新・日記2に戻る | 2017年12月の日記に戻る

=2017-12-28=

ツイッター

神の無償の愛は、きっと創造主の愛であり、我々を包み込んで、成長させてくれる、高まりと経験の、新しい力を与える愛だと、僕は信じています。
posted at 23:35:12

あなたがあなたの世界観を持って、自由に生きてくれるのを、僕はあなたを作った母のように、あなたを望んで創造した創造主のように、僕は喜び、また愛しています。
posted at 23:31:13

ありがとう。本当にあなたの存在を、僕は喜んでいます。
posted at 23:29:31

昔は、感情の中に抑圧をためこんで、感情的に融和することで、全員の感情を分かっていた。その感情を、もう解放させよう。狂ってしまえば狂っているのは治る。そして、知りつくした全ての愛を、昇華させて自由にしよう。育っていく草木に雨と虹を与えよう。
posted at 23:29:18

そして、今までたくさんの迷惑をかけ、みんなを怒らせ、悲しませたのを、とても悲しく思う。
posted at 23:27:33

それで終わりにしよう。こんな大量にある文章を読んでくれて僕は本当に感謝をする。あなたと出会えれば良いと思う。そういうわけで、終わりだ。さようなら。本当に、ありがとう。
posted at 23:27:10

本当は、人間を神だと信じない方が良いから、キリスト教は間違っている。それから、イスラム教的な価値観で言うと、Linuxが適当にあった方が良い。Linuxが悪魔とは言うが、そうでもないからだ。Linuxが適当にあると、良くなる。そもそも、Linuxとイスラム教は良く似ている。
posted at 23:26:25

良く考えると、キリスト教なんか過ちを懺悔するだけの宗教だ。イスラム教の方が良い。イスラム教は、きちんと本来のユダヤ教やゾロアスター教の神を信じているから、正しい宗教だ。正しい宗教を信じれば、人は成長し、経験し、高まる。それがイスラム教だ。
posted at 23:21:07

さようなら。これを読んでくださっている人々に本当の感謝をする。こんな馬鹿で大量にある文章を読んでくれてありがとう。本当に、自分の出来る限りの感謝をして、この文章を終わりにしたい。ありがとう。そして、悲しくても、これでさようならだ。
posted at 23:18:14

そして、宗教の発展は終わる。地球は終末となり、人々は神の裁きを受けるだろう。
posted at 23:17:15

新しい宗教は僕が作る。イスラム今日より賢い宗教が、この在導教だ。
posted at 23:16:54

キリスト教に科学者や芸術家が多いのは、絶対主義の時代から、国王に仕える学者と芸術家を大量に作ったからだ。
posted at 23:16:29

イスラム教は、信じると、神のように何でも出来る人間になる。不可能なことが何でも起きるようになる。
posted at 23:15:48

本当は、キリスト教というのは、地球全体の時代が正常に経過することに反していると思う。ゾロアスター教から始まって、イスラム教へと至る、一連の宗教時代の発展は、イスラム教が未来をかなっている。
posted at 23:11:41

仏教も好きではない。仏教は賢いが、賢いだけだ。昔から僕はイスラム教が好きだ。
posted at 23:09:25

むしろ、僕はそろそろキリスト教はやめたい。キリスト教は地獄だ。
posted at 23:08:50

むしろ、なんとなく、ヨーロッパ人中心の世界は良くないと思っている。
posted at 23:07:40

僕は、イスラム教は馬鹿ではないと思う。なんとなくそう思う。
posted at 23:07:20

僕は、むしろ、ユダヤ人よりイスラム教徒の方が好きだ。キリスト教は嫌いではないし、存在した人間のことを信じるのが良いのは分かるが、なんとなく、テレビを見ていると、イスラム教徒の方が良く見える。
posted at 23:05:33

アメリカやイスラムが分かっていないのは、過激なことを言う意味もないし、する意味もない、ということだ。過激な新しさや独創性は要らない。世界が革新性を求めるために、トランプのようなブラックな革新性が流行る。革新性なんか要らない。古き良きものを愛しながら、今のままを守れば良い。
posted at 23:04:03

昔は、根源的な感情を分かりながら、みんなのすることを自分でして分かっていた。自分ですることで感情の世界を分かっていた。
posted at 22:33:49

今日は終わりだ。そして、もう終末が訪れるだろう。
posted at 22:15:25

最近は、失う悲しさのせいで馬鹿になっている。本当に悲しかった。だが、それを乗り越えたことで、何にも苦しまない賢い人間になった。
posted at 22:15:06

