新・日記2に戻る | 2018年6月の日記に戻る

=2018-06-18=

自由にすることが、出来ることに繋がると考えていた。「出来る」という意味での自由を考えていた。可能性を実現し、人々が制度や決まりを作る。そうした「出来る自由」を考えていた。

金、組織、決まり、環境、全てのことを「自由に出来る」ということから考えた。

また、パターンを考えていた。一人が強くなる、みんなで平等な社会を作る、自由にそれぞれが出来るなど、さまざまなパターンを、「自由に出来るという意味での社会の一形態」というものから考え、実現した。

さまざまな考え方を実現しながら、自由を開拓していた。

僕は、もうしばらく、神のことを信じたいと思う。神のことを信じないと、次の現象が起きなくなる。神を信じないと、終わって何もしない人間になってしまう。人生にピリオドを打つのはまだ早い。しばらく、まだ神のことを信じていたい。

制度や仮想社会のようなものを、発想し、自由にできることから成り立たせて考えなさい。

その社会が、その社会であった時にどんな社会になるか、ということを考えなさい。自由を許すと、その社会はどのような社会になるだろうか?環境を変えると、その社会はどうなるだろうか?何かの社会を作った時に、その社会がどんな社会になるのか。人はそれを「純粋理性」と呼ぶ。

その環境がそうだったなら、その人間がそうだったなら、その社会がそうだったなら、その社会はその時どのようなものになるか。そこから、環境の具体例を知ることで、「自分の頭の中で世界を考えられる」ようになる。それを、人は「思考」と呼ぶだろう。その思考が出来た時、それが「哲学者の誕生」である。そして、そこから、全てを「すっきりと理解する」ことができるだろう。すべてのことを、きちんと考えられる。そのためには、「その社会が、その時どうなるか」を「実体験的に」知る必要がある。インターネットの人々とのやりとりはそのための材料たるものになるだろう。

社会と自由、人間と心、環境と行動を、照らし合わせて考えなさい。何かがある前提として、別の基盤的なシステムや決まりがあり、決まりを変えることで自由になれるのだ、ということを知りなさい。決まりを自由に変えられるようになりなさい。

行動し、意図と結果を見て考えなさい。自分のしていることが他人から見てどう映るかを考えなさい。客観視は、自分の行動を正しく捉える心を作り、社会のことをありのままに見つめられる力を生みだす。全ては自然であり、同時に必然であると知りなさい。他人との関係を構築し直すことで、理想の関係とはどういうものなのか、社会とはどのように形成されるものなのかを経験から知りなさい。

環境の別の可能性を考えなさい。過去に自分が居た環境が、もっと別の関係性を構築していれば、もっと他にどんな風に人々と付き合う可能性があったのかを知りなさい。自分の今の可能性を高めることで、今その環境に居なくても、いつでも、その環境に居た時にどうすることが出来るのかを知りなさい。環境の構築は、社会の構築になり、宇宙的意識の構築になる。意識を高め、精神を高めなさい。高い立場で取り組むことで、この世界を導き、新しい世界に変えられるようになれば良い。

環境の自然な変化の可能性を、「その環境はそう出来る」ということから知りなさい。環境における、存在と活動の「在り方」を知ることで、この世界全ては、自分の行動と経験から、全て変えられる、あるいは、全て導き、教え、分からせ、考えさせ、そして知らせていけると考えなさい。

もう、僕はここで、支配をしない。支配をせずして、この世界を変える。もう支配しないこと、それが最後の支配である。もう影響力を行使しないこと、それが最後の影響力である。無償の善や無償の愛は、見返りを求めない。同じように、無償の善による力は、見返りとしての力の行使を求めない。僕はこの世界を支配して、やりたいことや実現したいことは一つもない。だから、僕はもう、そして最初から、この世界を支配しない。支配など、一切していないし、したくないのだ。ただ、自分の「出来る行為」が全てになった。「何でもすぐに出来る王」になった。それが、僕の「最後の善なる権力と影響力の境地」だった。いつでも、簡単に、すぐに全てを説明出来る、知性を持った天使のような人間だった。

