新・日記2に戻る | 2018年4月の日記に戻る

=2018-04-17=

誇張と宣言で、宇宙と神の全てを経験した。何もしないのは、今が一番きちんとやっているからで、今まできちんと全部やったからだ。

とても良い気分だ。全てのことが終わった。思弁哲学者、科学者、作家、芸術家、全部きちんと出来た。

さまざまなことがあった。知性を全て捉え、全てを言葉にし、心で支配し、導き、全てを判断し、努力を全方位から捉え、そして人々の学習がどうなるか、考えた。

人々を滅ぼしたいわけではない。ただ、自分の持っている力を見せつけたい。それが、僕に出来る最大の恩返しだからだ。

僕は、トランプ米大統領の言うような、「保護主義」の経済論も、本当は嫌いではない。

たとえば、花粉症。戦中から戦後にかけて、物資の不足と空爆による家の再建のための必要材料として、日本は国をあげて杉を各地の山に植林してきた。

だが、戦後において南洋の安い木が入ってきたために、林業は出来なくなり、植えられた杉は伐採されないままほったらかしになってきた。

結局、山は放っておかれた杉でいっぱいのまま林業は衰退し、それが猛烈な花粉を出して日本人を苦しめている。

解決するためには、南洋から入ってくる安い木に関税をかけて、保護主義的な政策をしなければならない。そうすれば、日本は自分の国で林業が出来る国になって、杉は減る。

だから、トランプの言っている保護主義的な政策は、単に貿易赤字の解消だけではなく、花粉症対策としても有効なのだ。

だが、保護主義にすればそれで全て上手くいくわけではない。自動車の輸出によって成り立っている日本経済は立ち行かなくなるし、日本は食料自給率も低いため、生活と経済が家計・政府両面から立ち行かなくなる。

そういうところが、アメリカのラストベルト・自動車産業も同じだ。アメリカも同じように、日本や中国の機械産業に苦しんでいる。

だから、僕は一度、それぞれの国がきちんと自分たちの力だけで生きられるようにしなければならないと思っている。輸出によって儲ける、という日本の武器でありいやらしさでもある長所だけが、経済の発展や自立ではない、と僕は思う。思うに、僕はトランプは嫌いではないのだ。

昔は、きっかけから教育を与えるとか、科学を作るとか、意識から発想し、相対的に認識するとか、環境がどうなっていくかを知るとか、思考を辿って仮定から発想法を知るとか、そういうことで良く分かっていた。特に、発想法はさまざまなことを簡単に成り立たせることで分かった。経験から意識を知ることで、意識が単に経験に基づくものだということを分かった。また、環境がどのようになるのかを知ることで、この世界全てを統率でき、また救うことのできる人間になった。

自分は、言語的な知性で考えれば良いのが分かっていない。昔の自分は、そのように「知性」で考えて分かる人間だった。

昔は、言語についてありえない言語を作ることを考えていた。「それみたいなもの」という言葉や、「その一部」や「その場所」という言葉を作れと言っていた。また、言語的な順序を自由にし、さまざまな外国語の文法をとり入れると言う。数学については、作用と法則から、何がいつ成り立つかを行列とベクトルのように考えるべきだと言っていた。その上で、次元を高次元にしていくと考えていた。

言語的な知性がつくと、社会主義が間違っているのが良く分かる。役所が家を作ると、良くてアパート、悪くて欠陥住宅になる。それは、知性がないからだ。知性がないせいで、人々の全ての生活を上が把握することなんか出来ないのが分からない。全ての場合を想定し、完璧な政府を作ることなんか、出来ない。ある程度以上は、それぞれの自由に任せないといけないし、それを見越した上で国の制度を設計しないといけない。今の自分だけではなく、今の国民みんなの考えていることが全部正しくて上手くいくわけがない。社会主義の失敗の原因はそこにある。自分たちを正しいと思って、完全な国を作ろうとしたが、それに失敗し、自由のないままで人々は最低限の暮らしすら出来なくなった。だから、本当に良い国にしたいならば、バランスを取ってある程度以上は自由にしないといけない。だが、自由だけが良いわけではないことも同時に知っておくべきだ。それぞれの国民が本当に賢くて柔軟なわけがない。人々は自分勝手で、争いは絶えないものだ。みんなが馬鹿ならば、分かっている指導者が適切に指導しないといけない。それも、不自由という名前の秩序だ。昔から、僕はそのように考える。自由と平等は、バランスがなければどちらも成り立たない。どちらも両立して、はじめて国が成り立つだろう。