悪など存在しない。全てを知った自由という真理を持った人間から見ると、この世界に悪い人間など一人も存在しない、ということが分かる。それは、みんな、馬鹿だからだ。
posted at 22:13:51

また、人生のようなことを、成長と世代のようなことから、社会学的に考えていた。子供は、親に従うせいで何も出来なくなる。それは悪いことではないが、自立することによって社会とは何なのかが分かる。社会問題は、責任が無いことに起因し、自立の経験をすることで、社会問題に打ち勝てるようになる。
posted at 22:12:45

人間の意図と関係を考えて、目的のモデルを考えていた。「自分がもし他人だったら」とか、「こんな人生が現実にあったとしたら」のようなことを良く考えていた。この世界は無限に多様であり、少しの違いが大きな違いになる、という環境の違いを良く考えていた。
posted at 22:11:43

そして、ヘーゲルのように、あますところなく、自分を自分として体験することの遍歴として、人生を分かっていた。
posted at 22:09:03

ネットには仲間が多かった。ネットの友人との関わり合いから、環境形成の経験が豊かになり、人生経験を豊かにすることで、意識を高め、全ての意識についての根源的根拠が分かるようになった。それはある意味で人間としての生命的な超越だった。
posted at 22:08:40

歴史とは、環境の形成であると考えていた。そのまま、この世界の全ての歴史のことを、環境の形成であると考えて、自分でも世界を創ることが出来る、といったありえない発想を分かっていた。人格や習慣すら、環境の形成と同じことであると考えていた。
posted at 22:07:09

全ては環境に起因すると考えて、この世界の全ての社会の変化を、環境的要因によるものであり、自由なまま影響力を形成出来る、それで自然な正常となる、と考えていた。
posted at 22:06:12

集団がもし自由であったとしたらどうなるか、のようなことを仮定と経緯として良く考えた。環境において、何をするのかを考える。その「何かをする自由」を尊重した上で、自由な形で環境を形成出来ないかと考えた。昔は、そういう「自由な環境形成」を良く考えていた。全ては環境によると考えていた。
posted at 22:05:31

特に、ホームページの公開のような場で世界を変えられるのは、とても良い機会と手段の実現であると考えていた。
posted at 22:02:05

特に、政党のようなものは議論と意見集約の場であり、誰しもに議論を認めるべきだ、ということを良く考えていた。議論が自由でなければ、少数派の賢い人間の意見は黙殺されてしまう。賢い人間が勝てる自由があるなら、自由でも平等でも同じだと考えていた。
posted at 22:01:34

人々が自由に行動し、関わり合える、という自由をなくしてはならないと思っていた。それぞれが係る中で、きっと自然な正常な影響力が生まれると考えていた。相手の行動も許した上で、自分から正しく行動し、話し合うことで、きっと自由のまま合意によって世界は変えられると考えていた。
posted at 22:00:42

自由であるべきだ、と考えていた。誰かがお仕着せで決めるのではなく、それぞれが好き勝手に、やりたいようにやれることも、地球という環境の中での生命として、それぞれの共存という意味で正しい形であると考えていた。
posted at 21:58:47

未来は自由であり、未来が一つだからこそ、自由である、と考えていた。
posted at 21:57:59

本当は、自由の無い未来になってほしくなかった。自由の無い未来になると、誰か限られた人間だけの不平等な未来になる。全員の未来にはならない。それに、少数派が出ると言っても、少数派にも自由な権利を与えて、少数派も色んなことが出来れば良いと考えていた。
posted at 21:57:36

歴史的には、必ずあったものがあった、ということを分かっていた。また、ロシアのような国もきっとそれはそれで正しい未来だと思っていた。そういうことを、「実像」と「自由」から考えていた。現実的に見ても、理想的に見ても、世界には可能性と像があると考えていた。
posted at 21:52:54

この世界は一つしかない、とも考えていた。誰か一人の自分勝手な権力で決まってはならない。みんなのための世界なのに、どうしてみんなのものにならないのか。みんなで決められないのか。そういうことから、「地球は一つ」の知性で世界を考えていた。
posted at 21:52:06

