新・日記2に戻る | 2018年2月の日記に戻る

=2018-02-04=

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神は内在的であるとか、ある意味で哲学的記述のようなことから、宗教を考えた。そして、試験と実験と共有から世界を進歩させるといったように、「オープンソース的な世界の進歩の可能性」から、社会の構成要素全てを成り立たせて独自の資本論を作っていた。
posted at 22:18:06

あとは、世界を平和にする方法や、愛を確かめる方法のようなことを書いていた。そして、人間関係から個別の自由となり、創造性に目覚めて還元的に社会のことを分かっていく、そうしたありのままの人生の経緯を理論的に記述していた。
posted at 22:17:04

新しい段階になったから、きっと楽しいことはある。病気を治すのをやめると、頭脳と眼が治る。完全に狂った目をしているのが、正気になって、きちんと一つ一つの作業を頭脳が考えるようになる。ほとんどのことはもう既に出来ている。総合性は計画性と実験から生まれる。
posted at 22:16:09

このまま、僕はもうきちんとデザイナーになる。それだけを本気で頑張る段階に、そろそろなってきた。大学生が全ての初歩をありとあらゆる分野に対してまとめるのは終わりで、今からは一つのことを人より優れたスキルとして作る段階だ。
posted at 22:15:08

自分の人生から言えることだけで、この世界の社会的・心理的・環境的なことを全て説明した。物理学については、愛と心の物理学を作って、全ての歴史を物理的な各国の関係性から考えていた。人間の歴史を物理にしていた。
posted at 22:14:02

人生の中で起きる、ヒュームの言うような哲学的観念が、どこから起きて、何をきっかけに分かって、何から何が言えて、結果どんな原理が成り立ち、生起するのかを書いていた。また教育については、それぞれが本当に大人になるように「教えるのではなく経験を与えて自分の力で育てる教育」を書いていた。
posted at 22:13:10

また、経済を経済として捉えるのではなく、一種の環境や生き物のように、この世界におけるさまざまな関係しやりとりするシステムとして、この世界における全ての経済を記述していた。
posted at 22:12:01

また、経済システムとしては、さまざまな考え方からさまざまな経済モデルを実地的に成り立たせていた。マクロ的な分野からミクロ的な分野まで、政策からそれぞれの店舗や施設まで、全てを法則的なシステムでモデルにしていた。
posted at 22:11:24

あとは、この世界の環境、この世界の社会が、どこから来て、どのようになって、そしてどのように変わって、どのように残るのかを実像的な視点から書いていた。それから、心理学については精神病理経験のような、自分の人生で経験したことと克服したことを書いていた。
posted at 22:10:32

あとは、日本の問題は孤独とそれぞれが無明の中を彷徨うことであって、悲惨なのは主婦や子供であり、核家族化は少子化とともに、近代化に伴うコミュニティの喪失と関係した現代の問題であると言う。だが、戦後の改善主義によって日本とドイツは良くなったと言っていた。
posted at 22:05:07

昔は、数学的・科学的な中で、逸脱した考え方をしていた。脳の記憶と経験によって遺伝子は変わっていくとか(あるいは子供を産んだ時に影響するなど)、数式とはカウントと数え方の累積と結合であるとか、そういうことを言う。数とは比であると言って、法則は全て意味の分類である、などと言っていた。
posted at 22:01:44

本当は、僕はGPLやクリエイティブコモンズの継承ライセンスはおかしいことではないと僕は思う。自分の作ったソフトウェアのコードがフリーであることが継承されてほしいのは、僕はOpenJaneなどのクローズド化の兆候を見ていると、むしろまっとうなソフトウェア作者の願いだと僕は思うのだ。
posted at 21:46:13

あれは、ネット上のフリーソフトの体験、特にOpenJaneやLinuxの体験で分かっていた。自分だけの独自の青春の体験をしていた。賢くは無かったが、人並み十分に青春を経験していた。それを、創造性の体験だと言っていた。
posted at 21:41:04

