新・日記2に戻る | 2018年1月の日記に戻る

=2018-01-04=

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昔は、自由な考え方から色んなものを作っていた。ヒンドゥー教のように、それぞれが好きな神を信じるとか、そういう自由な宗教や社会制度のようなものを全部創造していた。
posted at 18:08:33

昔は、何かしらの正しい人生を生きた結果、どういうことが分かるのか、ということが全部分かっていた。あいまいで疑い深かったが、それでも、この宇宙の全ての人生をそういう風に分かっていた。正しいと思うことは、その当時は本当に正しかった。人間の人生で分かること全てが分かっていた。
posted at 17:11:37

自分が狂っているのは、全てのことを間違っていると思っているからだ。本当はどれかが正しい。そして、同じ時に分かるものは同じだと、自分の脳の方がすでに分かっている。だから、全てを幻影のようなかりそめの正しさだと思う必要はない。
posted at 17:09:57

速断するな。それがもしそうだったとしても、それくらいのレベルで正しかった、ということに他ならない。本当の正しさではない。逆に言えば、それくらいのレベルでしか正しくなくても、それがある考え方に置いては正しい、ということは言える。それを成り立たせるのも良いだろう。
posted at 17:09:13

神は当たらない。最初から、自分のことをドイツだと言っている。
posted at 17:07:09

時間や場所が変わったとしても、普遍的に通用する共通の正しさというものはある。誰か視点が変わっても、何かが分かっても、それがそこでそれくらいのレベルで正しかったということ、それは変わらない。法則と事実はいつの場合でも成り立つ。そのように考えると、物理的方法を作り出せる。
posted at 17:06:43

永遠は、終わるのがいつになるのか分からないまま、「最後まで体験する」ことを目指して、神に全てを委ねて分かっていた。神は必要なことを全て教えてくれた。
posted at 17:04:14

自由な数学を作っていた。自分の自由な知性を信じて、全てのことを事前に考えながら適用することで、数学的な論理性を積み重ねて、「自由」という名前の完璧な数学を作っていた。
posted at 17:03:45

昔は、「心のニュートン」をやっていた。ニュートンは、物体がどのように動くのかだけではなく、なぜそのように動くのかを解明した。僕も、心や社会に対して、同じことをやっていた。
posted at 16:56:05

そのように、政治と経済を包括的に、自分独自の発想で作って全ての場合を考えて、具体的な社会のことを良く考えていた。自由においてはどれも優れていると考えていた。本質から社会の成立を作っていた。そして、機会のモデルから説明していた。
posted at 16:46:59

昔は、政治思想の国家モデルを独自に作っていた。一人の王の下みんなが従う社会、正しい秩序を作る平等な社会、あるいはそれぞれの個人が自由な社会が良いと言っていた。そして、全体主義と個人主義はさまざまな要素の複合体であると言って、生産と消費の自由と平等のパターンだとしていた。
posted at 16:45:58

せっかく良い菌を増やすなら、虫歯を治す菌にすれば良い。もう、馬鹿が治る。虫歯が悪い菌の温床になって、血がおかしくなっている。それで馬鹿になった。ニキビも同じだ。
posted at 14:41:26

僕は昔からカルピスが好きだが、それは乳酸菌が増えて腸に良い菌が増え、悪い菌が減るからだ。
posted at 14:28:48

虫歯を使って良い菌を増やすと、悪い菌が死んで癌が治った。虫歯もそれで治る。
posted at 14:26:22

昔は、感情の因果性を考えていた。どんな感情からどんな感情が生まれるか、経験的に分かった。
posted at 14:25:07

要は、血は流すだけでは治らない。細菌を殺すしかない。だが、虫歯が悪い菌のエサになっている。治すためには、良い菌のエサにすれば良い。
posted at 14:04:45