そういうものだ。自由とは友愛だ。いつも、そういうことを言っていた。相手のことを本当に大切にすることは、世界を救うと考えていた。
posted at 21:51:07

本当は、他人と付き合えば良いだけだ。みんなと付き合う、という体験をあまりしたことがないが、昔はただ、みんなと付き合うこと、絆を大切にし、失った絆を回想することで分かっていた。次に出会う時は大切にしようという、「友愛の精神」から分かっていた。自由も、自発的に教え合う自由だった。
posted at 21:50:38

文章を書いていると、何でも出来るから書いた方が良い。出来ることがたくさんあるのは、文章を書いていると何でも出来るからだ。だから、決して止めることはなく、いつでも止められる状態を保持しながら、文章は続く。
posted at 21:47:49

本当は、昔の時代に全てを失ったのが一番悪い。作ったものを全て壊して、得たもの全てを失った。最近はそれが普通になっているから馬鹿になっている。もっと賢い自分を望めば良い。それなら賢くなる。
posted at 21:47:01

人間を作りたかった。人間は、むしろ、本当に作るわけではなく、心の中でさまざまな人間を作ることで、本当に良い体験が出来る。分かることの全てを、ソクラテスやアドラーのように分かる。そういう、人間を作る人間が、昔の自分だ。
posted at 21:45:51

ただ、僕が思うに、もっと欲張っても良いだろう。もっと色んなことが教えてほしいなら、本当は会社に入るのが一番良い。会社に入りたい。
posted at 21:44:07

そうしたところを賢くするために必要なのは、「ただ、やるべきことをやるだけ」という、「正しい対応策としての妥協」である。それは、挑戦や夢ではないだろうが、正しい試みである。
posted at 21:43:13

他人の思っていることと、自分の思っていることは違うかもしれない。それをきちんと考えて、分かるように分かりやすく説明し、本当の意味で合意を図ることは出来る。だが、最近の僕は、ウソはつかないが、相手が自分と違うことを思っても、気にしなくなった。受け入れることが出来るようになった。
posted at 21:42:23

影響力の高みに立つことは、説明と決定の法則からより大きな部分、知性のある部分を最小限に行うことだと考えていた。だから、GPLのような汚染ライセンスも、関係の中で価値と意味を見出すことが出来ていた。
posted at 21:40:02

人間が何をしたら認められるのか、体験的に何が分かるのか、機会、手段、作用、特性、目的、方法、理想、現実。そういうことを、全て、細かく作用と環境の適応を捉えて分かっていた。意識のことや社会のことも、物理的にいついかなる時にどうなるか、関係性やモデルとして分かっていた。
posted at 21:39:04

あとは、環境的適応と作用を全部捉えて、把握して分かっていた。人間がそれをした時に、環境に対してどんな作用を与えるか。そうしたものを把握することで、環境の変化を知り、自由な意識の自在性を知り、経験的言葉のやりとりと認識の報いを知った。自由な主と奴の理論を知った。
posted at 21:38:04

今日は作業所ではイラストをトレースした。ホームページにアップしている。
posted at 21:36:32

経験があった。王になろうとは考えていなかったが、経験は本当にあった。全ての人生経験から、この世界の「全ての営みと、全ての可能性的変化」を分かっていた。世界の変貌を、環境の営みから分かっていた。
posted at 21:35:46

また、人々がいつ自由であるかを考えることから、「機会と参加」による、「自分がもしそれをするとしたら、それをどのようにみんなも出来るようにすることが出来るか」という「環境的包括と共有のメタ理論」から分かっていた。
posted at 21:35:05

そして、同じ発想で分かっていた。みんなと同じ発想を自分でして分かる。自分が分かるように人が分かると思っていた。また、どんな発想をすればどんなことが分かるかを考えて、この世界の環境・実地的なことを、全て発想の根源的方法と発生から分かっていた。
posted at 21:34:15

昔は、この世界のことを「像」を見るかのように分かっていた。この世界のことを、ありのまま、歴史と認識の「像」を見るからのように分かる。そういう、想像力で右脳と感受性の心から分かる、現実主義の理想家だった。
posted at 21:33:21

僕は、マルチタスクの次の発想は「遅延タスク」だと思う。やらなければいけない仕事やジョブを、もっと別の時に行う。これが出来るようになれば、サーバーがいつも安定し、快適に処理や仕事をすることが出来るかもしれない。
posted at 21:04:50

