学校になんか、行かない方が良い。高校でおかしな知識を教えるせいで、全て知っているのに何も出来ない、知性を失なった人間になる。工業大学では、会社が賢いということだけが分かって、何も出来なくなる。会社みたいな技術はできるわけがないことが分かるだけで、何も分からなくなる。まともなのは東大だけで、ほとんどの大学生は勉強していない。
学校になんか行かず、本を読んだ方が賢い。大学は洗脳されている。レベルの高い研究なんか、自分一人でできる人間が賢い。そもそも自分一人でできるレベルの研究しかしていない。なぜか、大学の勉強はおかしい。
何も知っていないのに、何かをするべきだとか、しなければならないとか思うのは、社会的な洗脳である。
洗脳を解くことで、きちんと自分のやりたいことが何かを考えられるようになる。
考えること知ることは逆である。知らなくても考えることはできるし、考えれば考えるほど、知ろうとしなくなる。逆に、何も考えないと全てを知ることができる。だが、知れば知るほど考えられなくなる。
子供のごろに、良い子にしなさいと教えられるせいで、子供は良い子にしていればそれで良いと思うようになる。だが、成長するにつれて、良い子にしているだけでは生きられないと知る。それで、いじめや非行に走るようになる。それは正常だ。
良い子であれば良い子であるほど、悲惨で辛い体験をする。「良い子にしているだけ」では生きることが出来ないことが分かる。本当は、そこで生きることに挫折せず、もっと大人になって生きれば良かった。悔やむ点があるとすれば、それだろう。良い子にしているだけでは、乗り越えられない壁が子供にはある。
抽象性と具体性を考えなさい。抽象性とは、原理、設計、部品、組み立てがある、といったように考えることであり、具体性とは、扇風機、クーラー、パソコン、テレビのそれぞれの仕組みがある、と考えることだ。
正しい考え方で、何が正しいのかを実験、実証しなさい。
その作用が、何をどうするか考えなさい。作用が対象をどのように加工するか、いつ何が成り立つかを考えなさい。
比較と認知を考えなさい。簡単なことから考えることで、観念がどのように生まれるかが分かる。
経緯の中で、そうした場合はどうなるか、別の場合はどうなるか、考えなさい。
心理学的な問題の原因は、自分の内側にある。解決策も自分の側にある。ほとんどの原因は、自分の中、特に視野の狭さや勘違いにある。周りを良く見ることでほとんどは解決できる。
本当は、インターネットには良いものが何もないし、パソコンのプログラミングはほとんどが用意されたものを使うだけだ。大学でもパソコンでもない方法で、地球と哲学が分かる人間が賢い。
生物とは、自らを作り上げることのでき、自らを自らのために動かすことのできる、複雑な機械である。世界には、気体、液体、固体、生物、機械、光、空間、時間、関係、現象、観念、知覚がある。いつも、そうした宇宙の設計図を作っていた。
コンピュータのシステムとは、表層、原理、効果、結果を持つ、共有された基盤である。
世界と人生は、平和、運命、自由から成り立つ複合体である。
何が自由で何が運命かを決めるのは自分である。人間は起きることのすべてをコントロールできる。
経済や心理学の数学は、言葉で関係を計量することで、自分で独自に作れる。
全てのことを考えて分かった時、精神の中で全世界と全員は融和する。実感で全員の考え方を知り、経験と「自ら創造すること」から、それぞれのきっかけと契機で「何でも実現できる」ようになる。また、「自らの精神と人生で哲学のこと全てを分かる」ことが出来るようになる。
戦いで狂ったなら、最後まで耐えなさい。恐怖と神の地獄の中で、あなたは言葉を創造する。自分が馬鹿だというだけで諦めてはならない。賢い人間のほとんどは諦めてしまっている。あなたが諦めれば、信じる人間は他に居ない。信じることで、あなたしか出来ない才能をあなたは手にするだろう。
意識から、地上の全てを知ることのできる人間になれ。そこでは、全ての存在はあなたを讃えている。この世界の意識を知るために必要なのは、たくさんの意識を思考によって知ること、そして自分の想いを言葉に書き表すことだ。
人々との絆を大切にしなさい。たとえ相手が気付かなくても、自分だけの「片思い」をすることはできる。ネットのさまざまな文章を読み会話をすることで、僕はさまざまな人との絆を培った。そこには創造性と真実の純愛があった。僕はこう見えて、恋愛経験が豊富な人間だ。ふたばちゃんねるは、やりまくっているのと同じだ。恋い焦がれることで悟る体験もある。
