昔は、自由で自然な発生が許されると考えていた。社会を自由にすることで、みんなは自然に色んなことを作ったり生み出したりすることができて、結果的に良いものが生まれる。だから、自由にしなければ、ものは生まれない。
だが、僕が思うに、マルクスが言ったように、最近の日本は供給過多になっていると思う。何もかもものがありすぎて、逆に賢いものが埋没してしまっている。
本当は、自由で良いものが生まれるわけではない。自由にしても、出来る人間が居ない。みんなを出来る人間に育て上げることで、むしろその方が良いものが生まれる。そのためには、自由はない方が良い。僕は、今から、そうした「育てる不自由」をやっていく。そうすることで、社会は正常な賢い社会になるだろう。そうした人間を、自由にしていけば良い。
ありえない発想を書いていた。とても現実的には実現出来そうもないような発想を、いかにも現実的に実現できるかのように書く。だが、騙しているわけではない。本当に、この世界を変えるような「新しい発想」を、単純なモデルを成り立たせることだけで、理論的に実現できるように文章にしていた。そういう文章のことを、自由ノルマとか、ライブラリ関数の下請け企業などと言っていた。馬鹿には見えるが、本人はそこまで、考えつくしたことを言っている。
また、宗教のようなことを言っていた。自分の体験のみから、人生の全ての具体的な「あるもの」のようなことを言う。そして、さまざまなありえないことを言っていた。良く覚えていない。違う言語の、違う言語の、そのまた違う言語で神は真実を教えるという。それは、全て自分の人生から分かった、「実体験」に基づく、自分なりの神の理解だった。