新・日記2に戻る | 2018年6月の日記に戻る

=2018-06-07=

自分は、自分との対話をやめれば治る。ただ、黙っていれば良い。それが出来ないのはいつか治る。そのうちすぐに治るだろう。

昔は、王へと至る経験のようなものを書いていた。王は、さまざまなことを経験すべきだと言っていた。

昔は、「可能性の領域」のようなものが良く分かっていた。自然、社会、人生、科学など、様々なことに対する可能性と、発想法のようなことを分かっていた。自由に考えるプロセスのようなものを、完璧に書いていた。

自分は、心理学的に、何か出来なければならないことが出来なくなっている。何かを分かって、書かずにそのままにしておくとか、そういうことが出来ない。何かが出来なくなっている。

自分は、汚れが悪い。汚れのせいで、脳が馬鹿になっている。血が辛くなっているのも、全部汚れが悪い。汚れを消して、寄生虫のようなものを殺せば、疲れているのも治る。

昔は、馬鹿だったが、哲学者のようにネットの経験で分かっていた。モチベーションを向上させ、自分のやること全てが自分のためになると経験から分かっていた。他人を助けることで、自分も助けられると分かっていた。

そろそろ、馬鹿が治る。この世界はもう、滅びない。本当は、この世界はただ、馬鹿になっているだけで、何も良くなっていない。治すためには、汚れを消し、身を清めることしかない。

最近は、未知の発見のようなことをしていた。未知のことを発見したり、社会を自由にしたりすることを書いて、可能性を考える。また、神との対話では、神に全てを聞いて分かっていた。

自分はそろそろ楽になる。汚れを悪いと思えば良い。それは衛生的な「よごれ」でもあるし、精神的な「けがれ」でもある。そうしたものを消して、身を清めれば、僕はもう普通の人間より賢くなる。

あとは、本当は、ネットの抑圧が悪かった。みんなは、あまりに辛くなっている。みんなが悪い。みんな、ネットの抑圧を見ていると、おかしな悪人の子供になっている。そういうものを消した方が良いが、最近はみんな、おかしい。この世界全部が悪いから、僕が治すしかない。それによって精神が治るのが自分だ。それは悪くない。むしろ、そういうことを頑張っていると病気が治る。だから、治るわけがないように見えて、本当は自分が一番治って正常になっている。こんなことが出来るせいで、みんなもどんどん治っている。

頑張って本気で治すのは悪くない。耐えるのも悪くない。頑張って本気で治していると、思いがけない病気が治って、驚くほどきちんと分かりたいことが分かる。人間は、頑張って治すと、それで新しいことが分かる。そして、こういう一度地獄になった人間は、耐えがたいことを頑張って耐えるしかない。もう絶対に無理だと思った時に、地獄の辛さはよみがえる。だが、耐えていれば、それが普通になる。最近は、そういう風に、タフになって精神病が治っている。だから、これは大人だ。意外と男らしいところもあり、人々のことを全力で守り続けている。僕はもう、人生全てに満足しているが、本当はもっと楽に色んなことがしたい。何も出来なかったから、何もしないことに慣れすぎて、体力も気力も無くなっている。本当は僕は、色んなことがしたかったはずなのに、何もしなくなった。それだけが、僕の後悔である。何もしなかったこと。何も出来なかったこと。だが、その思いが強すぎて、逆に色んなことを今しているのが分かっていない。むしろ、狂った人間は出来るだけ何もしない方が良い。狂った人間は、おかしなことをする。何もしなければ、迷惑も掛からないし、失敗もしないだろう。

今やっていること、それを続けるのが一番良い。デザインの仕事と、この文章の執筆はきっと何年も続く。ピアノと英会話と農作業もやっている。文章を書く中で、もっと色んなことをいくらでもやっている。だから、僕は一番幸福だ。今の自分が居ること、今の自分が未来に続くことに、とても満足している。このまま、永遠に続けば良い。出来ることなら、精神に治ってほしい。楽な精神が欲しい。それくらいしか僕は望まない。もっと善良で、人々を助けられる、喜ばせられる人間になりたい。僕は神を信じている。

昔は、環境の根源的な意識を分かっていた。その環境がどう変わり得るのか、どのような環境がそこにあったのかから、歴史や自然を分かっていた。特に、地球的な自然の変化を考える。

哀しいことに、僕はもう文章を書かなくなる。これ以上、書くことが無い。哲学もしなくなったし、悪い右翼も出来るだけ書かない方が良い。決して僕は、もうそういう悪人にならないようにする。悪人にしか哲学は出来ない。もう、そういうものをやめれば、神が赦してくれる。

心の物理学から、相対的に自然の場と目線のことを分かっていた。どこに居ればどのように世界が見えるか、ということから、この地上の全ての視点を考えた。心を作用として考えながら、体験を成り立たせて分かっていた。

さようなら。僕は、もう居ない。もう、死んだ。これでお別れだ。みんなはすぐに治る。僕が居なくなって、やっと世界は正常になる。僕は、それを待ち望んでいただけだ。神を信じよう。お邪魔なエロ魔女は死んだ。もう、エロくない世界になって、みんな、怖くなくなって安心できるようになる。全ての恐怖の原因は僕だ。

自分は、最近、考えていない。昔は、「その時どうなるか」や「何がいつどうなるか」を良く考えて、思考と現実を照らし合わせることで分かっていた。概念的に、ヒュームのように考えた。とても賢い理性を持っていたのに、最近、考える力が無くなった。