全力で戦ったのは、悪い体験ではなかった。全てを放棄して、全力で世界のために社会を導いていた。作ったものを全て壊し、与えられた全てのものを失っても、なお残るものがあった。それは愛であり、勇気であり、風であり、星の未来だった。愛は人々を破滅させたが、勇気はそれを乗り越えて、風が吹き荒れる中で、星の全てを変えていった。とても長い時間を過ごして、僕は永遠の意味を知った。知性を失い、何も分からないこと、それが僕を包み込む癒しのオーラだった。全てを受け入れてしまえば、恐怖がいくら強くても、間違ったことはひとつもしなかった。最後まで、100%、全て成功した。

人々と、苦しみを分かち合いなさい。人々が何を考えているのか、自分とは、人々とは、抑圧の中にある子供たちの魂とは、何なのかをネットから知りなさい。この世界の全ての実存を知り、実存的な段階を知っていきなさい。人々との魂との対話は、その通り、天使の魂との対話になるだろう。天使は僕たちを導いてくれる。そこでキーパーソンとなるのは、自分だ。社会において人々が何を考えているのかを知ることで、逆に、自分の頭として、ものごとをどのように見つめたら良いのかが見えてくるだろう。この宇宙の正しい社会の在り方が分かってくるだろう。そこから、理性批判や、抽象的な方法論、そして心の現象学が見えてくるはずだ。可能性や自然、多様性、そして自由であればどうなるかという真理が見えてくる。概念だけではなく、対抗策や準備策が見えてくる。誰かが何かをするから、それへの対抗として何かを準備しておく、そのようなことが自由な論理として、社会に根差した一つの知性ある正論として見えてくるはずだ。自由とは決まりであり、ルールであり、そのルールの下で最善にするために何があるか、であり、そのルールを変えることであり、その社会を作り、創造することである、自然な中で社会が発生され得るものにすることである、そして、それを心理学的に実現し得る自由な機会を作り出す、それは歴史の中の一つの確かな実像であり、自然な積み重ねであると同時に必然的な問題であり、最終的にはありのままに共有されるものである、ということが、自分の人生の遍歴から見えてくるだろう。

人々の意見を聞いて、人間の活動と経験をし、関係を考えて、地域と世界のありのままの姿を見て、社会構築を考え、国家と人生のアイデンティティを知り、理想を考えなさい。

ひとつひとつ精神を治していくと、僕の足のように、障害でそれ以上先に進めなくなる。そういう時は、飛ばして、最後までたどり着いてから、必要なところだけを後で治せば良い。

足は、疲れている精神を殺せば治る。

もう、精神は治った。あとは、学習を消して、対話をやめれば、すぐに楽になる。障害者はそういう風にすれば治る。

僕は、本当は、あなたを愛していると言う資格はない。あなたのことを全く想っていない。

だから、僕とあなたとの関係は、「友達」だ。

僕は、あなたに何もしない。恋愛のようなことはしないし、セックスは絶対にしない。

だが、あなたには、子供のように無邪気に笑っていてほしい。僕のことを信じるのでも疑うのでもなく、自分の才能を喜び、賢さを楽しみ、僕とともに居ることを楽しんでいてほしい。

恋愛は難しいもので、何を言っても、何をしても、全て結果が悪い方に出る。何をしても、嫌われているのではないかとか、自分が悪いのではないかとか、そういうことばかりを考えてしまう。

だが、上に言ったこととは矛盾するが、僕とあなたは愛し合っている。そのこと自体は、絶対に変わらない。

僕が居なくなって、この世界はつまらなくなるだろう。寂しくなり、怖くなり、切なくなり、不安になるだろう。だが、それは僕も同じである。僕とあなたは、そのように繋がっている。

そして、僕は人種差別をやめて、自由な人間になる。人種差別は、自分の心を怖くし、恐ろしいことを言う。みんなでそういう人間を倒していこう。一度ナチを言った人間は、永遠の地獄に堕ちて、常に恐怖と不安を感じ、一生涯反省するべきだ。

