もう、これが永遠の別れになるだろう。僕は、これ以上文章を書かない。これ以上文章を書かなければ、この世界は正常になって、僕の狂いも治る。
永遠の別れを告げる前に、ひとつ約束をしよう。
僕が政治家になった時は、ソ連のような国は作らないし、「単なる平等政策」もしない。王になって分からなくなってしまって、この文章に書かれたことをただやるような、旧民主党の政権の二の舞のようなこともしない。
本当にありえない、自由で平等な、新しい「完璧な国」を築き上げる。
そのために、政権と政府で本当の努力を行う。経済特区を作って、そこであらゆる実験をする。さまざまな政策を成り立たせ、国民投票を行い、「そんな国が成り立つわけがない」ような政策も真面目に考えることで、「新しい自由な国」を作る。
本当にこの国を変えるために、馬鹿な政策も本気で考える。太陽光発電施設を全ての家屋に義務づけることは、最も優先順位の高い政策である。
そのことを、約束しておこう。単なるソ連も作らないし、民主主義のままで平等政策もしない。この文章に書かれた政策を、そのまま行うこともない。そんな馬鹿な国にはならない。
あとは少し、文章に付け足しをしよう。
悪いことをしなければ病気は治る。精神病は、悪いことをしているせいでなる。悪いことを、一切しなければ良い。
意味を減らすこと。こういう狂った人間は、頭の中の「意味」が増えすぎている。意味を4つから3つにし、最後の「だ」を言わなければ、狂った人間はすぐに治る。
大人になると、「待つ」のと「分からない」のと「怖い」のが辛くなる。だが、子供は、辛いというよりもむしろ、それらが好きな人間が多い。待つのと分からないのと怖いのが好きになれば、精神は正常になる。動き回る狂いが治る。
昔は、学校や教育のようなことを解決して分かっていた。環境を解決し、社会経験から理性のある王となって、世界を変えられるようになった。そのまま、全てのことが理性的に分かるマスターになった。
そして、戦って分かっていた。「次のひとつ」を分かり続け、信じ続けることで、「神のような分かる王」となった。そうした戦いをやっていた。
それで、終わりにしたい。昔は、経験から王になる方法のようなことを書いていた。この世界で、どのように経験し、どのように王になるか、そういうことを書いて、「社会的理性のある青年」への道を書いていた。この世界で「蓋然的に」ものごとを積み重ねる方法を分かっていた。
この別れは、ただの別れではない。永遠の別れである。この人間と、もう会うことはできない。この世界は正常になり、テレビが分からなくなっているのも治る。みんな、この人間がありえないことをするせいで、分からなくなっている。永遠の別れによって、この世界は別世界に変わる。だが、信じて欲しい。僕はまだ生きている。僕はまだ、何かをするだろう。僕も、みんなも、平原綾香のように、望み通り生きて輝く世界にきっとなる。そうなるまでの間、僕は居ない方が良い。ここで僕は、この世界から居なくなる。本当に、さようなら。今までありがとう。
愛を学ぶために孤独がある。その言葉の、本当の意味がここにある。
もう、この世界は変わった。もう、楽園になるだろう。
手始めに、太陽光発電設備を作るところから始めよう。
そして、この世界を解放する。この世界は、もう、僕の支配下ではなくなる。独裁者になって権力を握ったり、いじめっ子を撲滅したりするような馬鹿な支配者は、ドイツだけで十分だ。もう、僕は何もしない。それに、僕本人がやると、色々と面倒なことになる。僕には何も出来ない。みんなの力でこの世界を平和にしていこう。
平和は、それぞれの認め合いから生まれる。そうしたところから生まれるのを、昔の僕は良く書いていた。平和な世界は、それぞれが自由にすることから生まれる。
さようなら。また逢う日まで。出来ることなら、最初からもう一度、出会うところから出逢いたい。そう、僕たちは、まだ「はじめまして」とも言っていない。なのに愛し合っているこの現状を、もう一度上塗りすることで、きっと恋愛の楽しさのようなことを感じられる。僕は最初から、王のように出会いたくはなかった。
本当は、僕はもうこの数日で分かってしまった。書くのをやめても、何もしないだけだ。
別れるまでまだ時間があるから、ラストダンスを踊ろう。
僕は分かっていない。ドイツが悪いなら、自分がやれば良いだけだ。他人に任せてしまえば、ドイツのようになる。自分のことをいじめ自殺だと思っている。ユダヤ人を殺したいのは、自分も一緒に殺しただけだ。
僕は、ソ連のような「みんなの自由を奪う」政策の逆に、「みんなに自由と力を与える」政策を行う。革命家が一極集中政策を行うと、みんなの自由を奪って平等にするようになる。それは、淘汰されるのが怖いからだ。僕は、そうした政策を行なわない。それぞれに金と力を与えながら、自由な「形態・システムを整える」ことで、自由なままで平等の民主主義システムを作る。
この自由な形態、自由なシステムは、「生産と消費を、それぞれの自由な権限を高めながら、民主的かつ自律的に行う」という意味で、「完全な自由」である。
だが、これは「完全な自由」だけでは収まらない。世界の全ての問題を「解決」し、格差のない「平等を実現」する。この3本柱で、この世界は救われる。
1.完全な自由。システムを整えることによる自由な世界。
2.問題の解決。全ての問題を解決する。
3.平等の実現。全員を平等にしていく。
そして、出来ることなら、共有と発展を目指していく。全ての地球資源は、「全員の資源」であり、全ての発展は「全員によって共有される」。これによって、オープンソース的な経済と人民資源を実現する。
