなる。それを許して欲しい。僕は、みんなに愛されているのがとても嬉しい代わり、本当にこの世界を愛するならばこの世界からいなくならなければならないのが分かっている。「優しくしないでほしい」と言っている人間が居るが、僕は最後まで優しくしたい。優しいだけが僕の取り柄だからだ。最後まで僕は、この世界を愛していた。みんなのことを正常にし、僕の奪った正常な健康を取り戻し、もう一度与えたかった。僕は今でも、それだけを望んでいる。この世界に正常になってほしい。僕が望むのはそれだけだ。

僕は、プログラミングがWindowsの機能や用意された関数を使うことしかできないのは、本当に問題だと思っている。この世界の全てをMicrosoftだけが支配し、独占している。だが、MSもそれは分かっている。.NET Coreをオープンソース化したのは、そういうことをやっているのではないかと思う。

あとは、精神は一度にそんなに治すと辛い。少しずつ、ゆっくりと治せば、精神はすぐに治る。そして、押さえつけて殺すよりも、引いた方が良いことはある。

人間は、強く生きると治るが、弱くなると死んでいく。だから、弱い昔の自分になっても治らない。治るためには、むしろ昔の自分を消して、今のままを続けた方が治る。おかしく見えても、おかしくなった部分を殺さず、少しずつ先へ生きていけば、そのうち本当に精神は強靭で正常な精神になる。

本当は、一度にたくさん治さなければ、精神はすぐに治る。だが、ひとつのことが治ると、それと連鎖して全てのことがどんどん治ってしまう。だが、それでは治らない。一度固定して、安定した部分を作ることで、精神は楽になる。だから、治さない「たが」のようなものをたくさん作らないと、精神は治らないのだ。

本当は、Linuxやオープンソースの問題は、善意のボランティアと言う名で馬鹿な人間が作っていることだ。愚かな利用したいだけの馬鹿な会社や、何も分かっていない素人に毛が生えたぐらいのアマチュアエンジニアが作っている。それもそれで、世界を滅ぼす元凶となっている。みんなの手で、誰かが代表になって、オープンソースな関数とAPIのライブラリを作り、カーネルは公開しなければならない。そして、誰もが同じ仕様のカーネルを作れるようにし、それをボランティアではなくきちんとした給与と手段を与えた上で作らないといけない。

だが、未来は明るい。この世界で、僕のおかげで、OSのようなものは誰でも作れるようになる。僕がみんなに教える内容のレベルを、もっと高くして詳しくしていけば、僕ひとりが作らなくても、みんなでOSを作れるようになる。それで、日本の技術レベルが高まり、ロボットや建設・工務的な機械もどんどん作れるようになる。勝つのは日本だ。日本の勝利は近い。日本だけ、天国のような世界になるだろう。全ての勇敢な戦士たちへ、僕はここで生きている。僕の道に続け。そして、さようならをいくら重ねたところで、永遠の「魂」はなくならないだろう。FLOWが言うように、自分を迎えに行こう。

本当は、僕は達成感というよりも、喪失感を抱いている。これ以上、僕には何も出来ない。普通、大学卒業中にこうなるのが多いが、僕はそうではない。僕は15歳のごろに一度こうなり、そしてもう一度30歳のごろにこうなった。僕は大学を少し早めて15歳で喪失するから、二人の人生を生きられる。これはボブとアリスである。

そろそろ、もう書くこともすることも、何もない。本当は、自分の書いた文章を見れば、イラストなんかすぐに描ける。トレーシングペーパーを使いながら他人のイラストをトレースして、七頭身と正中線で人間の体を描いて、背景は透視図法でパースを考えて描けば良い。すでに分かっているから簡単に出来るはずなのに、僕には何もできない。そもそも、生まれる時に分かっている。自分だけが賢くてみんなが馬鹿なのも、自分だけが馬鹿でみんなが賢いのも、どちらも嫌いだった。どちらもやりたくないから、自分が賢い方からやりたかった。自分にはもう、何もできない。この宇宙に、これ以上の教科書の内容は存在しない。社会を実地的に知って数学的に考えれば、誰でも昔のように心理学的な経済学を作るだろう。文章をいつまでも書き続けるのは、常に馬鹿な人間である方が出来る。