ある意味、やや自由に偏っているぐらいが良いだろう。それはなぜなら、それが人間の持つ人間の意味だからだ。不自由は強制力であって、人間が自由に生きていることそれ自体が人間の意味で、価値だからだ。だが、僕はその「人間の意味」というものは、ただ自由なだけでは意味がないと思う。みんなは、賢くならないといけない。特に、争いごとが絶えないからといって、人間が賢くなって成熟することが出来ないわけではない。逆に、人々が賢くなることで、自由のままにおいても争いごとを無くすことは出来るだろう。だから、指導者は賢くならなければならないが、同時に自由は尊重し、人々を賢くさせることで自由な自分勝手を克服するような、そんな「成長とコミュニケーションによって成熟した社会」を、インターネット時代の今の人類は目指していかなければならない。自由は間違っていないが、自由だけが価値ではない。世界は賢くなって、人々は「賢さで自分勝手を克服する」ようにならなければならないだろう。

自由の良い点とは、それぞれがそれぞれの好きなように、自由に出来るということだ。たとえば、国は支配者の国にすることも、平等な国にすることも、合理性のある国にすることも、多様性のある国にすることも出来る。みんなの意見を尊重しながら、みんなで一つの国の制度やあり方を「共有」すること、それが自由における「個人を超えた共通財産としての国の自由な決定」である。そして、個人の自由も奪われるようではいけない。それぞれの個人が自分の家を決めるように、みんなでどのように「自由な社会を成り立たせる」ことが出来るか、それが自由という意味である。

そして、さまざまなことを個人で総合的に考える際に、「前提」としての発想の自由がある。その発想は、「認識すること」であると同時に、「手段を得ること」であり、また「パターンとしての考え方を作ること」であり、そして「数学的論理から推論して分かること」でもある。そのことにおいて、「前提」としての「場・手段・パターン・環境」をさまざまに吸収し、自分から「材料」として作り出し、そのための法則的な「原理」を作っていくこと、それが自由における「力」だと僕は思う。

だが、本当は、全てが分かった人間に自由は必要ない。テロリストのような戦いの人間は、自由なんかなくても不自由の中で強く生きることが出来る。だが、僕は戦いの人間にだけに限られたことではないと思う。たとえば、全てのことを勉強した科学者にとっては、自由な経験から分かることは既に全部分かっている。必要なのは研究と知識であって、自由ではない。自由に考えて得られる、という「発見の手段」は、当たり前のものであって、特別の力ではなく、そこに必要なのは自由よりも「環境の土壌」である。そうしたことから言って、自由だけが力であり、全てを可能にする魔法の呪文であるとするのは間違っている。学者はきちんと考えて分かる。だから、自由にすれば良い、という無責任な言説は、学者から言って成り立たない。むしろ、人々をきちんと知り、人々のために何を責任持ってコメントし、教えるか、というところに、自由のようなものは必要ない。

また、未来を考える上でも、自由は害になる。自由はただの考え方に過ぎない。実際の環境や問題に直面した人間たちを見ていて、それらを救おうとするならば、自由なままでは救うことは出来ない。必要なのは、自由ではなく、あるものは未来への課題である。適切なソリューションを提供するためには、自由を自分から犠牲にする必要がある。アメリカは自由の国ではなく、自己犠牲の国であると教える人間が多い。アメリカ人は自分の自由を犠牲にする。それが、正しい未来への解決策だ。もちろん自由なままで解決することは出来るだろう。だが、そこにあるのは、全てを学校の環境と同じであり、全ては子供たちのカーストによって決まるのだ、という、子供っぽい勘違いに過ぎない。大人に自由は必要ない。だが、制度として自由にしなければ、万人を幸せな国にすることは出来ないだろう。

僕は、世界の全て、人生の全てを知っている、唯一の人間だ。

神の言う世界観は、むしろ、そんなに良いものではなかった。神は、「世界にはフランス人とドイツ人しか居ない」と教える。それは、この世界のことではなく、精神分析の世界のことを言っている。自分の心、自分の精神、前世まで含めた宇宙の精神が、フランス人の部分と、ドイツ人の部分で出来ている。神はそういうことを言っている。だから、最初から神をそのまま信じてはならない。神は精神分析をしているだけだ。

