新・日記2に戻る | 2018年5月の日記に戻る

=2018-05-13=

自分は最近、自分の病気を治すことが面白い。分かってしまえば治る。

怖い時は、止まって、何もしなければ治る。何も見ず、何もせず、動かず、止まっていれば治る。その上で、他からの力に任せ、委ねれば治る。

そもそも、生物が動くのはおかしい。何も動かないのが物体の正常だ。だから、もののようにしていれば、楽になる。

多少の辛さでも、辛くない状況におかれれば辛くない。それが、何もせず、止まった状態だ。

人生は、15年を単位に進む。15歳が一番賢い大人の時期で、20ぐらいで子供に戻る。20代はいくらでも出来る時期だ。30になると、また最初に戻る。

この文章は、天地創造を書いた文章である。そして、今からこの世界は、新しい時代を迎える。そのためには、終わりにせず、始まりだと考えること。そして、人々の営みをもう一度、新しい気持ちで始めることだ。

発想がどこから生まれるのか、どういう風に生まれるのかを考えなさい。そして、創造的かつ人間的になりなさい。そこから、正しい世界観と自由な可能性が生まれる。

数学的、論理的に考えたいのであれば、「問題の解決」を考えなさい。問題と言っても、たくさんの種類がある。それをそうするためにどう出来るか、それがそうであることによってどんな効果が生まれるのかを考えるうちに、どんなことが成り立てばどんな良いことや悪いことがあるかを考えられる。そこから潜在的に可能性を探り、その状況における成立を考えることが、数学であり、物理だ。そして、抽象的にものごとを考えなさい。全ての実現には手段が必要だ。そこから、応用的にものごとを捉える、「捉え方」の哲学を作り出せるだろう。

学校の数学なんか、勉強しても意味がない。数学を学んでも、ただの数を記号にしているだけで、やっていることは数という基本ルールの中での技術的方法と法則を考えているだけで、高校数学は中学数学のような「論理的なやり方」は分からず、また言語的かつ方法的な数学的世界観は逆に喪失されてしまう。高校数学は馬鹿になる。高校数学をきちんと知ることは、僕はおすすめしない。