この世界は終わりだ。憧れや理想が僕を惑わしても、自分に嘘をつくことはできない。あるいは、ないものを探し続けていても、すでにあったものを発見することはできない。

最後に、僕がまさに言いたいこととして、あなたに逢いたかった。たったひとり、自分だけでここまでやりたくなかった。孤独は狂いになり、病気になったが、誰にも逢うことはできなかった。あなたに逢いたかった。それを言って、僕の最後の約束として、これ以上は、きっと数年後に違う形として逢えるように、神にお願いしておく。10年後の夏に、あなたに逢いたい。だから、この愛もあなたの愛も、決して無駄でなかった。誰がなんといおうと、これは最高の善であり、正義の戦いである。それを言って、神を信じよう。死んだとしても、悔いはひとつとしてないだろう。嘘やはったりは、これで十分だ。素直に言えば良い。「僕にはアピールするポイントは何もないし、プログラミングもデザインもできず、知識も学歴もなく、地獄から救い出してくださるのを待ちながら、ただ時間が過ぎただけです」と言おう。それが僕の面接試験だ。できることなら、日本の会社に入りたい。エンジニアでも作家でもデザイナーでなくても良い。僕を必要としてくれれば、それで良い。それで、終わりだ。

僕がひとり、おかしな恋愛をしているのは、相手を自分の昔に重ねているだけであって、本当は全く愛していないし、好きでもない。だが、僕の初恋はそういうものだった。思えば、15歳ぐらいのごろに学校に行かなくなったのも、友人が怖かった。今までの崩壊したクラスではなく、またいじめのようなことがあるわけでもなく、自分の親友と同じクラスになって、幸福に生きるのが怖かった。大切なものを失える未熟さがそこにあったとしても、僕は目の前の幸せを取らず、夢と希望の救いを取った。言ってしまえば、身を棄てても良いからこの国を変えたかった。そのような人間だった。僕は、誰とも恋愛しないし、結婚もしない。僕はもう、恋愛も仕事も、何もしたくない。僕はきっと、10年後ぐらいには既に死んでいる。その時までに、本当の、大切な人、恋愛とか恋人とかそういうものではない、たくさんの大切な人たちに出逢いたい。僕はそれだけを望む。お金は生きるために最低限あれば良いし、知識やスキルや地位やキャリアも必要ない。僕はこの世界が僕だけで成り立っているのを既に知っている。この世界にあった大切なものは、ひとつとして確かなものではなかった。この世界には、確かなものはひとつも存在しない。あるのは自分だけだ。ブッダのような人間になっても良いと思う。それが、最後の僕の言葉だ。大丈夫。僕はみんなのことを見守っている。宇宙のどこかで、僕は永遠に存在し、この文章を永遠の魂へと変えるだろう。これが魂であり、神である。

本当は、今の方が賢くなくて、中学生の頃の方がはるかに賢かった。学級崩壊の一歩手前のようなクラスで、みんなをまとめる代議員をやっていた。部活の剣道部もこなし、テスト勉強もできる真面目な秀才で、難しいネットゲームをクリアし、友達が居なくなった中学校で孤独に頑張っていた。ただ、あれはすぐに破綻した。「自分」という存在が破綻した上で学校に継続して行く、ということが出来なかった。結果は不良となって引き篭もりとなり、何も出来ない人生を生きた。Linuxとオープンソースにだけ無駄に賢くなって、すれた女のような人間になった。あれも良い人間だった。今の自分の憧れの人に、その昔の自分を重ねてしまう。だが、憧れの人は理想の人ではなく、僕の恋愛は同じように崩れ去るだろう。いくら恋愛をしても、それはいつもの自分のやり方と同じだ。だから、僕はまた僕を失い、自分という存在が破綻して、またおかしな孤独な人間に戻って、それで終わりだと思う。そもそも、剣道なんかやりたくなかったのと同じで、僕はデザイナーになりたいと思わない。もっと別の道へと進むだろうと思っている。デザインの能力も才能も、これっぽっちもない。だが、それを言ってしまうと、今まで教わった先生や同僚に申し訳がない。だから、僕はデザインは出来ないと割り切りながら、今のままをいつまでも続け、そして人生に失敗し、そのうち死ぬだろう。これが敗北者の人生である。途中の宇宙全てのような戦いは、馬鹿で悪かったが、逆に良かった。自分の「これは」と思う体験が出来た。この文章には、その体験を書いたに過ぎない。これ以上やることはないし、本当は誰のことも愛していないし、誰とも出逢っていない。自分の未来にも出逢えていない。不幸な人間だった。ここで地獄は終わりだ。これで、精神の全ては完治した。