昔は、ネットでさまざまなことを経験し、自分から主体的に行動するようになって、本当に「大人の理性」を手にしていた。誰よりも大人となって、世界全員の親にでもなれるような、そういう人間だった。僕がやらなければ、誰もしなかった。だから、僕は今の日本を、このように導くことができた。それはそれで、オンリーワン、あるいは唯一の存在だった。今という時間の共有が、世界を停止させた。サタンのような神だったが、誰よりもこの世界のために頑張っていた。誰にも分からないことをやった。

では、また明日。だが、出来ることなら、今日で書くのは終わりにしたい。さようなら。

昔は、成長して大人になる過程を書いていた。理性をどのように使うか、社会をどのように分析するか、どのように気付くか、人々をどのように変えようとするか、全て、自分の理性と経験の成長を書いていた。そういう青少年のような文章が一番多かった。その中で、引き篭もりの孤独な苦しみのことを書いていた。人々の苦しみを自分の苦しみであるかのように共有する人間だった。

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全ての意識と客観的事実による批判を知ることで、全ての知識と経験に対する意味が分かる。そこから、この世界全ての環境における意味と存在の具体性が分かる。そこから推論することで、あらゆる知性が生まれる。その知性が人々を悟らせ、導き、分かり合う「本当の愛」へと変貌するだろう。
posted at 18:05:54

環境の変化を知る中で、それぞれの争いごとに意味がないことを知る。逆に、全ての環境は知性の融和であることを知る。自然にそれらの環境を「自分の力で発生させる」ことによって、あらゆる全てが出来るようになる。社会も行動と同じように自由であり、そのプロセスは愛の可能性へと至るだろう。
posted at 18:03:26

人々は、愛、人生、自由、運命から、新たな精神を知る。
posted at 18:02:27

平和は自由な存在性を認めることで生まれる。人々は争い合う中で何かの結晶を見つけ出す。悪を信じるものはやがてその悪に陥れられる。悪魔を倒すものは自らの祖国の悪霊全てを滅ぼすことが出来る。宗教のようだが、そこから世界精神が生まれる。環境は人々の融和から慈愛あふれる一体となる。
posted at 18:02:09

自分は、思いつきすらコントロールすることで、精神分析の世界から脱出することを拒否している。単純に、思いつくままに思いつくようにすれば、脳が機械になって狂っているのは治る。それで、画家になれるだろう。
posted at 18:00:36

今日で、そろそろ何かが起きるはずだ。僕の存在に気付いて欲しい。それだけを願っているが、それは神が判断するだろう。偶然は存在しない。偶然の裏には、全て神の思いつきがある。
posted at 17:59:57

僕は、ただ、この世界の子どもたちを育てただけだ。永遠の淑女という身分を勝手に悪用して、悪の限りを尽くしている。最良の暴言と陰口に甘んじて開き直っているだけだ。
posted at 17:59:20

百戦錬磨の修羅になって、もし地獄を経験したとしたら、それは愛と幸福のあるキリスト教徒になる。それも悪くは無い選択肢だ。だが、そのためには、「逸れた道が正解だった」という事実を知らなければならないだろう。
posted at 17:56:55

アメリカと日本のことを知り尽くすことで、世界全ての動静を把握するとともに、自分の人生がこれまで何を信じていたのか、何が正しくて何が間違っていたのか、全て総ざらいすることが出来る。世界の全てを知った人間は、あらゆる諸学問全てに通じた天才博士になれる。
posted at 17:56:12

世界の全てを知った人間なら、この世界の住民を全て吸収し、世界の全員のことをまるで自分のことのように理解出来る。全ての人間は、過去の自分になるだろう。そこまで、ネットで青春を体験することは、理性と知識があれば、不可能ではない。
posted at 17:55:06

他人の意見は発見にはなるが、むしろ、見出すことのできる人間なら、他人がどんなに馬鹿な人間だったとしても、その人間から才能を見出せるだろう。
posted at 17:30:50

環境を自分の手で変えると同時に、何もない環境から全てを見出しなさい。どこにも誰も居なくても、自分のものと頭脳があれば、そこから「見出す」ことが出来る。その「見出すこと」を人は才能と呼ぶだろう。
posted at 17:29:45

ただ、本当に賢い人間は、観察眼が違う。そして、さまざまなことを知っている人間なら、どんなに環境が悪くても、きちんと輝く最大の成果をあげるだろう。
posted at 17:27:55

