新・日記2に戻る | 2018年1月の日記に戻る

=2018-01-23=

昔は、マスターや宇宙人のような、高い精神レベルの文章を書いていた。悟りのような道だった。

涅槃へと至る人生の経緯を書いていた。

主観と客観を排除し、ただありのままにこの世界の原因と結果が起きる、ということを知ることで、まず、ありのままの世界とありのまま生きる人生のことを知れる。

そして、知性をつけることで、全ては理解出来、誰とでも分かり合うことから、誰のことでも理解出来るようになる。

自由に任されていることを知ることで、この世界の全てが、その時そうだったことが積み重なって、自然に変化し、自然に変化が積み重なり、常に作り出されている、ということを知ることが出来る。

そのような、仏教の真理のような、「正しい世界観のマスター」のような文章を書いていた。

人生のことを言うには、全ては攻撃ではなく叫び声であり、義務ではなく機会であると考えれば、たくさんの機会に恵まれていることが分かる、と言っていた。

習得は義務ではなく機会であり、習得することで人は本当はたくさんの能力と可能性が開ける、と言っていた。

人生の目的は、真理を知ること、全てを機会と考えること、習得はチャンスであると考えること、そしてありのままの人生を生きることである、と言っていた。

また、ある種のドイツやフランスに対する憧れというか、「日本はヨーロッパのさまざまな国の歴史と共通点がある」と言っていた。

たとえば、戦争に負けて軍事主義を反省し、改善主義によって努力して経済発展をしたのは、ドイツと同じだ。

あるいは、明治維新としてヨーロッパに迎合し、新しくなって富国強兵をめざしたが、人々を間違った世界征服の植民地の戦争へと導いたのは、フランスと似ている。

それから、日本はイギリスを模して産業革命期のさまざまな技術を模倣した。戦後はアメリカが主導して民主主義国家を作った。

そうしたことの全てが、「日本という国の文化の基礎力」を高めている。「日本人力」のようなものがついている。

だが、日本人は外国の文化を、日本と同じだと思っているが、本当は町や庶民の文化のようなものが違う。町の人々が集まるキリスト教の教会は無いし、人々が集まって酒を飲み雑談を交わす「パブ」のようなものも少ない。そうしたところで、外国と認識格差が生まれている。だが、それは「違うからこそ良い国になる」という側面もある。

日本には独自の文化もある。外国人は日本の和服を綺麗と言うし、さまざまなポピュラーカルチャーやサブカルチャーもある。サブカルチャーは馬鹿ではなく、昔の漫画オタクはそのままYouTubeやニコニコのオタクになっている。オタクはどんどんSNSでまともな良い人間になっている。

それから、神は様々なことを言っていた。

神が言うには、僕は本当の年齢よりもたくさんの長い歳月を生きていて、それは270億年に及ぶ。

そして、神が言うには、自分が一番分かっている。それは、さまざまな国、学問、性別、環境、地位、経験、理性、知識の知性を持っているからだ。

だが、最初からそうだったわけではない。神は考えられる限り良くしただけで、それによって、僕は最初から決まっていたわけではなく、自分の力でここまでの道を作り上げたのだ。決して、運命や未来という言葉では届くことが出来ないほどの、RADWIMPSが言うような「前世を何度となく乗り越えた」ような人生を生きた。

心が体を追い越したとはいうが、それは違う。本当は、全ての未来の中で、僕がその時その時、この未来を選んできて、そのために必要な下準備があったから、僕の人生は神の奇跡になったのだ。

あとは、心理から経済まで、全てを詳細に考えていた。実現し、成り立たせ、体験し、創造し、思考し、作り上げ、そして導いた。全てを知って僕は死んだ。

僕の精神異常は、全て原因は「ねじれ」にある。学習、脳、環境、神経、感情、支配など、全てがねじれたままになっている。このねじれを治せば、辛いことと楽なことが逆になっているのは治って、きちんと環境に適応出来るようになる。辛いのは、ねじれを治せばすぐに治るだろう。思い出すと、環境がねじれたあたりからおかしくなった。昔の人生は、物理的に成り立たせるせいで、どんどんねじれを生み出すようになっていて、それでこうなった。