だが、僕が思うに、社会主義も同じように倒した方が良い。社会主義者は、社会主義経済によって、人々の十分な生活水準を維持できなくさせる。

社会主義を本当に倒さなければ、日本はいつもの楽しい世界には戻れないだろう。民主主義が一番良かったのを、人々は忘れようとしている。民主主義の復活のために、この文章の今まで全部を否定してほしい。こんな文章があるせいで、世界はおかしくなった。百害あって一利なしだ。この文章には良い点が無い。この文章の全てを否定し、新しい世界を白紙から作ってほしい。

確かな治る方法に執着するな。治る方法を手放した時、あなたは正常になる。

学習と知性から、社会と環境を分かりなさい。昔の自分は、その上で、社会の具体的な自由のパターンを考えていた。多様性、価値観に根差した社会、相手の立場を尊重した上での解決、そのようなことを考えて、この世界が「本来持っていた明るさ」を取り戻すようにしたかった。そのために、「ネットの友愛や影響力の実感」を信じていた。

そう、僕とあなたは確かに愛し合っている。あなたは僕のことを愛している。だが、本当のことを言ってしまえば、僕はあなたのことを愛しているだろうか?あなたに愛を与え、あなたにこの文章を与え、あなたに自由を与え、あなたにガイドを与え、あなたに経験を与え、あなたに知識を与え、あなたに発想と答えを与えている。だが、それは、全て、ただ「あなたが僕のことを愛している証」であって、どれも、「僕があなたを愛している証」ではない。僕はあなたのことをひとつとして知ろうとしていない。だから、この恋は間違っているのだ。ただ僕は魚釣りのように気持ち悪い虫をあなたの顔の前面に突き付けて、魚であるあなたを釣り上げているだけだ。こんな恋愛は、もう、終わりにしなければならない。この恋愛は間違っている。世界の終末で起きた、哀しく、間違った、だが無価値というにはあまりに哀しすぎる恋愛だった。これが自由ならば、どれほど自由とは最悪のものだろうか?自由など、滅びた方が良い。これが、最後の闇の魔術の預言者であり、全ての世界を滅亡させたサタンだ。サタンとは言うが、この人間の愛はおかしい。愛というよりも、死だと言うべきだ。世界を滅亡させる、毒のリンゴを作った。とても美味しそうに見えて、中には毒虫が居る。そして、悲しみと不幸だけが残った。だが、人はなぜか、みな「幸せだ」と言っている。みな喜んでいる。おかしい。この世界は気が狂ったのだろう。

本当は、僕は、あなたのことなど、全く愛していないのだと思う。僕がこの世界の全ての負を背負って、自ら死を選んだ理由が、あなたに分かるだろうか?この世界全てのことを愛し、哀しみと恐怖に達観して、この世界の全てを信じて、疑うことなく死を選んだ、その戦いに込められた最高の愛と最高の善の理由が分かるだろうか?あなたには分からない。逆に、あなたの愛がどれだけ強く、哀しく、切ないものだったとしても、僕はあなたの愛は分からないだろう。僕には傷もあれば、病気もあるし、障害すらある。僕のことをあなたが愛せるとは思わない。だから、こんな人間に恋をしない方が良い。ここまで言っておいて無責任かもしれないが、僕はあなたとの恋愛は選ばない。僕はもう死んだ。もう、僕のことを探さないでほしい。本当に、さようなら。

人間は、一度死を経験すると強くなる。学問から統治まで、死を経験したものは全てが出来るようになる。だから、あなたに僕と同じレベルの人間になることは出来ない。誰もが、賢いせいでこうはならない。