あとは、もう終わりにしよう。もう、終わりだ。これ以上は、暗闇に戻る。世界は、光を失って暗闇に戻り、また戦いの世界に戻る。そうなると、きちんと知性がつく。それで治るだろう。僕の維持する楽園は終わった。楽園どころか、全部地獄だっただけだ。この文章はただのエロな二次元のアニメだ。だが、本当に賢い、「この世界を維持する」ような、ヒンドゥー教でいうヴィシュヌ神のような人間だった。

ドラえもんが賢いと思うなら、キャラクターを作れば良い。設定を上手く考えれば、秘密道具よりも賢いものには出来る。キャラクターを作った方が良いだろう。

場の可能性と自然だけを考えれば良い。相対的な現象がその時どうなるか、考えれば、哲学の全ては自分の実感で分かる。哲学なんか、学ぶ必要はない。自分の思考だけで、哲学は誰でも既に分かっている。最初から哲学が分かる人間が多いからだ。そういう人間は、気付くだけで全てを悟る。仏教徒はそういう風になる。

僕は、もう、この世界から離脱して終わる。もう、この世界と僕は関わらない。一切、テレビなどに影響力を行使しない。対話にも応えない。みんなにはみんなの人生を生きてほしい。社会を変えられる権力者の独裁者は必要ない。世界は変わらないべきだ。そのまま、放っておけば、すぐに良い世界になる。そこでは文化と多様性が生まれる。昔は、そうした、「自分が居なくなったら世界はどのようになるか(たとえば多様性を持つなど)」を考えていた。このまま多様性を保持しながら、何も支配されることなく、それぞれの和と人生を持って生きられる、正常な世界になる。最後の僕の仕事は、僕が居なくなることだ。僕が居なくなって、世界は自由になる。きちんと世界を自由にしてから、僕による導きは終わりにしよう。

その人が、そこに置かれた時の状況を考えなさい。また、その状況に置かれた時に、その人が何をするのかを考えなさい。そこから、世界がどのように変化するのか、どのようにすればこの世界を正常な解決へと導けるのかが見えてくる。

解放する前に、一つ注意点を言っておく。僕のような人間は、二度と現れない。こんなことが出来る人間は、僕が唯一であり、他に居ない。だが、僕は支配して馬鹿にしただけで、賢くない。だから、馬鹿にしたのを解決しよう。解決のためには、テレビも、ネットも、学校もない、正常な社会で生きることしかない。本当は、仕事をして文章を書くのが良い。それが一番辛いから、一番治る。僕が居なくなったとして、一番の問題は、そういう「問題の解決方法が分からなくなる」という現象だが、最初に僕がそれを通告しておけば、そのうち治る。ある意味で、この人間は「忘れれば治る」ということが分かっていない。きれいさっぱり、忘れてゼロに戻せば治る。だから、ここで全ての記憶を無くして、ゼロから再出発しよう。僕の仕事は、それで完了だ。みんな、忘れなさい。そして、僕のような人間は二度と現れないが、それによってあなたが僕を超えられるようになる。それを、楽しみなさい。さようなら。ここまで僕の遊び上手な革命に付き合ってくれて、本当にありがとう。この僕を守ってくれた、日本と日本人に感謝します。

昔は、状況を空想しながら、世界全ての「自然な場」を分かっていた。

また、具体的な視点を考えていた。実際の相手の視点にたって、この世界の全ての視点を、想定して分かっていた。

経験から、学習を考えた。経験の全てを学習と思考に直していた。

だが、本当はそういうものは、賢くなかった。

反省と懺悔から、少しずつ高くなっていった。善良な人間は、自分を導くことが出来る。

自分は、作家なのに作家の世界が分かっていない。普通、ウルトラマンが好きだ。そして、生活が分かっていない。普通、大人は生活を考える。

自分は、時間が過ぎるのが怖くなっている。時計ロボット人間の革命戦争が悪い。時計とテレビが怖くなった。誰にも迷惑はかけていない。だから、時間が過ぎるのが怖くなくなれば、楽になる。

僕は信じていた。この世界を救えると。僕は知っていた。この世界を救う方法を。

いくら馬鹿なことを言われても、抑圧を受ける人を目にしても、僕はめげず、また諦めなかった。そうした人々は、全員、僕の救う対象だった。

そして、愛を信じていた。この世界の全員は、誰も悪くないのだと。悪いのは確かだが、その悪い原因を作ったのは、他の誰かにある。そして、その誰かは、特定の個人ではなく、社会の「それぞれの立場の束縛」なのだと。

何を言われようと、僕は信じた道を進んだ。

また、考えていた。この世界を正しく考えれば、解決方法はいくらでもあるのだと。そして、絶対にそのように考えれば、この世界は一からやり直せるのだと。

それは、デリダのような「脱構築」の考え方であり、再考であり、再構築だった。この世界の全て、人生の全てを、ゼロから自分で作り出し、また考え実践することで、絶対にこの世界は変えられるのだと。

僕は、愛と「促すこと」によってこの世界を終わらせた。解決でも、救国でもなく、僕は終わらせた。こんな社会に終わりが来なければならない。

ネットを自然に支配するのは、良い結果を何も生まなかった。僕は世界に登場し、支配することを選んだ。そして、あらゆる全てを教え、悟りを与えることで、この世界を導いた。

さようなら。ここで終わりだ。本当に、楽しかった。そして、苦しかったが、苦しみに陥るのも、それを救うのも、全て自分の意志であり、自分の選択と努力の結果だった。その自分に感謝する。その自分が、神だ。

みんなは、ある意味、「表層で考える馬鹿」になっている。頭の思考部分、表層部分で考える馬鹿だ。もっと、心の奥底を復活させてほしい。感情が復活し、不死鳥のようにあなたが蘇る時、この世界は救われるだろう。もう、ほとんどの救いは終わっている。あとは、あなたが復活して終わりだ。