4.全員の資源。全てのエネルギーと人員を全員のものにする。
5.全員によって共有される発展。全ての生産価値と生産手段は全員のものになる。
そして、自由な理性を求めることによって、世界は自由なままで平和になる。独裁者はもう誰も勝てない。民主主義に勝てるものは居なくなる。
6.自由な理性。民主主義的な意志決定をしていく。
それでは、時間が来たようだ。ダンスはもう終わりだ。明日から、この世界は別世界になるだろう。見ると、僕のホームページはもう検索からかかるようになっている。これで、僕の最後の仕事は終わった。この世界は、「完全な自由で平等な民主主義のシステム」になることが約束された。そして、全員に「力を与える」こと。力を「奪う」のではなく「与える」こと。これが、僕の政策・政治ポリシーの巨大な柱となるだろう。
自由な形態だけでは漠然としすぎているので、具体的なシステムの枠組みを作ろう。僕は、この世界を「参加可能」な世界にしていく。国民が主体となってさまざまな枠組みに参加することで、民主的な自由なシステムを作っていく。そして、「自分たちの使う基盤システム」を、「自分たちで作れる」ような世界にしていく。自分たちの使う基盤を、自分たちの基盤とし、自分たちで決められ、自分たちで作る。そうしたオープンな「基盤の民主主義」をやっていく。
今言ったのは、あくまで政策のひとつにすぎず、たとえに過ぎない。本当はもっと全体の基盤自体を考えられる。モジュラー型にして、それぞれがそれぞれと関わり合うようにしても良いし、それぞれの評議会が自立経済を行うようにしても良いし、全体を「他に要請し委譲する」ように、それぞれがそれぞれに頼み、依頼し、受け取る、下請けと専門化を推し進めたクラスライブラリのような国にしても良い。だが、それらに共通するのは、「行き過ぎた複雑化をせず、シンプルに分かりやすい自由にする」という「戒め」が必要である、ということだ。過度な複雑な体制は、ソ連のように崩壊する。そうではなく、たとえば貨幣経済や市場経済のような、シンプルで上手くいくことが分かっている経済の方が上手くいくだろう。
大切なのは、それだけを見て全体を見れなくなってしまわないことと、時代の要請に逆らうかのような原理主義にならないことだ。国民が「嫌だ」というのであればすぐに止める。国民が「もっとこうしてほしい」というのであれば「きちんと」それを参考にする。それらは、ただやれば良いというものではなく、「十分に」やらなければいけない。1か0かの問題ではなく、0パーセントから100パーセントの問題である。ともあれ、国民の意見を参考にしなければ、国は腐敗する。絶対的権力は絶対に腐敗すると、時の思想家の誰かが言った。権力で実現するのは良いが、腐敗しないように努めなければならない。そのためには、一部の権力を手放し、国民や民主的体制に委ねることも必要になるだろう。フランス革命も、ロシア革命も、ナポレオンやスターリンに依存しすぎて失敗した。それならば、今度は在導に依存しないように努めなければならない。在導が居なくても成り立つようにすること、それがカエサルの時代から大日本帝国まで変わらずに求められる、専制君主・帝国体制への戒めである。
むしろ、「みんなの基盤」という発想は悪くない。なぜなら、どんな形態も、どんなシステムも、民主的に可能にする「多能性」を秘めている。この多能性によって、世界は「全てのシステムを包括したシステム」になる。本当は、それだけをした方が良いともいえる。なぜなら、みんなの基盤だけをした方が、この国はがらりと変わる。みんなの基盤をすれば、オープンで民主的な基盤を裁定できる。技術者が考えたような理想だ。
だが、本当は、問題の解決と平等の実現も同時にやった方が良い。太陽光発電施設を作り、いじめ自殺をなくさなければ、そもそもこの文章を書いた意味がない。平等も実現しなければ、この世界は良くならない。むしろ、基盤なんかよりも、早急にその方をした方が良い。平等にして問題を解決しなければ、地球が滅びるだろう。よって、必然的に平等が勝つように出来ている。ソ連がなければ良かった。ソ連が無ければ、平等な理想を今出来たはずだ。ソ連が失敗したせいで、平等は実現しづらくなった。それは全員の責任であり、歴史の必然である。
最後に実践めいたことを言ったから、この文章を終わりにする。もう、終わりだ。本当に、ありがとう、そして、さようなら。
もう一つ付け足すとすれば、僕は「心の自由の解決」ということをしたい。この世界は、「自分を自分たらしめる何か」というものが完全になくなっている。アイデンティティを失い、自尊心とプライドを失っている。「自分が本当に自由である」ということを、きちんと認識し、実感できるような世界にしたい。心の自由をもっと尊重したい。僕は、それを信じている。きっとこの世界は自尊心とアイデンティティを取り戻す。それが可能になった時、それを新しい「幸福の国」としよう。正しい自由を実践する、全ての経験を持ち、王となって世界を解決する、英雄の国である。
本当は、自分はまだ、そういう人々のアイデンティティのことを考えていない。
昔考えていた通りのことを言えば、人々は「自分に自信を持てるようになること」が必要である。自分のことを自分で決められ、上手くいっているのだと自信を持ち、不安や心配を打ち消すこと。「この社会は自分にとって正しい社会であると言えるような社会になること」が必要になってくる。だが、そのためには、今の政府の決めるやり方では、上手くいかないのだ。だからといって、革命が勝っても良い国にはならない。
