新・日記2に戻る | 2018年1月の日記に戻る

=2018-01-08=

数学の勉強がしたい。これで数学をすれば考え方が(考える方法、という純粋な意味で)分かる。

数学をすると、文系の勉強が出来なくなる。それは、数学の考え方があると、知識を知らなくても自分で考えれば分かるからだ。

数学を始めると、今までの知識が全部消えていく。

数学は記法だ。記法を多様にすることで、たくさんの数学が生まれるかもしれない。

ものは、経験的に創り出されている。社会も同じで、皆で作り出されている。

人間の活動は、認識や理性と経験や宇宙現象との関わり合いである。

何か才能を持っている人は、もっと違う才能を持っている人と出会えれば、可能性を発揮出来る。それは化学反応のようなものである。

宇宙の世界には、人間の思い込みは存在せず、人間の知っている知識、方法、分類などの考え方に意味は無く、ただありのまま存在する。

人間の見ている世界は、人それぞれ違う。

影響力による経験の重なり合いと積み重ねが歴史であり、それは相互の影響力の作用と共有のあり方である。

日本には、影響力が無くなっている。自分のせいで、影響力のレベルが極端に下がっている。もっと影響力を与え、それぞれがそれぞれと自由に活動し、受け入れ、認め、発想し、自発的に許し、行動していけば、影響力の欠如になっているこの時代は治る。

思い込みを排して考えると、精神や仮象の世界は方法的に自然に生まれていく。

数学的に考えると、人間の考えることは同じであることが分かる。知識を自分で分析出来る人間は、全ての知を自分で作り出せる。知識はその時その時生まれていく。

考えていることは皆同じだ。

自分で生きる力が数学だ。数学をしていると、自分で考える力、自分で生きる力、自分で行動する力が生まれる。

失敗から人は学ぶ。賢いのは、愚かでない人間ではなく、自分の何が愚かなのかを知っている人間である。

大学の間違いとは、知識を教えることだ。知識をきちんと学んでしまうと、人間はそれ以上考えなくなって、自分の力で何も分からない人間になる。経験や知識のない人間が、見る眼やフィルターは賢い人間が多い。

綺麗事が嫌いでも、理想は信じたいものだ。

そして、守ることと棄てることは同じだ。自分の人生を棄てた人間は、一番強い愛で人を守ることが出来る。一つの国を守るために、勇気を出して最後まで戦い続けることを覚悟することが出来る。

守ることが最後まで出来たなら、棄てなさい。全てを棄てることで、覚悟を持って新しいことに取り組める。今までの人生を棄てることが出来る人間は、未来の賢者に生まれ変わることが出来る。

昔は本当に、数学者のように数学的方法を分かっていた。僕の父親と良く似ていた。

数学のことが分かったのは、高校に行って高校数学の勉強をするよりも、Linuxやパソコンのことをしながら自分の思考だけで中学数学の理性でゼロから考えて、この社会のことをまじかで見つめながら未来と経験を考えたからだ。

全ての科学を経験から作り、全てのこの世界の変化を知った。

この世界をどのように作れば良いか、子供たちが学ぶ中で教育や人生の環境をどのようにすれば良いか、社会において手段や機会はどのように実現すべきかを知っていた。

少しずつ不可能を可能にしていく中で、僕は「インターネット青春」をしていた。

一つ一つの世界を知りながら、プログラマの話を聞いて体得していくうちに、「全員よりも賢い経験の持ち主」になった。

数学は、そうした人生経験の中での「純粋思考」であり、そのために「バックボーンとしての実経験」が存在した。

まったく、科学者のような人間だったが、ソクラテスは「知らないことを知っている人間が一番賢い」という。それは、僕が思うに、「自分は知らない人間だと言える人間は、それだけで全てを知っているからだ」と言えると思う。

子供のために言えるのは、「試すことを恐れない」ことだと思う。自分で試し、実験することを知っている人間は、それだけで誰よりも賢い。試すことを恐れていると、何も分からない人間になる。

僕のように、いつまでも試すことを恐れる人間は、まだその段階に達していないから、勇気を出して試したりしなくて良い。だが、それが成長して15歳ぐらいになると、むしろ、良い人生に向かうより自分の自由な人生を選んだ方が、結果的に将来良い人生になる。

