もう、そろそろ終わりにしたい。ありがとう。さようなら。
あとは、もう良い人生になる。悪い人生が終わった。
大人は、こういう風に、何も分からなくなって悪い人生になる。子供には、分かる人間が多い。
口に出すのを控えて、黙りなさい。
黙って、頭で思考して、副交感神経を使って、生命力を少し落とせば、精神病は治る。
生命力があると、病気のままでも楽になるが、病気になって治るように、少し生命力を落とした方が、人間は賢くなる。
生命力が強すぎるのは悪い。それは虫と同じで、病気が治らなくなる。
生命力が弱すぎるのも悪い。だが、普通も悪い。
普通より、ちょっと生命力が強いぐらいが良い。それが一番強い。それが人間だ。
賢すぎるものは馬鹿だ。だが、馬鹿すぎるものも馬鹿だ。普通も馬鹿だ。普通より、ちょっと賢いものが賢い。
辛すぎるのも悪い。楽すぎるのも悪い。普通も悪い。普通より、ちょっと楽なぐらいが良い。
自分は、自分の支配を前提とせず、普通のことを世界に対してすれば良いのが分からなかった。
みんなは、自分が支配していることを知らないから、自分が支配していることを前提に何かすると、分からなくなる。
治すのも、変えるのも、自分が支配することを前提としている。
自分が支配せず、世界に向き合えば、すぐに世界は治る。世界から離脱して、みんなが支配を前提とせずに行動すれば、すぐに支配は消え去るだろう。
それで正常な世界になると思う。
人間は、狂ったことを頑張っていると馬鹿に見える。本人はそれを知らない。難しいことを簡単にこなしていると賢く見える。だから、狂ったことを頑張っている人間はキモい。逆に、難しいことを楽々としている人間はカッコいい。
辛すぎて死んだ部分を蘇生させると、頭は生き返る。だが、もう終わったら死んだ方が治ることはある。一度頭を殺すことで、手や足が動き回り続けるのが治る。もう治ったはずだ。
立ち歩くのをやめるためには、一度、完全に変えるしかない。そのためには、変える部分を消した方が良い。変わらなくして、その上で停止するようにすれば、すぐに変わる。一度、本当に怖かった人格の崩壊をもう一度すれば、もう、心は怖いことは無くなる。もう一度しなければならなくなっているから、今までのことが怖くなっている。
あとは、「自由な社会の成り立ち」を書いていた。それが自由な可能性として、自由な社会の中で何を生み出すかを考える。人生、環境、視点、社会のようなことを、自由な決まりと知性から説明する。あらゆることを説明して、自由な社会そのものを文章の中に創っていた。