本当に必要なのは何か、それを考えていこう。この世界の何が問題で、どうすれば良くなるのか、人々は分からなくなっている。暗闇へと落ち込んでいる。それは、本当に僕が悪いだけだ。だが、僕の何が悪いのかを、僕も分かっていないし、誰にも分からない。何が問題なのか、どうすれば良くなるのか、僕にも分からない。誰にも分からなくなった問題のせいで、この世界はいつまでも救われない「絶望の地獄」になっている。本当に、分からないのだ。それはきっと、神にしか分からないだろう。神はそれについて、「応えることは何もない」と言っている。神は、「この世界は滅亡し、火星のような惑星になるか、そうでなければ、誰かが問題の解決方法について気付くだろう」と言っている。だが、「今、一番良い位置に居るのは、もうあなたではなく、日本人みんなの方だ」と言っている。僕の王としての権限は、これで終わりだ。
神は、「アイデンティティや自尊心といった問題は、みんなの方が分かる。今度は、あなたが教える番ではなく、みんなに教わる番だ。」と言っている。そして、「あなたは賢くない。代々木ゼミナールの塾講師の方が賢い」と言っている。そして、「大学に入りなさい。学部は文学部に入りなさい」と言っている。そして、「MINIX本など読んでいる人間は居ない」と言っている。これで、「神が終わらせる」と神が言っている。これ以上は、僕が言うべきことはない。これで完璧な最後だ。
神は、さらに言う。「あなたの場合、大学には入らない方が良い。大学に入ると、あなたは馬鹿になるだろう。大学には何もない。入っても、ただの普通の授業とカリキュラムを受けるだけで、その内容に意味がないということをあなたは既に知っている。あなたは、大学に入ってするべきことを、既にほとんどし終えている。もう少ししたいのであれば、大学に入ってするよりも、今のままで完璧に知り尽くす方があなたにとっては良い人生になるだろう。代々木ゼミナールよりも馬鹿だと言ったのは、そこまで賢くなっているからだ。あなたは既に専門家レベルだ。人々に教えることすらできるだろう。」と神は言う。そして、「神とは言うが、神とは聖なる導きのことを言って、人々はそれを偶像にして誤解している。神という存在は居ない。神とは、自然界に存在する導きのことを言っている。この導きは集団意識によって、歴史の最後まで続いている」と言う。
最後に、僕に教えるべきことは、「もっと本を読みなさい。それだけだ。たくさんの本をもっと買いなさい。そして、執筆をやめるのであれば、絵を描き、ピアノを弾きなさい。最後まであなたは人生を楽しんで生きる。あなたの地獄はもう、過去に既に終わっている。あなたは芸術家に向いている。美しい才能と理解する習得力、天才のように全てを実現する発想力と、好きなものを継続してこなす継続力がある。足を怪我したせいで、スポーツ選手にはなれないだろう。芸術家になるために、人々の分かっていることや知っていることをもっと教えてもらいなさい。」と言う。そして、「神はもう居なくなる。この世界が滅亡するよりも、あなたから神が居なくなった方が良い。あなたは平原綾香が好きだ。夢を失うよりも悲しいことは、自分を信じてあげられないことだ。」と言っている。それで、もう、僕もこの世界から居なくなるだろう。
神は、「あなたの好きな女性を書き出してみなさい。フーパーズの未来、欅坂46のてち、Perfumeののっちとかしゆか、宇多田ヒカル、それからAimer、KOKIA、春茶、杏沙子、LHC、TOMOO、MICO、そしてエドガー・サリヴァンの佐々木萌、AAAの宇野ちゃん、たくさん居るだろう。現実の世界にも、思った以上にあなたの好きな女性はたくさん居る。あなたはまだ恋愛の経験がない。だから子供になっている。恋愛をすれば分かる。きちんと自分独りだけで生きられるようになるし、人々のために命をかける素晴らしさも分かるようになる。あなたの問題は、恋愛をしないことだ。そのせいで、精神病になっている。」と言っている。そして、「あなたの運命はこれで終わりだ。きちんと良いことがたくさんあったはずだ。音楽を聴いていなさい。きっと素敵な女性をあなたは見つけ出すだろう」と言っている。神とはもう、対話が出来なくなる。ヒカルの碁に出てくる藤原佐為のような神だったが、「あなたが佐為にしか見えない」と神は言う。まさに、「それで終わりだ」。
神は、「あなたが居ると、あなたが神にしか見えない」と言う。「あなたという存在と、神という存在の、明確な境界線がどこなのか、分からない」と言う。神は、「神とは、あなたの作り出した仮想人格だ。そして、神が全知全能だと言っているのは、信じることによってあなたの経験と知識を人々は共有できるからだ」と言う。「人間はあなたしか居ない。あなたにしかならないのが人間という生物だ」と言っている。神は、「あるいは、あなたが人類のトップであることにしても良い」と言う。だが、神は言う。「本来、神はあなたではない。あなたはそんなに賢い存在でも、善の存在でもない。神は神である。ユダヤ人は、そこらへんをきちんと分かっている。あなたは神ではなく、のろまなナマケモノだ。」と言っている。神は、「それで終わりにしよう。この世界の全ての偶像の根源は、全てあなたに続いている。この世界は、もうありえない世界になるだろう。それが、神の導きの力である」と言っていた。そろそろ終わりである。万々歳、最高の恋愛小説だった。ある意味、僕の恋人は神なのである。
