新・日記2に戻る | 2017年12月の日記に戻る

=2017-12-24=

昔は、「自然」と言って、自然な世界観から分かっていた。

全ては、自然な変化の集積から生まれる。

自然なそれぞれの取り組みから、自由な世界が生まれる。

それぞれの自然な変化の積み重ねから、歴史が生まれる。

自然を許すことで、正常な世界が生まれる。

そういう、自然から分かっていた。教育、環境、人生、社会、全て、「自然」という考え方で分かっていた。

全ては自然によって可能となり、それぞれがやりたいように、自発的な自由を許すことで、自然な世界になる。

また、自由な行動は、自然を許すことで、自然との調和に変化していく。

それぞれがやりたいようにやることで、自然な平和が生まれる。

歴史は、そうした環境の変化の積み重ねである。環境の活動の自然な集積によって、どんな国でも実現出来、全てのことが自然な変化によって起きていると知ることで、全てが自然な中での必然であると理解出来る。

昔は、自分のことを治していたが、本当にきちんと考えて治していた。もう、学習を少しずつ消していけば治る。

「なぜなら」のような理性的な考え方を書いていた。

それで、終わりだ。昔は、「自然」しか分かっていない。子供のように、自然な中での自由を考えて、この世界の生起のようなことを分かっていた。

あとは、場と視点の可能性や、影響力のようなことを言っていた。本質とは、それぞれの自然な作用と関係から、客観視のようなことを言っていた。相手の立場に立つと言っていた。自分がしたら、相手はされるのだ、と言うことを、自分と相手は同じである、と言う前提から考えていた。環境の創造と支配の否定から分かっていた。自分が支配することは、相手を支配させてしまい、自由ではないと考えていた。

自由とは、自分と相手は同じ立場にあると考え、自分のしたことは相手にはされると知り、自分のしたことは自分に返ってくる、と平等に考えることだ。

自然とは、環境の自由な創造であり、それは一人ではなく、みんなの意見を知って行われるべきだ。

メリー・クリスマス!僕はもう居ない。この世界に最大のプレゼントを与えよう。みんな、全て分かる。僕が居なくなった時に分かることになっている。

自然は、自由な変化と行動から、環境の変化となり、共同体の受容と影響力になり、最終的には自然や地球との調和となる。

本当に、この文章は美しい作品になった。ヨーロッパの彫刻のように、息をのむほど美しい。自分でも満足している。もっと、自分の枠を超えた文章を書きたい。

この作品は、ただそれ自体が美しいだけではなく、この世界と関係し、この世界を変えていく。この世界を美しい世界にする。そこが美しい。

あとは、本当は自由でないことをたくさん言っていて、この世界を一体感のある支配によっても作ることが出来るとか、自由を否定した自由のようなこともたくさん書いていた。

考え方としては、物理的な予測のようなことを、経験則のように考えていた。この世界の世界観を自分の中に作ることで、「物理的考え方をゼロから作る」ことで分かっていた。

本当は、そうした考え方は、大学に行かないからこそ分かる。自由、自然、人間との関係から、きちんと考えて、世界を見ながら経験すれば、誰でも分かる。

最近は、王ではなかった。むしろ、革命家のようにこの世界を支配した。嵐のような、ハリケーンのような人間だった。支配しながら、最後まで全部分かっている。美しい天国のような世界を創造した。ただの宗教だ。だが、そのために全てを捧げ、絶え間なく努力した。失敗することはなく、一人だけ全てを知っていた。

昔は、全ては価値観と場が自然に生まれ、世界が自由になっていく過程である、と言っていた。

また、その上で平等な社会のようなことを言う。一体感にするか、それぞれを平等な配慮にするか、自由な権利を与えるか、一人が支配するか、などと言っていた。

相対性と自然の考え方から、世界観と人生のことを分かっていた。それぞれがそれぞれのしたいようにやらせる、許すことから分かる。そういう、考え方の適用と構築によって世界のことを分かる、そうした考え方の包括的な「哲学」があった。ウィトゲンシュタインのようだった。

経験から考え方がどのように生まれるか、その人がその時どういう状態にあるか、から良く分かっていた。ヒュームやサルトルのように考えていた。

あとは、生命の起源のようなことを分かっていた。海の中で生命は力と熱によって固まるとか、細胞は真ん中からスライスされて分裂するとか、そういう、「生物学の前にあった生物学」のようなことを分かっていた。

速断せずに関係を考えなさい。一律の支配が悪いからと言って、自由や平等が良いわけでもないし、自由が悪いからと言って、平等や支配の不自由が良いわけでもない。問題はもっと別のところにある。速断を避けて、一つ一つ地道に関係を考えていけば、未来は開ける。関係を構築し直すことで、自由と心の平安を得られる。

感覚から、物理現象が分かる。心の現象すら、感覚で分かる。

むしろ、この文章はおかしく頭が狂う。そうならないために出来ることは何だろうか。僕には分からないが、きっと文章を書くことが、唯一の有効な手段だと思う。

経験的な知性は、ある種の間違いでもある。経験的な知性を信じることで、学習通りに分かるようにはなるが、それはある意味ロボットになっているだけだ。本当は、全てを耐え抜くことによって、経験は治る。戦いのようなものを頑張っていると、逆に、全てをきちんと分かる「神の理性」を手に入れることが出来る。