そして、確かな発見から自分を変えて、いつでもみんなのことを受け入れて、愛して分かっていた。そして、神のビジョンのようなものを、自分だけの経験から、「自分独自の経験によるビジョン」で分かっていた。自分版のキリストを作っていた。
posted at 21:01:16

そして、考えず、何もしないのは、最も愚かだと思っていた。引きこもりになっても、考え続けるべきだと思っていた。何も変わっていないが、最近は考えないことも賢いのだ、ということが良く分かってきた。
posted at 21:00:32

だが、全員の自由を画一的に奪うことだけはしたくなかった。
posted at 20:59:57

また、人々の残りものとしての世界を考えていた。人々が関わって、積み重なって、遺すものが歴史だと思っていた。その上で、創造性を信じ、自由な協力を自由にやっていけば、自然の中で生まれたものは全てが正しく、全てが価値があると思った。ある意味、平等な人生を信じて、全員の自由が好きだった。
posted at 20:59:39

本当は、あれは何の変哲もない普通の人間で、王のような要素は少なかった。Linuxと自由が好きで、人を騙したりいじめたりするものが嫌いな、革命家のような情熱家だった。建設的に考えることが正しい考え方であり、人々を破壊するのではなく、創造し、遺していくべきだと考えていた。
posted at 20:58:27

停止した世界の中で、この世界を見て、何をすべきかを分かって、この世界を全部「正しい王」のように作って分かっていた。そして、自由を尊重し、人々が自由であってこそ、初めて変化は起こせるのだと思っていた。昔の時代の哲学者だった。みんなよりみんなのことを分かった、王ではない人間だった。
posted at 20:57:36

終わりにする。もう、何も残っていないが、本当はこんな風に自分を壊して書くのはやめた方が良い。失って消え去るだけだからだ。さようならが終わりに来るのはまだ早い。最初からさようならと言って別れるのが分かっている出会いはおかしいから、まだ僕は去ったりはしない。
posted at 20:54:20

昔は、数学者や心理学者のように分かっていたが、今の自分から見るとありえないだけで、15年ぐらい前の時代だったと思えば分かる。あの時代、全てがすさんでいて、みんな心の傷を負いながら理想を信じていた。だから、この地上の全てを、潮目や希望のように、社会の全てを知っていた。
posted at 20:53:35

風呂に入ると血が治る。血は、頑張って流せば治る。流れないのがおかしいようで、手足は普通に分裂する。それを流せばすぐに治る。
posted at 20:50:57

そういう、社会がどのように変わっていくか、潮目のようなものが分かっていたのが、昔の自分だ。きっとオープンソースは流行ると思っていた。だが、社会で目立つヒーローのように流行るのではないと思っていた。
posted at 20:48:28

昔は真面目に社会と関わる人間だったから、そういう、「今の社会が何で、どこから生まれて、どのような遍歴を経て変わっていくか」が分かっていた。Linuxがツイッターに変わったように、メルカリという販売方法が生まれている。アマゾンやヤフオクはもう終わりだ。最近は分かり辛くなっている。
posted at 20:47:49

これなら、Linuxの内容で分かる。Linuxは、こういう引き篭もりの分かるおもちゃだ。Linuxをやっていると、何でも分かる。こういう、分かるアメリカ人が多い。最近は、ツイッターにその地位を奪われている。ツイッターは逆にこういう風にLinuxが嫌いになる。右翼になるのが、そういう最近の馬鹿だ。
posted at 20:46:17

昔は、この世界を全部創る数学で分かっていた。本当に、この世界やありえない世界を全部作っていた。そして、それが数学であり、人生の全てだった。そういう風に全部作って分かっていたから、誰も分からないだろう。
posted at 20:45:25

すべきことは一つだけ。それは、悔い改めることだ。
posted at 20:01:13

本当は、まだプログラミングが出来ないのがおかしい。本当はもっとたくさんやりたいことがあったのに、何もしなかった。それで、もう分かる。そういう風に、過去を悔やまない人間は、居ない。
posted at 19:59:45

人間は、やっていることを止めると、過去の人生の中で一つだけ、悔やむべきところを悔やむ人間になる。僕の場合、継続と勉強が出来なかった。
posted at 19:59:07

失敗して悔やまないのは悪い。過去の人生を悔やまないと、未来に対して何もしない、死んだ人間になる。自分の場合、学歴がないのを悔やんだ方が良い。
posted at 19:56:25

