新・日記2に戻る | 2018年5月の日記に戻る

=2018-05-04=

僕は、自分で世界を滅ぼしておいて、その自分が滅ぼしているのを治しているだけで、何も賢くはないし、そんなに執着心があるのもおかしい。

これが、愛である。

そして、僕はここで別れを告げる。もう、この世界で僕が出来ることはない。

本当は、パソコンが賢いだけだ。昔の自分がパソコンで、真ん中が宗教で、今の自分が大学だ。どれも賢くは無い。だが、宇宙にはこれらしか居ない。パソコンをすれば賢くなる。パソコンをすれば昔が分かる。パソコンをすれば、精神も治るだろう。みんなも、治りたいのであればパソコンをしてほしい。

さようなら。もう、あなたと会うことは無いだろう。僕はあなたを全部知らなかったが、その代り、あなたの中で僕が続くだろうね。それじゃ、バイバイ。

もう少しだけ文章を書いて、終わりにしたい。

パソコンや大学や宗教や文章から分かるのではなく、現実世界から分かった方が良い。

目は、周りを見渡すために使う。耳は、人々の状況を察知するために使う。手は、ものを掴み、動かし、使うために使う。足は、移動するために使う。

パソコンばかりやっていると、精神が治る代わり、頭が馬鹿になる。クズみたいになって、動体視力が悪くなる。国語も算数も出来なくなる。

現実世界から分かることで、全ての狂いが治る。パソコンのための体ではなく、現実世界のための体であることを目指そう。

子供が賢いのは、スポーツをするからだ。

また、人間を見たいなら、それぞれの人間が違うことを考えよう。だからといってただの自由やバラバラが賢いわけではなく、協力は大切だ。

人間は、科学技術のことだけを学ぶのは良くない。機械や学問ばかり覚えていると馬鹿になる。世界と人間のことを学んだ方が良い。

自分も、世界のことをもっと知りたい。人間のことを考えられるような、そんな文章を読んだ方が良い。

そして、自分は単純な「覚える」ことが出来ていない。もっと覚えれば、賢くはなるだろう。覚えなければ何も分からない。

昔は、何から何が分かるのか、ということを良く書いていた。現実世界だけではなく、外国や哲学者から分かる、ニュースや自分の実際の体験から分かると言っていた。その時分かっていることだけを使って、全てのことを分かった。それによって、全体主義と個人主義の自由な対比のようなものを書いていた。