新・日記2に戻る | 2018年6月の日記に戻る

=2018-06-28=

僕は、今からの社会は、働き方、特に人材派遣会社や派遣社員について考えていかないといけないと思う。このまま行けば、日本は派遣社員天国になって、滅びるだろう。社会は空洞化し、正社員は居なくなり、低賃金の万能の派遣社員が、コンピュータとインターネットを使って、ほとんどの会社で仕事をするようになる。だが、僕はそれは、必ずしも悪いことではないと思う。歴史的・文明的に言って、それは社会の正常な進歩だ。それぞれが辛い仕事をやるよりも、辛い仕事は一括して業者が請け負い、それに金を払ってみんなは楽をすれば良い。今までが、自給自足のサバイバル世界だったと思えば良い。だが、歴史はここでは終わらない。そこまでは、封建社会の完成だ。歴史から言って、そうした格差社会は、階級社会になる。階級が固定されて、自由民はみんな奴隷を使い、奴隷の親玉貴族が儲けるようになる。だが、それで歴史が終わりではない。身分社会が酷くなると、自由な革命が起きて、平等な憲法を裁定し、人々は民主主義社会になる。だが、そこまでの道は遠い。封建社会は1400年続く。フランス革命までの道のりは遠く、けわしい。いつでも、古代ギリシャの時代が良かったと言う。本当は、今が古代ローマの時代のIT社会だ。昔のパソコン普及期が古代ギリシャの時代だ。もう、何も残っていない。あとは何もせず、進歩しないパソコンを派遣社員が使う、それだけが今からの人類だ。

昔は、そういう、マルクスのようだけれども、独自の自由な文明論のようなことを良く書いていた。

目は、脳を十分に休息させると良くなる。サプリメントを摂ったりするよりも、脳を休息させてやることが、目の健康に重要だ。

環境がどのように生み出されるのかから、心の作用を捉えて分かっていた。

必要なのは、苦しみから逃れることでも、悪びれて開き直ることでもない。乗り越えることだ。苦しみを乗り越えた先に、楽な休息がある。

自分は、頑張って休もうとするせいで、休むのと頑張るのが同じになっている。結果、休むことが出来なくなって、疲労が溜まる。もっと、楽に休めば良い。頑張らずに休むようにすれば、血の疲れは癒されるだろう。

それから、パニックにならない方が良い。パニックになって、混乱して脳が暴れまわるのが辛い。もっと、停止していれば良い。停止するだけで、すぐに楽になる。だから、こういう人間は、何もしないのが悪いように見えて、本当に何もしない方が良い。それなら、死なないからだ。

昔は、どんな環境が生み出されるか、どんな心になってどんな社会になるか、きちんと知って考えていた。実験と実証から分かっていた。頭の冴えた人間だったが、いつも馬鹿なことを信じていた。そもそも、一人だけでOSが作れるわけがない。それでも、僕はOSを作ることに拘っていた。難しいのが全く分かっていない、普通の少年だった。自分の強く生きた世界だけで、全ての苦しみと解決方法を知って、ブッダのように分かっていた。

昔、「自由に作る」とか「自由な可能性」と言っていたのは、「それをみんなで作る」とか、「許された環境で、自由に意志決定を選ぶ」ということを言っている。昔は、そういう風に、「自由」という言葉を言うだけで分かっていた。この世界の全て、人生の全て、真実の全てを、「自由」という言葉のレベルで分かっていた。そういう人間だった。そして、ただ言葉を言うだけではなく、具体的な内容があった。何をどうすればどんな社会環境になるか、論理的に意味を考えることで分かったことを、全て成立させることで、文章を書いていた。昔は、「世界観を潰す」と言っていた。

男が楽で、女が辛いのは、ペニスがあるからだ。女が美しいのは、何かが欠けている方が美しいからだが、ペニスが欠けていると、中心部分でとどまるものが無くなって、女は色んな場所を動きまわるようになる。最近の自分は、そういう女になっているから、女に見えるだけで、昔はそうでもなかった。男が楽なのは、常にペニスという「集中個所」に集中してとどまっているからであって、そんなに男が賢いわけではない。男には、辛いものも、怖いものも、出来ないこともない。逆に、女は頑張ってみんなのことを育てている。女は間違わないし、失敗もしない。本当は、プログラマになりたいのであれば、女の方が向いている。逆に、哲学者になりたいのであれば、男であった方が良い。

ある意味、僕はそれで男に戻ることが出来る。男になると、何もしない時間がいくらでもあっても、楽に一点を見つめていられるようになる。女は、何もしない時間があると、どこへ集中して良いのかが分からなくなって、辛く、苦しい行動をするようになる。思考も、馬鹿な感情的な思考で溢れるようになる。男は何もしないし、何も分からないが、一点に集中して考えることが出来る。

ただ、僕は自分が男なのか女なのか、良く分からない。僕が存在していることで、LGBTが増えた。同性愛者は、最近女にも居る。女が好きな女が多いのは、ネットを見ていると良く分かる。だが、本当は僕は男で、男の僕はあまり良い人間ではなかった。偽善者ではないのだが、正直者でもない。天使と言えば聞こえは良いが、天使は悪魔だ。そういう人間だから、天国と地獄をやった。ブッダは中道が良いと言っているが、それは僕のことを指している。過度な楽も、過度な苦しみも、不幸しか生まない。幸福になるためには、中道であるべきだ。極端な楽や苦しみは、無い方が良い。適度に楽で、バランスを取って真ん中を生きなければ、人間は分からなくなって、自然に地獄に堕ちる。ただ眠ることが多いだけで、破滅への道を歩むとブッダは言っている。ブッダはいつも、僕を批判してばかりだ。

昔は、科学や自然や生命に対して、先入観のない「実像を見る」という発想が多かった。たとえば、鳥が鳴いているのは何を言っているのだろうかとか、草木は何を考えているのだろうとか、月が照らすように生物は生きているとか、太陽光は全ての生物を生かしているのだとか、そういうことを実感で分かっていた。ある意味、宗教や哲学のようなその理性は、帰納的推論から、経験を考え、人々の経験と体験の理由を全て解明し、説明する。そのために、言語や知性のモデルを作っていた。この世界は、それぞれが違うこと、それぞれが環境に生きていることから、歴史を含めて「実像的に理解出来る」としていた。世界は違うようでいて同じであり、江戸時代の人間も同じように月や夜空を見て生きている。そういう風に分かっていた。

また、教育については、「もっとそれぞれの個人が自分で決めて、自由に行動して分かるべきだ」としていた。それぞれの学生を自由にして、それぞれの責任で色んなことを出来るようにする。その先に未来はあると考えていた。自由こそ、子供たちを救うと考えていた。自分の意志で決められなければ、行動には意味がないのだ。