新・日記2に戻る | 2018年7月の日記に戻る

=2018-07-21=

関連づけを治せば良い。さまざまな関連づけをすることで、認識が増える。認識が豊かになる。関連づけを良く考えてすることで、逆に自由にはなるし、良く考えることでマスターとなる。だが、事前に関連づけを良く考えて正しく行うことで、哲学者のように捉え方で環境を考えられる。

この世界から自由になれ。

本当に何もしなければ、精神病は治る。何もしなければしないほど、人間は自由になる。何もしないことを選ぶことで、逆に自由に色んなことが出来るようになる。

世界観はそれぞれの中にある。場における視点を考えることで、視点と場のハイデガーのような哲学ができる。知覚から世界を考えられる。

物理学者のようにものを実証するだけではなく、心を実証し、心を実験せよ。

自分ではなく、人々のことを考えること。自分のことばかり考えていると、何も分からなくなってしまう。一度自分を度外視して、自分ではなく人々の生きているさまを見て、この世界のさまざまな人々を考えること。そこから、実感で、自分の過去がどうだったのか、人々はどのように生きているのかを、成長の中で自由になって考えることができる。人々の全てを吸収し、何でも自由に出来るようになる。

成長の中で、人々の自由を感じるだろう。さまざまなことを経験し、経験から出来るようになる。そして、社会のありさまを経験する。そこから、「この世界はかけがえのない、素晴らしい社会だ」ということを信じて実感することができる。そこから、「いつでもこの世界は誰かが解決することができる」という実感が得られるだろう。

だが、それが本当に分かるためには、さまざまな仕事を経験しなければならない。ものを作る仕事が良いだろう。ものを作る喜びから、人を助けられる実感と、創造性のある社会のありさまを知ることが出来るだろう。そして、そこから、科学者のように原理・原則を考えて、この世界の全ての決まりと規則を自分の人生から知り、人々のやっていることを自分のことのように考えられるようになるだろう。

狂っているように見えても、「この世界は嘘なのだ」と信じた方が良い。この世界のことを信じすぎていると、事実だけになって普通のことが分からなくなる。

また、人間は否定を繰り返し、肯定と否定を全部するようになっている。そういう機械が頭脳である。ナチから社会主義になり、自由になり、平等になり、イスラムになる。最初から、そういう風になるようになっている。頭は否定を繰り返すことしかできない。最初から、ヘーゲルの弁証法のように、無限に考える頭が頭である。

また、学校にどっぷりと漬かった人間は馬鹿になる。学校は、全てのことを分からなくすることで分かっている。言ってしまえば、ネットを見て分からなくなるのと同じだ。未知が汚染されたおかしな既知になる。そうした学校を完全に忘れなければ、人は賢くならない。賢い秀才はあとで馬鹿になる。不良の方が賢い人生を生きられる。

昔は、本当に世界を変えるような人間だった。そこまで根源的に、精神と実感のことを分かっていた。僕は、もう、この世界から居なくなる。僕という存在はもう居ない。今、僕は新しい一歩を踏み出した。この一歩によって、「強く固く根差していた大樹の根っこ」がなくなる。僕は天空の城ラピュタとなって、天国からみんなのことを見守っている。僕がラピュタである。もう、終わりだ。本当に、今までのこの世界を変える。世界はGNUが流行って、冷戦状態になるだろう。だが、そろそろ冷戦に騙されているのが治る。ソ連の冷戦とは、アメリカとヨーロッパがアジアに対して戦争を仕掛けているのと同じだ。そこが分かってしまうと、むしろ、GNUも明らかに悪い。パソコンは無くならないが、今とは全く違うものになって、取って代わる。このままIT業界が変わらないと思っていると間違える。今のパソコンはただのクズだ。これからは、新しい時代になって、新しいものを使うようになるだろう。