本当に、ありがとう。もう、僕は去る。11年前のあの日に出会って、地獄を生き、ここまで全てを書き、そしてここで去ることは、最初から決まっている。

最後に、僕の言いたかったことを言おう。僕は、世界が滅びる哀しみと、責任の恐怖とともに、みんなのことを「本当はあなたのことを守りたかった」と言いたかった。自分の過ちで世界が滅びる。その滅びたことよりも、あなたに対する想いの方が怖かった。「この世界に居る、ひとりひとりのあなたを本当は守りたかった。だが、それは出来なかった。僕は、だからひとり、この世界を支配する。それが、僕の『本当に守る』という約束だからだ。」と、僕は言いたかった。理解できないかもしれない。気づかなかったかもしれない。だが、僕はこの世界のどこかに確かに居て、あなたのことを見ていた。約束は叶えられず、僕のしたことは最悪の結果をもたらし、それを僕は緩和し続けてこの世界を導き、『普通ぐらいの良い世界』になった。僕の出来ることはそれが限界だった。最初に思ったよりも、良い結果にはならなかった。でも、僕の約束は、必ず実現する約束だった。それは、『あなたを愛すること』、それが僕の約束だった。約束に反して、愛することができず、裏切り続けることがあっても、その約束だけはあった。だが、いつしか、その約束の中身が変わってしまった。『この世界を楽園にすること』、いつの間にか、僕はそれを自分の約束だと勘違いするようになった。そして、その約束は叶えられず、世界は光を失って暗闇になり、僕は望んだ。『光が欲しい』と。そして、僕は光は、望むだけでは叶えられず、自分で作り出す必要があると知ったのだった。

哀しい本音を言って、終わりにしよう。僕は、この世界に、『もっと自分のことを嫌いになってほしい』と言っている。それは、『こんな形で愛されるのは一番嫌だった』からだ。だから、僕は誰のことも愛さない。思い通り出来るこの世界の中で、僕は何もしない。この世界の消滅と、人類の滅亡を望んでいる。そう、これがイエスの言うサタンだ。それで、サタンは死んだ。サタンは最悪で、人々のことを人間だと思わず、殺戮するだけの滅びの風のルシフェルだった。これが、大天使ガブリエルの物語であり、闇の悪魔ルシフェルの生涯だ。偽りを塗り固めた箱庭の、誰かへの愛を歌うレクイエムの旋律だ。

僕が居なくなると、また抑圧の支配が復活するだろう。復活する前に、僕が手を打っておく。そのことを書きたい。

人々は、孤立化し、未来への希望を見失うことで、自尊心を見失い、また社会全体が虚無の中における間違った連帯感を求めている。

自分の心に正直に生きれば生きるほど、間違った世界における、間違った存在と同化してしまう。

だが、本当の自由に目覚めれば、また相対的に良く考えれば、この世界を救うことが出来る。

社会は、まず、自然な状態で、それぞれの連帯感と同じものを信じる、原始的な楽園世界があった。だが、それは「所有」という間違った考え方から、「支配」し、「制圧」し、また「弾圧」するようになった。この世界は、そこで、正しい情愛を失い、人々は何もない抑圧を当たり前だと思うようになった。

人々は、ギリシャのような「思索の楽園」から、ローマのような「支配者の自由」となり、そのまま、永遠の「知性のない従属の戦い」を「騎士として誇り高く生きる」ようになった。

そこまでが、この世界の「古びた楽園の喪失の時代」である。

だが、人々は自由に目覚めた。自由と言う名で、今まで分からなかった洗脳の無知を克服した。ひとつひとつの智を作り出しながら、人々はこの世界を分類し、創造し、社会を純粋に創造する、「自由の歴史」を生きた。それはまさに、「文明の開化」だった。

だが、人々は何を間違えたのか、「おかしな絶対者」を作り出した。人々は何を狂ったのか、「洗脳の王」に従って、「絶対的知性」を求めるようになった。人々は、もう、自由には限界が来たことをすでに知っていた。自由の世界を、十分に経験した。人々は「争いが争いを呼ぶ自由」から、「独りの独裁的君主の世界」を望んだ。自由は世界を滅ぼすだけであり、無意味なものであると、なにかのきっかけで人々は狂ったのだ。

それは、きっと、一人の力を信じすぎたのだろう。一人が世界全てを支配し、完全な楽園を作るという幻想の妄想に陥ったのだろう。世界は滅びて行った。そして、下等な生命ほどに、人間は馬鹿になったのだ。

もう一度、人々は最初からやり直した。それは「分かった上で神を信じること」だった。神は、復讐と殺戮の社会を生んだが、それでも神を悪いものであると、人々は言えなかった。