ネットで色んな体験をしていた。本当に、創造性と絆のあふれる、素晴らしい体験だったが、本当は間違った体験だった。間違ったことから分かるのは良いことではない。だから、これからはネット以外のことで付き合いと学びを増やしたいと思う。
posted at 21:37:20

昔は、知性と刺激のある生活をしていて、みんなとともに関わる機会が多いから賢かっただけだ。あれは馬鹿だったが、馬鹿ではなかった。もう一度、みんなと関わる機会を持っても良いだろう。だが、その時点でもう病気は治らなくなる。それは、怖い。
posted at 21:33:02

「永遠」だった昔の自分に戻る。もう、異常を治す必要はないから、昔よりもはるかに楽に賢くなる。これが、僕の描く「大人」だ。
posted at 21:29:55

もう一度、永遠に戻りながら、勉強するのが良い。昔から、僕は他人と全く違う道に行く。一人だけの道を好む。また、何か違った道を行くと面白いだろう。みんなのことも、病気を治すことも忘れて良い。むしろ、病気はその方が楽になる。
posted at 21:28:54

結局、病気のままで良かっただけだ。とても長い遠回りだったが、ゴールには辿り着くことが出来た。全部完全に治ったから、病気に戻って、それでもう楽になった。
posted at 21:11:42

病気というのは、悪いばかりではなく、上手く付き合えば良いパートナーになる。
posted at 20:58:03

そんなに頑張って融和しても意味がない。生命は分裂した方が賢い。病気は精神が分裂しているだけで、頭は賢くなっている。病気で知性がなくなればなくなるほど、人間の頭は賢くなる。
posted at 20:44:11

治ると、悲惨な人間になる。楽にはなるが、賢くないからやめた方が良い。
posted at 20:39:39

治ったのは嬉しいが、あまり意味がなかったから、元に戻る。病気の方が賢かった。
posted at 20:38:50

本当は、あとは絵を描くぐらいしか残っていない。他のことは全部分かっている。むしろ、社会や心理のことなんか昔分かっている。実際の現場を知って、哲学者ほどに分かった。
posted at 20:33:58

要は、人間は治ると賢かったものが病気と一緒に消える。だから、治るとまたおかしくなる。今度はまともな人間になりたい。
posted at 20:32:07

僕は、人間が嫌いなのだなあと思う。人間のことを知りたくない。人間はつまらない。人間というよりは、日本人がつまらない。
posted at 20:19:56

最近、面白いのは、食べる、音楽を聴く、寝る、文章を書く、ホームページを作る、英会話、デザインをパソコンで作る、ぐらいだ。あとは全部つまらない。テレビはあまり見ないし、本も読まない。どこか学校に行きたいと少し思っている。
posted at 20:05:20

自分は、面白いものがなくなった。そもそも、面白くないものを面白いと思うのが無理がある。学問を学ぶ、機械を作る、文章を読む、という発想は全部面白くないことだ。面白い人は面白いだろうが、普通、そういう人間は作って出来て生まれる、という不思議な体験が面白いだけだ。
posted at 19:56:16

自分は、やることがなくなった。もう本を読みたくない。本なんか読んでも意味がない。
posted at 18:29:53

昔は、意識の先頭で未来を作りながら、勇敢に戦い、宇宙と人生を作り続けるような、そんな革命をしていた。
posted at 18:28:50

神を信じる、ということは、歴史を創造するために下準備から全ての導きまで、全てを独りでしたい、と宇宙に宣言する、ということだ。
posted at 16:55:23

歴史を創造し、未来を創造し、星を創造しなさい。この世界の全てをがむしゃらに変え続け、そして一度も失敗なく導きなさい。自分ならきっと出来る、と信じて、自分なりの正義を貫きなさい。この世界の中で、ある一つの偉大なプレアデス星人のような歴史を創造しなさい。そして、遺しなさい。
posted at 16:54:52

ただ、環境の経験を増やし、人生経験を知り、たくさんの社会を知りなさい。そこで、自分の夢だったさまざまな社会実践を、自分の中に湧き出てくるさまざまな発想の下に、存分に行いなさい。そこから、人生の青春は黄昏となり、あらゆること全てを知った天使へと生まれ変わるだろう。
posted at 16:51:35