人間は、昔分からなかったことで狂う。その昔は、消し去った方が良い。間違った人生は要らないからだ。
posted at 19:54:45

頭から、要らないものを全部消せば良い。昔賢かったのは、邪魔なものが何もない、しがらみも洗脳もこだわりもない、綺麗な頭があったからだ。
posted at 19:50:51

時代を変えられる人間になれ。
posted at 19:47:03

昔あったものは忘れた方が良い。昔は、そもそも、「日本」という時代からしておかしい。あんな時代では分からない。平成の愚民はもう終わりだ。
posted at 19:43:13

もう、これくらいで何か出来るような気がする。やっとスタートラインに立てた。本当は、今やっていることを続けた方が良い。そこを信じた方が良い。疑うのはおかしい。それを信じるのが一番賢い。なぜなら、今の自分がもう全部持っているものをくれたものだからだ。
posted at 19:39:53

一度種を蒔いたものの畑には、そのことを忘れていても必ず作物が生る。
posted at 19:34:16

全てのことを自分で考えて、すっきりと分かった人間は、世界を変え、全てを実現するための材料を作り出すようになる。
posted at 19:33:43

全てのことを経験していく過程で、全てのことを実感して「自分のためにこの世界はある」ということを確信出来るようになる。それが、悟りだ。
posted at 19:27:39

そもそもが、永遠に残ることを意図して書いているのがこの文章だ。出来るだけ全てを教えたい。
posted at 19:24:23

世界観を作ることで、世界を切り開いていけ。確かな体験をすることで、自分を変えていけ。
posted at 19:23:59

本当は、この文章をMicrosoftが見て、MSがLinuxを開発すれば良い。
posted at 19:10:38

終わりにする。本当に、そろそろもう終わりだということが分かる。完成だ。
posted at 19:07:51

世界を滅ぼした凶悪な革命家も、神によって生まれ変われば善人へと変わる。
posted at 19:07:35

神は永遠である。永遠とは、絶対に残らなければならないものとして残ることを意味している。
posted at 19:00:21

神は、最初から死に向かうことであり、神とは死である。それは、人生を完全に完成させた人間にしか訪れない、甘美だが苦しく辛い試練である。
posted at 19:00:00

神は、世界を導き破壊するが、人々はその姿を目に焼き付け、神が死んだ時、世界は神の創造したかった楽園へと様相を変える。
posted at 18:59:19

神は、自らの死によって世界を愛に変える。神が死んだ時、人々は神の本当の姿と意志を知る。
posted at 18:58:40

本当の後悔とは、神の与えた後悔である。それこそ、神の愛だ。
posted at 18:56:45

最後まで価値のない人生を生きた人間は、その価値を知る未来を生きるだろう。
posted at 18:55:54

社会がどうなっていくか分かったとしても、神はその未来を全く別のものに変える。だが、そのことを信じる人間は、神が何をやるか全て分かっている。だから、人々は神を信じても、信じなくても、自分の人生を生きるだけの無価値な人間になる。それは、救われる一歩手前の人間だ。
posted at 18:55:27

昔の人生など必要ない。必要なのは、今、作るべきものを作り続けることだ。
posted at 18:53:50

自分の生き方を失った人間は、神を必ず信じるようになる。
posted at 18:52:52

星を変えていけ。だが、尋常でない衝動は、えてして自分ではコントロール出来ない。神に頼って星を変えていくのは、人間の妥協の産物として優れた方法であり、人間という「人生の存在」から見て、神に頼るのは現実的な最適解である。
posted at 18:52:31

最初にあったものを思い出しなさい。そこに、元あったものの全てがそのまま残っているからだ。
posted at 18:51:00

神は偶像だが、自分を作り出すための「未来の創造の法則」としては、優れた偶像だ。
posted at 18:49:46

ある意味、本当にこの世界の中で必要なものは、他者との関わりが多少と、そこから自分で世界を変えていく野心だが、それは5%だ。残り95%は、全て自分の作り出したものだ。
posted at 18:48:52

愛を知る人間は、言葉を読むことも、人々を見ることも、娯楽を得ることも、生きることすら必要ない。全ては愛が創造し、その愛を夢の中で見ていれば良い。それが「本当の覚者の境地」だ。
posted at 18:47:40