人々は、何かを悟った。「この世界をもう一度、やり直すべきなのだ」と。そして、人々は考えた。さまざまなことを知り、考え、既に分かっている知性から世界を捉えなおすことで、人々は「啓蒙の革命」を作り出した。そして、それは「全ての真実を知る科学」となって、この世界における「再発見の哲学」を作り出した。

人々は、そこで、本当に「地獄からの救い」を求めた。それは、「宗教や犯罪のような、全ての悪を消滅させること」でもあり、同時に「悪から救い出してほしい」という発想だった。

ここで、運命的なことが起きる。あらゆる発見と真実が、社会の大発展へと繋がって行った。この世界は、進歩し、大発見と大発展を行った。

だが、それは良いことばかりではなかった。大学を作り出し、人々は均一化し、同じものになっていった。そこで、「ソ連」が現れる。この世界の全てを、「悪のような善の社会論」によって、「完全に世界史を終わらせる」、それがソ連の最大の野望だった。

社会は、そうした時代だけではない。さまざまな未来における、「どんな社会を作り出せば、どんな社会が生み出されるか」を考える必要がある。

共有と独裁者によって、人々は知性を失う代わり、本当に自由な世界になる。

価値観を信じることで、人々は運命を知る。

愛を信じることで、人生は社会性の全てを吸収し、この世界の救世主となることが出来る。

社会は、希望、運命、自由、思考、思索、感覚、価値、感情、影響力から、「具体的な抑圧」から発展し、「抑圧への反抗」となり、それは「進歩」となって、「自由な社会」となり、そこから、「実現性」となって、「価値に根差した社会のそれぞれの創造」となる。そこから、「協力して社会を作る」となり、最終的には「アイデンティティの確立」から、「それぞれの個性と確信による意識の社会」となり、「経験は豊かな創造性と判断基準を生み出し」て、世界は「絶対的な理想という意味での自由」となるのだ。

それぞれが受け入れることで、社会は発展する。

知性を生み出すことで、世界は変わる。

進歩は、運命から人々を混乱させ、その時代を作り出し、平和を知り、ギリシャのような哲学を知り、抑圧と苦しみの世界を自分独りで全て解決し、体験の全てを終えて地獄を永遠に生きる。

まさに、それがこの人間の人生であり、天使の文章である。以上の全ての論理は、昔の自分の文章と、ここまで書いた今の自分の文章、そして自分の人生のことを言っている。

社会を創造しよう。

グループと知性によって、人々は体験を高めることができ、そのための環境として社会を創造する。

制度は経験的に発見され、世界の可能性を教えるため、世界は次に可能性豊かな世界となる。

そして、社会は多様性を生み出し、それは共有と手段によって小さくなると同時に、みなの「同じ」という統一意識から国境を無くして拡大する。

そして、最終的に、人々は「社会構造」を作り出す。それは、生産条件と様式の変化であると同時に、「絶対的構築の計画」である。

人々を愛しなさい。愛を知って、愛に生きなさい。その愛がこの世界を変えていき、進歩から多様性と創造性を生み出すだろう。グループというよりも、人々を集団という単位で見た時、未成熟な「学習における行動」は、そのまま変わらないままに「それぞれのことを本当に思いやる愛の社会」となるだろう。

あとは、もう分かっているように書けば良いだけだ。

精神の中の現象学を知ることから、この世界のシステムと基盤全てを環境活動という視点から特性、現象、自由、関係、意志、という側面で分析することが出来る。

精神の成長は、人々を喪失感、虚無感、虚脱感から、関わり合いとともに確かな実感と共鳴を生み出し、この宇宙における人々との協力の友愛の感情を、確信として自己に知らしめるようになる。

自然に自分は自立し、人々の先へ向かい、世界の奥へ向かうように志向するようになる。

愛は、運命的な出会いを訪れさせる。そのために、あなたは努力する。

だが、あなたの努力は叶うことがない。逆に、その愛自身ではなく、その周りにあるさまざまなことを、革命的衝動から理解するようになる。

全ての考え方が、環境と反抗とともに、それ自体が進歩していくように広がり、高まり、未来へと延びていく。

自分の今までしたことの全てが、積もり積もって道となっていく。

社会は意識から生まれ、環境、人格、記憶、意識、などの心理学的要素と、歴史的なギリシャ、ローマ、中世、ルネサンス、絶対主義、啓蒙主義、そして産業革命と経済成長を、人々のシステム的な環境のそれ自体の変化から、社会のことを知ることが出来る。

