新・日記2に戻る | 2018年7月の日記に戻る

=2018-07-29=

昔は、人間はそれぞれ違うのを分かりながら、モデルを作って分かっていた。

心は、信念のモデルを作って、それぞれの信念を複合的に分かりながら、「それぞれが違う環境の中で違うことを思うだけで、目指す信念は同じである」と分かっていた。

また、心のモデルから、「いつ何をしたくなるか」や「必然的に何をするのか」を環境のモデルで分かっていた。

哲学は、観念を「考え方のモデル」で作って、知性のモデルから帰納的推論を分かっていた。また、「それぞれの世界は違っていて、それぞれの世界には限界がある」とウィトゲンシュタインのように分かっていた。人間とは環境であると考えていた。

また、認識と認知のモデルを作っていた。世界は経験的な「何かをしたことがある人だけが分かるフィルター」で分かると考えていた。

社会のことは、参加と権限をモデルにして、自分がどの会社に入れる可能性があるかから分かっていた。また、社会全体の可能性から、労働と生産と消費をモデルにすることで、選択肢とたくさんの体験を分かっていた。

また、科学と言葉のモデル、人生と思考のモデルを作って、この世界の自然を方法と理性批判で分かっていた。

また、方法論をしっていた。予測と把握から、原理、設計図、そしてパターンを知ることで、この世界の全てを事前に把握した。あらゆる全てが事前に分かる人間だった。それは「思い出す」ことと「視野を広げる」ことから、「自分で経験する」ことで分かった、ゼロから作った建設的な「思考の科学」だった。

いつからか、みんなのことを全部同じだと考えるようになった。もう一度、それぞれが違う、という考え方を取り戻そう。そして、そのためには、完璧主義をやめる必要があるだろう。人々に頼ることで、人々の違いを認識できるようになるだろう。

独り、辛い人生を生きて分かっていた。辛かったが、その青春は、人生の全て、宇宙の全て、哲学の全てのあるような人生だった。この世界で「自分の力で」経験する人生だった。

そして、それは正しい「善なる戦い」へと変わった。もう一つの宇宙のような、宗教の全ての体験の中で、「まざまざと刻み込む」ような「永遠」の体験をした。そこには、神しか居なかった。

絶対にこの宇宙、全てのことが分かった。この世を愛して、僕は居なくなる。僕は、この世界が好きだ。この体験とこの世界のことを愛している。そして、みんなにも価値のある体験をしてほしい。それが唯一の僕の望みだ。

アメリカ人やドイツ人には、「人種差別によって、他の国よりも優位に立ったり、勝ったりすることはないのだ」ということを教えていこう。人種差別によって損をするのは、ほかならぬ自分自身である。少しの優越感や高揚感は得られるかもしれないが、それによって世界が良くなることもなければ、国が救われることもなく、公平な世界にもならない。人種差別に意味がないと教えることで、白人の意識が変わって、この世界は良くなる。

昔は、Linuxに関して色んなことをやっていた。Linuxの情勢をニュースサイトやスラドのような掲示板で見て、自分なりに「指導者」のようなことをやっていた。最近、逆にLinuxにそういう「楽しさ」がなくなっていると思う。技術的にみると、むしろ、GNOME3ぐらいで完全に完成した。新しい言語は、RustやGolangだが、本当はRustぐらいで完全に終わりだ。これ以上、発展しないだろう。Fedoraはまだやっているが、これ以上、面白い技術なんかそんなにない。これ以降、Linuxやオープンソースは発展のしようがないのではないかと思う。逆に、「完成」だと思えば良いのかもしれない。

オープンソースだけではない。IT技術やネットワーク技術は、もう終わっている。スマホの料金はそのうちほとんど無料になるだろう。アプリはもっと普通のアプリが増える。パソコンの技術なんか、一昔前の技術の方がはるかに賢かった。この世界は終わりだ。今から環境対策をやるのはあまりに遅すぎる。人間の馬鹿な点は、「本当に起きてみなければ、未来のことを想定できない」ということ。これが、神よりも劣っている人間の特徴だ。起きるかもしれないことを、「起きないだろう」として後回しにする。このせいで人間は滅びた。自分勝手なのが、一番悪いのが分からない。自分の身に起きてみなければ、環境対策のようなことを一切せず、滅びてから後悔する。そうした、自由で向こう見ずな頭をしている生物、それが人間だった。脳が大きいとは言うが、実際に起きてみなければ分からないのが人類だ。

