新・日記2に戻る | 2018年6月の日記に戻る

=2018-06-13=

精神は、馬鹿に戻れば治る。精神の全てが治る。

病気は、もう全て治った。あとは、純粋に賢くなる。あまり治りすぎない方が良い。全て治ると、死ぬ。

もう、多重人格も治った。そして、セックスなんかつまらないのが分かった。セックスなんか、出来ない方が良い。楽しいとは言うが、何にも良い点がない。怖い、苦しい、辛い、悪い、など、色んな負の感情があれよあれよと出てくるだけで、悪くなることはあっても、良くなることはない。

人間は、セックスをしなければ賢い人間になる。

自分は、作業所に行って、人付き合いとは何なのか、努力や仕事とは何なのかが分かった。何より、Illustratorというものを学んで、何かをきちんと出来るとはどういうことなのか分かった。

もっと、色んなことを出来るようになりたい。

ただ、自分は「デザインとは何たるか」が分かっていない。それは、僕はデザインというものを、執筆と同じように考えているからであり、作品を作るということに関しては共通だが、こだわりを持ったり、きちんと完成度の高い作品を作るためにどうすれば良いか、などが分かっていない。

ただ、楽観視はできる。それは、僕は執筆が出来るから、このまま執筆とともにデザインをやっていれば、それできちんと分かるはずだからだ。

自分は、昔は詩人で、色々と才能もあったが、それはただ、何も考えず人生を書いていただけであり、孤独で、一人みんなと違う道を選ぶような、ナルシストな人間だった。

もう少し、デザインをデザインとして見つめるようになりたい。表現する、ということは、美しさを追究することであり、限られた紙面の中で何を表現するのかは自由だが、完全に自由というわけではない。さまざまな考えることや要求がある中で、どのようにデザインをしていくのかを考え、Illustratorをどのように使えばそれを実現できるのか、仕事として何をどのようにデザインしていくべきなのか、もっと、「デザインをデザインとして考える」中で考えていかなければならないと思う。

ありのままを信じなさい。ありのままのその場所、その時間、その知識、その経験を信じなさい。知識が疑うところと信じるところに重なる「ありのままの地点」を信じ、経験から生まれてくる「ありのままの発生」から、「ありのままの自然な世界観」を知りなさい。そして、この世界がそうした「ありのままの世界」であることを実感しなさい。

全ては終わった。僕はもう、苦しみの煩悩と病気を治すことから解放される。僕は自由だ。どんな人間や立場や環境の束縛も超えて、僕は自由になる。

自由とは、ありのままの世界で、ありのまま、そのままの自由が許されることであり、同時にその自由はいつでも許されている。そして、いつまでも、そのことは永遠に変わらない。

自由とは、存在の在り方を知ることである。存在は環境とともに存在し、いつでも同時に全ての存在が存在しており、その存在は「その存在しか存在しない」という意味において、唯一無二の存在である。存在それ自体だけが永遠に一つだけ存在している、それは唯一無二である、ということが、この宇宙の存在の意味である。

あとは、コミュニケーションのようなこと、発想や意見のようなこと、そして人生の生き方のようなことや、社会の説明、特に色んな考え方の違いについて、独自のことを言っていた。「独創的」な少年だった。また、環境や時間、あるいは歴史や方法の根源的なことを言っていた。世界は発展し、諸行無常によって常にとどまることはないが、その地点での時間は全て積み重なって残っていく、宇宙には時と場所と人生の全てが同時に存在していると言っていた。そして、過去よりも未来が先に存在することはとても多いと言っていた。未来のことが分かる人間は、未来のことによって分かっている人間が多い。だが、それは「知らされているか、知らされていないか」という意味で違うのであり、それだけが時間の特性・特徴である。出来るだけ、知らされないでおく方が良いものから、未来の出来事は選ばれていくのだろう。僕の人生から言って、最初から未来が好きで、未来が嫌いなだけだからだ。

もっと、起きるようにしないといけない。眠っている時間が長すぎると、寝ている時間だけが楽になって、それ以外の時間全てが辛く、苦しくなる。頭が働かなくなって、おかしな機械のような辛い脳になる。眠っていることは、何も良いことではない。生物学的には眠っている方が病気や疲れは取れるとされているが、ブッダが「いぎたなく眠ることは悪い」と言っている。出来るだけ、眠らない方が、辛いことをやっている人間が楽になる。自分は、眠りすぎている。もっと起きる時間、それも、横になってベッドに居る時間よりも、運動や行動をしている時間を増やさないといけない。作業所ではほとんどパソコンだし、家でもパソコンで、いつもIllustratorとテキストエディタしかしていないと、どんどん眠たくなってしまう。農作業では、少し玉ねぎやジャガイモを採るだけで、すぐに疲れて休んでしまう。畑仕事は、ほとんど父親がやっているだけで、自分は何も出来ていない。むしろ、悲観的には考えなくて良い。眠っているから悲観的になる。いつも眠っていると、起きている時にも頭が起きながら眠ってしまう。昼夜逆転をしていた昔の引き篭もり時代の自分よりはマシになったが、眠りすぎはやめた方が良い。