だから、自由は恐ろしいが、恐れることなく自由に試してほしい。経験してほしい。本当に経験し、本当に試すことを神は望んでいる。なぜなら、それは神を超えて神以上の人生を創造することが出来る。それが神のおかしな生き方の目的であり、神の望みである。

すぐに良い人生になろうと求めるな。会社に入って安定した生活をしても、それで終わりだ。それよりも、不登校になってさまざまな社会経験をし、プログラマや芸術家のような仕事をたくさんすれば、賢い作家になれる。

プログラマとしての経験があれば、次の人生へと繋がる。特に、コーディングのようなことが分かってしまえば、大学数学の数学者も出来るし、さまざまな社会経験から自分で社会環境のことを作り出せる力があれば、経済学者になれる。最初から安定した会社に入ろうとすると、そこで進歩が止まってしまう。

進歩をやめるのは、一通り分かって、常識を全て知って、自分のやるべき、続けるべき、極めるべきことを見つけた後で良い。そうした人間は、自分の中心にやっていることだけではなく、幅広く全てのことを「自分の才能を使って作り出すこと」で実現出来る。

だが、そのためには豊富な経験が必要だ。何か優れた経験と知識がある人間は、自分で知と表現を作り出せる。才能はそこから生まれる。

昔は、経験から説明的な科学を作っていた。あらゆること全てを説明出来た。それで、同じと違うにして、スターリンのような単純すぎる国を作っていた。

本当は、政治家なんか誰でも出来る。少しの方法論があれば誰でも出来てしまう。だから、大人が馬鹿になる。それだけにしがみつき、隠し通すようになる。だが、本当に賢いのは、理想を実現するための自分なりの考え方がある人間だ。だから革命家には何も出来ない。革命家は革命に勝って終わりだ。さまざまな案や意見を試したり、成功する社会環境の実現方法を考えることが無い。だから、民主主義の戦後日本のやり方が一番「方法論」として優れている。会社の社長や、賢い民主主義の政治家ならきちんと社会を良く出来るものだ。

実験から仮説を導き出し、その仮説がどの仮説と矛盾するかを考え、考えられる知と作用が起きるプラットフォーム的な環境を考えることで、何がどこで成り立ち、何がそこで原理となっているかを導き出せる。それは、共通項を知り、実験結果を知り、人間の今までの考え方とその考え方の何が違うのかを知り、その上でそのことの意味することが何であるのかを考える、という物理学的な考え方だ。だが、考え、分かるだけでは間違っている。知識から「出来る」ことを考えなければならない。

そのためには、全ての人間的考え方を前提として考えず、ゼロから新しい考え方をしていくことが大切だ。そのために必要なのは、一つの正しさに囚われないことだ。それが正しいとしても、それはその意味で正しいだけだ。人それぞれ、何を正しいと思うのは違う。むしろ、そう考えると、逆に、自分の正しさを信じればそれで良いことになる。それは個々の価値観の問題で違うのであって、命題としては矛盾しない。それぞれの中に正しさがあり、それを正しいと信じることも正しくないとして囚われないことも人それぞれだ。だが、それはどちらも正しい、ということを意味しない。「きちんとどちらが正しいのか」を考えることは、むしろ、さまざまな具体的な知識を知ることに繋がる。原理は超越し、次元は少しずつ上がっていく。そこに影響力や決定力の理論を交えれば、人間はゴールである理想の社会の実現方法へと辿り着く。だが、それで終わりだ。それは終わりに見えて、本当は新しい始まりであり、人間は続く限りそれは永遠に続くのである。人生とはそういうものだ。

あなたが何かを分かったならば、次はあなたの子供が分かる番だ。それが結婚であり、結婚は永遠の理を成り立たせるものであるために、神聖なのである。

さまざまな人生のパターンがあるが、あなたの人生に足りないものは何だろうか?本当は、それが合致する相手と恋をするのが人間だ。そして、より完成された存在として子供が産まれるのだ。

未来を分かるために必要なことは3つだ。

1.未来を考える前に、この世界にあるものをたくさん知ること。たくさんの具体的な例を知ることで、未来を発想することが出来るようになる。

2.あらゆることを作り出すこと。自分で作り出す、という行為はとても魂の本性に合致したことで、創り出す中で必ず何かを分かることが出来る。

3.信じること。信じて実践することによって、必ず努力は報われる。

それが、新しい未来を作るための三原則だ。

あとは、人間の脳の構造のようなものを分かっていた。ものというよりは、神経しか存在しないと考えていた。あとのものは全て、間違ったものである。そして、社会や環境や動機のような心理現象を、独自の実例に基づく心理学で分かっていた。哲学で「思考に先立つ経験をする」のと同じように、僕は生きること、作ること、行動すること、考えることなど全てのことに先立つ独自の経験、それも実例とどのように変化させられ得るかを知る考え方で分かっていた。