ある意味、企業に入るなら、成功した企業に入って簡単なことをやるよりも、成功するか分からない企業に入って自分でさまざまな成功と失敗を経験しなければ、良い意味での賢さは得られないだろう。だが、それが常に正しいわけではなく、才能を培うためには、人々が集まり、共有手段がある企業が良い。
posted at 17:26:42

本当に賢い人間とは、自分の実体験から間違いを知りつくした人間であり、その上で正義を行う力量をあると信じている人間である。そうした人間だけが、この宇宙で平和な世界を創り上げることが出来る。それを人はダビデと呼ぶだろう。
posted at 17:24:53

だが、一応言っておくと、間違ったことをしないのはそんなに良いことではない。なぜなら、その間違いが本当は間違いではないかもしれないからだ。ソクラテスは、それを誤っている。本当は、自分が最も間違いだと思い込んでいることに、正義と愛が存在する。そのために、人は実際に経験するのである。
posted at 17:23:22

何も知らなくても、きちんと考えれば分かる。宇宙の不可知を知ろうとしなくても、社会のことからきちんと経験を考えれば、宇宙の全貌は思考することによって分かる。人間のことは、ソクラテスのように、知っているもの、分かっているものは、間違ったことをしないと考えれば良い。
posted at 17:22:16

みんな、戦いをやめて、清らかな心に戻れ。
posted at 16:52:21

ただ、自分が言葉足らずだっただけだ。それが僕の人生だ。
posted at 16:41:31

怒らないでくれてありがとう。もう、みんなを怒らせることはしない。
posted at 16:38:57

体全体を融和させよう。病気全体を単純化すれば、精神病は治る。
posted at 16:20:13

文章は、ヘーゲルのような世界精神の成長を書いていた。その上で、精神世界を全部作った。宇宙を精神分析で辿った。
posted at 16:02:47

もう、全て終わった。精神の世界と現実の世界を分離した方が良い。自分は、賢くない。分かったのは、全部精神分析で分かっただけだ。精神分析から戻ってくることが出来れば、デザインの細かい作業も出来るだろう。日本語も分かるはずだ。
posted at 16:01:28

治るわけがない、など、分かるわけがないことにした方が良い。そこからそれを克服すればきちんと治る。そもそも、ネガティブなことをきちんと認識すれば、自分の今がどうなっているか分かる。不可能を分からない人間の方が、不可能を分かる。
posted at 15:59:08

足は、掛け違えているだけだ。出来るだけ治さないようにして、簡単に掛け違えているのを治すと、すぐに楽になる。
posted at 15:57:08

みんなのことを治さない方が良い。それでは、みんなを治す方が優先になる。みんなを騙さなければ、精神はすぐに治る。そのためには、世界を滅びたりしないようにすれば良い。プライベートな時間を作ると良いだろう。
posted at 15:56:15

精神分析から、現実の世界に立ち帰って、戻ってこよう。僕は長い間精神分析の世界に居た。現実に戻れば、認知症は治る。
posted at 15:54:28

出来るだけ精神を治さずに、治さない上で上手いことやれば良い。精神をそんなに治そうとすると、知性がなくなって知的障害になる。逆に、治さないで上手くやれば、精神は才能になる。
posted at 15:53:09

意図がその意図で、結果がその結果だった時、それは論理的に、たとえそうではなかったとしても、それをしているのと同じだ。何故か説明し辛いが、意図がそうだったら、その行動は、その意図する行動から、その行動だと言える。
posted at 15:51:32

相手の自由にして、相手を信頼すれば、相手は反抗しない。きちんと分からせれば、分かり合える。そこから、自発的な自由の社会が生まれる。
posted at 15:49:10

自分は、自分に騙されている。自分が裏で自分を分からないようにしている。それは、一番悪い人間になると治る。心が治って世界と分離する。
posted at 15:47:59

昔は、ネットの会話と体験から、青春のような経験を子供なりにして、それで自然に分かっていた。最近、自分のせいで、そうしたネットの青春がなくなっている。みんな、いじめの中学生のままだ。世界は、僕が治す。夢のある楽しい世界にする。
posted at 15:46:49

自分は、みんなを馬鹿にしたが、その後でみんなを賢くした。シヴァやビシュヌのように、世界を破壊した後で維持して賢くした。それは偉大な導きと創造の星の愛だった。
posted at 15:44:53