昔の僕は、ネットの良い時代を全て知って、世界を知って分かっていた。その当時、ネットはブログと掲示板ばかりあり、僕はそうした「昔の良いネット」をすべて見て分かっていた。
残念ながら、そうした良いネットは既にない。X51のような面白いサイトは、一応まだあるが、ネットは群衆によってかき消されてしまった。
だが、そのネットを、僕が自分の文章に遺した。このホームページの文章が、その良いネットの再生である。良いネットと同じものを、その通り遺した。
だから、僕のページを見れば、昔の良いネットと同じことが分かる。
自分は、動くのが悪い。動いたり止まったり、ということが、いつも同じになっている。全く同じことをいつまでもやっているから、動くのを殺して、新しいことをすれば治る。
天国は、平等で、理想の世界だとされる。だが、僕が思うに、ヒンドゥー教でカースト制度をやっているのは、天国と同じことをやろうとしている。天国でも身分はあるが、全く現実の身分社会とは違って、「開放的で自由な身分社会」がある。それを現実で行いたかったのが、ヒンドゥー教やイスラム教の宗教国家・宗教カーストだと僕は思っている。今のところ、地球はそこまで発展していない。
ソクラテスのように、人々と対話するところから宇宙の真理を知りなさい。一人のソクラテスとして、この世界を全て自分の眼で見て、自分の経験と理性のみから、この世界の全てを説明し、理解し、悟りなさい。それがブッダの道である。
自分は、自分の昔書いた「宇宙の法則」が悪いのが分かった。何も出来なくなる「恐怖の逆の法則」しか書いていないからだ。
僕の書いた逆の法則のせいで、人間がおかしくなっている。何も出来なくなって、おかしな恐怖の狂人になっているからだ。
僕が、この世界を治す。逆の法則を一度分かってしまうと、腎臓がおかしくなって、逆のことを全部するようになる。分かっていないのに、分かったふりをするようになる。
逆の法則を治そう。この世界は正常になる。逆のことはもう分からない。宇宙の法則がきちんと起きる通りに分かって、色んな行動や行為が出来るようになる。日本は滅びている。僕だけが、それを治せる。僕が滅ぼした世界を、僕が全て治すだろう。
法則とは言うが、認識や環境のスパイラルと原理を書いていただけだ。それ自体はしょうもない文章だが、一度信じて前を向いて頑張った。予想できないこと、予想外のことを全て書いて、全て分かった。そして、自由があった。人々の怖いことを全て作り、人々を従えた。本当に偉大な王だった。だが、本当に恐怖の体験だった。勇敢な戦士は、偉大な星を作った。この星は、もう一度楽園に戻るだろう。セピア色の星となって、人々は黄昏の安心と楽を過ごすだろう。
本当は、昔は、自由と言うよりは、同じと違うを考えただけだ。何が同じで、何が違うのかを考えた。原因や実験のようなものは、全て同じと違うを考えた。そこから、論理的な偉大な数学を作っていた。本当の数学者だった。そして、ニュートンと全く同じことを完全に自分で創っていた。科学の創造者であり、救国の王だった。人々の良い点と悪い点を全て見て、自分のことのようにこの世界の全ての社会を分かった。全てを経験した、最高の経済学者だった。経済学は、自分のゼロからの発想で、誰よりも分かっていた。一つ一つ考えていくことが、得意だった。損得を考えるよりも、自然な中で人々をありのままに調和して救うことを目指していた。
分かった一番の理由は、精神分析をしながらネットの会話を聞いていたからだ。恥や失敗をたくさんし、さまざまなことをネットで経験した。そのように分かっただけで、道教が言うように、自然と調和した生き方をしていれば、人間は何もしなくても分かる。そのように、何もせずに全てを観察し、見つめるだけで分かっていた。本当に何もしなかった。
世界を見つめなさい。世界とは何であるかを考えなさい。そして、世界が何になるか、何にはなりようがないか、なりようがあるかを考えなさい。そこから、世界をどのようにできるか、そのために何をする必要があるかを考えなさい。世界は自分の中にあるが、同時に今見つめているようにありのままに存在している。たとえ意識しなくても、そこにあるものはそこにある。そこから分かってしまえば、人々全てが自由であり、同時に人間として生きているということが平等であることが分かる。社会をどのようにすれば自由になるか、自由という視点からどのような社会が考えられるかが分かる。それをやった時、どんなものになるかを、物理的に経験と体験で分かる。全ての体験をしなさい。そして、全ての体験がこの世界のためになり、ありのままあなたは一人しか居ないのだ、ということが、実感と理性の両面から分かってくるだろう。それを人は、神と呼ぶ。