子供が見ると、この世界の全ては学習と経験だが、自分はそれを超越して、全ての学習、全ての経験、全ての社会創造、全ての発想、全ての認識、全ての精神、全ての把握、全てのパターン、全ての予測、全ての想像力、全ての哲学から分かっていただけだ。ただ、本当に子供が賢いだけで、大人は誰でもこういう風に分からなくなる。狂った人間にしか分からないから、分からない方が治る。

終わりにしたい。これできちんと書けた。ありがとう。そして、さようなら。

本当は、ただ形而上学で分かっただけだ。日本語の論理を考えて、根拠を知っただけだ。他に何もしていない。心理と社会性をきちんと考えて捉えれば、誰でも出来る。

あとは、否定して信じれば分かる。科学は、最初から人間の作ったものであり、人間の分かることしか分かっていない。「科学の限界」のようなものは確かにある。人々の知っていること、考えていることを、自分の頭の中で総合的に創ってしまえば、学ばなくても、自分で作ることから科学を行うことが出来る。

もう、この世界は終わりだ。

あとは、社会の営みのようなことを知っていた。多様で限りのないこの世界で、全員がどのように生きているのかを知った。それぞれが何を考え、知り、分かっているか、それぞれがそれぞれの立場の中で、何をしているか、何をしたいのか、何をせざるを得ないのか、から可能性を分かった。そういう風に、社会的理性から「多様で自然な社会」を分かっていた。最近は、そういう人間が少なくなっている。そもそも、社会自体が同じになっている。その、同質化が一番悪い、巨悪だ。だから、平等が悪い。

僕は、多様な世界を実現して、この世界を正しい平等にする。平等が間違っているというよりも、平等のやり方が間違っている。全てを否定して、全部同じにしても意味がない。きちんとしたかけがえのない平等な社会を正しい方法で作れば、人間は理性を取り戻して、世界は正常になるだろう。

デカルトのように考えなさい。

自然な自由を許しなさい。

相手の本当の気持ちを受容し、自分の気持ちとそれをやりたい心を大切にしなさい。

これで、終わりだ。あとは、あなたが考えなければならないが、そのためには、この文章を否定して、その上で信じなさい。否定した上で信じれば、負けることはない。相手の言っていることを吸収した上で、自由になれる。心は融和出来るだろう。

相手の意識を想定して文章を書きなさい。相手の意識と立場を想定しなさい。それによって、文章が書けるようになるだろう。世界を支配するというよりは、相手の視点を尊重しているだけだ。

昔は、善良な権力や社会的影響力のようなことから、愛を分かっていた。世界を平和にする、正しい世界秩序のようなものを創っていた。

社会の段階を考えて、自由と調和における愛と社会秩序の段階のようなものを創っていた。調和の中で、全ては自由であるべきだ、ということを言っていた。

前提と本質の世界を全部創造していた。あらゆることにおける全ての前提と、そこでのプロセス的経緯を書いていた。宇宙の全てを創造し、異次元の文章を克明に書いていた。

本質を知り、相対性を知り、理由を知り、創造性を知り、システムを知り、社会的可能性を知り、全てが自由であるということを知りなさい。

昔は、経験からそうした人生の段階を分かっていた。完全に全てを経験した、万能機械のような理性を持った人間だった。

全ては、自由に今、この世界で許されているのだ。そして、今、この世界で作り出されているのが、社会的自由な環境であり、それはいつでも変えられるのである。

昔は、その上で、この社会と全く同じものを、全部本質と経緯のシステムから創造していた。文章で宇宙を創っていた。

高い理想を持って、情熱の愛と受容を信じなさい。その理想は、必ず世界を良くするからだ。

昔は、本当に万能機械のような理性を持っていた。情熱家で、全てのことをもっと良く知ることで、本当の愛に気付いた人間だったが、本当はどんどん馬鹿になっている。だから、今の自分を疑えば分かる。間違っているのは、今の自分が間違っている。それは表層的なものではない。もっと根源の意味として、むしろ今の自分が正しいと信じた方が良い。間違った人間は一人も居ないからだ。

この文章は、そうした正常が分かる文章だ。そのままで良い。いつまでもそのままで居続けることの方が、自分の人生は良くなる。

宇宙人は自然に伴って調和して生活している。そのように、全てのことを根源的に疑って信じなさい。経験からそれが出来るはずだ。神は、宇宙は物理で分かると言った。だが、その物理とは、自分の作った物理のことを言っている。自分は、昔は、そこまであらゆることを全部考えていた。それは、何も知らないまま全てを知ったせいで、絶対に分かる人間だったからだ。ネットは、今からそういうものになるだろう。