学習と経験から、自由を考えなさい。どんなに辛いことがあっても、それが終わる希望を忘れないようにしてほしい。きっと神は自分を救ってくれる。そして、自分の好きなことをやりながら、自分の好きなように、自由に自分らしく生きなさい。自分らしく生きる、ということを、あなたのアイデンティティと価値観にしなさい。

宇宙の全てを経験していた。神とともに、精神の中で宇宙の完全なる根源へと至る全ての経験をした。自然は、絶対者となって逆の人間になった。

僕の人格に、名前をつけよう。

まず、精神の人格には、「ロキ」という名前を付ける。ロキは精神の世界で全てを悟っている。

社会と国の人格には、「トール」という名前をつける。トールはこの世界の社会と国のことを全部分かっている。

そして、神と宗教の人格には、「オーディン」という名前を付ける。オーディンは、宗教だけではなく、哲学的理性についても全てを知っている。

知識と理性の人格には、「フレイヤ」という名前を付ける。フレイヤは、完全に全てを知っている。

最後に、経験と自由の人格には、「フレイ」という名前を付ける。フレイは地上の全てを経験し、どんな人間のことでも、自分のことと同じことであるかのように、人々を愛して理解し、導く能力がある。

ロキ、トール、オーディン、フレイヤ、フレイ、僕はこの5人の神によって成り立っている。

開拓し、信じ、抽象的に考え、捉え、実現することから、価値観と自然が生み出され、それは具体的な価値を作り出し、そして永遠の時の中で、人々は関わり合い、強くなり、争い、そして許す。そうした万物の真理の中で、人々は高まり、異なる時代を生きる。国によって分断される世界は、いつか一つになって、自由か平等の思想を執り行う。そのごろには、単純な自由と平等ではなく、複雑で愛と自然に基づく素晴らしい国家形態が議論され、実現され、歴史として体現されるようになる。冷戦は終わったが、人々の意識はまだ冷戦構造のままだ。本当はそれぞれの価値観をそれぞれが信じながら、それぞれが経験し、関係し、社会を作り出すことで、習得、生産、消費、意欲、そして労働に基づく新しい社会が生まれなければならない。

昔はそういう風に、「未知の中に法則を作っていく」ような文章を、自らの経験や人生のことを踏まえた上で、実地的にさまざまなものを作り出すように、書いていた。

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本当は、この文章も、自傷行為のような文章だが、この文章は僕の魂のこもった、「死ねない理由」の存在する文章だ。
posted at 22:46:03

だが、この世界の自由なみんなを愛していた。自分によって環境や人格が破壊されるのに堪えられなかった。それが、今の僕を制限している。人々を破壊したくない。どこかで、そうした「人々を破壊する」ことに対する恐怖とトラウマが心の中に存在する。何が悪いのか、分からない。Linuxが悪いのだろう。
posted at 22:45:20

制限されるのが嫌いだった。思う存分、自分の好きなだけやりたかった。
posted at 22:43:55

みんなと一緒のペースで生きたくなくて、自由に、自分が選択して、自分で見て、自分で作って、自分で理解した。昔はそういう人間だった。それを、「自由な人生」と言っていた。
posted at 22:42:55

要は、みんなと同じで居られなくなった。みんなより賢い人間や人生を目指して、何も受け入れなかった。だが、本当はそれによって、頂点まで行けた上で、みんなのことを一切傷つけない、「一人の最高の王」になれた。それは、「最高の愛の善人の王」となって、この世界を変える偉大な力となった。
posted at 22:42:08

自分は、本当は中学生のごろの体験がトラウマになっている。それは、みんなと同じであることに我慢がならなかった「プライド」であり、それが執着心を生み出している。みんなと同じ立場になることで、執着は消え去り、心のわだかまりは解ける。そして、それと同じことをくり返している。
posted at 22:38:51

治す部分を殺して治るわけがない。馬鹿なのは、賢くなる部分を壊したからだ。だから、治す部分や賢くなる部分をもう一度新しく作れば賢くなる。ねじれを治すためには、賢くなる部分が必要だ。
posted at 22:34:09

もう足が治ったから、やることはもうない。完全に治して、そしてもう治さなくした方が良い。
posted at 22:30:09

昔きちんと分かっていたことを書くせいで、何も分からないようで全部分かっていた。分かっていることしか書いていない。全て分かった人間だった。
posted at 22:29:43