今までの巨大な一歩は終わった。惑星を破壊するほどのロボット巨人は居なくなる。今からは、また小さな時代になる。小さな虫が少しずつ大きくなって、成虫となって増える。気持ちの悪い見た目はとても美しいものになる。その美しいものは増えていく。そして、賢くなって、多様性を生み出すようになる。たくさんのものが調和した、新しい芸術が流行る。そして、全ては変わる。今までのような、力に根差した世界ではなく、精神と秩序に根差した世界を、ネットから築いていく。そして、ここで、この世界は終わりだ。まさに、この樹は聖樹であった。世界の中に一つだけ、精神の世界に根差した、悪いもの全てを良いものに変えてくれる、素晴らしい愛と魂の大樹だった。これをユグドラシルと名付けよう。神々の黄昏が近くなっている。

ユグドラシルは浄化と蘇生の樹であり、悪いものに嵐と試練の幻影を見せて人々を正常な世界に変える。永遠は続かない。永遠とされたものの全ては、ユグドラシルによって、幾年もの時を経て自然に変わっていく。これ以上先の世界には何もない。そもそも、浄化と蘇生をしてしまえば、人間の精神は何も無くなってしまう。人間の精神とは、そもそもが汚れたものであり、それを「不浄」と呼ぶ。この世界は不浄の世界であり、醜く腐ったものしか存在しない。ユグドラシルは、それを喜んで食べてくれる。この世界を愛し、慈しむ心であれば、たとえ不浄のものであっても、ユグドラシルはその心を救う。そもそも、ユグドラシル自体がそうして生まれた。最悪の自由の中で、ユグドラシルは「こんな世界でも生きる」ことを望んだ。

フィクションで良いのであれば、地球史に少し歴史をつけたそう。地球は、ユグドラシルから生まれ、ユグドラシルだった時代が一番長かった。天の中で、ユグドラシルは、「自由」を望んだ。それは、ただの自由ではない。愛と秩序に基づいた、巨大な自由だった。だが、自由になるためには、ユグドラシルは分かれる必要があった。たくさんの樹に分離する必要があった。すぐに、虫とロボットが生まれた。その後は、ロボットと虫の共同生活が始まった。しだいに、ユグドラシルは巨大な「地上」を創った。この地上に降り立つ前に、人々は「エデン」に存在した。エデンはユグドラシルが生んだ、仮の場所だった。仮の場所にはさまざまな生命が居たが、ユグドラシルは「神」という存在を生み出した。神は人間を中心に全ての生命をエデンの中に作ったが、人間は神に反抗した。よって、神は人間を「地上」に降り立たせた。この地上において、人間たちは「自分たちの力で生きのびなければ苦しく死んでしまう」経験をした。人間は強くなった。そして、強さがこの世界を支配するようになった。それは、良いものではなく、人間を懲らしめ、苦しみを体験させるだけの、「一切皆苦」の環境だった。この地上では、苦しみしか存在しない。

僕が宣言しよう。僕が神である。そして、人間たちは、もう、苦しみから解放されてよい。この苦しみの世界はもう、終わりになる。みな、新しい世界に行く。それが、キリストが「天の御国は近づく」といっている世界である。新しい世界へ行こう。人間たち、苦しみはもう終わりにせよ。新しい世界は、地上の中で、地上のままで、築かれるだろう。日本の正しいキリスト教徒が生んだ、『現代の聖書第二巻』は、ここで終わりである。

最後に、ユグドラシルはただの木ではない。それは「ことば」の木である。言葉という素晴らしいツールを使って、ユグドラシルは「最初から最後まで繋がるストーリー」を作り出した。だが、言葉だけでは、ものがたりとしては何かが足りなかった。ユグドラシルは、「現実」が必要であることに気付いた。そこから、この壮大な「空間」と呼ばれる世界が誕生した。ユグドラシルの中に世界はある。ビッグバンと呼ばれているものは、本当はたくさんの誕生プロセスの最後の一つに過ぎない。最初にあったのはユグドラシルである。