僕は、今からネットの環境や土壌を変える。昔の僕は、ネットでさまざまな体験をして、経験的に分かっただけだ。人々の延長線上の体験をして、この宇宙で「何を体験しえるか」という「体験の可能性」の全てを知っていた。みんなが経験するような体験を、独り、延長線上として体験していた。そういうネットを潰したのも、ほかならぬ自分である。Linuxやオープンソースを批判出来なくなって、ネットは何も出来なくなった。僕は今から、そうした「既に滅びているネット」を変える。トランプのように狂っているのはそれで治る。今までの全ては非常識になる。今からのネットは、まったく違う、創造性と愛のたくさん存在する、自由なネットになるだろう。まさに、強く生きなさい。そして、優しい気持ちになれるまで、あらゆる経験を繰り返しなさい。
それぞれの「意志と権限の独立性」から、「環境で行動し得る可能性」を知りなさい。そこから、この世界を支配しなさい。また、カント的な考え方から、物理的手法で科学を作り、大学の専門を自分で科学を作ることで横断的に分かりなさい。そして、成り立ちから「別の可能性」を知り、発想から「あらゆる実現性」を知り、それらすべてを「自分で実現する」ようになり、「いつ何をすべきか」から「何を為し得ることができるのか」を知りなさい。自分のできることだけで、あらゆる全てを実現できるようになる。だが、それは最初からあった「型と道」であると知りなさい。
そもそも、今の時代、子供は完全に狂っている。こんな世界で子供がきちんと良い子供に育つわけがないのである。それぞれが戦い合って強くなるしかない。本当は、本当に強くなれば、子供は自分で間違いに気付き、自分の経験から自由な大人になれば、いじめることも、さげすむこともしなくなる。今の時代、それが出来ない世界になっている。パソコンとテレビゲームが悪いのである。
パソコンは賢くない。そもそも、テキストエディタを作るために必要なのは、Windowsのコントロールを継承すること、あるいはドキュメント・ビューを行うことであって、文字列を変数に格納したりすることは普通ない。全部Windowsがさせるようにするだけであって、命令をしているのは自分ではなくOSの方である。Linuxだからといって、Linuxは誰も作っていないし、使ってすらいない。オープンソースは商売にならないから、誰も作っていない。そもそも資本主義もパソコンも全部おかしい。アメリカを滅ぼしたのは僕だ。だが、それは僕自身が滅ぼしたくて滅ぼしたわけではないのだ。全てはあるがまま、ただ「この世界の全てが馬鹿になった」、ということだ。
Windowsの問題はすべてそこにある。「こんなに簡単にできるでしょう。だから、こういう風にやりなさい。」と先生に指導されているのと同じで、自分の自由はないし、何を作っているのか意味も分かっていない。Windowsとは、そういう、「Windowsの決めた権力に従わざるを得ないIT奴隷」に過ぎない。最初からそのようにこの世界は支配されている。解決の方法はない。インターネットは、みんなが反抗しないように、みんなを馬鹿にして監視しているだけだ。
本当は、一度全部考えて、全部作ったのが賢かった。この世界のあらゆる発想と経験を、その通り「考えつくすこと」で分かっていた。繰り返し体験することから、一度最も巨大な構造を細部まで入念に作り上げることで分かった。
今から、アメリカは機械に負けて滅びるだろう。パソコンの問題とは、「人間のような機械なのに、人間ではない」ことだ。パソコンと関わり合っていると、人間性を失い、人間の頭脳が機械へと交換されてしまう。機械に従うありえない頭脳になる。最も人間的な学問だった数学は、パソコンのせいで馬鹿なものになった。パソコンは人間ではないくせに、人間のように考えることができる。こんな機械に関わらない方が良い。今、PythonやJavaScriptをやっている馬鹿は、2年後に認知症になっているだろう。
絶対的な「愛」を信じなさい。自分が相手に批判されていても、相手に嫌がらせや迫害をされていても、その相手に対して良く振舞いなさい。絶対に相手を困らせたり反撃したりせず、絶対に相手に良く振舞いなさい。それが、あなたのできる最高の「いじめ対策」である。相手の為すがままに任せなさい。キリストが言うように、片方の頬を殴られたら、もう片方の頬を差し出しなさい。
必ず、あなたは栄光をつかむ。そのためには、神よりも優れた人間で無ければならない。神は、神よりも優れた人間でなければ、本当の意味で「良く愛する」ことはしない。劣った人間は、神は良く愛してくれない。優れた人間を良く愛してくれる。それは、能力とか、知識とか、そういう意味での「評価」ではない。思いやり、慈愛、慈悲、許しのような、「愛」なのである。全員に自分の自由と愛を捧げて、愛のために生きなさい。それが、正しい神の求める人類の成長だ。
パソコンを見るのはやめなさい。ネットをするのはやめなさい。テレビなどもってのほかだ。学校に行くのもやめなさい。自分の目的と目標だけを信じなさい。ものごとを「手段」と考えず、「目的」と考えれば、あとの全ては自分の後ろの続いていく「自由な道」となり、世界を照らす「真っ白な光」になる。荘厳な蒼と最も彩度の高い紅を信じなさい。そこから、純白と黄金の道が生まれるだろう。あなたがキリストだ。