だが、僕は自分の人生を可能にする。それは、愛の共有である。
posted at 16:49:16

神の愛とは、全てが分かった上で見守る愛である。自由を尊重するなら、人々に教えることすら良いことではない。人々の自由を守りながら、それぞれがそれぞれの力によって、自分の力で無明を克服しなければならない。
posted at 16:48:54

神に近づくためには、自ら愛となること、それしかない。
posted at 16:46:30

また、さまざまなことを習得して、世界の中で実地的に自分が出来ることを知って、世界を観察し、周りの環境における状況を良く知ることで、この世界の全ての変化を自分の記憶から分かっていた。
posted at 16:46:12

あとは、状況を推察することが多かった。対立とか、争いとか、戦いとか、支配とか、全ての状況をその場を想定しながら、どのようにすれば解決出来るか考えた。社会を見て、人々の営みを知り、どのようにすれば世界を救えるのか、良く考えていた。
posted at 16:43:20

あとは、自分の手で自分を変えられること、などもあるかもしれない。
posted at 16:39:48

終わりにしよう。もう、これ以上出来るだけ書かないようにしたい。さようなら。
posted at 16:39:32

正しい考え方とは、進歩的に変わっていくこと、それぞれの自由にすること、平等を成り立たせること、出来るだけ変えないことである。
posted at 16:39:18

本来あるべき人生を作り出せる社会こそが、本来あるべき社会である。
posted at 16:34:38

本来あるべき社会とは、本来あるべき人生である。
posted at 16:34:22

自らの経験は、還元的に社会へと回帰していく。
posted at 16:34:08

社会とは、進歩であり、変化であり、共存であり、経験の共有である。また、人生とは、自分自身が何であるかを明らかにし、経験から自己の精神へと回帰し、還元し、創り出していくプロセスのことである。
posted at 16:33:50

たくさんの間違いを経験しなさい。人間は、それでしか成長出来ない。間違いを経験すれば経験するほど、正しいことがどうすれば実現出来るのかが見えてくる。全てが見えた段階で、誰にも出来ないような偉大で賢いことを、最後までやり続けなさい。
posted at 16:20:58

ある意味、ウォーターフォールのような会社のプロジェクト・マネジメントをしなくても、Bugzillaやgithubなどを上手く活用することで、オープンソースはもっと賢いプロジェクト管理を行うことが出来ると、昔から僕は先進的に考えていた。
posted at 16:14:08

あとは、オープンソース・プロジェクトの管理のようなことを言っていた。教育ではシステムを公開して共有すべきだとか、プロジェクトは自主的であると同時に連携すべきだとか、Bugzillaのようなバグやアイディアの集積を行うべきだとか、そういうことを言っていた。
posted at 16:12:36

それらはすべてヘーゲルの言うように「自己意識」の「精神」としての成長なのである。それが、最終的な精神となるまでに、さまざまな自分を自分として知っていく、そうした遍歴を生きる。それが「社会的野心」であると僕は思う。改革、唯物論、啓蒙、功利主義、全ての思想を遍歴して自己意識となる。
posted at 16:07:55

あとは、現象学のように考えると良いだろう。全てはそこにある意識の現象であり、主観でも客観でもないありのままの社会がただ作り出されているのだ、ということが、この世界における存在と時間の真理である、と言えるだろう。それはこの世界が最初に神によって作り出された以来、変わっていない。
posted at 16:05:57

全ては創造性であり、社会は創造性豊かでなければならない。
posted at 16:03:36

賢い生き方とは、自分の発見した原理や真理を積み重ねながら、全てに対して疑念を抱きつつ、自分の出来ることや夢を信じて諦めずいつまでも挑戦しながら、仕組みを知り、習得し、あらゆることに対して原因と根拠を考え、そこから世界の可能性を還元的に考えていくことである。
posted at 16:03:14

