あとは、ネットを社会の一例だと考えた。ネットの実例から、社会がどのようになっていくかを、現状分析と変化から考えた。そこから、この世界の全てを救えるような、革命家のような聡明な情熱家になった。許せないことは、全て自由を奪って人々の尊厳を貶めることだった。
posted at 19:13:05
あとは、相関関係や因果関係を考えながら、裏の理由を考え、初期投資を行うことで、心や体験や環境の予測をしていた。最悪の体験を知ることで、逆に最高の境地を知った。
posted at 19:11:30
自由から考えていた。自分が今ここに存在するということが何を意味しているのか、存在する自由とは何なのかを、意識と経験から考えていた。人々の意識から愛を知り、経験から可能性を知った。その上で、ハイデガーを踏襲するかのように、この世界の存在の在り方と在り様を考えていた。
posted at 18:57:32
昔は、そうしたものを「存在の在り方」であり、「世界の在り様」であると考えていた。
posted at 18:36:26
昔は、社会的なことや歴史的なことを良く考えた。青少年の一人として、この世界の歴史や教育のことを、論理的かつ理想的に良く考えていた。「この世界は確かに在り、歴史も確かに在った」という信念の下で、あらゆることを歴史だと捉えていた。
posted at 18:36:07
宇宙の歴史、完全な全てが分かっていた。科学の方法から、経験的な世界の広がりの人生学を書いていた。まさに自由だった。
posted at 16:00:41
昔は、社会や学問に対する提案や意見をしていた。議論から自由な社会モデルを作った。全てをネットと引き篭もりで経験した。神のようなありえないことがたくさん起きたが、常に自分が王だった。
posted at 15:51:09
科学や学問のようなことを、「自然な発想の段階」から分かっていた。自然に出てくる発想から、国家や学問やパソコンのようなことを、分かるようになりながら分からなくなることで、まるで洗脳を解くかのように分かっていた。
posted at 11:24:32
一つ一つのことを全部分かって、完璧に分かっていた。全てのことを、一つ一つ、正確に、完璧に分かることで分かっていた。神の「それは何かを当てるゲーム」のように、全てのことを一つ一つ、そして全部分かっていた。
posted at 11:23:26
心理学のように治ることは出来ない。放っておいて、分かって治るとしても、それは難しい。自分は、放っておいて心理学的に治るわけがないのが分かっていない。分かっても治らない。
posted at 11:22:32
昔は、思いや問題が何に立脚しているかで分かっていた。何が何に依存し、立脚しているか、思いがどんな思いから来るのか、ベースになっているのかを考えて、心理学のように分かっていた。
posted at 11:21:40