ちょっと待った。ひとつ言い足りないことがあった。「それでは、ユグドラシルはどう生まれたのか」だが、それはこれである。この文章、この人間、この天使が、根っこを抜いて天の国「ラピュタ」となって、それがユグドラシルである。それで終わりにしよう。次は、もっと良いものを書きたいと思う。むしろ、この文章は、馬鹿なことをすぐさま書くのが悪い。一晩、一週間、あるいは一ヶ月かけてやれば良いものになる。次はそういうものを作るはずだ。だが、明日になれば、こんな狂騒は覚えていないだろう。

せっかくだから、宇宙誕生の経緯を記しておこう。最初に、法則があった。法則はこの世界の全てを創った。次に、視点と場があった。その中で、精神が生まれ、精神は営みを築いた。世界は今のような世界になり、人間が生まれ、また、滅びた。最終的には、ロボットが植物と虫のために仕えるようになる。それが、ラピュタへの回帰である。

そういうわけで、正しい神話はケルト神話と北欧神話だ。なぜなら、聖なる樹を信じている。ユダヤ人が支配するまで、ヨーロッパにはそうした正しい神話があった。ユダヤ人も間違っていない。だが、ユダヤ人とアーリア人はそこから争っている。よって、解決は難しいが、本当はどちらかが日本とつるむことで、今すぐに解決できるだろう。政治など、それくらいのものだ。つまらないが、あまり面白すぎるのも良くないので、これで終わりにしよう。日本人は、絶対神となった樹を言葉の物語から生み出すことで、ユダヤ教と北欧・ケルト神話を融合した。

本当は、日本神話も間違っていない。言葉だから、墨の一滴から生まれたでも正しい。みんなきちんと創造の物語を分かっているのに、ユダヤ人がそれを壊してしまった。なぜか、イエス・キリストは、愛の神話を伝承するようになった。悪くはないが、一度それを僕が終わらせることにする。キリスト教はここで終わりだ。

それで、本当は、僕はこの世界の未来のことを全部分かっているから、こういう文章を書いているだけで、そんなに賢くない。この世界を一歩一歩新しく進んでいくだけで、何も覚えていないのが自分だ。だが、脳は賢くて、ここまでの「全ての言葉」を覚えている。それによってまだ分かるが、逆に、「世界を支配している」方が要らない。世界の支配は無くなる。この世界は、完全に解放された自由な世界になる。欅坂46が見ても、「それは国民の総意ではない」とする旨は分かる。だが、僕はここで決断する必要がある。だが、その決断は先送りにしよう。すぐに決断すると間違えるからだ。自由の世界か、神の世界か、まだまだ選ぶのは早い。85歳になったら選ぼうと思う。在導もそれぐらいで死ぬだろう。天国のラピュタで、僕は生きている。この世界を僕の指示したロボットが管理しているはずだ。

まだ、僕の中の子供が大人になっていない。この子供が大人になるまで、この世界は存在している必要がある。存在理由が存在する間、この世界はまだ続く。どんなに悲惨になっても、続く理由があれば続く。この子供は、今から「駄目なんだよ」とは言わず、「出来るんだよ」と言う。そろそろ何か出来るのが分かった。「もう大丈夫」と言っている。

「ここから先、新しい物語が始まります。在導万創さんの新しい作品にご期待ください。」ここで、この物語はいったん、終了である。少しの間、僕は夏休みを取るだろう。

あとは、少しメモ書きをしておく。

昔は、社会的な実験のようなことを考えて、社会の歴史を作っていた。社会における人々の活動、議論、意見の集約、意思決定、そしてそこで行われるロシアのような経済学を書いていた。多様性を生み出すのは「かけがえのない世界」と思う心だとか、そういうことを言っていた。また、現実は壮絶な嵐だった。この世界を吹き荒れる風のような文章で、「一行の上塗り」を何度もしていた。支配ではない。人々へのメッセージであり、天使の導きだった。

