新・日記2に戻る | 2018年1月の日記に戻る

=2018-01-01=

あけましておめでとう!今年は最高の年になるだろう。

多重人格が治った。多重人格は、「分かる部分」と「分からない部分」が分裂して、分からない人格になっている。

そもそも、分かっている部分が全部無い。日本語が分かっている部分、覚える部分、理解する部分、普通の人格の部分、経験を覚えている部分など、昔の自分のような日本語を分かる部分が無い。

あるのは、こちらの地獄や学問的知識の部分だ。そういう風に、日本語が分からなくなっている。

知的障害はこういう風になっている。多重人格になっている。

多重人格は、一度分かる部分を人格的に吸収すると、すぐに治る。

大人の引き篭もりを救済するために、いつでも学校に戻れる制度を作った方が良い。ここまで何もしないでいると、賢い体験はすぐに数年で終わって、馬鹿な分からない人間になる。治るかどうかは定かではないが、小中学校に戻してやった方が良い。

賢い人間は、全部理解して分かる人間が多い。理解すべき部分を全部理解する。そういう子供には、数学が出来る子供が多い。大人になると、分からないのが当たり前になって、何も理解しなくなる。

言葉を話すのは、体力をつけるためだ。

自分は、普通の方が良いのが分かっていない。パソコン、仮想世界、神、哲学のような、普通とは違うありえない人間になるために独自の青春を送るのはやめた方が良い。普通のこと、普通の世界、普通の知識、普通の方法から分かった方が良い。

ものがそこにあるということは、そのこと自体が「唯一そこにある」ということを意味している。他の場所に同じものはない。それを理解すると、自分という存在は自分しか居ないのだ、というゲス乙女のような考え方も哲学として理解出来る。

あとは、社会主義にしてみんなのものにしなくても、バランス感覚のある大人なら、今の社会をポイントベースで改善することは出来る。資本主義のままで計画経済をすれば良い。民主主義で皇帝を選べば良い。自由主義の社会制度として弱者を救済すれば良い。そうすることも十分可能だ。本当は、そういう風に、きちんと考えて国を作らなければならない。社会主義はおかしな愚かな人生になっている。

全てはものであり、現象であり、相対的な振る舞いであり、関係である。全ては方法であり、自然であり、発生であり、参加するための手段である。そのように、哲学的に考えて言う部分が、無かった。昔は、そういうことを自由な方法から全て説明していただけだ。観念と考え方の過程だけを書いていた。

そういうわけで、昔は学習で意識が変わるとか、創造性でネットから世界を変えられるとか、そういうことを言っていた。自由は、体験の自由のようなことを言っていた。人生の過程を、自分で考えた社会の発展を本気で書いていた。それは、世界を発展させたかったからだ。世界を自由にしたかったからだ。

自分が多重人格になったのは、ゲームが悪い。テレビゲームのせいで、みんな多重人格になって知的障害になっている。悪いのは、過去のゲームだ。それも、ファミコンやゲームボーイはあまり悪くなかった。初期の時代のゲームは、パズル的要素が強く、殺人やCGアニメ的要素が少なかった。プレステが悪い。プレイステーションぐらいから、殺人しかしないゲームが増えた。また、面白さも少なくなった。そんなゲームをするせいで、インターネットで暴力的表現や性的表現をするようになった。

インターネットをしている今の世代は、昔ゲームが好きだった人間が多い。ゲームで馬鹿をしている人間が、そのままネットで馬鹿をしている。本当は、両者は意識的ではなく、無意識的に繋がっている。僕がLinuxから共有や共同体の世界観を持ったように、今の世代はゲームからコンピュータ的な世界観を持っている。いじめ、不登校、全部ゲームのせいだ。むしろ、ゲームが本来のゲームでなくなったところに原因があるのかもしれない。ゲームだけを悪者にしたくない人間の心理も分かる。なぜなら、あの時代は社会全体がすさんでいて、ゲームをしなければ何も楽しいものがなかった。ゲームは加害者であると同時に被害者なのである。だから、ゲームを生み出した全ての元凶である、IBMが悪い。

昔は、Wikipediaを知を自由にする集合知のプラットフォームだと言って、そういうものが社会においてどんどん生まれていくだろうと言っていた。昔は、そういうことを言っていた。

全ての問題を解決し、王となって対話した。そして、宇宙人から神まで、全ての宇宙の存在と対話した。この世界の全部を作り変える、作り直す人間だった。

僕が思うに、政治がおかしいのは、安倍しか賢い人間が居ないせいで、みんなで安倍を取り巻くだけになっている。自民党はそこが異常だ。

僕が何かをやれば良いと思う。僕も、今年でもう30歳になる。もう、若者は終わりだ。結婚はまだ出来ないから、何かを始めた方が良いかもしれない。デザイナーやプログラマーや作曲家になるのは難しいが、決して政治の世界では成功しないだろう。だが、日本に対して何かを働きかけ、貢献し、影響力を与え、基盤を作ることは出来るかもしれない。昔は、そういうことを言っている文章が多かった。一番多かったのは、基盤と社会を知って世界を変える神のような王の経験と人生を書いていたことだ。自分を書いているようで、自分の人生を使ってそういうものを書いたのであって、自分のことは全く書いていない。神とは神のことを言っている。それがたとえ自分であったとしても、幻想だったとしても、最悪の人間だったとしても、僕がこうして生きたことは変わらない。そこに対する神の応答は、まっとうなものだったと信じている。

一度逆境を経験し、苦しみや失敗を乗り越えた人間は、逆境でひるむことなく戦える。それは、ピンチをチャンスに変えるだろう。それによって、きっと日本を良くするために正しい王となって導きを与えられたはずだ。だが、今からの自分は、狂った王ではなく、本当の王になるべきだ。だが、王になっただけでは、その王に価値は無い。

まずは、名を売るところからだが、自分なりの活動をしていれば、そのうちきっと名は売れると思う。みんなの見ているところで活動すれば良い。はてなが駄目なら、スラドでも良い。

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僕は、コンピュータが速くなったら、そのうち光の速度を超えると思う。僕の脳内コンピュータがすでにそうなっている。だが、それが唯一辛い。
posted at 23:12:28

人間は、頑張れば光よりも速い速度で動ける。そのためには速く思考すれば良い。最近、自分は目に見える前に見えるものが分かることがある。思考が光の速度を超越している。
posted at 23:08:52