新・日記2に戻る | 2018年3月の日記に戻る

=2018-03-14=

血が循環せず、疲れやすい時は、腸内細菌を増やそう。腸内細菌を増やすと、生態系が豊かになって、血が綺麗になる。

自分は、足の血を治そうとするあまり、腸内細菌を減らしすぎている。

腸内細菌は、増えすぎも減りすぎも悪い。ある一定の限度を超えないあたりで、バランス良く十分に生きているのが良い。

善玉、悪玉、と呼ばれるものはここでは関係ない。

腸内細菌が増えると、腸内細菌が悪いものを食べてくれる。結果的に血は綺麗になる。

血と細菌のレベルに言えることは、汚い場所には汚い生命が居て、綺麗な場所には綺麗な生命が居るように、血が汚いと汚い生命が増える。綺麗な生命を増やすためには、腸内細菌を少しずつ、着実に増やすことだ。

昔は、社会における「この世界の意味」のようなもの、そして「この世界にあるさまざまな存在や発想などの存在する意味」を分かっていた。

制度、環境、学問、生命、人生、経験、あらゆるものの「この世界にそれがある意味」を自分の経験から分かっていた。

そして、見方を変え、社会の可能性を考えることで、どんな社会においても実現できる普遍的な「自由」を分かった。

そして、みんなのことを吸収し、発想や認識のパターンにすることから「全員のことを融和した人格」を作った。

そして、この世界の全てをありのままであるとし、全ては自分のためになる、という経験的な実感を、本当に賢く自分で経験すること、振り返ることから分かっていた。

間違った方を選択することが不安なら、間違いを選択する前に正しい方を先に選択するようにすれば良い。だが、慎重に慎重をきして選択していると、必然的に全ての正しい答えを知れる。僕は、もう答えを知っている。だから、どんなにおかしくなっても、どんなに不安でも、冷静でいられるのだ。