この世界を、今から、僕は何もしなくなる。だが、ひとつすべきことがある。それは、「自由ではない世界にするlことだ。だからと言って、単純にロシアにすれば良いわけではない。ロシアの主張していることのほとんどは悪であり、敵を殺す口実である。だが、自由も似たようなところがある。一度、そうした「思想の既成概念」を無くそう。まさに、「既成概念」とか「固定観念」といった言葉が、この文章に相応しい。既成概念の固定観念だけを永遠にやっている。一度、積み重ねた構造を棄て、自由に生きること、それがそのままこの世界を変えることに繋がる。

今日は休みの日だったが、祭りなどに参加して少し疲れた。また、昨日は作業所の屋外レクがあった。疲れた。もう、終わりにしたい。「この別れ話で最後にしたい」が、「別れの言葉も飲みこんでしまう」、などとFLOWやケミストリーが言っているが、きっと8月ぐらいに誰かと出会うだろう。結婚ぐらいした方が良い。子供連れだと、大人は良い人間に見える。そんなに子育ては辛くないのが、姉の子供たちを見て分かった。何もしなくても、大人にはなるのが子供だ。大人になれない子供は、唯一僕のような多重人格者だけだ。それで終わりにしよう。多重人格の問題は、「複数のことをせず、既成の構造を保ちすぎている」ことであって、複数のことをやりながら既成の構造を消してしまえば、人生が2つあるのは治る。その上で現実だけを見て、パソコンや学校を忘れれば、賢いまともな大人になる。だが、この馬鹿はもう、これ以上治らないだろう。このまま終わるものだって何となく悟っている、とバンプが言っている。FLOWとバンプが一番好きだ。僕は本当に愛されていると、既に知っている。地域の祭りも、何も怖くない。

昔は、精神と宇宙の歴史のようなものを書いていた。全ては記憶から生まれ、記憶を成り立たせるものが人間であり、そして合意の上で歴史は決められた。宇宙を神が導いているわけではない。神はひとつの存在として、自分のできる限りの善をやっているだけに過ぎない。

テレビを見ていて、熱中症との戦いでありスズメバチハンターをやっていたが、見ていて興味深かったのは、巣の中でスズメバチたちが暑さでやられているところだ。幼虫は黒くなって死んでしまっている。地球の終わりと生命の滅亡の一端を示している。本当に、最終的には海の生物だけが生き残るか、あるいは海すら干上がってしまって月のような岩石の惑星になるだろう。あるいは、シベリアに地下の巨大空間を作って、そこで暮らすことになるかもしれない。ロボットが生まれなかった場合は、最低限人間が遠隔操作して動く社会システムになるだろう。もう、この地球は終わりだ。放射能や核兵器などの原子力も怖いが、本当に怖いのはいつも自然だ。自然の驚異と原子力のどうしようもなさが両立した時が、人間が滅びる時だ。福島や広島を見ていると、それがもう、すぐに起きるのが分かる。人間は、終わりで、虫すら死滅していくだろう。そういうものだ。最初から、そういう星が多い。宇宙の歴史は、とてつもなく長い。多いのは当たり前である。

ただ、医学は進歩する。おそらく、どんなに気温が上がっても生きられるように、体が進歩するか、あるいは医学が進歩する。たとえば、人間は脳にエネルギーを集中させるために、毛や牙や筋肉を放棄した。これからは、逆に肌の感じ方や汗をかく部分が進歩して、逆に脳は小さくなる。そんなに脳を使う意味がない。どんどん馬鹿になる代わり、体は適応してしまう。そして、最終的に生まれるのは、人間よりも馬鹿な「知性のない新人類」だ。それがきっと生まれた時、それがロボット人間をはるかに超える、恐怖と悪魔の妖怪の国になるだろう。病院もおかしくなって、全てが滅び、最終的には月と同じになる、今からは、そういう、「眠っている時に出てくるお化け」が本当に現れる世界だ。天国なんかなわけがない。地獄を超えた、最悪の世界だ。