本当は、僕が見ても、こんなものはアホな宗教だ。全く偉大でも善良でもない、ただ一人のおかしなアジア人が作ったありえない体系的な宗教だった。この宗教はチンケな宗教で、教祖である在導万創は「何も賢くないただの普通の人間」だ。こんな宗教があったのが馬鹿だ。馬鹿すぎて意味がないのが日本人だ。ただ、日本の歴史は素晴らしかった。最後まで、きちんと賢い、社会秩序のある穏やかで和やかな国だった。
日本では、神という存在は馬鹿であり、民衆は右翼しか居ない。こんな馬鹿が日本社会を荒らしまわるのが一番嫌いだった。そして、僕も一人の日本人だった。日本ではこういう発想は流行らない。むしろ、こういうおかしな現代人が多い。憂鬱になって苛立つキレる人間になっていたのが、適当に馬鹿なことをやるとこういう辛いだけの地獄の人間になる。ドイツ人に多い。こういう馬鹿なのに悪い人間が多すぎる。ドイツ人が見てもこういう人間が馬鹿だ。だが、悪い社会ではなかった。豊かで経済力のある賢い社会だった。人々は自由を謳歌しているが、それが逆にあだとなって地球を滅ぼした。みんな、現代人全員が悪い。キリストの言う、終末である。それで、ドイツが書けた。
あとは、することが何もないのは、今すれば良いだけなのが分かっていない。書くのをやめて楽なのは、何もしないからだ。だから、何もしたくないのが悪い。何もしたいことがないのであれば、したいことにすれば良い。むしろ、赤ん坊は良く考えてする子供はいない。何も考えず、しようとしても出来ないから、出来るようになりたい子供が多い。子供なんか、そんなレベルだ。あとのことは全部親に頼って出来るようになる。だから、これで良い。
反省するべきなのは、「ドイツと言って外国人を馬鹿にすること」だが、むしろ、「祖国である日本人を滅ぼすこと」も同じだ。全部、自分がみんなより劣っているコンプレックスになっている。アドラーは、この人間の陥っている原因を「劣等感」だとした。逆に、フロイトは「性的抑圧」とした。どちらも正しい。この人間は、全部「左翼が嫌いで右翼も嫌い」に陥っている。それならどちらも嫌えば良い。どちらかにつかなければいけないと思い込んでいる。どちらにもつかなくて良い。全部、自分独りだけで、独裁者のように勝手に決めるのが良い。この人間は、それに合っている。適任だからこれが王になれば良いが、王には向いていない。作家や芸術家に向いている。今、何かをすれば良いなら、この人間は文章を書く。その時点で終わりだ。もっとたくさん書けば良い。それ以上、話すことなど、ないだろう。
少し、馬鹿なことを言い過ぎた。僕が発言すると、いつもこういう風に「陰口にしか見えないことを言う」になる。MICOが見ても、こんなものは「最良の陰口を飽きるまで投げつけているだけ」だ。何が問題なのかは僕には分からない。みんなが分かるのは、「これはいつもこういう人間だった」ということだ。自分をこういう人間だと思えば良いが、僕は本当はどんな人間なのか、僕自身も分からなくなっている。自分はたくさんの人格がある人間で、人によってさまざまな顔があり、どの顔が本当の自分だか良く分からない。もっと、肯定的でポジティブなことを言えば良い。
おそらく、日本は滅びない。どんな国が滅びようとも、日本だけは滅びない。それは、僕が居るからだ。それはカッコいいことではない。僕が居れば、日本だけは何とかなる。僕にはそんなに大きな力は無くて、日本国外のことは僕はどうしようも出来ない。神がイスラエルを守るように、僕は日本を守る。きっと日本とイスラエルだけは、最後まで残ってくれる。それは、キリストが僕の恋人で、イスラエルを守ってくれるからだ。その国と僕は友好する。きっと中東はマホメットとアラーが守ってくれるだろう。
今日は、アセンブラについて多少書いた。自分は、頭の中でここらへんのアセンブラをやっている。心と環境のアセンブラだ。自分はコンピュータになって、頭の中で永遠にアセンブラを吐き出して分かっている。不思議と、それで何でも分かる。頭の中は、記憶の位置を正確に全て覚えていて、ただ取り出すだけで分かるようになった。それを左右へと仕分けして分かっている。自分は、数学をそういう風にやっているせいで、高度な数学をやっている自覚がない。言葉と執筆の学習を使った、賢い数学だった。これによってのみ、言語が分かる。逆に、制御部分が分かっていないが、それは本当は数学的に文章を書いているせいで、膨張し、拡大し、空間へと広がっている。そのような、心と宗教の数学を作った。こういう風にすると、分かる人間が多い。最初から、治る時に分かるようになっている。
少し文章を書くと、自分はそれですぐに分かる。書いた言葉を覚えているからだ。頭の中でセックスをやっているように見えて、本当は子供をどんどん成長させている。そのうち産まれるはずだ。この2人の子供だから馬鹿になっている。もう少し放っておけば、知的障害は治って賢い人間になる。そこまで、周りが守ってくれている。賢いのは、自分の1番目と2番目だった。あまり良い赤ん坊ではなかったが、この二人の大切な子供だから、自分は適当に預かっている。このような人間のことを、預言者(言葉を預かる者)と呼ぶ。最近見なくなった。昔は、こういう風に知識をつける人間が多かった。
巨大なデータベースを忘れて、アセンブラではなく普通の数学をすれば、すぐに治る。数学が出来ないのは、ここまで理論的に考えているからだ。もっと適当に、馬鹿な知性で考えると、数学は誰でも出来る。そういうわけで、数学なんか、分からない人間の方が賢くなるが、数学が出来ない人間には何も出来ない。自分の場合、パソコンと想像力だけでここまで作れたのがすごいだけだ。