昔は、人生と地球のことを実感して、経験から自然や環境のことを実感で分かっていた。
posted at 22:29:19

菌は自分だ。人間は菌と化学物質の集合体だ。菌を殺した方がおかしくなる。菌は増やした方が良い。特に、腸内の菌が少なくなると、免疫機能がおかしくなってアレルギー症状を引き起こす。
posted at 22:28:53

ねじれを治してつける部分がねじれている。治すためには、ねじれを治す部分を新しく作るしかない。足はそれでもう治った。
posted at 22:27:54

現代人は狂気の中に生きている。この世界を狂気だと思わないことがおかしい。
posted at 19:08:29

人々を愛することが、結果的に自分のことを愛せることに結びつく。
posted at 19:08:09

社会の進歩は、人々のせいにするのではなく、その人々をいかにどれだけ救えるか、という度合いによって計られるべきだ。
posted at 19:07:43

民族、歴史、自然、地理、経済、自由の達成の度合い、文化的・精神的なレベル、そして人々の幸福度の度合い、が国としての価値を決める。
posted at 19:07:05

この世界における人生の理想とは、人々との関係を持つか、相手のことを許すか、競争によって世界を変えるか、経済成長によって国を発展させるか、失敗を克服して成功するか、貧しい中で努力して成功を掴むか、などがあるが、本当に正しい理想とは神を信じること、哲学者となることだ。
posted at 19:06:14

この世界にあるべき国の形態は、それぞれが自由を守るか、規律をそれぞれで作るか、一人の指導者について戦うか、歴史から学ぶか、宗教を実践するか、あるいは経済学の理論に従うか、である。
posted at 19:05:00

この世界にあるべき学問とは、政治経済、博物学、数学、哲学、心理学、神学、そして文学である。
posted at 19:04:07

社会は自然に変わっていく。
posted at 18:56:18

自由な理想の下では、人間は人々と交流しながら自分の本当に望むことが何だったのかを考え、全てを知って人生を悟る。平等な理想の下では、耐えがたい屈辱から愛することを学び、一つの目標に向かって地獄の中を一人突き進む。
posted at 18:44:57

成長とともに恐怖は克服される。だが、本当は恐怖の地獄はそこで終わりではない。大人になると、本当に恐ろしい体験をするようになる。恐怖の刃が切りつけてくるのは、恐ろしい体験から逃れようとし、自分が一番無防備になっている時だ。それを克服しなければ、真の男とは言えない。
posted at 18:41:35

理想の人に愛されたいなら、自分がその理想の人になって、人々を愛しなさい。
posted at 18:40:17

救ってほしいなら、自ら救いなさい。王になりたいなら、人々を王にしなさい。
posted at 18:39:46

人間は、知と死によって成り立つ。
posted at 18:39:31

子供から見た大人の世界では、子供は成長し、全てのことを知ることが出来るが、大人から見た大人の世界では、何も知ることは出来ず、永遠に失敗を繰り返す。
posted at 18:39:15

平和な心を作りたいなら、平和な心を作り出すために何が必要なのかを考えなさい。
posted at 18:39:12

心が神によって占領されているから、神を消して心を自分のものにした方が良い。神はこころの中に内在化する。そして、内在の中において、自己を外在化し、内在の神と外材の自己が対話するようになる。それが、ドイツ人の昔からの伝統的な神との対話だ。
posted at 18:37:05

僕に足りないのは、人間的な総合的な賢さだ。ただ、文章を書いても、ただ人生を生きても、ただ悲しみに耐えても意味がない。きちんと総合的な人間の賢さを作っていかなければならない。絶対に書く、という行為は良いことだが、何もしないから人格が機械になっている。それは、すぐに治る。
posted at 18:00:16

環境的土壌として、ネットを見なさい。ネットのさまざまなブログや掲示板が、人々の自由な行動を促進し、大学の研究のような体験を実地的に、実際にこの世界の実例を見ながら、理論や宣言などを実地的に考えることが出来る。
posted at 17:58:35

Linuxによって、社会的な英雄の活動から、数学的な原理の研究まで、全てが出来る。社会を実例から知り、そのことから数学的理論を作ることが、Linuxとオープンソースの活動から生み出されるだろう。
posted at 17:57:41

