新・日記2に戻る | 2018年7月の日記に戻る

=2018-07-04=

自分は、寝ている間に寝返りを打たないのが悪い。そのせいで疲れが溜まっている。寝ている間に寝返りを打つようにすれば、すぐに疲れがとれる。

自分は、認識が死ぬのが辛い。認識を殺すのは、本当に目が死ぬせいで、辛い。そこを頑張って、認識を殺すようにすれば、すぐに楽になる。認識は虫になっている。認識の虫を殺すようにすれば、すぐに治る。

記憶と意志を殺して、認識を殺すようにすれば、すぐに治る。

昔は、三國連太郎みたいな人間だった。最近は、原節子みたいな人間になった。普通の人間だった。

昨日の夜は、本当に色んなことが分かった。全てを書くことは出来ない。だが、みんなにも同じことを分かってほしい。最後に色んなことが分かって、正常な精神になるだろう。

要は、昔は「未知を分かる人間」だった。今までは分からなかったことにして、新しく可能性を分かる人間だった。今は、「既に分かっている人間」になった。全て、もう既に分かっていて、「既に当然分かっているかのような振る舞い」をする。本当は、昔の方が普通だが、今が馬鹿なわけではない。今も今で、賢い。

昔は、ただネットを知りながらデカルトのように分かっただけで、機会と実証から、全てのことを検査して分かっていた。本当に、推論と疑うことから、全てを分かっていた。それはただ疑うわけではなく、経験から必然的に疑うようになった。そういう、「必然的な理性の段階と世界の広がり」を書いていた。

そして、信じること。自由自在に分かるようになるためには、一度全てのことを未知に戻す必要がある。信じれば道は開ける。治すためには、信じることが大切だ。

認識が虫になっているのを治すためには、知性をつけることだ。知性がないせいで、全てが虫になって同じになっている。良く考えると、知性をつければ治る。知性がないせいで、関連づけが全て虫になっているからだ。

昔は、本当に、「今までは分からなかった」ということを突き詰めて考える人間だった。最近はそれが、おかしな「既に分かっている対話」になった。なぜか、どちらも賢い。人間は、賢いと思っている点が馬鹿で、馬鹿だと思っている点が賢い人間が多い。昔は新発見から可能性を分かっていたが、最近は既に分かっていることから分からないことに気付くような人間になった。この二人の二重人格が、昔から自分だ。自分にしか出来ないのは、最近は本当におかしな人間が増えたからだ。おかしな何も分からない社会になっている。自分だけが一番賢かった。

場の在り方を考えていた。経験から、環境、場、存在、人生、社会などの在り方を考える。一種の「在り方論」のように、存在のことを考えていた。自分の豊富な体験から、この世界の全ての時と場所が分かっていた。

みんなの人生を包括するように生きていた。自分の経験から、全ての人間の人生のようなものを、「最も高く最も全てのある人生」のように生きた。芸術や社会など、「思想」が多かった。

行動し、経験し、可能性を考え、推測し、存在の在り方を考え、前提の全てを考えて、全てのことを実現できるほどの影響力の高みに立っていた。

もう、みんなは治らなくて良いし、死ななくて良い。頑張って生きた方が良い。自分は、今日、疲れる部分が死んで、頑張れるようになった。もう、地獄は終わった。ここからは頑張って生きる。何もせず治るよりも、努力して頑張って仕事をする。

最近、自分はとても楽になっている。特に、デザインの仕事が少しずつ出来るようになってきた。最近は作業所の先輩に仕事を教えてもらいながら、本当の仕事に少しずつ慣れている。言われたことは出来るようになったが、言われなくても自分で出来るかというと、まだ出来ない。色んな問題にぶつかった時に、自分で対処する能力や工夫する能力も、まだ少ない。だが、Illustratorの基本は本当に良く分かってきた。デザインレベルもまだまだ少ないが、褒められることも多い。頑張って先輩のように出来るようになりたいと思う。

あとは、社会の変化を考えていた。この世界がどのような世界に変わっていくのか、歴史や文明のようなことを考える。また、哲学的には「捉え方」を分かっていた。この世界を経験から捉えることで、全ての発想を自分ですることが出来た。そこから、自由な意志と考え方のモデルによって、多様性や創造性のような、この世界における「全ての理想」のようなことを分かっていた。メインには、そういうものを書いていた。

今日は今からピアノがある。盛りだくさんをやっているが、僕は少し、やっていることが多すぎるかもしれないと思う。ピアノはやめるかもしれない。まだまだ考え中だ。疲れているから無理なように見えて、本当は疲れているからこそストレス発散と気分転換のためにやっている。特に、何も頑張っていないから、ぶっつけ本番で全部出来ている。だが、もう、僕は一つのことを頑張る時期に来ている。それならば、デザインのことを頑張りたいと思う。デザイン業務の作業所に行ったことで、僕は今までの中でまともに出来たことはデザインしかないし、本当は昔からパソコンのWindowsのペイントで迷路を描くのが好きだった。Painterというコーレルのお絵かきソフトも使っていたことがある。絵も、描けないわけではない。僕のギャラリーには、適当に描いた絵しかないが、本当は時間をかけて丁寧に描けば、もっと綺麗な絵は描ける。プロとまではいかないが、Illustratorでやるならばそれぐらいで十分だ。いや、本当はそうでもない。理想ははるか遠くにあるが、もっと自信を持ちたいとも思う。だが、とりあえず今日はピアノだ。今度は、また作曲がしたい。僕は昔から演奏を中心にやっているのに、作曲家ばかりなりたかった。僕の夢は昔から作曲家で、その次がプログラマーで、その次が作家で、その次が科学者だった。

昔は、この世界のことを拒否していた。この世界の中で生きることを拒否した。だが、この世界の全ての負の側面を受け入れていた。抑圧や苦しみ、その背後にある願いのようなものを、全部吸収して、全部背負っていた。その上で、「誰も悪くはないが、責任はみんなにある」ということを信じて、救世主のように振る舞っていた。

最近、この世界は何もない世界になった。もう一度、この世界をどうにかする必要がある。必要なのは、「愛」を信じることだ。愛を信じなければ、何も生まれない。そして、この世界を新しい世界に作り変えよう。そこには、生まれ変わったみんなの姿があるはずだ。

ピアノは、今日は作曲をしたいと言って、コード進行を教わった。僕はまだ、コードについて何も覚えられていないが、練習して頑張ろうと思う。

そして、こんな文章はもう書きたくない。ピアノやデザインに時間を使いたい。だから、ここでとりあえず、完了ということにする。これで完成した。ようやく終わった。全て、書いてある。