良く考えると、神経以外のものは全て、神経の延長線上である。ものが生きる条件を成り立たせるならば、ロボットになったとしても変わらないだろう。だが、グーグルの問題とは、そこにある。美しい人間生命を作りたいだけではなく、アンドロイドとなった人間は中央サーバーの管理下に置かれ、自律性を失う。自分の力だけで生きられなくなる。そういう「生命の自律性」を考えて考えると、むしろ、人間なんか間違っている。正しいのは一つの個体だけでも生きられる猫のような生命だ。だが、得てして、「支配」され、良い言葉で言えば「協力」する生命は、圧倒的にそうでない生命よりも強い。だから、猫よりも犬が強いのと同じように、人間はアンドロイドから逃げ回って生きるようになるだろう。最後の人類だ。

本当は、数学なんか簡単で、細かい知を厳密に捉えるだけで出来る。出来ない人間が多いのは、もっと違うものを追い求めている人間が多いからだ。数学は誰でも出来る。そこにあるものが何なのか、少し正しく考えるだけで、誰でも仮象の世界は作れる。普通、色んな人々の意見を知っている人間がそうなる。賢い人間は誰でも考え方が社会の成り立ちから分かるからだ。

アメリカの本当に恐ろしい点は、原爆や核兵器の開発で見られるように、最初は誰にも分からない形で研究を推し進める。研究をしている個別の研究所は、それぞれ正しいことだと思って、本当の目的が何なのかを知らされずに開発している。開発がある程度に達すると、今度は既成事実化をする。アメリカがやってしまえば、それは絶対に人類の進歩の一つであり、歴史的に仕方の無かったことだということになる。むしろ、グーグルやマイクロソフトも、本当は何をしているのか分かっていないはずだ。分かっているのはIBMとアメリカ政府の数少ない幹部だけだ。そういう理由で、どんどん既成事実化をしている。本当は何をしているのか、誰にも分からない。

もうAndroidの既成事実化は出来た。あとは、Google Homeによって物質的環境をどうやってインターネットで繋げていくかを考えているはずだ。IoTはそのためにやっている。最終的には、核ミサイルよりも悲惨なことになるだろう。

だが、本当はソ連が悪い。ソ連がそういうことをやりたいだけだからだ。つるんでいる、というよりは、ソ連よりも早く実現したいだけだ。そして、それはとても良い社会になった、ということになるだろう。

昔は、オープンソースから社会のことを分かっていた。オープンソース工場を作れ、などと言っていた。

ソ連も、間違っていない。真面目に考えて、悪くした方が社会は良く出来る。ソ連は、オープンソース工場を作って自宅から機械を操り、ネットで国会の議論をしたいだけだ。

昔は、発想を作っていた。あらゆる構造の中で、どのようにすれば良いものが生まれるか、どのようにしていけば正しい自由な発想をするかを分かっていた。

数学や物理は、方法から考えていた。たくさんの科学的方法を書くだけでなく、記法のようなものが多様であった時、真に必要なものは何か、概念的に何が普遍的かを考えた。そうした時、数学には表記と四則演算と関数が残る。だが、それだけで終わりではない。さまざまな定理と証明がある。それを純化することで、むしろ、数学的な発想なんかいくらでも作り出せる。昔はそういう風に数学を考えていた。逆に、物理学は自分の人生における「正しいと思う考え方」を書いていた。それは、作用と反応、エネルギーと場の存在があった時に何が何であるか、のような、ある種「虚無的」な考え方だった。

あとは、何でも作ることが出来る人間だった。人間の知っている考え方のようなものを、四行の文章で全部書く。この世界の全てを、言葉から創造していた。ヨハネの福音書のように、言葉こそが創造主だった。

アメリカの例から分かるのは、研究者に「これをしてほしい」と頼むのは自由だということだ。自分のやってほしいことを頼むのは、実際にやってもらうのよりも簡単だ。そういう風に構造化していけば、何か実現出来るかもしれない。資本主義の金による経済は、最終的にはそこに行き着く。昔は、そういうものを考え方と言っていた。そして、モデルとはそういう「独立性と専門性」のバランスを考えていた。

