新・日記2に戻る | 2018年3月の日記に戻る

=2018-03-16=

本当は、こんな風に、一人の指導者が自分だけでソ連のように全部決めてしまうのは良くない。

指導者はたくさん居た方が良い。一人の王が間違った人間だった時に、別の可能性を選ぶことができる。

独りが作るよりも、みんながそれぞれ作って、それを選びやすく、構築しやすくしなければならない。

指導者は、一流の人間たちを生み出す経験的土壌がなければならない。

そのためには、良い人間が良い人間を増やすための、教える方法と手段を作らなければならない。

組織は柔軟で、自由でなければならない。それぞれに多様性が生まれ、当事者が参加できるような権利の自由を与えなければならない。

自分は、猫になっている。猫は、このように、しっぽをばんばんして分かる生物だ。

猫をやめるしかない。猫をやめるとそのうち楽になる。だから、もうその前に居たおかしな生命になって、そのまま人間に戻る。