なんだかんだ言って、僕はまだ書いている。まさに大爆笑だ。
自分は、歯には認識と記憶があるのが分かっていない。人間は、耳には情報の解析システムがあるだけで、歯や骨に記憶がある。
虫歯になると、歯の中の記憶がなくなって、認知機能がおかしくなる。
よって、認知ごと虫歯の虫を殺せば、認知症は治る。ある意味、口は食べる部分であり、同時にここがおかしくなると、虫のように食べまくるようになる。
自分は、認知がおかしくなっているだけで、馬鹿にはなっていない。最高に賢い知性を持っているのに、認知が壊れているせいで馬鹿のままになっている。認知を殺してコントロールできるようにすれば治る。
昔は、経験から意識を分かっていた。地域の歴史やネットでの体験の思い出から、視点と場、価値観、自由、歴史のようなことを分かっていた。
自発的な善と自発的な自由を分かっていた。環境を変えることで、この世界を変えられるようになった。善は良心となり、ヘーゲルのように、理想の自由な社会を契機によって成り立たせ、実現するようになった。本当にヘーゲルのような、「全ての詰まった青春の人生」だった。
そして、社会のことを「言葉で作る」と言う体験をした。共有から価値が生まれ、歴史から多様性が生まれる。そのような、体験的な世界観を言葉で作っていた。
また、資本主義のことを良く経験していた。ITmediaやCNETやスラドのようなニュースサイトを見て、資本主義の会社の動向を知り、はてなのような会社なら自分でも作れるように思っていた。そういうところから、この世界の労働の経験を全部していた。
また、世界を心理的に変える経験から、「人格の融和」をした。環境や地域の歴史を「レベル」から分かりながら、「全人格の全人生」を分かった。「環境への適応」と「基盤システムの共有」がそこにあった。
もう、終わりにしよう。今日もここまで頑張った。今、とても満足している。終わりだ。
昔は、人間性について考えていた。いじめを無くしたかった。いじめを無くすために彼が思いついたこと、それは、「自由を受け入れること」だった。「自由に、自由に対処すること」だった。
人間性から、創造性を分かり、また多様性を分かった。個性を認めながら、きちんと経験的に「理性のマスターとなって」この世界の自由を作り出す。そういう発想をしていた。
そろそろ今日は終わりにしよう。僕はまだ生きている。とても大丈夫だ。
本当は、意識をもっと高めれば賢くなる。昔馬鹿になったのは、意識を自分から減らして、もうろうとした意識の中で行き当たりばったりに生きながら戦っていたからだ。戦いをやめて、意識を高めれば、すぐに知性のないこの病気は治る。認知症でも知的障害でもなく、ただの精神病だ。認知をきちんと正せば、すぐに治る。知性の問題ではなく、行動の問題だが、習慣化している。新しい習慣に慣れていけば、そのうち日本語も分かるように復活する。
時計のロボットになっているのは、何もしないままでおかしな学習が習慣化したからだ。新しい学習をして、習慣を上塗りしていけば治る。新しい習慣を生きるようになっていけば、スケジュールの機械はすぐに治るだろう。自分の今できることを手放していけば良い。すぐに治る。
ロボットになっているというよりは、真実を隠しながら、自分から間違いを信じている。戦っているというよりも、嘘をついている。良く分からない。そもそも、何が分からないのかを既に分かっているのに、忘れて隠してしまった上で、いつの間にかそれが消え去ってしまった。問題はないのだが、問題を解決しようと思っていたその矢先に、その解決方法が分からなくなってしまっている。それで混乱している。ロボットになった自分のことを正常だと思い込むようになった。心の中で、何かを隠し、何かを勘違いし、何かに騙されている。
果てしない宇宙のような場所、異世界のような場所、高次元のような場所のことを良く分かっていた。本当は、心の奥底では、この宇宙のことが全て分かっている。本当にそのせいで狂った。女性と男性に分かれたあたりから、完全に狂っている。何が悪いのか、既に分かっているのに、それで自分を騙している。本当は、何もしゃべらず、言わず、放っておけばすぐに治る。だが、それが出来なくなった。良く分からないが、こういう女が多い。女はこういう生物だ。
文章は、本当はもっとありえない神のような文章だった。宇宙の全意識を書いて、全人生の全経験を書いて、その上で「最高の善」を書いていた。そういう、理想的な人間であり、この宇宙のことを環境と意識から全て分かって、「自由と共有の下に」この世界の全てを説明した。自由な言葉の構造とは、そういうものだった。全て、2ちゃんねるで分かった。経験から意識を知り、この世界の全員の営みを知り、認識を考えることで理性的に思考・思索していた。
社会がどう生まれ、どう変わるのか、2ちゃんねるで分かっていた。経験がどのような様相と振る舞いを見せるのか、ネットで分かっていた。Linuxの経験で、全てが出来るようになった。何もせずにこの宇宙のことが全部分かった。だが、人間的な経験は誰よりもしていた。誰にも分かられないままに、その人間は消え去った。2ちゃんねるなど要らない。この世界の諸悪の全ての元凶はITとインターネットである。それが、正しい。
もう、インターネットの歴史を終わりにしよう。この文章は、インターネットを終わらせる。インターネットなど、何も書かれていない。引用しただけの僕が言うのも失礼だが、僕はこの世界のITとインターネットに終止符を打つだろう。
哲学者になりたいのであれば、経験がどのような諸相を見せるのかを考えなさい。経験が精神となり、知覚となって人々と関わり合う、その中で生まれる心の現象の、様相を考えなさい。この宇宙と世界における全てを「経験と意識の現れ」だと考えなさい。そこから、知覚や認識が「どこから生まれるのか」を、「環境の根源的な意識」から考えることが出来るようになる。そこでは、全ては「思考を生み出す源泉」である。それで、哲学者の自分もきちんと書けた。それだけだ。