新・日記2に戻る | 2018年5月の日記に戻る

=2018-05-07=

治すためには、待てば良い。待てばすぐに治る。自分は、待つことで治り、それをくり返すことで分かっているが、それが悪い。ただ、待てば良い。

追いかけるだけになっているから、追いかけるのをやめた方が良い。

文章は、潰すのが悪い。昔は、知と認識を全て潰して分かっていたが、それが悪い。それでは馬鹿になる。潰すのをやめてしまえば、それだけですぐに治る。

昔は、ネットで創造的な体験をして分かっていた。全ての体験全部をして、繰り返して、それによって哲学や人生のことを分かっていた。

だが、言ってしまえば、ただネットを分かっただけだ。何も賢いことは分かっていない。だが、人間の人生のようなことが、ネットと実体験だけで、全て分かっていた人間だった。人々と会話し、自分だけの体験を突き詰めて開拓したのが良かった。本当に、自由な人生だった。

しかしながら、それは良いとは言えない。ただの馬鹿だったからだ。最近は、文章に何から何まで全部書く。ヘーゲルの言う弁証法のように、全ての論理や理性の全てを、あらゆる方法で、あらゆる側面から、絶対に正しく、またありえない発想で書く。そういうところが良かったから、分かっていただけだ。