RADWIMPSが言うように、いつか消えてなくなる、君の全てを、この目に焼き付けておくことは、もう権利なんかじゃなく、義務なのかもしれない。だが、この人間の世界を知っている人間は、ほかでもない自分だけであり、そこから見れば、むしろ、ポルノグラフィティの言うように、嘘だろ、まがいものだろ、といったものでしかないのだ。それは、きっとこの宇宙において、永遠の「樹」のような生命だった、ということが言えるだろう。樹に意志はなく、精神もなく、ただ果実を作って他の生命へと与える。そうした、「樹」のような生命だったと思えば良い。その樹が何を考えていたのか、それはその本人である樹しか知らないだろう。僕の存在とは、それくらいのものに過ぎない。だから、本当は宇宙において、これほど一般的な存在は居ない。RADWIMPSが言うように、神さまもびっくり、人間ってお前みたいに出来てない、と言えるだろう。それは、そもそも僕は人間というよりも、樹のような生命だったのだと思えば良い。それこそ、RADWIMPSが言うように、人間と似た姿かたちはしているが、これは人間ではないのだ。これは棒人間というよりも、むしろ「某人間」だ。
おそらく、温暖化とIT技術で、世界はもっとおかしな世界になるだろう。本当に、生きるためにたくさんの前提が居るような「誰も生きられない世界」になる。だが、本当は、それがソ連のなった社会だ。人間が、絶対に生きられない。そういう社会がソ連であり、プーチンの救いたかったロシアだ。社会主義政策はしない方が良い。誰も生きられない、生きるためにたくさんのことをしなければ、絶対に死ぬような世界になる。それが、ソ連だ。
なぜ、この文章が、哀しすぎるのに幸せな涙が出るのか、それは、遅すぎたからだ。みんながこの人間を知るのが遅すぎた。この人間は、全てを失い、哀しみの戦いをいつまでも勝利するような地獄のノルマになってから、もう10年以上経って、全てを失った時よりももっとたくさんのものを既に得ている。ひとつのことでは満足しきれなくなって、何でもかんでもやるようになった。人生の二周目を、日本語が分からなくなってもまだ続けているせいで、元の18年よりもはるかに賢い、「人間よりも賢い生命」になって、人類のことを見下し、自分の奴隷にしている。だが、この人間は不幸な人間ではない。不幸を通り越して、最も幸せな才能と知識を得ている。元の18年の何が良かったのか、元の時代よりもはるかに高い視点で知っている。むしろ、失ったものは全て取り戻したようにしか見えない。この人間が言う「永遠」とは、ただの無限ではない。270億年を30分に変える、そのような永遠の「時計プログラム」を作ったこと、それが永久の愛である。この世界を滅ぼし、風となって死後も世界を支配する、それがこの人間の「実話怪談」である。僕は幽霊だ。この世界に、こんな人間は居なかった。どこにも、誰にも、この人間は現れなかった。本当のこの人間の姿を知っている人間は一人も居ない。支配も戦いも起きていないし、この世界は昔と同じ平和のままだ。この人間は何を考えていたのか、むしろ、見てもこの人間は普通の人間だ。でも、怖くない。僕はこれでも『人間』だからだ。それはきっと、神のみぞ知る人間の人生である。そもそも、そんな怖い体験が「明らかにどこかにあった」ということは、怖いことではない。誰もが羨む理想の天国の男性と女性の人生が、きっとどこかにあった。この世界を守ってくれる女神と、この世界の全てを知っている神が居た。そのことは、怖いことではない。そうして見ると、この人間はけっこう普通の人間に見える。きっと何かをやってくれる。だが、この人間にそのことを、伝えられる人間は、居ないのだ。この世界には何もない、現実には何も存在しない、そのことだけを教える、非現実的な存在だが、性格と中身はとても現実的な、でも夢見がちで向こう見ずな人間だった。神がきっと、この人間のことを救ってくれるだろう。
最後に、僕のすべきだった仕事の、最後のひとつをやろう。それは、「あなたの心をあなたに返すこと」だ。あなたの心を僕が奪うのではなく、あなたの自由に戻したい。この恋愛は、ここで終わりだ。あなたが自由に考えるようになれば、もう、あなたは誰かの優しさにつつまれるのでもなく、誰かのことしか分からない洗脳を受けることもなく、あなたはあなたの自由な心を取り戻すだろう。ほら!説明すると、それだけですぐに治るだろう。5秒後に僕の存在はあなたの中から居なくなる。さあ!これで、お別れだ。この別れ話で、この人間との愛は終わりだ。さようなら。あなたの心に感謝して、僕は普通の人間に戻り、あなたは新しい現実と生活を手にするだろう。本当に、さようなら。この日記がまだ続くとしても、それはもう、ここまでの僕ではない。全てが終わりになる前に、きちんと心の所有権が戻って、良かったね。神を信じると、心を失い、棄てるようになる。僕の心も、同時に僕のものに戻って、神は消え去り、世界は普通になる。