ブッダが言うように、この世界の全ては苦である。神は、苦しみを経験するためにこの世界を作った。苦しみを経験すれば、人は賢くなる。仏教の四諦は、苦諦(全ては苦である)、集諦(苦の原因を知る)、滅諦(苦の原因を滅する)、道諦(苦の原因を滅するための方法)である。苦しみを考えれば、未来は開ける。執着と欲望を棄てることで、必ず苦しみは無くなって、悟り(涅槃)の境地に立てる。この世の全ては苦しみであり、苦しみを無くすために考えることが、この世の真理である。

苦の原因をみんなから集めて知ることが、そのまま道となって苦の原因を滅する方法となる。集諦、道諦という漢字にはそういう意味が込められているのではないかと、僕は勝手に思う。

この世界がこうである、ということは、言葉にならない真理である。だが、言葉にならないからといって、考えられないわけではない。想像力と実感を使い、数学や論理を使うことで、この世界の美しさを理解することができる。言葉にならない真理においては、言葉なんか消え去ったとしても、そこに存在は必ず一つあるだろう。

僕のせいで、この世界は完全に変わった。バンプの言うように、終わる魔法の中に居ることを僕は知っているし、みんなも気づいていると思う。だが、狂わせ、分からなくさせるだけの、負の魔法だけであったとは、僕は思わない。希望や愛、勇気、そして風や雨のような、素朴で純朴だが決して平凡ではない、そうした世界がどこかで吹いていた。僕は、狂いを無くし、希望を高めたい。それによって、過去の世界を復活させると同時に、「今までの全てに意味がなかった」ということを実証する。それが、唯一の「新しい意味ある世界」である。しかしながら、決して今までが無駄だったわけではない。過去の世界にしか、良いものは存在しない。「今ある全てにも、意味がない」ということが、逆に未来のこの世界の価値を高めていくだろう。安心してほしい。僕が間違えても、間違えなくても、この世界は、みんなが居れば滅びないからだ。みんなが一緒に居る、ということが、この世界が滅びないことの証であり、それが破壊神ではあっても守護神たりえない僕にとっての唯一の足りない点だろう。

出来るようになったからといって、実際にしなければ意味がない。実際にしなければ、何もできない。そして、星を創造したからといって、そこに住むものが居なければ意味がない。月のような岩石の星には、何も意味がない。地球を創造しても、その地球の生物たちと一切かかわらないのであれば、その創造主にも、地球にも意味は無い。だから、居るべきなのは僕よりもあなたなのだ。誰かが一人一緒に居れば、きっと僕にも意味は生まれるだろう。

ただ、僕と結婚するのはやめておいた方が良い。僕は認知症の引き篭もりだから、親になって子供を育てたりすることが出来るわけがないからだ。それに、僕は仕事や趣味で出来ることも少ない。愛を感じるのは良いが、あなたのことを愛することは出来ない。永遠の片思いがしたいなら、勝手にしてほしい。

自分は、言葉で分かって治すから治らない。分からず治せば治る。

本当は、死が怖い。死んで楽になったのは、死が怖かったからだ。戦争のような体験をしたせいで、死が怖くなり、また死が怖くなくなることで、楽になった。

また、多重人格の二次元オタクが怖い。本当に二次元のようなことをし、されるのは怖い。

本当に怖いのは、馬鹿になるのが怖い。馬鹿になったのが一番怖かった。

正しいのは、「馬鹿になるのが怖い」だ。馬鹿になるのが怖くなくなると、日常で恐怖を感じることがなくなって、楽になる。

今日は、生物学について色々と考えた。

昔は、海の中で重力と熱によって固まって固体の細胞が発生したと考えていたが、どう見ても固体の複雑な細胞が発生するわけがない。

だが、きっと僕は、最初のころ、今の生物が現れるずっと前に、液体の生物が居たのだと思う。

液体は、酸素と鉄が水に混ざるだけで生まれた。心臓などが出来るのは、ずっとあとの話だ。

そして、水のような液体の原始生物は、冷やされて氷になって固まり、固体の生物になった。

だが、その生物は、考える力をもって、自分は熱で熱せられても液体に戻らないように、工夫して生物の体を作った。

体温の調節はきっと、そういう風に最初の段階で、決まっている。地球はとても寒く、本当に凍ると動けなくなる。動けるように内部で熱を持つようになったのが、哺乳類の始まりかもしれない。