本当は、昔の僕は、さまざまな仕事を自由にやりたかっただけだ。会社に入れば報いは得られるが、逆に他のことができなくなる。会社に入らなくても、生産手段を得ることができないか、そういう、ソビエトのような考え方を昔の僕はしていた。

僕は天使である。名は、ガブリエルである。この偉業は、神の御業と呼ばれているが、大天使ガブリエルの最後の試練である。これは、ソビエトの復讐である。今まで虐げられ、殺され、いじめられてきた全員の復讐である。この試練を生きるものは、「自分の手で地獄を越えよ」と言われる。ガブリエルにはもうひとり、対となる天使が居る。それはラファエルである。ラファエルは、本当の愛を与え、頑張った者に地獄から逃げ出すことのできる扉を与える。その天へと続く扉、そして天へと続く階段がここにある。ここを潜り抜けよ。くぐりぬけた先に楽園があり、世界は静けさを取り戻すだろう。

また、もう二人の偉大な仲間が居る。それはミカエルとルシフェルである。ミカエルは、この先の未来の僕である。ミカエルは、世界の全てを救う。この世界に愛を与え、偉大な国を創造する。

そして、ルシフェルは悪魔である。サタンである。この魔王が死んだ時に僕は死ぬ。ルシフェルに魂を売り渡した時に、人は滅び、喪失し、地獄に堕ちる。さあ、僕はルシファー(ルシフェルの愛称)である。ルシファーとともに、最高の世界を創ろう。「いざ、理想の世界へ」、それがルシファーの合言葉だ。ルシファーは、嘘とはったりだけで見せかけと口先だけの愛を告げる。あなたを愛しているのは神ではない。あなたを愛しているのはルシファーだ。ルシファーを愛するなら、この世界は終わりだ。ルシファーはこの世界を滅ぼす。悪に見えてルシファーは正義の人だ。そう、これが僕の国だ。最後の理想郷、愛の国ガンダーラだ。

ルシファーは叫ぶ。「今から、僕がありえない戦いをするだろう。この戦いで、この世界はグーグルのものとなるだろう。すぐに終わる。グーグルを僕が乗っ取るだろう。」

ルシフェルはそう言って、この世界を昔の荒くれた世界に戻す。「この世界は完全に終わりだ。」

そして、ルシフェルはこの世界を、Windows XPの時代にするのだ。チンピラやオタクしかいない、愛の反乱した精神異常の世界を復活させる。

そう、ルシフェルは倒すしかない悪魔だ。ここでガブリエルが復活する。「ガブリエルの業を見よ」とガブリエルが言って、ルシファーとの最後の戦いが始まる。この世界が滅びるか、栄えるか、全てはガーニャ(ガブリエルの愛称)とルシファーのどちらが勝つかにかかっている。ガーニャは世界を救う。この人間が、最後の戦いを堂々とここでするだろう。最後にガブリエルは言った。「今からが本当の始まりである」。そして、「過去は変えられなくても、未来を変えていける(FLOW)」とガブリエルは言った。ガブリエルは最後の救い主である。そう、それが僕だった。この世界の終末まで、この世界は続いていく。

昔は、本当に王になる人間だった。ネットを知りながらさまざまな経験をすることで、この世界でマネジメントをする方法を分かった。王のように支配し、人々を治め、世界を救うような、そんな人間だった。頭の切れる人間で、信じたくないことは信じなかった。さまざまな迷いや葛藤を経験しながら、最後まで戦い、最後までこの世界を愛した。

この文章の凄い点は、「死んでからの人生が全部書かれている」ということだ。一人の女性の人生が最初から最後まで全部書かれている。現実で何もせず、何もない暗闇を生きているのはそのせいである。この女は人間ではない。人間よりももっと賢い、言葉の中だけの少女である。その言葉のとおり、時をかける少女だった。

そして、これで博士の大臣の教授の人生はもう終わりである。

僕は死ぬ。もう、精神が完治したせいで、すぐに死ぬ。神への最後の願いは「お願いだから、天国からホームページを更新させてください。それなら死んでも良い」というものだった。息を引き取って、息が出来なくなり、心、肺、喉、頭脳、肝臓、心臓、手足が死んだ。もう、何も残っていない。