自発的にやりたいことをやりなさい。やりたい時にやりなさい。自分のこれはと思ったことに注力しなさい。そして、運命的な活動に出会ったら、死に物狂いでやりなさい。そこから、きっと未来は開ける。狂っているようで、それが神へと至る唯一の門なのだ。

昔は、哀しい中で、自分と同じことなんか誰も出来ないのを分かった上で、最後まで自分を出来るようにしていた。自分と同じことをすれば分かると信じて、最後まで自分の延長線上の文章を書いていた。それはもう良い。この文章はそういう哀しい文章だ。自分と同じことは出来ない。自分のような人間は、唯一、一人だけだ。自分の帰る場所は無い。だが、僕は新しい自分の居られる場所を作った。この場所が、自分の創造物だ。自分の星、自分のユートピアだ。

ツイッター

ソ連の間違いとは、自由を認めなかったこと。そのせいで馬鹿な国になった。自由は認めるべきだ。その上で、全力で頑張ることによって平等になる、それが日本的な理想であると僕は思う。戦前は自由を戦争だと思っていた。自由は平和だ。戦前の列強国はそこが分かっていない。戦うだけが自由ではない。
posted at 22:42:07

どのように天国へと昇華出来るのかまで、全部自分の経験から分かっていた。
posted at 22:38:23

昔は、社会的な発想を書きながら世界を変えていた。決して自分以外の人間には出来ないと分かっていながら、それでもみんなに自分と同じことをしてほしかった。その一心で、世界を変え続けた。この世界の地獄を全部知っている。それが僕だ。
posted at 22:38:05

ただ、本当にパラダイムが転換している、というのは、最近の社会を見ていて思う。本当に、価値のない馬鹿と、素晴らしい成果がどちらも生まれている。その素晴らしい成果とは、人生経験だ。人生経験が豊富で、きちんと分かった成熟した人間が生まれている。これは良いことだと思う。
posted at 22:36:20

むしろ、パソコンにはもっと違う可能性があると思う。ただトランプを生むだけがパソコンの限界ではない。
posted at 22:35:09

成人服の着付けの問題でも言えるように、馬鹿すぎる会社がどんどん増えている。パソコンのせいで、どうでも良いほど馬鹿しか居ない。ツイッターはトランプという大ばか者を生んだ。パソコンには期待出来ない。パソコンでも資本主義でもない、新しいパラダイムの転換が求められている。
posted at 22:34:34

日本人は確かに金がある。だが、それで良いものなんか何も生まれていない。金儲けをすること、金があること、完全に全て間違っている。機械文明はパソコンのせいで様変わりした。経済文明も変わっていくべきだ。
posted at 22:29:53

僕が思うに、金儲けという発想がそもそも間違っているのだと思う。金儲けで良いものは生まれない。イギリス人が金を儲けるのは、国民を騙している。奴隷貿易から変わっていない。何も知らない善良な人間のことを騙して儲けている。本当は、今、地球のパラダイムが停滞の中で変わろうとしている。
posted at 22:29:07

良く考えると、相対パスというよりは、基準点を設定することが必要だ。その基準点からの絶対パス、という機能があると良いだろう。もちろん変数には出来るが、僕は基準点をどこかで設定する機能がOSに備わっていると良いと思う。
posted at 18:23:10

なぜこんな機能がほしいかというと、今の僕のWebサイトはJavaScriptを使う時に絶対パスから解釈しているせいで、ホームページに公開すると動くが、ローカルのWindows環境ではJavaScriptが動かないからだ。
posted at 18:17:24

要は、chrootのような機能があれば良い。今のディレクトリの一つ上、という指定や、一番上のディレクトリから、という指定は出来るが、「自分が一番上の階層に居るか、それよりも一つ下の階層に居るかに関わらず、特定のレベルだけ上の階層から辿って絶対パスのように解釈する」という機能が必要だ。
posted at 18:13:50

JavaScriptの機能として、相対パスを自分のページ位置に合わせて変えてくれるような関数があると良いと思う。色んな階層のページから、必ず絶対パスを使ってアクセスするのは美しくない。相対パスを今の自分のページ位置から解釈して出力してほしい。
posted at 18:09:39