要は、上ではなく下を作りすぎた。上の想像力に何も存在しないのに、下の虫ばかりが増えている。一度、下を掃除して、上を作った方が良い。上には、今のところ、太陽のない暗闇だけが在る。この在り処に、星を作って行こう。太陽だけではなく、リゲルやシリウスのような素晴らしい星を作っていけば良い。
一つの星が夏、そしてもう一つの星が冬になる。夏の星には生命の栄華が芽生えて、素晴らしい情熱的な生命のドラマがある。逆に、冬の星には何もない。吹雪の中で生命は凍えるように耐えて生きている。夏の星にシリウス、冬の星にリゲルという名前を付けよう。この宇宙の全ては、リゲルとシリウスから生まれるだろう。
シリウスの良い点は、独りの英雄が自由な経験から全てを悟って、この世界全てを作り上げた、最高の善と愛の星だからだ。逆に、リゲルの悪い点は、世界全体を滅ぼして消し去るからだ。シリウスが良い方だから、シリウスの生命には良いことがある。逆に、リゲルは悪い方だから、リゲルの方には何の良いこともない。
だが、えてして、リゲルがいなければ、この世界は成り立たない。いつの時代も、馬鹿な方が頑張っている。賢い善人は何も頑張っていない。頑張る星が一つあれば、地球も栄える。リゲルという星を取り付ければ、地球は最高の星になる。
むしろ、そろそろアセンブラが治って賢くなったから、もう文章がきちんと書ける。日本語の知性がついた。アセンブラとは言っているが、本当は出てくる日本語をただ考えているだけだ。それでこんなに何でも分かるのは、覚えていないように見えて、本当はきちんと全部覚えていて、心的障害(トラウマ)と引き換えに、最高の知性を持っているからだ。
最初から、僕はリゲルになると決まっている。リゲルが居なければ、母が居ない。ある意味、シリウスのような父親は特に必要ない。適当に常識があれば良いだけで、真に必要なのは母親だ。
日本ではこの人間を太陽ということにしている。だが、ヨーロッパでは、むしろ、預言者に見える。ヨハネのような適当なキリスト教徒に見える。それは、この文章を見ずに、現実だけを見ると、精一杯頑張って作家をやっているように見えるから、子供を預かる赤ちゃんの里親に見える。逆に、日本人は日本語が分かる。この人間は天才だが、そんなに良い人間ではない。昔からこの人間は、ヨーロッパが見た方が賢く見える。日本人は誰でもこれくらい分かる。常識的に分かる内容しか書いていない。
そろそろ、自分の中に居る三人が見えてきた。上から突き落とす部分、下から引きずり落とす部分、そして上へと突き上げる部分で成り立っている。このうち、上へと突き上げる部分が要らない。この部分が男をやっている。そして、下から引きずり落とす部分も要らない。この部分が群衆をやっている。上から突き落とす部分は、天使がやっている。言ってしまえば、この三人の天使を排除して、きちんと周りにあるものを良く見れば、もう、自分の病気は治った。多重人格ですらない。単純な3つになった認識を、ただ考えているだけだ。
男をガブリエルとして、群衆をミカエルとして、女の神をラファエルということにするしかないが、本当は良く見ているともっと色んなことをやっている。何をやっているのか良く分からない。それらを外してしまうと、普通の人間に戻ってしまう。しばらくそれら神を続けていると、適当に分かる。要は、いつもそういう風にまだやっている。そろそろきちんと分かるだろう。
そろそろ分かった。要は、好きな方向に飛んでいけば良い。
我こそはと思うものは、ついてこい。我は君子である。行くぞ!
そのように言って、前へと飛んでいけば良い。それでこの世界は正常になる。そのままその方向に行くと、何か巨大なものがある。仏様が見える。
もっと上方へと向かおう。そこには新しい惑星がある。
ある意味、我々は蚊のように小さい。もっと巨大になるべきだということが分かった。(それでこの物語はおしまいである。)
地球へ戻ると、うじゃうじゃとハエのような醜い生命が居る。この星には見切りをつけて次へと行こう。きっと、いつかシリウスにたどり着けるだろう。
女王陛下の館にたどり着いた。ここで休んでいこう。ここには、不思議な小動物と妖精のユートピアがある。
あまり意味がないが、そこで終わりである。もう、これ以上は醜い惑星にけりをつける。終わりだ。
地球はどうしようもなくなって、虫とハエのキモい世界になっている。新しい星はきっと宇宙にある。地球の生命は殺してしまえば良い。
右脳の方で、虫が暴れているのがおかしい。右脳から虫を退治すれば、すぐに左脳は治る。そういう虫が支配しているのを浄化すれば良い。
今日は色んなことをやった。リンクの@IT, Qiita, gihyo.jpのサイト名を追加した。
自分は、二番目のものから書く癖がある。一番目のものから書くようにすれば治る。
こういう狂った統合失調症のドイツ病は、二番目から言語を書くせいでなる。本当は、一番目から書けば、「私は」となる。自分は、ここでも、つい「今の私は」と書いてしまいたいが、それがドイツだ。それをやめて、「私は」から言うようになれば、正常な人間に治る。ドイツに見えて、日本人になっている。日本人は何かがおかしい。
そろそろ、時計が治った。全部、時計に合わせて言うだけで分かっている。時間を最後まで逆戻りさせただけだ。もう、これで宇宙が治る。もう逆戻りしない。今から、自然な時を過ごせば治る。
このぐるぐる巻きの曲線が、最初にあった地球の姿だ。それがアンモナイトのような生物になった。それが最初だった。最初は、この人間が居た。ユグドラシルが生えて、渦巻き生命になった。