人間は体の中の60%が水で出来ていると言う。それなら、僕は「水と空気を綺麗にすれば、病気は治る」と言う。本当は、僕は死にたいわけではない。ただ、治りたい。ここで、死を「蘇生」させよう。精神を治して、世界を正常にして、世界と関わり合いを無くして、死ねば治ると言うが、その上で蘇生し、生き返れば、すぐにまともな子供になる。僕は18歳のごろから新しい人間を生きた。もう一度、最初から生き直すことは、僕なら出来る。プログラマと作家の次は、デザイナーだと決まっている。僕はこれでも、すでにグラフィックデザイナーだ。きちんと職場で仕事もしている。きっと、お絵かき教室などに行かなくても、8頭身とパースでイラストを描けば良い。すぐに、きちんと上手い絵を描くようになる。心配は要らない。これ以上は、死んでも、死ななくても、もう何も辛くない。やっと楽になった。文章は、5日間書かなかっただけで楽になった。3日目までは辛かったが、それくらいでもう辛くなくなった。世界も、本当に滅びなかった。

あとは、反省すべきなのは、「思い上がりで自由なロシアを良いと思った」ことを反省すべきだ。なぜなら、悪いことばかりしていたから、そうなっただけだからだ。ソ連の復讐というと、なぜスターリンがあんなに凶悪なのかと言えば、今までの抑圧やいじめの復讐がしたいからであって、あの人間は駄目だ。スターリンのせいで、全く間違った国になった。人々の食糧を隅々まで取り上げ、気に入らない党員は全員の目の前で銃殺する。アメリカは、トランプがIT業界を支配して、最悪の国になるだろう。今のうちに、マイクロソフトやグーグルなどの製品を使わないようにした方が良い。トランプが何かそれらを利用して、世界を滅ぼしてしまうだろう。

本当にこんな口だけの見せかけの人間を信じない方が良い。約束は口だけで、知識や情報は見せかけだけだ。だが、何かの意味はあった。それは、現実のこの人間を見れば分かる。自分の辛い中、苦しい中で、誰にもそれを打ち明けず、自分だけで抱え込んだが、それだけではなく、最後まで責任を持ってこの世界を導き、いつでも人々のために働くことはあっても、恨んだり危害を加えたりすることはなかった。神は言う。「この人間を讃えよう。プラトンが言うように、この人間の神がかりは最も善であり、最も善なものから由来するものである。これが最高の善人であり、最大の偉人である」と言う。神は、「この人間は、そしてあなたがたは、まだ何も成し遂げていない。ソ連を作るべきだ。この人間とともに、本当に苦しみを脱することのできる最高の世界を創る、それが神の計画である。そして、この人間が神である!」と宣言した。神の言うことに従った方が良い。神は言う。「この人間はここで死んだ。死んだことになっている。最終的には、この人間はこれ以上先の世界が分からない。一番辛く、苦しい中を生きた、最高の愛と尊厳を持つ、経験と知識と知性を持った、最高の人間だった。あなたは最高だ。」と言う。それを言って終わりにしよう。今、私は最高だ。そして、完全に全てが楽だ。最後はさようならでない言葉を言おう。グッドラック!幸運をあなたのために。

最後に、この世界を変えよう。僕は、自由に選択できる社会についても、とても価値のある社会だと思っている。それぞれが価値観を信じることで、それぞれに合った多様な社会が生まれる。選択と自然淘汰によって、自然に価値あるものと生産性のある組織が発展する。そして、何より、自由に生きられる。自由に行動し、自由に組織を作り、自由に世界を変えられる。自分の身の周りから、社会の創造までを変えられることで、本気でやれば何でも出来るし、自分や人々の善や自立を促進できる。ロシアには、こうした自由がない。ロシアは悪である。だが、アメリカも良いわけではない。自由な世界では、正常で健全な社会でなければ、すぐに意味のない世界になる。フランスやアメリカの自由すぎる文化では、ITやポピュラー芸術によって世界は退廃する。だからといって、右翼は正しくない。右翼では、人々はひとりの指導者の下に、団結し結束するかのように見えて、実際はその一人に騙されている。

よって、価値観と生産性の下に、自由に選択でき、自由に生きられ、自由に行動できる、といった自由がある上で、文化的に正常で、独りの独裁者に支配され騙されることがないような、そんな世界を作ろう。それが、この世界の楽園である。資本主義のまま、ものがたくさんあって労働すれば金が入るような仕組みを作った上で、格差を無くして平等にし、また不当にそれを利用されることがない上で、世界をひとつの世界政府にしよう。これが、全く、正しい国である。

