新・日記2に戻る | 2018年3月の日記に戻る

=2018-03-04=

昔は、社会と技術を見て、新しい発想が何か出来ないか、アイディアが何かないか、と考えて、実現方法と手段、そして実現可能性を考えていた。

発想法をパターンと考え方にして、一つのことをやるためにどんな選択肢があるかを考え、全ての実現手段を分かっていた。

想像力から、可能性を考えた。説明や仮説だけではなく、自分の体験や経験から、この世界のあらゆる全ての可能性を分かっていた。

そして、実験していた。社会を実験することで、あらゆる場合を分かっていた。そして、良く考えて共通性や否定の場合を考えることで、メタ的に裏の理由とそれを実現させる方法を分かっていた。

それを実現させる方法から、社会モデルを作った。特に、議論や権力を考えて、正しい自由な可能性はどんなものがあるかを考えていた。

あとは、歴史のような段階を分かっていた。「自分が成長する段階が、そのままこの世界の文明が歴史的段階を経ていくものになる」という発想から、全ての歴史を完璧に分かっていた。その後に、宇宙の歴史、新しい生命の歴史を創造した。神のような意識の現象学の歴史家だった。全ては革命的な対立と進歩であると考えていた。

僕は、もう、この世界と関わりたくない。みんなとは無関係になる。

この世界のみんなが、植物のように見える。何もこの世界に対して、関わりたいと思わない。

そして、本当は自分だけセックスをすれば良い。それも、女とではなく、二次元のようなオタクのセックスだ。それで良いなら、僕はもう何もしない。

自分は、何もすべきでないのが分かっていない。これ以上、本当にすべきでない。農作業の時に歩き回ってしまうのは、何もすべきでないからだ。

狂って何もしないなら、それが一番楽だ。そもそもが「何もすべきでない」と思えば、楽になる。

そして、僕はこの世界とはもう関わらない。もう終わりだ。

これで、この文章を終わりにしたい。

まだ続くとすれば、もしかしたらFacebookをやるかもしれない。最近、友達が少しだけ増えた。こんなホームページを更新するのも、バックアップを維持するのも、大変な手間がかかる。Facebookなら、手間がかからない。僕はもうこのホームページとブログは更新しないかもしれないが、その時はFacebookにもしかしたら居るかもしれない。

今日は英会話教室があったし、図書館に行ってPhotoshopとデザインの本を借りた。それから、畑にも行ったし、精神状態も良くなかった。今日は本当に疲れた。ただ、眠りたいだけだ。

ツイッター

昔は、ネットで社会の実例を見ながら、上手くネットの環境を利用して論理を組み立てて分かっていた。積み重ねを意識的に行いながら、無意識における実存の気付きと発見を考えた。人々が意識なくやっていることを、本当は何をやっているのか、それは何を意味しているのかを考えていた。
posted at 05:36:08

自分は、簡単に治るはずの病気が治らなくなっている。セックスと多重人格のせいで、エイズや白血病と同じになっている。アレルギー症状が酷くなるとこうなる。だから、そういう不治の病を精神のレベルで治さない限り、自分は治らない。
posted at 05:35:14

精神はそもそも合理的ではない。だが、精神は完璧だ。精神を合理的に治すのはやめなさい。
posted at 05:34:23

全てを棄てて、自分が全て悪いのだと反省し、絶対者の導きに身を委ねなさい。それがキリスト教徒の理想だ。一度全てを棄てなければ、良いものは何も得られない。一度人生と理想を棄てて作り直すべきだ。
posted at 05:34:00