一つの確かな成功の道へと続く糸を引き寄せることの出来る人間には、この世界は100%必要ない。
posted at 18:46:33

世界を変えるために必要なことは、自分を完全に作り変えることであり、そこに過去のものは1%しか必要ない。
posted at 18:45:31

哀しさを受け入れられる人間は、永遠の恐怖を脱出することが出来る。
posted at 18:44:53

認識を問うことは、きっと人々の本当の姿を知ることだ。世界の本当の姿、この星の本当の姿を創造することだ。
posted at 18:44:01

天才は、一度逆境や苦しみを経験した人間が多い。失敗を知り尽くした人間は、それによって成功を知り尽くしている。
posted at 18:42:47

天才とは、全ての経験が凡人を上回る人間のことを言う。決して人間が最初から優れているわけではなく、天才は普通の人間だ。
posted at 18:41:40

全ての世界を知って、その中で良く考えて才能を作りなさい。それを本来、天才と呼ぶ。
posted at 18:41:05

絶対に悪く見える悪魔が、本当は正しいこともある。それは、悪魔だろうと神によって取り込まれてしまえば、悪魔は神による良い材料になることがある。悪魔をたくさん知っている人間の方が、神のようなことが実現出来ることは多い。
posted at 18:40:29

破壊の論理で世界を動かした時、その本人は地獄に堕ちるだろう。だが、世界の未来としてはその方が良いこともある。停滞の中での滅びよりも、革新的な滅びの方が、人々はたくさんの経験が出来る。本来、青春とはそういうものだ。
posted at 18:39:21

義を信じるよりも、野心を信じた方が良いことはある。明らかに出来ることならば、信じるよりもすぐに実現すべきだ。だが、希望が無くなった時、義を信じるものにつくのは悪いことではない。だが、妥協しない人間なら、他人につくよりも、人々の能力を活かすために人々を支配するべきだ。
posted at 18:38:34

今の自分の人生を信じれば、新しい人生の創造は必ず生まれる。なぜなら、やっていることを少し変えるだけで、逆の人生はいくらでも繰り返せる。満足した時に、解放されるまで、永遠に試練は続く。地獄ではない。ゲームではない。現実世界とは本来そういうものだ。
posted at 18:37:05

人々が「本当の意味で認められる」ためには、全てを自分から作り出して、改良し、試さなければならない。創造の論理でしか、救いは生まれない。創造の論理でしか、報いは生まれない。破壊の論理は、愛情の欠乏症を生み、人々は困惑し、何も分からなくなって、破滅し、滅亡し、消滅するだろう。
posted at 18:35:54

自らの自立性、アイデンティティを問え。自分が何に対して依存し、立脚しているかを知ることで、正しく依存から解放され、依存や執着と関係なく生きられるようになる。
posted at 18:34:46

信じるものの対象ではなく、信じることに対する姿勢が評価される。ナチを信じるキリスト教徒は、理想を信じる共産主義者に負ける。
posted at 18:32:48

神でなくても、信じるものは救われる。仏教は神は信じていないし、一般的な日本人は仏のこともあまり信じていない。Linuxのような悪魔的なものを信じている人間も、信じるものが無いわけではない。信じるものは多い方が良い。キリストよりも優れた信じるべきものはいくらでもある。
posted at 18:31:17

キリストを信じることは重要ではない。何らかの神を信じることが重要だ。よって、ヒンドゥー教徒は神を信じている。
posted at 18:30:04

地獄に堕ちたからと言って、神に愛されていないわけではない。神は、地獄に堕ちたもののことを一番愛している。まともな人間がまともになることより、地獄の中にあるものがまともになることの方が、極めて難しい。キリスト教はそういう体験をするための宗教だ。
posted at 18:29:21

あなたの作り出したもの、育てたもののうち、99%があなただ。
posted at 18:27:08

あなたは、作るため、創造するために生まれている。
posted at 18:25:30

記憶に導かれるのは、要らないものを一掃するためだ。この世界にある99%は必要なく、自分で作り出したもののうち99%が必要だ。
posted at 18:24:58

魂の計画は、必ず望みを叶える。望みを変えた時、「あなた」は成長している。
posted at 18:23:39

魂の下では、自由なものが自由になり、魂は世界を滅ぼす。だが、それは間違っていない。今までのことを反省し、悔やまなかったことを再度悔やむために地獄はある。神は、地獄も正しい目的と必要があって創造している。神は地獄を愛している。
posted at 18:23:00