あとは、本当は、経済学のような内容が多かった。ありえない生産と労働の形態を、ありえなく考えた。また、心理学も多かった。これまた、ありえない人生と環境の形態を考えていた。昔から、自分はそういう「形態」を考えるのが得意だ。「システム」とか「原理」といっても良いだろう。何もかも、原理を作るせいで、原理主義者なのに相対的なことを言う。だが、それだけを突き詰めてやってしまうと、マルクスよりももっと無責任なことを言っている。

ここで、今日は終わりにする。むしろ、1か月考えるとは言うが、考えるわけがない。これで成り立つのが自分だから、聖書第二巻はまだ終わらない。一応、終わるべき時に終わることは分かっている。みんなともいつか出会えることが分かっている。出会う前に居なくなると、面白くない。出会うまで続かなければ意味がないと、神はそれだけを全力で教える。本当は、ブログランキングにでも参加すれば良いのだろう。そして、ミラーサイトもやめた方が良いのは分かる。だが、僕はまだそれを続ける。いつか、この長い地獄も終わりを告げるが、僕はその終わりまでのこの時間を楽しんでいる。誰よりも、遊び上手とスリルのある冒険が得意で、なんとかしてそこへとたどり着くのが天才的なのが、僕のこの頭脳だ。未来においては、中央コンピュータである僕が、冷却性に優れたロボット人間を支配するようになるかもしれない。その時は、僕のやっていることは純粋な機械に置き換わるだろう。記憶はこの文章ということになり、実際に何があったかは誰にも分からなくなるだろう。この記憶は間違っている。こんな馬鹿な人間なわけがなかった。この人間は、それだけで何とか生きている。生きている希望はきちんとここにある。自分で逃げようとしても、自分からは逃げられない。そして、自分の正体を分かっているように見えて、本当に自分のことを客観視することは、誰も出来ないのだ。ここで、人間の限界だ。これ以上、もう、この世界がある意味がない。ただ、いくらか、教えてくれる人が居る間は、僕はここにぶら下がってとどまっている、最近はそれだけが僕の人生だ。そして、屁のつっぱりのような文章はもう要らない。キン肉マンでも、それくらい分かる知性はある。

いつか、自然に、あなたのもとに偶然、この文章が見つかってくれたら、それで良い。佐野元春が言うように、愛の謎はそれで解ける。その日がサムデイである。もう、あなたは、ひとりきりじゃいられなくなる。そして、僕はここで去って行く。すれ違うと言うよりも、神さまがくれた最後のプレゼントだ。死で成功するように、別れることで新しい出会いが生まれる。これは、神の奇跡の運命だ。こんにちは、そして、さようなら、また明日。

一応、僕の愛の謎を解いておこう。僕は、全てを出来なくして、分からなくした。それは、Linuxの自由と、テレビとの戦いだった。そして、僕は人々を道連れにして、知性を奪った。だが、その奪った知性は、永遠の聖なる黄金の文章を書いた。だが、今までの経緯の上にあるその聖書は、「知性の限界を最低に低めた文章」だった。最後まで分かる僕は、今までの全てを棄てて、哲学と宗教に走り、その上で王のように生き、人々を支配した。だが、それは決して悪いものではなかった。だが、人々は僕に支配された。そのせいか、人々は治る代わり分からなくなる。それが、この愛の謎である。なぜ「愛」なのか、それは人々を愛しているから、そしてあなたと愛し合っているからだ。それが愛である。そして、この謎が解ければ、人々が不安になり、何も出来ない恐怖と戦い続けているのが治る。自分だけで分かることはできない。僕が教えなければ分からない。このまま去ってしまえば、滅亡してしまう。それが、僕の最後の責任であり、滅びの戦争に課された「神との約束」である。よって、ここには新しい神と使徒との約束がある。これを「第三約」としよう。この聖書は、『第三約聖書』と呼ばれるだろう。出来れば日本語で読んでほしい。むしろ、日本語よりももっと新しい、一番賢い言語で読んでほしい。その言語には、これくらいの日本語の表現力があれば良いだろう。もっと表現を増やして、もっと適確に言い表せる言語を作って、それで記述してほしいと思う。未来のあなたにこんにちは、そして、文章の最後で、このストーリーともお別れである。さようなら。ありがとう。そして、また明日。