むしろ、本当は、水のような液体の生物が、今でも海のような場所に溶け合って存在している可能性は考えられる。海が生きているというか、雨や雲が生きているとなると、空が生きていると考えていた僕の空想が当たる。

だが、こんなものは空想の領域だ。こういう空想をするせいで、僕は科学者に向いていない。文学者に向いている。だが、証明すればノーベル賞をとれるかもしれない。

今日も作業所でデザインの仕事をやったが、写真補正は、トーンカーブに拘らずに、レベル補正でやった方が良いのが分かった。自分は、レベル補正を使った方が、賢い補正が出来る。トーンカーブは慣れないうちは写真画像が壊れるのでやめた方が良い。昔のレベル補正の経験が長いせいで、レベル補正なら出来る。トーンカーブは、たまに引き延ばしすぎておかしな色になった時に使う。そういう時に使うと、トーンカーブの方が綺麗な写真になる。

僕が好きな人は、ご勝手にどうぞあなただけで恋愛をしてください。でも、本当は僕は、馬鹿なのが治っている。認知症は、一度知的障害になって、知的障害を治すと賢い人間に治る。そういう体験をすれば良い。

昔は、本当に神のような体験をしていた。そもそも、みんなと精神で対話しながら導く、ということがまさに神そのものだった。神は僕に全てのことを、この宇宙全ての存在になって教えた。本当は、この宇宙には、生きているものと生きていないものの区別なく、色んな存在が「会話」をしている。その会話をしただけであって、神など居ない。その会話の存在全てを創造して一つの存在にすると、それが神であり、魂である。そして、昔の自分が神だと思っていたものは、全部自分である。自分が自分と話しているだけだ。幼稚園のようなロシアとは、デザインの作業所のことを言っている。ドイツ人とは、ゲーテのことを言っている。一番分からないように教えただけであって、今考えれば、嘘も幻想も全く言っていない。全て真実を話している。それで、もうこの宇宙にある全ての理由が分かるはずだ。

黒人の右翼の心理学者とは、昔のスラム時代の自分のことを言っている。自分はスラムの黒人にしか見えなかった。スラムの黒人にしか、この病気の治し方が分からないから、それと対話してここまで治した。もう、正常に治ったはずだ。普通、考えて悟った人間は、馬鹿な人間でもこのように宇宙の全てが分かる。キリストと全く同じになっている。歌手は、自分のことを歌っているように見えて、イエス・キリストのことを歌っている人間が多い。そもそもが、この世界が夢の世界と同じ、ありえない世界だ。この世界は、ブッダが言っているように、全てが苦しみの世界だ。歌手は特別ではないし、平凡ですらない。自分と同じように、ただ神の人生を模して分かっているだけだ。むしろ、今聴くと、その時聴いたのとは全く違って、AAAもBUMP OF CHICKENも、ほとんどが日常の友情と恋愛を歌っていることが分かる。特別な人生を歩んだ人間にしか、本当の歌の意味は分からない。だが、歌手の方はきちんと分かっている。自分だけは賢い歌を歌っているつもりだ。ファンモンのように、分かっている歌手の方が多い。終わる魔法とは、僕のことを言っている。この文章は、魔法の剣「エクスカリバー」ということになっている。切り裂く風と嵐の魔法だ。

もう、馬鹿になるのが怖くなくなった。そして、テレビを倒した。テレビは、馬鹿になるのが怖くなくなると、倒せる。これで、もう、日本が安心できる良い社会になる。

昔の自分は、良く考えて、心と環境のモデルを作っただけだ。そこを考えると、すぐに出来る。いくらか経験しながら、実験したりして、場と心の持つ深層意識や根源的な精神を分かっていた。そこをする人間が多い。自分は、そのごろはそれを「精神現象学」だと思っていた。

本当は、血に精神があると考えるのはけっこうおかしくはなくて、手足が血液の循環が滞ってしびれたりすると、精神が無くなってしまう。これは、この仮説を裏付ける重要な証拠になるかもしれない。水にヘモグロビンを混ぜるだけで、水は精神を持つ。それが分かれば、この仮説にも納得ができるだろう。