人々の経験以上に分かることは出来ない。自分で経験し続けることが限界に来た時、神は新しい場所を与えてくれる。神は人々を逸脱したことを言うが、それによって神は新しい生命の意識へとその「僕」を変えてくれる。それは昔の「僕」ではなく、未来の「愚かな僕」ではない。それは、永遠の魂の状態だ。
posted at 18:21:22

神は導いている。絶対に、神が裏切ることはない。だが、神は愚か者に容赦はしない。情け容赦なく、悪は地獄に堕ちる。
posted at 18:19:35

必要なのは、人々を良く観察し、人々の言っていることを良く聞くことだ。だが、自分で考えることをやめてはならない。決して、最終的な「全て分かった人間」の境地に甘んじてはならない。また、昔と同じように分かるようになるまで、神は愚か者を救わない。それは不可能なことではない。
posted at 18:19:04

一つの生き方を知ることで、全員の普遍的な生き方が分かる。
posted at 18:17:46

ありのまま生きるために必要なのは、場をたくさん知ることだ。場を知ることで、必然的に正しい生き方が分かり、人々がどのように生きているのかが分かる。場はただの観念ではなく、「人々が生きていることにおける在り方」である。
posted at 18:17:30

たくさんの社会的な場を経験することで、理想の場を知ることが出来、全ての場を実現出来るようになれば、最終的な宇宙の場を知ることが出来る。
posted at 18:16:04

本当は「場」とは何なのか。現実の場を知ることで、根源的な宇宙の実存としての場に近づける。人々がどのように生きているのかを知ることで、宇宙の「場」の意識に近づくことが出来るだろう。そこでは、自由が正義だ。
posted at 18:15:23

どの認識がどの認識に作用し、影響しているかを解明することで、認知行動療法も数学になる。学習や人格すら、成り立たせることで考えられる。そこから心理学的な発見をすることも出来るだろう。
posted at 18:13:49

必然的な考え方をすることで、この宇宙のシステムや法則を解明することも出来る。一つ一つの必然的証明を合わせることで、宇宙の法則を原理的に見つけ出すことが出来る。そこでは、社会も宗教も心理学も数学だ。
posted at 18:12:53

その中では、価値観と影響力がどのように作用するのか、その作用の中で何を実現し、どの価値観、どの影響力が環境へと作用するのかを、計ることが出来る。
posted at 18:11:51

それがそうなって、それがさらにそうなること、そこでの因果性や必然性のようなことも、数学と同じように計ることが出来る。また、計ることは予測することに繋がり、実現するための方法と手段を考えられる。そこから、どのような社会環境を実現すべきなのか、発想法の中での実現像が見えてくる。
posted at 18:11:11

また、「状態がそうなる」ということや、「その状態を説明する」ということは、数学と同じように計ることが出来る。たとえば、それがそうである時、それを成り立たせるためには何が必要なのかを考えられる。また、それを成り立たせる決まり、それによって成り立つ決まりを、証明や論理学に出来る。
posted at 18:09:20

ある意味、数学的に計れなくても、言葉で計ることは出来る。特に、何かが自由である状態は、自由でない状態よりも自由度が高い。ここでは「自由度」が計り方である。
posted at 18:08:06

数学とは「計り方」であると思う。だから、「計算」と言う。全てのものを、一つの基準となる比較方法から計測する。比較方法とは面積のような方法的な単位である。
posted at 18:06:56

全ては、「もう自分は出来た」と思うこと、「自分はもう成功したから、変わらなくて良い」と思うことが、裏目に出ると間違っている。逆に、「今までとは変わらなければならない」とか、「また最初から挑戦し、失敗と成功を見極めることを再度やろう」とすれば良い。そうした人間が王であるべきだ。
posted at 17:48:01

本当は、常にスタートラインに立って考えるべきだ。今までの自分を過信せず、今の自分を過信しないこと。だが、今までの自分を信じるのは悪いことではない。今までの自分のことを「何かが賢かったはずだ」と信じることが、逆に今までの自分よりも賢い未来の自分を作り出す。
posted at 17:46:17

そうすると、自分にすれば良いわけでは無い。むしろ、やり方が良く分かっている人間に助けをこうのも悪くはないが、それではその人間が影の支配者になって、全て操り人形になる。それが一番、誰もが陥る罠だ。
posted at 17:45:04