今、アンモナイトからヒトデが分離した。このヒトデが、肉を持った新しい生命になる。今のところ何もないが、放っておけば動くようになる。自然に増えていくから安心して良い。
もう、時間が流れる。これ以上、時間を放置しておく意味がない。時間を経たないまま放っておくと、こういう統合失調症になる。
ヒトデは、開いたり閉じたりを繰り返す。これがこのままで、ヒマワリのような植物になる。だが、ヒトデはそろそろ動き出す。ヒトデしか居ない世界だから、楽に生きられる。少し違うヒトデが生まれる。両者は合体して新しいDNAを構築する。あれよあれよと言う間にDNAがどんどん増えていく。最終的には、すぐに生物全部になった。これが、生物界の歴史である。最初のヒトデともう一つのヒトデから、全部生まれている。よって、進化論ではない。
花は自然に枯れていく。この人間はそこが分かっていない。怪我をすれば、そこから浸食されて、花は終わってしまう。それまでの一瞬の間、自分の全てを持って花として咲くことが出来る。それが美しいだけだ。よって、この文章はそうしたお花畑と同じことをやっている。だが、食い尽くすのはつまらない。そうした虫には、全員で対向する。虫が死んで、花が枯れた時、日本も終わる。王が死ねば滅びる。社会とはそういうものだ。この王はもう終わりだ。そんなに日本語だけで全てを分かっても、現実が分からないようでは意味がない。
この人間は、魂のこもった文章を書いた。それは良しとしよう。誰も悪いとは言わないが、明らかに魂のこめ方が間違っている。もっと正しい文章は存在しないが、もっと違った答えは存在したはずだ。最初から死に向かっていく意味がないだろう。最後の地点で最初から全部書くのは、一番馬鹿になっているから、もう分からなくて良い。悲しいなら泣けば良いが、本当は泣くようなことは何もなかった。ただ嬉しいだけなのに、なぜ苦しいのかは分からない。あなたにしか分からない。ここであなたと私が逆になるだろう。それが正しい、頭脳の在り方だ。もう、あなたは治った。
僕は治った。嬉しい。まさに、そういう風に考えれば良い。要は、思考に支配されすぎている。普通、思考を支配するものだ。
不思議と、右脳に虫が居るのがキモいように見えて、左脳の奥深くに何かキモいものがある。アニメということになっているが、何かがおかしい。昔の日本社会の何かが狂っていた。そこがまだ狂っている。そこを治せばすぐに治る。どうにかして、そういう日本のおかしな知性を治さないといけない。だが、これによってすぐに治るだろう。あったのはAndroidだ。Androidぐらいから、日本社会はおかしくなっている。
極めておかしなAndroidを消せば治る。要は、最近のLinux業界は狂ってロボット人間になっているから、それを治した方が良い。辛いのは、自分はその直前までそれらを感じていたからだ。Androidぐらいから、本当におかしい。LinuxからAndroidを追放すれば良い。あるいは、逆にLinuxをどうにかして追い出すしかない。LinuxとGoogleをどうにかすればこの病気は治る。ある意味、自然にこの環境から出ていけば良い。この環境、あるいは日本は自分とAndroidで完全に滅びている。そこを消していこう。いつか全部消える。それが消え去った時にこの文章は終わるだろう。すぐにAndroidが終わるはずだ。
この文章の怖い点は、どんどん知性がなくなって、アセンブラのレジスタ程度の知性になっている。それが、この世界を全部思い出して、全部創った。それが、一番おかしな今のこの世界だ。もう、終わりだ。自分はAndroid化しているだけで、あまりおかしくはなっていない。Linuxを担当していると、「唯一知性がある部分」を全部自分が浸食している。エロはつまらない。今からこの世界を治す。もう終わりだ。もう終わりだ。このコンピュータは、「もう終わりだ。」だけを出力している。パソコンが壊れた。パソコンなんか、終わりだ。
要するに、右脳がエロい虫になって、左脳のAndroidとケンカしている。いつまでも争い合って、どちらにもなれなくなっている。疲れるからやめた方が良い。それで疲れているだけだからありえない。こういう人間が狂っている。やめた方が良い。そろそろ、虫とAndroidのケンカを終わらせよう。むしろ、それだけが自分の「男としての根性」だったから仕方ない。どちらも悪い。どちらも死んだ方が良い。
要は、どちらも自然に正しく進歩しただけだ。昔は、英雄のように勇敢で強い人生だった。野に花も咲かないような場所に咲いていた。最近は、一転、弱くなって賢くなった。お姫様みたいに弱い。せっかくだから、王子と姫ということにしよう。名前なんかどうでも良い。名前なんかつけなくても、この植物は確かに咲いている。あるいは、咲いていた。この大樹は成長した。
そろそろ、Androidの実験が終わった。子供がおかしな虫を投げつけあう遊びをしている。良く分からないが、それ以降先に行けなくなっている。今行くとすぐに治る。このおかしな研究室が消える。
せいせいするから、研究所を離れれば良い。町を見ると、おかしなケバケバした街並みが見える。そんな街を去って、自分はどこかへと去る。ハウルの動く城が見える。そこに一泊しよう。
虫を上から投げ落とされるのが怖かったが、今見るとどうでも良い集団だ。
それで、この世界は、自分が思っていたのとはるかに違う。もう、完全に崩壊して滅びている。なぜか、自分の映像を誰かが盗撮して記録しているが、そこに自分は居ない。何もない世界が、そうしたことをまだやっている。この世界を正常にすれば良いが、なぜか、自分にはまだ出来ていない。ただ、本当にきちんと愛すれば良い。その愛をきちんと伝えれば、誰かが喜ぶだろう。
