新・日記2に戻る | 2018年1月の日記に戻る

=2018-01-09=

昔は、引き篭もりになって、他人とは違う人生を歩んだ。果てしない経験をどこまでもし、幅広い世界観と知をネットで得て、人間の理性と知の全てを考えて分かっていた。

その後は、一度運命的に世界を変えた。そして、自分によって失った愛を復活させるために、狂いながらとても素晴らしい帝王を頑張った。絶対に不可能に見えることも、希望を信じて「世界を治すために」頑張っていた。

最近は、辛かった。地獄をいつまでも耐えていた。だが、希望は見える。もう、ほとんど楽になった。

もう、これ以上、何も分からないだろう。一生、何も出来ないかもしれない。むしろ、出来ないだろう。だが、ほとんどのことはもうやった。あるものを知り、導きの通り生きるのではなく、ここからは自由になって自分で創造するべきだが、本当はそれはもう終わった。完全に自分の世界を創造した。

もう、終わりだ。果てしない経験の中で、経験や社会の可能性のことを良く考え、また理想を信じて不可能なことに挑戦し、恐怖の中で最後まで耐えた。逃げ出したくても、逃げ出さなかった。僕はもう終わりだ。光となって、宇宙における魂と融和するだろう。僕はまだ生きているが、もう終わった人間だ。

僕は、みんなへの愛を秘密にしている。みんながどれだけ僕を厳しく言っても、僕はそのあなたを愛している。決して価値の無いものだとしたいわけではない。それによってあなたの人生が良くなるなら、僕は批判されても愛するだろう。

昔の自分は、「精神世界の創造論」のような文章を書いていた。自由と環境の維持を考えながら、宇宙の全ての現象を説明する。自分の分かっている通り、この世界の全ての現象を説明した。解明し、説明し、誰にでも分かるようにした。

そして、僕はこの世界を今でも一番高いところから支配している。その「強さ」を棄てよう。一度強さを棄てれば楽になる。僕は今から、まっさらな新しい装備の下で戦う。今までのように戦車で勝つことは出来ない。だが、人々の味方となって同じ視点で考えられるようになりたい。

昔は、人間の理性のことを全部分かった上で、経験的な社会の発生と構築の方法を知り、変化からありのままの精神論を分かった。信じることが出来る素晴らしい人間だった。

あとは、人間の可能性を考えていた。哲学者のように、自分のたくさんの経験を踏まえた上で、人間の多様な可能性を考えた。いつ何が出来るかを考えながら、どうしていけば(自分でも)出来るようになるか、ということを考えた。

その上で、社会を経験における状態だと考えていた。自分の豊富で多様な経験から、社会の生成のようなことを、経験における「状態」と考えることで、この世界を分かっていた。そして、習得や実感から、全てのことは誰にでも開かれており、自分でその気になれば超えられる、という意味で、経験を自分の中における「状態」であると考えていた。そして、経験を成り立たせて、場や視点における経験の可能性を考えていた。

僕は、Linuxの使われない原因は、ただ一つ「GTK+がキモい」ことにあると思う。GTK+でプログラムを作りたくない。もう少しマシなツールキットがないと、Windowsのように「便利な道具」のようにコントロールやウィジェットを使えないし、独自のアプリケーションを独自のプロジェクトで開発しなければならない場合に、ツールキットとライブラリ(GNOMEのライブラリ)が押し付けがましい仕様を押し付けてくるようだと、何も作りたい気分にさせられない。見た目もキモいし、テーマやスキンが中途半端で、豪華なテーマを使えるわけでもなければ、自分で独自の見た目を作れるわけでもない。だから、QtとGTK+はいつか統一させなければならない。そのためには、GTK+のAPIでQtを利用可能にし、Qtのコアの部分をC++からC言語に書き直し、全てのGTK+アプリケーションをQtで作れるようにしないといけない。それをしない限り、いつまでもLinuxのGUIは悲惨なものであるだろう。

心理学的なことを言えば、「治って融和する感情」という発想があった。いつでも、全てのことを知り、悟れば、全ては段階的にすっきりと理解出来、分かったことは自分の心の中に融和する。昔は、そういう風に、段階的な治る感情で分かっていた。完全に全てが分かって、仏のような覚者になっていた。ブッダはそういう人間だ。

昔は、人々と同じ発想をすることで、逆に人々が何を分かっていないか、何を思い込んでいるかが全て分かっていた。思い込みを考えることで、この世界の全ての原因が分かった。また、経験し、対話することで、それが本当は何を意味しているのかを知り、解決方法を知った。その上で、いつどうなるかを考えることで、悪魔のように世界を支配出来る、本当に良いことに使えば素晴らしい能力を持った天使のような人間になっていた。フッサールもそういう人間だ。