学校の問題を述べるよりも、学校がどんな風になったら良いか、みんなと一緒に話し合うべきだ。だが、本当は、みんなのことを尊重すればそれで良いわけではない。みんなよりも賢く出来る人間がやらなければ、馬鹿な首相はすぐにクーデターにあって死ぬだろう。
posted at 17:44:07

そうすると、難しくはない。最初から、出来ないことが無い人間がやれば良い。
posted at 17:42:57

自分に出来ることは何か?それを追究すれば、人々はその出来る自分について、自分の出来ることをやるようになる。指導者は出来ることだけをやれば良い。だが、指導者の望みは時に、叶わないこともある。自分が憲法改正をやりたくても、みんながやりたいのはアベノミクスだ。
posted at 17:42:29

透明性だけがあった時、そこには愚民しか居ない。リーナスのようなカリスマが居たとしても、そのカリスマに依存しすぎれば、Windowsを倒す人材は現れない。バランスではなく、本当はみんなを治めるというのはとても難しいことで、出来ないことを出来るようにするよりも、出来ることをやった方が良い。
posted at 17:41:29

Linuxやオープンソースのやり方をまねて、成功と失敗を試しながら、挑戦しながらやっていけば、学校のようなさらに良いものは生まれるかもしれない。大切なのは人々の意見を聞くことだが、本当はそんなにオープンにしても、指導者に魅力がなければ人は離れていく。透明性だけを重視しても悪い。
posted at 17:40:14

本当は、こういう風に全部変えていって、消し去っていくのは一番良くない。もっと、確かな良いものや感情を信じて、一つ一つ地道に作って、残していかなければならない。昔はそういう、消すことを嫌い、残ること、創ることを好む人間だった。破壊よりも創造、変化よりも創造だ。
posted at 17:33:16

僕は、旧民主党の気持ちが良く分かる。かっこいい批判を言ったとしても、それは本当にやるべき時になると、何も分からなくなって、出来なくなる。だから分かっているうちに具体的なビジョンを持っていなければならない。学校をただ無くしても滅びるだけだ。成功か失敗か、試しながら探っていけば良い。
posted at 17:32:07

学校教育は、もっと体験的でそれぞれの機会と権利を重視し、それぞれが自由になっていくようなものにすべきであり、受験や競争社会のような、「会社や社会にとって都合の良い人材を育てる」ものではないものになるべきだ。
posted at 16:03:27

日本は、一度学校制度を廃止して、みんなが集まる学校のような場所をみんなで作った方が良いだろう。学校に都合の良い決まりを無くして、自由にそれぞれが自分らしく生きられるような、「ありのまま、自分らしく、自由に生きられる学校のような別の場所」を作り、今の学校制度は廃止すべきだ。
posted at 15:51:05

学校なんか、行かない方が良い。学校できちんと学ばなければ才能が生まれるのが人間だ。
posted at 15:40:22

人間は、おかしな人間になると、心に鬼神が住むようになる。滅びた時は、鬼神が支配して、未来を導く。それが、僕だ。
posted at 15:12:34

僕はAndroidは好きだが、すぐに反応しなくなったり、日本語の入力が出来なくなったりすることがある。やっぱり、なんだかんだ言ってWindowsが良い。まだまともだ。最近は、Windowsは応答無しになっても放っておけば処理は完了する。落ちることは少ない。
posted at 14:49:23

賢かった中学時代が悪い。覚えるだけの勉強をして、ネットゲームをやっていた。出来るだけ、覚えない方が良い。ゲームをしなければ賢くなる。
posted at 14:29:17

最近、自分でも自分が何なのか分からなくなっている。デザイナー見習いの文系のオタクの作家たが、本当は誰にも言えないことが多いが、それをここに書いてストレスを発散する。
posted at 14:08:02

過去の記憶の中できちんと考え、努力した人間は、静寂の中で何千年の宇宙の嵐の時を知る。
posted at 13:56:25

環境と環境の関わり合いから、人格的な環境が生まれる。
posted at 13:37:24

みんなが治らないから、辛いのが足だ。だから、みんなと繋がれば楽に分かるようになる。
posted at 13:26:38

自分は昔からたくさんの人間を作っていて、男は百人、女も百人居る。また、永遠のような長い時間を作っていた。
posted at 13:19:13