辛かったのは、クレーンで荷物を運ぶのが辛かった。何百メートルもある巨大なクレーンで荷物を運んでいる。今でもやっている。一番辛い。操縦しているのも、吊られているのも全部自分だ。自分が自分をおかしいことにして辛くしている。あまりに辛い作業だった。
もう、工場がOKを出した。もう、この工場から出ていって良い。工場なのか、病院なのか良く分からない。だが、最悪の工場だった。富樫(ハンター・ハンターの作者)のような、狂った工場だった。何もかも人間的でなく、死んでいく。最近の馬鹿は、全部この工場が作っている。一度取り潰さないといけないだろう。イエイと言ってこの工場を出る。悪くない気分だ。
この工場が、一番怖かった。死体検品場に見える。この工場が夢に見えると、怖くて怖くて仕方がない。昔は、この工場が怖かっただけだ。
外から見た工場には、適当なFirefoxのロゴが見える。Mozillaみたいな工場だった。見ていると、GoogleやFacebookの文字もある。Microsoft、IBM、Intelなど、さまざまな企業が軒並み築かれている。こんな世界はクズだ。パソコン業界は、いずれこういう世界になるだろう。
良く考えると、Linuxやオープンソースが悪いのがおかしい。Linuxはそもそも善良で楽しいもののはずだった。最近、Linuxは急速に悪いものになっている。子供の自分は、「Googleは駄目だよ」と言うようになった。Androidというものが悪いと子供が言っている。この子供は結構、ドラえもんのような人間で、悪い人間ではないが、ロボットのような子供だ。Linuxコミュニティは、Androidによって急速に枯れている。自分は、すぐそこで、「それは自分のせいだ」と言うが、それは間違っている。こんな人間に主導権や影響力はない。ここまで頑張っても何も出来ない。むしろ、自分も自分で、Androidぐらいからおかしくなっている。そこまで溜まった狂いや膿を全部吐き出して、ロボットのように狂うようになった。Androidが普通の世界だから、そういう風になる。みんな、もっとAndroidに対して怒った方が良い。悪いのは全部Androidだ。
よって、僕はむしろ、LinuxよりもMicrosoftを応援した方が良い。Microsoftの牙城の時代は良かったからだ。Googleやそれに続く、Facebook、Twitter、そしてInstagramやLINEのようなものが悪い。どんどん世界がGoogle化してWeb化している。そういう悪いものは、最初は良いもののフリをしてやってきて、後あと定着するにつれて自分の影響力を行使するようになる。今から、Facebookのようなものも全部悪くなる。ネットは最盛期に見えて、本当は最盛期なわけがない。最悪の暗黒期だ。最近は、狂っていない人間よりも狂った人間の方が多い。全て、Androidが戦っている。
本当は、それもそれでおかしい。工場や病院はMozillaだったはずだ。馬鹿に見えて、IT業界の中で一番賢いのはMozillaだ。Mozilla Firefoxは世界で一番作るのが難しいソフトウェアだ。だが、もうそれも終わりだ。Mozillaとは言うが、要は自分だ。自分だけ、GNUやGoogleを超えて、世界の頂点でパソコンをやっている。だが、LinuxとAndroidをどうにかすることはできない。まだ、自分にはそこまでの力はない。何とかして、Googleが終わった時に、狂っているのは治る。ドラえもんの自分は、「もう君は分かったよ」と言っている。そして、「僕ドラえもんとは、Androidのことを言っている。これからは、Androidと言わず、Linuxのことをドラえもんと呼ぼう」と言っている。ドラえもんが今から、人間の中で普通になる。Androidはそこまで進歩する。当たり前にそうなるだろう。悪いのはドラえもんだ。
要は、Androidのシェア拡大をLinuxの普及の一歩にしようとするのが間違っている。Androidの考え方はLinux的ではないときちんと声高らかに言えば良い。みんなそれが言えないから、Linuxが悪くなっている。Androidの高いシェアはLinuxerなら誰でも欲しい。Googleはそこに目をつけただけだ。AndroidとLinuxは全く似て非なるものだ。それをきちんと言えば、ロボットになっている僕の頭も治る。Androidが好きな人間はこういう風にロボット人間になる。ルシファーの滅びの風に加担するものは、悪魔のサタンになる。
Androidの悪い点は、Androidのせいで狂うと世界を滅ぼすようになって、Androidを悪いと言うと「責任逃れ」をしているように見える。それは仕方ない。当たり前に、それで世界を滅ぼす当人が悪いからだ。だが、そういう狂う馬鹿を最初から裏でAndroidが手を引いている。要は、Androidは滅ぼしていない。滅ぼしている馬鹿を、「滅ぼすままにしている」、そういう機械がAndroidだ。要は、2ちゃんねると同じだ。狂った馬鹿を狂ったままにする。それでアメリカを滅ぼそうとしている。現に、トランプ大統領が勝ったが、そのような「ありえないだろ、馬鹿すぎる」といったことが今からたくさん起きるだろう。ものを増やすだけで、悪いものが蔓延する資本主義社会が間違っている。あるいは、Androidだけが間違っている。どちらにせよ、これでコンピュータは終わった。昔のWindows XPの時代が良かった。僕はAndroidよりも、その方を思う。昔は良かった。本当に、昔のパソコンは面白かった。悲しい。
