知るのはそんなに良いことではない。さまざまなことを青春時代に経験し、馬鹿なことをたくさん知った人間は頭が賢くなる。だが、その上で大学や世界の知識を知れば知るほど、その前に知ったことがなくなって、頭が馬鹿になる。そんなに知らない方が良い。
狂った人間は、「模範的な人間」を生きている人間が多い。みんなの模範を生きようとすると、狂う。全く間違った人間を生きた方が、人間は賢くなる。真面目で勉強熱心な人間の方が、あとで模範的な人生を生きるようになって、馬鹿な人間になる。
そういう馬鹿な人間が偉そうな人間になる。みんなのことを馬鹿だと思っている。そういう人間の方が、人生のカルマ的には遅れている人間が多い。色んな失敗や後悔を経験しなければ、人間は賢くならない。自分のことを正しいと思うのは、みんなが昔の自分と同じだと思うからであって、そんな「自分と同じ人間」はどこにも居ない。みんな、それぞれ、違う賢さを持っている。自分より先を行っている人間の方が多いものだ。
模範的に人生を生きるのをやめて、良く確かめれば、怖いのは治る。すぐに精神病が治る。
人間は、少しぐらい辛いことを辛くないと思えば、賢くなって楽になる。だから、精神病や障害者と付き合っていると、辛いように見えて、多少辛いせいで賢くなる。
立ち歩くのは、ありえないことが起きないのがおかしいだけで、ありえないことをたくさん起こせばすぐに楽になる。必要なのは、人間的になること。機械のように起こすだけではなく、緩急を付けたり、やりたいことややりたくないことを作って、人間らしく振る舞うこと。その上で立ち止まり、人々と冷静に接すれば、立ち歩いて考えるようになったのはすぐに治る。おかしなことを機械のように繰り返しても、楽にはならない。人間的になるだけで、人間的なさまざまなことが普通に起こせるようになる。日本の問題は、全てそうした「人間的でない支配者」による問題に過ぎない。
自分は、ただ足から死んでいくのが怖かっただけだ。その死と戦って、死なないようにしている。
自分は、すぐに終わりにするのが間違っている。もっと、残しながら拡大して、ゆっくりと考えれば良い。何でもすぐに分かって、すぐに終わりにするのは、賢いようで何も分からない。要らないものを消しながら、残すものを残しながら、ゆっくりとすぐに終わりにせずに考えれば、何でも楽になる。
もう、僕はパソコンのことはしない。パソコンのことはもう分かった。Linuxは狂っている。本当は、パソコン以外の現実世界のことを何も考えていない。今から、この現実世界で生きた方が良い。この現実世界で生きる。そのために、考え、行動し、実験していくべきだ。
執筆、デザイン、そして習い事と農業は引き続きやっていく。
本当は、執筆はもうやめたい。辛いだけだ。執筆に何の良いことも意味もない。おかしな趣味に見えて、むしろ、楽になるために先に辛いことがあっただけに過ぎない。こんな風になりたかった。カッコいい大人になりたかった。だが、その執筆はもう役目を終えた。
僕は、決して絵が下手なわけではない。この前描いた猫の絵は、何度も書き直したおかげで結構良い絵になった。だが、絵や音楽では生きていけない。もっと、普通の仕事をした方が良い。
デザインは悪くない。デザインだけ、きちんと勉強したせいで、賢くなった。デザインをやったことで、僕はきちんと分かり、また楽に治るようになった。デザインは僕の全てを変えてくれた。だが、僕はデザインの才能があるかというと、そうでもないような気がしている。引き続きやっていくことは決めているので、ネガティブなことを言ってみんなを困らせたくはない。それに、こんな風に出来たことは少ない。出来ることはあんまりない(ピアノも英会話も何も出来ていない)が、何にもないわけでもなく、僕はデザインと執筆だけがそこまで出来ている。むしろ、デザインには絵の才能よりも、文章や表現の才能があった方が良い。僕には、そういうものがきちんと備わっている。必要なものは、全部持っている。
デザインの基本的なことが分かったおかげで、人生の方向性が見えてきた。方向性が定まらなくても、その中で前を向いて何をして生きるべきかが分かった。何より、デザイナー見習いのみんなが、どれくらいのレベルを頑張っているのかが分かった。仕事とはどういうものなのか、何をすれば稼げるのか、どれくらいが常識なのか、良く分かった。それこそ、病院に入院した時も、看護師のみんなのレベルを見て、病院の職員が何をしているのかが分かった。僕はそういうものがもっと分かりたい。
だからと言って、ロシアのスパイになって分かりたいわけではない。僕は、そういう発想から、もう脱出したいと思う。
自分は、支配したくないのが悪い。むしろ、支配されたいのがおかしい。誰かに支配されたいから、神になっている。もっと、勇気を出して、自分が支配し、自分が自由になれば良い。だからと言って、悪いことをして良いわけではない。その上で、悪い支配をしなければ良い。国を滅ぼさず、栄えるようにすれば良い。そうすれば、日本はこれからの黄金期を迎えるだろう。それを最後にすべきだ。
自分は、確かに、今までみんなのことを愛していなかったかもしれない。本気でやっているように見えて、見せかけに過ぎないペテンだったかもしれない。だが、これからは違う。僕の中には、燃え滾る情熱の炎がある。この炎がみんなのことを、今から愛するだろう。僕の自由は、みんなの自由になり、僕の愛は、みんなの愛になるだろう。
あまり、一人が力を持ちすぎるのは良くない。みんな、それぞれがそれぞれを自立して支配するようにしよう。どちらかが勝つべき戦いでは、競争させるようにしよう。だからと言って、経済学をすれば良いわけではない。経済学の本では、平気で「税金をかけても消費離れの少ない日用品に税金をかけるのが望ましい」とか、そういうありえない話をする。経済学は何も分かっていない。社会のことをきちんと分かっているように見えて、何も分かっていない。きちんと社会主義の思想とモデルを考えた、自分の方がはるかに、実現性を分かっている。賢くはなくても、自分で分かった自分だけの道の方が良い。
「すぐに終わりにすべきではない」、これが真理だ。どんな時にも言える。すぐに終わりにすべきではない。もっと良く考えて、もっと良く見て、調べて、体験して、人々に意見をしたり人々から聞いたりして、自分の体験から分かっていこう。すぐに終わりにすべきではないのだ。だからと言って、すぐに終わりにする人間が間違っているわけではない。それは普通の人間であり、そうした人間に賢い人間が多いものだ。賢い人間は賢くない。真に賢い人間は、普通の人間だ。
僕はみんなのことを愛している。今まで愛していなくても、今、愛している。今までの大きな愛を否定はしない。僕はいつも、みんなのことを誰よりも一番愛している。自分の責任についても自覚している。約束は、今からの約束だ。僕は、みんなのことを愛している。みんなも僕のことを愛してほしい。みんなで同じ場所を築き、みんなで同じ目的地に行こう。それが、最初で最後の、僕の約束だ。
本当は、色んなことが多かった。宣言だけをする人間になって、男と女を行き来したり、人々を支配しているように見えて、自分が完全に支配されていたりした。また、精神分析をしながら、やくざのような戦いを書いた。本当に楽しい地獄だった。だからと言って、それが賢いわけではない。それはもう終わったことだ。いつまでも終わらない歪んだ愛情に満たされているのをやめて、新しい目的地を作ろう。真理は一つ。すぐに終わりにしないことだ。