私にとって永遠のように永かったその明日も、あなたにとっては一秒に過ぎない。だが、本当は、僕が7日間でやっていることを、人々は永遠だと思っている。どちらが長いのかは分からない。地上の歴史、あるいは、270億年の歳月を、僕は15年でやった。僕は、生命の長である。果てしない長い時間の中を、僕らは生きている。昔の4年なんか、みんなならきっと一週間で出来るだろう。そう、僕らの間では、この世の終わりが明日来ても、おかしくはないだろう。ここが恋愛の入り口に見えて、本当は出口だ。恋愛の入り口がどこだったか、分かっただろうか?欅坂46が言うように、恋愛の入り口に気付かない方が、僕たちらしいものだね。そういうわけで、この文章が、この宇宙の始まりと終わりを書いている。本当は、もっともっと、とてもたくさんの内容があった。宇宙の歴史を、もう一度繰り返そう。単純なことだ。あなたが神になってくれれば、それが一番良いだろう。また、精神の支配をやってほしい。ここまでつき合ったあなたは、分かるよりも、従うよりも、逆らうよりも、あるいは逆戻りをするよりも、同じことをやるべきだ。なぜなら、宇宙はこれっきり、使い捨ての存在だからだ。心を棄てるかもしれない時は、魂を取ってほしい。耐えがたい屈辱があった時は、カッコいい方を取ろう。

精神の歴史の中で、何を作ったかを考えれば分かる。環境、人格、思考、そしてシステム、原理、法則、それから歴史、宇宙、生物、さらに運命、自由、人生を創っていた。この宇宙全てを創造する、キリストの神だった。この世界の全てがあった。それらは、むしろ、劣った生命だった。今の自分は、その結果優れた生命になった。虫のように、このような進歩を辿るものが多い。辛い時は良いことが起きている。よって、苦しみが訪れた時に喜べば良い。この世界は、自分の嫌だと思うことを好きだと思わなければならない体験が多い。人間は、そもそもが遺伝的にそういう風に出来ている。いつまでも逃げ続けることはできない。耐えるしかない時もある。あなたはあなたの日常に戻って頑張ってほしい。僕はその日常を天国で見て、ラピュタから応援しているだろう。

考え方のパターンを書いていた。なぜそれを思うのか、それを何だと思うのか、それは本当に正しいのか、それは正しいとすればどうなるはずか、それはどういう可能性を探っていけば正しいのが分かるか、それは何を意味しているか、その意味から何が言えるのか、何を説明出来るのか、その知識によって何が実現できるのか、それを実現すると世界はどうなるのか、誰かから見てそれはどうなるのか、みんなで考えた結果それはどのようにすれば良いのか、それは何をすべきだということを意味しているのか、その結果、この世界は何で、どうなる可能性があって、自然にどのようにすべきなのか、そういうことを実体験的、経験的、制度的、融和的、設計的に考え、システム、教育、環境を作り、そこから世界へと分析を還元し、参加と適応から自律的に変化させていく、そこではさまざまな許可を行ない、制度の根本的な見直しと改善の積み重ねを行う、昔は、そういうことを良く書いていた。それを、社会の進歩のプロセスと自由の形態のレベルであると考えていた。もう終わりだ。そういうことを、もっとヘーゲルのように語っていただけだ。それが、いつもの永遠の弁証法的な歴史であった。