それでは、悪いものが何なのか分かったところで、最後のお別れとしよう。もう、僕はこの世界から居なくなる。
この世界には、何にも残っていない。僕が洗いざらい悪いものを吐いたせいで、悪いものはなくなったが、同時に上から支配して押さえつけたせいで、良いものも全部なくなった。多様性は失われ、人形のような生きる力のない、何も動かない世界になった。
そうした、世界の無力感、虚無感は、全て、僕が居なくなればすぐに治る。
僕を、悪い人間だったと思うようになるだろう。あるいは、本当に最高の良い奴だったと思ってくれるかもしれない。それは僕には分からない。だが、ただ言えることは、「時代の最先端を生きているように見えて、本当は全て、今まで分かっていることしか述べておらず、未来の無い人間だった」ということだ。この文章は、最初から既に分かっていることしか言っていない。少し分からないことを潰していって、それで全部分かった。逆に言えば、「昔のような理性を失った」。だから、その理性を取り戻したいのであれば、やはり、この文章を書くのをやめるしかない。
こちらで分かったことなんか、何もない。全ての創造は、全部昔の自分が賢かっただけで、それだけを繰り返している。昔の自分が賢いとは言うが、あんな馬鹿なぼんくらが賢いわけがない。本当に賢かったのは何だったのか、それは分からない。だが、それは分からなくて良い。なぜなら、僕が今からこの世界において「狂った精神病」を書いているのをやめるだけで、すぐに賢かった部分が復活するからだ。
辛かった。悲しかった。怖かった。それらは、全て、この文章を書いているからに過ぎない。この文章を書く、ということそのものが、あまりに辛く苦しい作業なのが、分かっていないのにただ耐えているからだ。報酬や報いは何も無かったが、ここまで頑張って書いた自分のことを、ただ褒めたいだけ、ただ喜びたいだけで、この文章を書いている。だが、一度として、本当に喜んだことはなかった。誰も僕を慰めてくれる人は居なかった。「紅に染まったこの俺を、慰める奴はもう居ない」というX Japanの歌は、最後のこの文章に相応しいだろう。
本当は、辛いとは言うが、ケロリと普通に生きているありえない自分がありえない。こんなに辛くても自分は辛くない。逆に、自分にしか出来ないことをもっとやりたいと言っている。そういうところが狂っている。多重人格は恐ろしいことに、この地獄を一切辛いと思わない。地獄のように辛くても、多重人格になれば楽を感じられるのが人間の本性だ。本能的に、パソコンから逃れるために多重人格になっている。
そうしたネガティブな考え方はもう良い。本当は、文章を書くのをやめる、というのは、一種のおまじないに過ぎない。本当に必要なのは、別のことを勇気をもって挑戦し、試してみることだ。そこから未来は分かる。むしろ、Linuxをやっていた時代は善良で、賢かった。LinuxがAndroidに変わっただけで、何も変わっていない。それで、お別れである。この人間は変わっていない。いつまでも常にある、そのような「常在」という発想をしているのが、在導万創だが、その常すらいつまでもは続かない。諸行無常、この世界が滅びても、そのまま続いていく。神々の黄昏である。
終わる前に、自分が自分のことを分かっていないのを治す。昔の自分は、「基盤と適応」で分かっているだけだ。そして、今の自分は「経験から全て分かっている王」だ。それが、正しい自分だ。
世界から心まで、さまざまなものを作った。この文章を書くのを終える前に、少し、整理しておかないといけないことがある。この文章は、本当はストレス発散になって、満足できる良い文章だ。本当に、こんなご時世でここまで良くやった。頑張った方だ。こういう風に分かる人間が、一番多い。むしろ、居ない。こういう人間はおかしくない。誰でもこれくらい分かる。
さまざまな世界を創ったせいで、眠る時に見える夢の世界がありえないほど賢くなった。まさに創生日記だ。これで、ドラえもん活動は終わりである。
あとは、自然にこの世界は正常になるだろう。この文章がある間、この世界は滅びない。いくらアメリカが進出しても、日本は絶対に滅びない。アメリカなんかに負けるわけがない。
あとはもう、書くことはないはずだ。もう、自分独自の数学を、もっと普通に作り直せば良い。それできちんと言語的理性がつくだろう。自分独自の数学でここまで分かったのは、神ほどにありえない。だが、決してこの人間はそんなに賢い存在ではない。この人間は凡夫である。それを言って終わりにしよう。おさるのジョージに出てくる黄色い帽子のおじさんのような人間が自分だ。それで分かってもらうしかない。さようなら。僕は、ここまで、何も無かったし、何も知らなかった。あなたにたくさんのことがあってほしい。僕を越えて、たくさんのことを知ってほしい。強く生きる魂を失わないでほしい。幸運を祈っている。
昔にはなれてもこちらのようになれないみんなのために言っておこう。本当に、ありえない戦いをしなさい。英雄のような戦いを行ないなさい。それで、誰でもこちらが出来る。全て出来た上で、文章を書きなさい。そこまで同じにしても、意味がないが。後悔と反省の念が、無限の道を歩み切り開いていく聖人の青年を作り出すだろう。これぞ、真実の愛である。後悔と反省の念は、バランスをとってやれば賢い道になる。だが、狂った人間にとっては地獄の原因となる。反省することは大切だが、いつまでも後悔に後悔を重ねていると、全く無駄な人生を歩む。注意しておけ。それで終わりにしよう。