あとは、世界の広がりから、みんなが何を知らなくて、自分は本当はどこに位置しているのかが分かった。また、解明することで、正しい法則がいつでも成り立つこと、それは原理だけではなく事実によっても成り立つことを知った。相対的な経験と知から、自分が今何を知っていて、人々と何が違うのかが分かった。そこから、主観と客観がおかしくなったが、それは甘美な体験だった。

感情の奥底にある精神を分かっていた。鬼神を手なずけることが得意だった。自分の力で神の精神を支配していた。黒魔術のようにこの世界を支配し、感情を上手く促すことで、まるで合気道のようにこの世界を導いた。世界は永遠の愛になり、最高の恋が始まった。真実の恋愛だった。そして、それはすぐさま崩れ落ち、それを崩したのはほかならぬ本人である自分だった。あの愛が人々を惑わし続けるならば、それは良いことでは決してない。僕は神の導きの下、もっと最高の精神を人々に与えるために、地獄の中をまっすぐに突き抜けていったのだ。その、治るという精神、救うという精神が、昔の僕の悪魔の愛よりも優れたものになることは決してなく、僕は悪魔には勝てなかった。そして、永遠の刑の下に、僕は最後まで試練を耐えたのだ。

日本の和の精神と美しさは、ある意味で理想だ。細部にまでこだわった装飾から、統一感のある風味やテイスト、そしてそれぞれが決していがみ合うことなく調和し、押さえつけることなく自由にそれぞれが和の精神を持っている。和とはそういうものだ。漢字の「和」が全てを現している。日本は、そうした、このような理想を究極的に、ある意味では相対的に作り上げた、絶対美なのである。

ヨーロッパが美しいのは、ただ絶対的で印象的な神の精神にしているだけで、ただの馬鹿だ。日本の哲学は人生を分かりつくしている。地獄の中にも光があることを知っている。それが、日本の「和」の芸術なのである。

日本には多様性もある。和洋中のそれぞれの芸術と文化が盛んで、洋に関しては洋をコピーするだけではなく、自分で新しい発想を作り出している。日本は最高の美の国だ。

要は、日本人は生活の中でさまざまな芸術思想に触れている。昔の僕は、そういう「触れ合うことにおける影響力」を考えていた。日本人は、漢字を使うが、漢字はそれだけで芸術作品だ。見るからに中国の建築はヨーロッパと全く違う。そういう、「本当に多様な中でさまざまな影響力を受ける機会」がある。僕はそれを「知性」と名付けたい。その知性こそ、僕が求めていたものだ。昔の僕は、そういう知性と機会から人生や教育のことを考えて、「日本的文化の影響を受けられる土壌」を考えていた。

最近は、日本だけを優れているとする右翼が多いが、右翼の問題点は、日本の文化だけにしようとするところだ。それは間違っている。日本はさまざまな文化を吸収し、独自に作り変えることで賢くなった国だ。そのことを継続するのは良いが、それによっておごり高ぶり、オリジナルの文化を貶すようなことを言うのは良くない。日本の直接的な文化の親は中国朝鮮であって、それらから常に学んできたのが日本人だ。今からも学び続け、そして相手に対して還元できるようでなければならない。だが、日本人が世界において重要な地位につくことは、僕は良いことだと思っている。

さて、そろそろ新しい生命に生まれ変わろう。地球の生命は全て終わった。次は、どこかの宇宙のどこかに居る生命になる。それで、僕はもう居ない。さようならだ。今から僕はこの世界の影響力のあり方を治す。それによって全てが治るだろう。僕がまだ居ると、新しい世界の創造の邪魔になってしまう。だから、僕はここで居なくなる。何も知らないみんなが、自分の力で考えてこの世界を創っていくべきだ。そこに神の影響力など、無い方が良い。

昔は、この世界が小説のようだと考えていたことがあった。また、現実の方が小説よりも偉大だといつも思っていた。そういうところは、全て、未来の自分の文章を分かっていた。あれは、体験するバージョンの自分だ。こちらは、創造するバージョンの自分だ。だから、体験や成長が創造や実践に変わっただけで、本当は何も変わっていない。

体験は、必ず何かを与えてくれる。無駄な体験など一つもなく、人間の理性で分かることは、きちんと考えれば自分でも全て分かることが出来る。そういう、中高生の青春を生きていた。世界は変えられる。それぞれの世界は自分の中にある。

それで終わりだ。全て書いた。

本当は、中国に良いものがある。中国は最初からおかしなことをしない。昔から中国は真面目な国だ。中国は文字を作る。中国について、何かがきっとあるだろう。

社会は状態であり、誰かによって変えられる。社会は相対的な歴史の場の変化である。そして、歴史とはそうした積み重ねであり、統合的に考えることで世界は変えられる。昔は、そうした「場の状態を変える」という意味で、この世界の歴史と変化の可能性を分かっていた。