ガイドと可能性がある人間は、大学のようなものが存在しなくても、潜在的な社会の可能性を知ることで、この世界の全て、宇宙の全てを体験的に知ることが出来る。ネットを使ったコミュニケーションはそこで活きてくる。
posted at 17:56:34

ネットを見ることは悪いことではない。社会がどのようになっていくか、という「生起」の考え方をすることで、ネットは自分に「自身の人生としての自我の確立」を与え、「この世界において自分がどの方向に進むべきか」という「ガイド」を与えてくれる。また、自分の行動から「可能性」を知れる。
posted at 17:55:53

神を信じることで、不安や障害なく問題を乗り越えられる。神はそういう時、いつも教えてくれる。
posted at 17:54:07

また、その世界を実現するために何が必要かを考えることで、実際のこの世界の環境の変化から、「自分が世界を変えられる実感」を得ることが出来る。それは、最終的には支配と導きになって、この世界を楽園へと変え、導く。
posted at 17:53:46

精神分析をするなら、「愛」を考えなさい。自らの経験から、慈悲の心と神の愛を知る。そして、愛とは何なのか、愛は何をもたらすのかを考えなさい。そのために自分が出来ること、思想として実践できることは何かを考えなさい。愛とは、全てを包み込む、自分の全ての経験から来る善の感情だ。
posted at 17:52:27

関係を結び直すことによって、執着からも解放され、連想の地獄についても全ての問題をクリア出来る。結び直すことから、新しい関係を作り出すこと、生み出すこと、そのために対処することも出来る。人生が進むにつれて、それはどんどん出来なくなる。再度、関係を結び直してみよう。
posted at 17:50:53

一度、未熟なこと、子供のようなこと、過去の環境のこと、記憶のこと、過去の人生のこと、古くなった関係や考え方のことは、全部捨てなさい。今までに囚われるよりも、新しい関係を世界と結び直した方が有益だ。そうした、「関係を結び直す」ことによって、人生と関係は新しいものになる。
posted at 17:49:28

昔は、「理性的な作ったこと」を言っていた。分類、基礎、考え方、実例のような、理性的な作ったことを言う。数学的に考えながら、経験から原理を見つけ出したり、世界を変えるための良い方法を考えたり、関係を分析して主観と客観のありのままの因果性で考え方を作ったりしていた。
posted at 17:46:19

何もやることがないなら、思い出しなさい。さまざまなことを思い出す過程でしか、人間は賢くならない。
posted at 17:45:18

本当にやりたいことは、青春時代の先の大人の時代にある。青春時代がやりたかったように見えて、それは違う。その先の、馬鹿にしか見えない大人がやっていることが、本来その人間がやりたかった、生まれる前の約束の実現である。
posted at 17:39:25

本当は、恥と失敗を繰り返しながら、世界を知っていく青春時代においては、何でもかんでも分かる代わり、それが間違っていることを知らない。
posted at 17:38:21

恐怖は、成長し、大人になるにしたがってなくなる。だが、「自分のことは自分にしか分からない」というある意味普遍の真理によって、大人は周りのことが見えなくなる。さらに成長すると、我慢が我慢でなくなって、我慢を継続することによって楽に出来るようになる。だが、それでも馬鹿は治らない。
posted at 17:37:39

悲しみを乗り越えて生きなさい。どんな地獄も越えられる。哀しい中で、きっと僕はこの試練を乗り越えるのだと信じて、不可能にしか見えないことを打ち破る我慢強さを発揮しなさい。
posted at 17:26:00

昔は、環境的な土壌のようなことを分かっていた。環境的土壌を作れと言っていた。多様性を高めよと言う。そもそも、ネットの環境的な土壌が良かった。多様性が豊かで、大学のように何でも分かる環境だった。
posted at 17:25:23

政治的な考え方として言えるのは、「全員を自由にする」ことか、「弱者を救う」ことだ。どちらかしか選択肢は無いと僕は思う。そして、両者は矛盾する。ソ連のようにしたいわけではない。ソ連という前例があるせいで、人々は平等を悪いと思っているが、それは間違いだ。
posted at 16:42:34