世界をありのままに見なさい。その経験が、その経験として起きるところに、その経験そのものがあり、現象があるところに現象そのものの法則があることを知りなさい。全ては心理学の現れであり、意識の現象であることを、フッサールのように知りなさい。それが、ハイデガーと呼ばれる哲学である。経験は経験であり、経験そのものが経験である。その現象の場所における在り方、それを現象学と人々は呼ぶだろう。
世界は自分の中にある。人々の中に意識があり、意識は環境として繋がっている。人生は、自由から平等になり、運命から愛になる。それが、僕の哲学であり、真理だ。そして、神とは自分の心のもちようであり、心がおかしくなると、神もおかしくなる。神は世界であり、意識であり、自分であり、環境であり、そして自由であり、平等であり、運命であり、愛である。それが僕の真理だ。それによって、終わりにしよう。ありがとう。このサタンは最高の神だった。サタンと神を殺すと、僕は新しい歴史家になる。
神に最後の質問をしよう。僕は何者なのか?神は応える。「あなたは、サタンではなく、神だ。そして、自由とは言わず、平等と言いなさい。自由を信じたい、その想いが人一倍強いせいで、悪い人間や悪い思想が悪いのが分かっていない。自分のことを自分で知らないのは、未来のあなたはまだあなたには出会っていないからだ。みんなの方が分かっている。この人間は、神ほどに賢い人間になる。あなたが分からないのは、あなたには次のページが見られないことになっているからであり、みんなは、すぐに次のページを見られるようになっている。だから、みんなのことを導いているあなたの運命は、必ず決まっている。自由というより、宿命の中での己の選択である、ということが出来る。もう一度言おう。あなたは、むしろ、神と言われたくないのが分かる。それなら、あなたは最高の自由な聖人のような人間だった。」僕は、この答えに満足できない。もう一つ言いたいことがある。それは、「神でも神でなくても、僕は何が賢く、どういう存在だったのかを聞きたいだけだ。」そうすると、神は「それは最高の質問だが、この人間は答えられないほどたくさんのことを最高に分かっているせいで、最高の質問なのに答えることが出来ない。だが、あなたは、生物学からロシアまで、あらゆることをきちんと分かっている。そして、人々に教えられる、最良の方法で教え、遺すために全力で完璧に頑張っている。それらを総合して、あなたを『博士の中の博士』であり、『神を超える才能を持つ天才』と呼ぼう。そして、『最後のイスラエルの王』であり、『世界史を終わらせる終末の主宰者』であり、『日本を滅ぼした上で、自らの社会を創造する社会主義の偉人』と呼ぼう。まさに神であり、あなたは本当は、神だと思っているのは全て自分である、ということが分かっていないのだ。よって、あなたは神の名を持つ、サタンだ。それなら、納得できるだろう。」と神は応えた。僕はこの問いに納得して、もう、世界の王をやめ、安心した。
本当は、昔の自分は、「人生と世界の自由」で分かっている。義務ではなく権利とか、経験から主体的に考えるとか、人々を自分のように捉えるとか、そういう、「自由な考え方の発展」から分かっていた。
僕は、むしろ、基本に返って、Illustratorの基本の本を読みたいと思う。本当は、一回だけ本を読む人間には、分からない。それは、一度理解して、忘れて終わりになる。分かる人間は、本を二回読んでいる。本は、一度読んで理解して、もう一度読むと頭に入る。だから、「本は二回読みなさい」となる。僕は、ソフィーの世界を二回読んで哲学が分かった。同様に、歴史の本も、デザインの本も、全部、二回読むと出来るようになる。一度読んだ時は、その時その時分かるだけで、読み終えた部分まで考える余裕がない。二回目に読んだ時、初めて全貌をすっきりと身につけることが出来る。これは、本ではなく、経験も同じである。一度目の成功では、人間は成功できない。二度目の成功の時、人間ははじめて成功できるのである。
そんなことは置いておいて、Illustratorの本をもう一度読みたい。それで、きちんとデザインが出来るだろう。