アメリカの退廃した文化は、それ自体がすさんだ時代だったのもあるが、アメリカの政府が世界中を勘違いさせている。あたかも荒廃が賢いものであるかのようにしている。本当に美しいのは日本なのが分かっていない。だから、どんどん日本の中でおかしなものを流行らせている。全部アメリカが利用してやっている。正しいのは中国と日本だ。対立するように仕向けているのも、全てアメリカだ。だから、中国共産党と日本は、多様性の中で共存されなければならない。日本人は考え方を改めるべきだ。

自分が恐ろしいのは、自分にしか分からないからだ。全て、自分にしか分からない。それが怖いから狂っている。

賢くなりたいなら、その感情や思考がどこから来るのかを考えなさい。また、この世界の森羅万象がどこから生まれたのかを考えなさい。そこから、機会や手段となり、心理学的な段階が分かっていく。それだけをすると、きちんと分からないのが治るだろう。

これで終わりにしたい。まだ何かあるかもしれないが、僕の人生の歴史は最後まで終わった。

パソコンの真の楽しさは、「バージョンアップを繰り返す」ところにある。だが、僕はその楽しさを破壊した。もう一度その楽しさが蘇ることを期待したい。本当は、開発ツールやOSのシステムが整いすぎたのが悪い。昔は、単純な工夫でも「こんなことが出来るのか」という驚きがあった。今のパソコンは、簡単に何でも出来るように見えて、開発者の自由度が少なくなっている。自由度のないパソコンなんか、ただのゴミくずだ。本当は、オープンソースなんか、最初から何も用意せず、ただ自由にすれば良い。その自由から全てが生まれるからだ。それが、オープンソースにおける新しい自由だ。だから、お仕着せがましく上からシステムを教えるエリートは必要ない。自分の力でパソコンのシステムを「ハック」する人間が必要なのだ。

本当の真実は、自分の信じていることや、一般的なみんなの信じていることとは別に存在する。みんなのことを知れば知るほど、もっと別のところに真実が存在するのが分かる。また、宇宙は人間の理性とは別に存在する。人間が人間の理性で言葉や分類の考え方で分かっているのは、全て間違いである。宇宙には言葉も分類も存在しない。だが、信じなければ人間は未来へと進むことは出来ない。そのためには、過去を棄ててそのままを受けいれ、今の精神のままで生まれ変わることも必要だ。それを、人間は「ありのまま生きる」と表現する。だが、本当は「ありのままを信じる」ということだ。

この世界を尊敬しながら、謙虚に自分らしく自由に生きていれば、全ては自分のためになる。全ての体験は、視点を変えるだけで価値ある体験に様変わりする。

暴力でも、性でも金でもない。本当に大切なのは、考え方を変えることだ。

精神が一度死ぬためには、全てを受け入れて任せることだ。それで、おかしな動き回る辛い精神はすぐに死ぬ。受け入れて任せることは、何にでも効く万能薬だ。決断すること、視点を変えること、ある意味でそれも正しいと考えることから、人生は変わっていく。だが、時に信じないことも大切だ。信じないことを、人は理性と呼ぶ。

恐怖や不安を乗り越えるためには、謙虚に考えること。だが、「頑張ればきっと乗り越えられる」と考えることはとても大切だ。そして、「自分はこの世界を変えられる」という考え方が、思考や理屈ではなく実践になった時、そこで全ての経験が自分を支えてくれる。継続は自信に変わり、愚かさは賢明さになる。

病気は、きっと治るまで治るのを諦めなければ、願い続ければいつか治る。まだまだ続く試練は、今の時点でどこまで行っているのかは分からない。だが、きっと超えられる。一つ一つ解決していけば、きっと全て解決する。考え方はたくさんあった方が良い。

全てを治し続け、病気や世界の混乱を少しずつ統合していき、治るかもしれない、試すべきことは全て試し、全力で応じ、そして全力でこの世界と向き合うことで、きっと自分は偉大な存在になる。それが良いだろう。

なぜか、精神は最後まで治った。辛い「死」だけが出来なかった。だから歩き回り、動き回っていたのだろう。もう、終わった。

辛かった時代、地獄の中で今を信じた。死だけを拒否した。辛かったが、良い体験だった。本当に、精神の異常から何も分からなくなっていた。

世界を変えるために、自分の分かること、知っていることを全部詰め込んだが、あれは要らない。全く無用の産物だった。そういう文章だった。世界の中心で愛を一人で叫んでいた。

ツイッター

自分の問題は、まともな人間になるわけがないことだ。何もせず、すぐに馬鹿になった。それが後悔しながらまっすぐに突き進むことで、馬鹿なのに普通の人間より賢くなった。天使や妖怪というよりは、妖精というべき小さな生命だ。
posted at 15:50:26