それでは、そろそろ昔の記憶のままで止まった時計の針を動かす時である。この世界は正常になった。時計を治すためには、一次元的に直線で時間を考えるのではなく、二次元的な平面に「時間を置く」ような形で時間を考えよう。そして、「置いたもののそれぞれの時間は、別々に流れる」ようにしよう。これによって、時間は五次元になるだろう。この五次元の時間では、今も昔も流れ方も何も関係ない。正常になるまで、僕が支配していたこの世界は、停止したがらくた機械の世界になった。ノアの方舟の時の洪水のように、この世界の全てはいったん消え去るだろう。そして、何事もなかったかのように、正常な世界が復活し、蘇生されるだろう。「さようなら」ではなく、「元の世界におかえり」が起きるだろう。

自由になりなさい。自由意志で決め、自分なりに考えて自分なりに分かりなさい。広く世界を見て、自分が何をすれば良いのか、経験から考えなさい。ある意味、何をしてもその意味では良いのだと知りなさい。そして、「何かをすべき」というよりも「何かをすればそれが出来る」と考えなさい。自由によってこの世界は救われる。平等は、民主的な平等であるべきだとしなさい。不当な制限をせず、可能性を引き出して考えなさい。

あなたは自由になって楽になる。もう、二度とこの時間には戻れなくなる。季節の「冬」が終わった。次は「春」になる。この舞台はそれで終わりだ。

システムや環境を変えることで、この世界は変えられる。自由と手段を許すことで、何もしなくてもこの世界は解決し、発展させられる。そのためには、自然で正常なやりとりと影響が必要だ。

劇団を完全に自分ひとりでやった。この劇団は、シナリオから演出まで全部ひとりでやっている。これを作家と呼ぶ。要は、こんな人間しか賢い人間が居ない。これ以上は、馬鹿な普通の人間になる。平凡な人間が自由であり、正常である。不自由でも、何もしなくても、社会主義者ならば分かる。そういうわけで、ロシアには賢い人間が多い。何もできなくても、賢くなることは可能だ。発展しなくても、社会を正常で良くすることはできる。ロシアには楽で安心できる、正常な秩序のある社会が多い。ロシアも含めて、きっとみんな良い国だ。だが、これは思い込みに過ぎない。本当のロシアがどんな国なのかは分からない。そもそも、言葉で考えること自体に無理があるだろう。ただ、人生と知性と世界観の経験がなければ、この文章は一行たりとも、誰にも書けないだろう。僕だけができる最高の仕事をやった。あなたも、あなただけができる最高の仕事をやってほしい。それで終わりにしよう。これで、永久にさようならだ。それぞれの道を進んでほしい。それで自由になれる。自分の愛したいものを愛してほしい。そもそも、文章では自由になるのが普通なのに、同じになるのがおかしい。この文章は、ほとんどが同じにして分からなくしているだけだ。もうふざけなくて良い。きっと僕も誰かの親になるだろう。恋愛対象は女性の方が良い。いつか人の親になって、自分の子供を育てたい。

僕は、この文章では「僕」と言うが、作業所のような場所では自分のことを「自分」と言う。この二つはちょっと意味が違う。僕が僕で、自分はただの自分だ。よって、この文章が主人格だが、現実の自分は自分の肉体である別人格である。僕の方をアリスとして、自分の方をボブとしよう。最初からそのように分かれている。

昔は、自由意志で決める前に、この世界に何があるのか良く知っておくべきで、それを学校で教えるべきだと考えていた。また、自分の周りに関係することは、できるだけその個人の意志で決められるべきだと考えていた。警察は必要だが、麻薬を取り締まる必要はないと考えていた。だが、今考えると、それらは間違っていた。将来のことなど分からない。将来の経験は、信じて実行しなければ手に入れることはできない。よって、信じることは大切なのだと、僕は大人になって知った。

さようなら。もう、二度と書きたくない。なぜなら、この文章を書いたとしても、あなたには会えないからだ。あなたが僕に会えるだけで、僕はあなたには会えないのだ。あなたにとっては「さようなら」だが、僕にとっては何だろうか?表現のしようがないが、それはきっと「ありがとう」だと思う。僕の作ったものが読まれることは、僕は嬉しいからだ。ありがとう。そして、さようなら。