間違いを許すことで、人生は進歩する。必要なのは間違いをしないことではなく、間違いを反省し、懺悔することである。
posted at 15:59:42

根拠と原因を解明していけば、誰でも全てのことを自分で解明出来る。昔の神ほどに分かる独自の数学とは、その上でパソコンのようにゼロとイチから世界の全てを説明した、ということに過ぎない。だが、仮象の世界のように、世界全てのことを独自の仮想コンピュータで計算出来るようにして分かっていた。
posted at 15:58:45

情報を公開する、ということは先進的だが、それは間違いを全て許さない、ということではない。間違いがもしあったとしても、それは許されるべき時もある。だからといって、ウソをついて良いわけではない。
posted at 15:57:08

だが、自分勝手な押し付けがましいデータや提案を押し付けるなら、それは良いことではない。
posted at 15:56:11

社会のモデルや具体例を示すなら、誰もがそれを見て一目で分かるような、「すぐに分かる具体例と全ての前提や根拠を示したもの」を作らないといけない。僕はそうしたものを創りたかった。地球儀とはそういうことを言っていた。
posted at 15:55:51

そもそも、社会は従属するだけでは意味がない。みんなのための社会として、みんなの理想を実現しなければならない。だが、安易で安直な方法で実現してはならない。そうした人間を大人は嫌う。きちんと考えた上で、誰もが正しいと思う国を作らなければならない。だが、その実現は難しいだろう。
posted at 15:54:51

逆に、それがそうなる場合の前提として、さまざまな経験的基礎を作ることが出来る。行動を示すための理想や判断基準をそこに含めるのであれば、カントの言うように、それは普遍的な全員の正しい行動基準でなければならない。
posted at 15:53:29

それがそうであるからといって、そうでなければならないことは意味していない。ルソーが同じことを言っている。
posted at 15:52:38

きっと、分かり合える。分かり合えない人間は居ない。それは崇高な理想だが、本当は一歩間違えれば洗脳になってしまう。だからこそ、人間は正しく行動しなければ分からない。
posted at 15:52:19

本当に分かった人間が、根拠や動機や意図を示して、前提となる全てをまず定義し、その定義のみから考えて具体例の全てを説明出来るようにし、その説明が正しいことを根拠を持って示し、全てのことが正しく理解出来るようにすれば、それは新しい数学であり、経済学であり、心理学である。
posted at 15:51:44

そして、それがそうなる、ということ自体が解であり、成立である。それらを分析することで、逆にそれをそう出来るため、それをそうなるということから実現するために、さまざまな前提や方法や手段が考えられる。前提を共有することで、論理を分かり合い、人々との間で同じことを同じように伝達出来る。
posted at 15:50:47

根拠はどこにあるか。環境か、意図か、科学的原因か、心理的立場化、物理的関係か、相対的論理か。そこから、何をどうすれば良いのかが見えてくる。また、それが除かれた場合、違った場合、同じで無かった場合、成り立たない場合を考えることで、それがいつ成り立つのかを知ることが出来る。
posted at 15:49:48

実現する、成り立つ、ということはそもそも根拠自体であり、解自体であると言える。ものを作る、ということはそれ自体影響力を与えている。そして、成り立つ、ということはそれ自体が例である。サルトルが言う、実存は本質に先立つ、とは命題それ自体が成り立ちの理論となっている。
posted at 15:48:20

それがそうである根拠は何か、その根拠は本当に正しいのか、をまず考える。そして、それがそうである場合には何が成り立つか、その根拠となる原因を分析する。結果的に、条件が成り立つ場合に何が成り立ち、それは何を根拠とし、それがそうなることは何を意味しているのかが分かる。
posted at 15:47:12

論理とは、根拠や動機や意図を明確に示して、正しく可能性を考え、それがそうである時はどうなるか、どのようにすべきか、どのように出来るかなどを可能性とし、そうでない場合、共通項が除かれた場合にはどうなるかという条件的特性を知って、共通の原因としての根拠に基づく仮説を実験することだ。
posted at 15:46:12

再利用や集合知のような、パソコンの考え方や社会創造の具体例を考えた。
posted at 15:38:19

歴史とは、全く違う文明の中で人間的に同じ集団と考えた。
posted at 15:37:31

ユークリッドの原論のように、関係から生まれる美しい数学理論を人生体験から作った。人生の数学であり、環境の数学だった。心的現象から、人格と発達を数学にし、ロックのように経験的なモデルを学習から普遍的に考えた。
posted at 15:36:43