日本人は、人種差別主義者は許さないが、人種差別をやめて日本人と仲良くやることを選んだ人間は許す。日本人が見ても、人種差別はそんなに悪くない。日本にはトランプみたいな人間が多い。トランプと仲良くやることを選ぶ、それが日本人の「正義」だ。だが、人種差別をすることを、正義とは思わないでほしい。

良く考えると、IBMが良いものを作って公開した時は、その業界のことを「潰そう」としている。Eclipseは、IBMがJavaとオープンソースを滅ぼすために作った。IBM PC/ATも同じだ。だから、IBMがLinuxをやっているのは、全部Linuxを滅ぼすことが目的である。そういうことが多いから、良く考えると分かる。全て、IBMの逆をやっているGNUが正しい。

そもそも、アメリカ人はアメリカを愛していない。自由だと思っている。だから、他の人間よりも勝つことを選ぶ。そうした、「他人よりも勝つこと」をそろそろ終わりにしていかなければならない。それぞれが争い合う自由は醜い。たとえ勝ったものが良い思いをしたとしても、そこにはたくさんの敗者が居て、国全体はほとんどが敗者で埋まっている。もう一度、「正しい全体主義」をやらないといけない。そこが出来るのは、スターリンに毒されたソ連の共産主義者ではない。出来るのは、偉大なドイツ人でも、ロシア人でも、アメリカ人でもなく、ただの平凡な、だが潜在的な可能性を秘めた、日本人だけだ。

ちょっと過激なことを言ったかもしれない。左翼に話させるとこういうことを言うから、右翼が適当に増えた。本当は、全体主義なんかしなくて良い。だが、争い合い、競い合い、滅ぼし合う自由は醜い。個人主義の行き過ぎは良いことではない。正しい自由主義が出来る国は日本しか存在しない。だから、日本人が勝つ。日本式の民主主義が一番優れている。今の日本をやれば、世界中、どこの国でも喜ぶ。今の日本は宇宙の中で最高の国だ。

PC業界を滅ぼすためであっても、そうでなくても、IBMはWintelとともにPC業界の主導権を握ってしまった。これを、Linuxが主導することで変えられるだろうか?もっとたくさんのCPUアーキテクチャが普及しても良いだろう。キーボードやマウス、ディスプレイだけではなく、もっと違ったパソコンのカタチがあっても良いと思う。きっとLinuxはIBM主導のパソコンを変えられると僕は思う。

左翼がこんな人間になるのがおかしいから、そこを変えよう。僕のせいで、左翼は僕と同じ人生になる。ネットにこんな馬鹿が溢れているのは、ネットは左翼だからだ。そもそも、左翼なんか意味がない。人間は右翼の方が良い。右翼はこの世界に勝って、独りだけの王になる。右翼の問題は、勝っても意味がないのが分かっていない。勝っても、ただ辛いだけだ。みんなと同じ、負けているだけの人間の方が、楽しみがたくさんあるだろう。そんなに独りだけで勝とうとしない方が良い。負けているから馬鹿にはなるが、それは勝ちたいと思うからだ。勝ちたいと思うのを完全になくせば、この世界は楽園になる。

本当は、IBMに勝ったとしても、その会社が逆に新しいIBMになるだけだ。そういう、勝ち負けで判断するのをやめないといけない。貢献度で判断しないといけないのだ。良く考えると、IBM PC/ATが一番オープンだ。だから、LinuxもIBM PC/ATで動く。もっと別のプラットフォームが欲しいなら、それは誰かが作らないといけない。もしGooogleが作ったとしても、それはIBMが作ったのと何も変わらないだろう。非生産的なLinuxユーザーがそんなことを言っても、それはボランティアが作れと強制しているのと同じだ。作りたい人間が作るならば、環境やルールを整備するよりも、自分が作らないといけないだろう。それがGNUのやり方だ。

パソコンが死んで、ロボットが死んだ。パソコンはもう終わった。

この文章を書いているのは、何かを言わないと死ぬからだ。何も言わないまま終わってしまうのはおかしい。だから、まだ書いている。

昔は、人間を分かる世界モデルのようなものを作っていた。そして、そのモデルのことを全部書いて言葉にしていた。それを、もう消した方が良い。そうすると楽になる。