Linuxなどのフリーソフトウェアのユーザーは、金を払わないことを罪悪感だと思っているが、本当は金を払わない方が善良だ。馬鹿で世界を破壊しているWindowsやIBMの陣営に金を払って加担するぐらいなら、イデオロギーが強いとはいえボランティアの開発しているオープンソースを利用すべきだ。
posted at 15:49:32

事実と原理のバランスから、可能性を考えなさい。事実から原理を考察し、経験から全ての知識を再構築し、いついかなる場合に成り立つかを良く考えて、何をすべきかを考えなさい。
posted at 15:48:05

大学はVisual Studioだ。
posted at 14:37:42

これではオタクだ。あとは、Apacheが金で、MySQLが行政だ。自動車はOfficeだ。むしろ、オライリーがそういう発想をしている。
posted at 14:36:16

Adobeは、食べ物を作る料理人だ。コンパイラは、ハードウェアを作る工場だ。IBMは政府だ。
posted at 14:31:20

Linuxカーネルが何なのか、という話になるが、きっと太陽みたいなものだ。あとは、人間の使う機械がGoogleだ。
posted at 14:28:38

ユーザーが植物で、ハードウェアが生きるために必要な栄養分で、電気が水だ。プログラマは万物の創造主の下、天国から地球を見守っている。
posted at 14:23:30

KDEは海の綺麗な魚だ。Windowsはアニメのキャラクターで、Macが宇宙人だ。
posted at 14:19:52

Javaが爬虫類で、Mozillaが鳥で、Emacsが霊長類で、viが人類だ。
posted at 14:18:36

巨大化しすぎた生物は滅びる。GNOMEは恐竜と同じように滅びるだろう。逆に、UNIXは昆虫のようにいつまでも続くだろう。
posted at 14:11:25

そもそも、統合や統一における再利用の革新性は、生物学に反しているから、間違いであって、正しいのはプログラミング言語のように独自のものをたくさん作ることだ。その上でそれぞれをある程度軽量化し、モジュールやライブラリのように機能を増やす。デスクトップもそのようにすれば良い。
posted at 14:09:33

パソコン業界全体が、再利用という悪魔を信じている。だが、本当に必要なのは独自で美しいものを作ることだ。Linuxには、まだまだそういうものが足りない。KDEが悪い。
posted at 14:04:07

再利用には個性がない。それぞれ独自にデザインして、その上で個性を持たせた上で綺麗にしなければ、Linuxは劣化コピーのバッタモンを超えられないだろう。
posted at 13:58:11

ホームページを作るのは、僕はWordPressなんか使わない方が良いと思う。独自性や個性のない、つまらないページになる。ブログも、出来るだけカスタマイズしたデザインにしたい。動的にやりたいなら、自分でスクリプトを書くべきだ。だが、Railsは勉強になる。
posted at 13:55:16

そういうわけで、日本もドイツと同じにすべきに見える人間が、何故かキモいぐらい政治家に多い。ドイツを賢いと言う。だが、庶民は全く逆で、ドイツを倒したい人間が一番多い。民主主義では、政治家が嫌いにしかならない。
posted at 13:50:13

ロシアの方が悪い。ロシアには、国のために戦う人間が多い。ドイツとロシアは共通点が多い。だが、アメリカは本当に狂っている。アメリカは自由だが、全く良い国でない。それは、自由という名前の恐怖の論理や恐怖の理屈で考えるからだ。
posted at 13:44:18

ドイツには、創造的で真面目な良い人間が多い。賢い人間が多いのがドイツ人だ。
posted at 13:40:21

革新勢力だからといって、それが保守と同じことをやらないとは限らない。それがソ連であり、アメリカだ。本当の保守は、科学者を養成する。保守のドイツの方がはるかに創造的で、相対的な発想や発見をしている。
posted at 13:34:28

ロシアは革新なのに保守的すぎる。もっと、自分の自由な人生を生きられるような、自由な革新をした方が良い。ロシアが革新なわけがない。アメリカも保守なのはおかしい。アメリカが理想を持たなければ意味がない。残念だが、アメリカにもロシアにも居なくなってほしい。
posted at 13:31:30

学校になんか行かない方が良い。学校は何もしない施設だ。無意味なことしかしていない。何か出来るわけがない。最近はそういう真面目な馬鹿が増えている。それが日本に失望して絶望のニートになる。それが今の日本だ。それでいじめ国家になっている。
posted at 13:28:17

自由の下で社会を作っていた。社会を永遠に作り続けていた。
posted at 13:14:28

レベル補正は、真ん中を変えて明るくすると淡くなり、両端を変えるとコントラストが高くなる。また、真ん中は全体が明るくなり、両端は明るい部分を明るく、暗い部分を暗くできる。僕は、全体を明るくして、暗い部分をはっきりさせてレベル補正をしている。
posted at 13:13:20