世界の現象を、全て知っていた。現象をただあるものではなく、その時その時起きるパソコンのプロセスのようなものと考えた。可能性と現実を照らし合わせて、何が原因で作用からどんな行動が生まれるか、環境はどのようにすれば良い環境になるかを、自由自在に考えた。
posted at 15:34:26

全員全部のことが、完全に分かって説明出来た。全員を吸収し、神になった。独自の自分の考え方がいくらでも生まれた。それは全てコンピュータのような哲学だった。それらを書いていた。思想は環境から生まれると言っていた。
posted at 15:31:30

作り、辿り、実験し、発見することで、全てを説明出来た。また、実現出来た。
posted at 15:28:17

自分は、色んなことの仕組みを知りたい。
posted at 15:25:39

昔は、ニュートンのように、全ての人間現象を説明出来るところまでをしっかりと考えた。
posted at 15:25:12

民主主義とは、ただ自由放任にすれば良いというものではない。逆に、自由な参加や自然淘汰の原則に従うなら、民主主義はそうしたものではない。
posted at 15:18:06

その町において適切な環境を作るためには、自由にするしかないが、だがただ自由にしただけでは良くならない。代表がきちんと作る必要がある。
posted at 15:16:37

一つとして同じものはない。
posted at 15:12:37

世界のことを仮想的に考えていた。
posted at 15:04:37

昔は、ネットのおかげで、世界をどんどん知って分かっていた。会話し、調べることで、世界を拡大して分かっていた。機械や社会の仕組みを知ることで、大学の歴史学者のように分かっていた。誰よりも考えた高校生で、マルクスのように考えた。
posted at 15:03:23

必要なのは、反抗することでも盲目的に従うことでもなくて、自分で自ら実現するために、勇気を出して支配し、支配者になることだ。実現せよ。
posted at 14:10:27

昔は、ネットの青春の経験からプログラマのようなことを知って、具体的な対象から技術の意味を知り、たとえばデータベースのような、高度な科学技術や教育のことを経験的に知って、それだけで世界のことが全て分かっていた。また、社会実践的なこともたくさんして、独自の人生の段階を生きていた。
posted at 14:09:03

僕は、機械のことを知りたいと思う。昔は、機械の仕組みを発想と思考の実体験から分かる人間だった。機械が分からない人間には、何も分からない。
posted at 14:06:11

昔は、パソコンや科学のことを実体験から分かっていた。プログラミング言語などのことは、ネットから分かった。科学の意味と正しさを経験から知った。発想することで、機械や社会を全て作れるようになった。
posted at 13:59:54

他人を馬鹿にするのをやめなさい。同時に、自分を馬鹿にするのをやめなさい。自尊心とプライドを持つことで、この世界が馬鹿になっているのは理想と情熱ですぐに治る。人々を馬鹿にすることは、神を愛することではない。
posted at 12:15:44

昔は、自分の病気の治し方を考えていた。肝臓で治すとか、想像力をつけるとか、そういう風に、根源的に自分の病気を治す方法を、本気で考えて分かっていた。襲ってくる病気の痛みに対して、いやがおうにも抗うしかなかった。
posted at 12:12:46

本当は、この世界が馬鹿なのはテレビが悪い。テレビを見ていると、何も分からなくなる。賢くなるためには、テレビは見てはならない。
posted at 11:59:28

足は、関節がおかしい。対処療法的におかしな部分をその時その時治すのではなく、本質的、根源的に関節だけを治せば、時間はかかるが足の精神は治る。
posted at 11:58:35

足の精神と血は、そろそろ何もしなければ治る。もう、治ったはずだ。
posted at 11:55:01

自分は、精神の調整のしすぎでおかしくなっている。辛くなって、動かなくなって、弱くなっている。一度精神を破壊して、治すのをやめて、強くなると治る。もう楽になる。
posted at 11:54:29