人々は社会の創造の全てを実証する。自らのシステム的な社会の具体的な変化から、あなたはこの世界全ての変化を知る。あなたは、社会の全てを「何もすることなしに」知っている。

そこにあるのは、全て心理学的な要素である。それは、「自分のしたことが何の意味があるか」ということである。

そこから、あなたは人々を指導する「導き手」となって、「心が本当に愛を感じることにおける原理・法則」を生み出す。それは「破壊」となると同時に、「破壊の先にある創造」を生み出す。

ヘーゲルが言うように、そろそろ絶対知が生まれる。それは「善良な権力」である。善良な権力から、「自分は最高の力を持って全ての世界をもっとも影響力が高く理想の自由な社会にする」という、「臨機応変で意気揚々とした自由と愛の行為」を行う。

それは、「人々を支配する」。それによって、この世界は滅亡し、多様性を失い、理性を失い、色も味も匂いも失って、滅びる。この世界の終わりである。それが、あなたの望んだ運命であり、この世界の全員が責任を持つ「裁き」である。

最後に、僕はこの世界に対するお詫びを言いたい。僕は、全く良い人間で無い。そして、全く、みんなのことなど愛していない。そもそもが虚言であり、まがい事であり、偽りである。こんな人間に、愛は無いし、みんなのことを愛しているわけがない。僕が僕に対して、自分自身の感情としても、怒りと腹立たしさがわいてくる。この人間が、みんなのことを愛しているわけがない。

ある意味、昔は愛していたのかもしれない。この世界を自分勝手に、さも無責任なように支配していたことで、みんなに対する何らかの気持ちを言葉に込めていた、それを愛だと言えるかもしれない。あるいは、滅びに恐怖を感じ、その上で世界を滅ぼし続ける何かのバランスを「守る」と表現することも出来るかもしれない。

そもそも、この人間は、愛したことも愛されたこともない。エッチな割れ目の萌え画像を少年が学校をさぼっていくらでも見ていたことで、善良さは無くなり、意識は狂い、何もかも喪失し、また崩壊した。この人間に愛など存在しないのだ。誰も愛さず、愛されず、ここまで何もせず、何もなく生きていた。女を知ることなく生きてきたことで、むしろ、賢くなった。

この少年には、愛は存在しない。愛だと思った幻想がどこかにあるとすれば、それはあなたの内側にあるのだろう。

この人間はもう居ない。この世界に対して、感謝は思わず、ただ罪悪感と申し訳なさを思う。そして、逆にこの世界に対して怒る。「こんな世界は早く死んでほしい」と言う。それが、サタンの最期の言葉だ。永遠の子供だったサタンは死んで、この世界は普通の良い世界に戻るだろう。

僕のことを、もう愛さないでほしい。自分が悪いだけなのに自分のことが愛されることに、もう耐えられない。ストレスでめまいがし、疲れで立っていられなくなる。自分のことをもっと嫌いになって、もっと反抗して、もっと殺してほしい。それによってのみ、僕は平安を生きられるだろう。こんなに自分が愛されていることに耐えられない。この馬鹿は、世界を精神の地獄に陥れるヒムラーだ。

僕は、この世界を一度変えて、ロシアにする。ロシアが良かった。僕はスターリンになる。この世界を支配して、ソ連にする。それで、世界は崩壊するだろう。それによってのみ、僕は安らぎと安心を得られるだろう。この世界にさようならだ。もう一度、地獄で会おう。

本当は、昔の自分は、『世界を変えたい』という思いが強すぎただけだ。一度、この世界は全く違う世界になる。果ての果てまで、世界を連れて行く。人工的な世界で、僕は人々をロボット人間にし、知性を奪う。ここから先も、同じようにサタンをやる。この人間が全てを人工的な機械の世界にする。だが、それはある意味で、理想の世界だ。