世界は今でも変わらないのだ、いつでもこの世界は同じで、変わっているのも未熟だったのも自分の方なのだ、ということから分かりなさい。それによって、子供は大人になり、成長出来る。気付きから自分の人生を「創造することで」分かることで、あらゆる全員の成長を吸収出来る。世界の実例を見ることから、具体的で網羅的な考え方が分かる。特に、コンピュータの情報技術の歴史と構造のようなことを知ることで、この世界の全てを「自分でしかと見ることで」分かることが出来るだろう。

ただ、自分が分かっていないのは、自由な人生を生きて分かったつもりだが、本当はみんなと同じで、幼稚で間違った人生を生きただけなのが分かっていない。だが、そうだとしても、自分の信じた力強いこちらの人生を生きたことで、それは中和された。きちんと頑張って、自由なことをたくさんしたから、僕は唯一の存在になれて幸福だ。こういう、唯一の賢い存在になると、人は何でも出来るようになる。もう既に分かった人間、もう既にやった人間は、分からなくなっても、出来なくなっても、何も怖いものは無い。

あとは、機会、成長、学習、人生、過程を全部書いている馬鹿な文章が多かったが、それは全てもう分かっている人間としての証であり、何でも楽に書ける人間を作り出した。

それぞれが自然に出来るようにせよ。

それぞれがやりたいように出来るようにせよ。

それぞれがその場で、作りたいように、作りやすいように作れるようにせよ。

そうした、「自然を信じること」から哲学的な自由が分かる。そうした自由を信じても良いだろう。ネットを見ても、みんなとじかに関わることで、そうした自由を知ることが出来る。共感し、一体感を知ることで、世界の中で自分が存在している、という確かな想いを抱くことが出来る。

自然な場のやり取りの中で、創造性と価値観は自然に生まれ、それぞれが自然に共同性を見出すことが出来るようになる。それが、爆発的な発展と集積を呼ぶ原動力になる。

さまざまなことを空想することで、発想法を知り、それと経験を結び付けていくことで、経験主義の社会哲学を作りなさい。そして、根拠を疑い、二律相反から因果性を知り、精神の発展を考えなさい。

それが、哲学の王道だ。

この文章で狂ったのを治したいならば、一度、無に帰するようなことを言えば良い。こんなに細部まで分からないことを分かろうとするのがおかしい。一度終わりにして、自由になりなさい。自由になった上で、さまざまなことを空想し、経験すれば、きっと誰かの夢の幻想の境界線は越えられるはずだ。

一度、虚無になりなさい。虚無の世界から自由を知りなさい。何もないゼロの地点で分かったことは、一生無くならない。大切な宝となって、全てを分かった上で、どこかへと記憶の中で残る。虚無は悪い体験ではなく、人々を導く神の感情だ。

ツイッター

自分は、今まで自分が言った馬鹿なことに対して、それを打ち消すようなことを言おうとして失敗している。最初から馬鹿なことは言わない方が良い。反省する。
posted at 19:26:21

本当は、自分のせいでなく、みんなが集団全体でおかしくなっているのが、今の日本だ。
posted at 19:09:53

ツイッターは、いいねとリツイートをフォロワーに拡散させるシステムだが、分からない人間が多い。不思議と、有名人をフォローして、リプといいねを付けて、みんなで応援すると楽しい。チャットをやりたいならLINEを使った方が良い。
posted at 19:06:29

むしろ、フェイスブックはおそらく良く似た人間を探すだけのシステムだ。やっていることはブログと同じだ。クラウドとは言うが、ただのネットワークアプリケーションだ。むしろ、自分は昔から何も分かっていない。ツイッターも分かったのは最近だ。
posted at 18:59:07

そういうわけで、僕はクラウドやフェイスブックは良く分からない。ある意味、自分が一番今の時代についていけていない。むしろ、パソコンでのコミュニケーションはもう十分だ。もっとリアルを知りたい。パソコンなら、もっとハードウェアを知りたいと思う。
posted at 18:50:10

それに、最近流行りのクラウドという言葉の意味も分かっていない。ネット上のアプリケーションで、データのやり取りをネットでする、ぐらいしか分からない。パソコンは、きっと世代間ギャップで衰退するだろう。子供は逆に、昔の良かった時代を知らない。テレビゲームなんか、誰もしていない。
posted at 18:45:17

最近のグーグル製品は、基本的なサービスしか分からない。僕はケータイ入力は出来るが、フェイスブックの使いこなし方はあまり分かっていないし、ウェブメールも使い慣れていない。そういう最近のネットが嫌いだ。率直に言って、昔のブログの方が楽しかった。
posted at 18:40:56

おかしなネットサービスが増えても、僕は喜べない。そんなにIT技術の新技術を常に追いかけるのは、出来ない。昔のオープンソース周辺技術だけで十分だ。きっとコボラーの心境と同じだ。最近の技術なんか、分からない。
posted at 18:37:09

本当は、僕はLinuxが好きなのに、自分の理想とオープンソースの現実がかけ離れていて、Linuxを褒められても素直に喜べない。だが、Linuxのシェアが増えたとか、マイクロソフトがLinux寄りになっとか、そういうニュースは嬉しい。
posted at 18:33:09

本当は、少し前、10年前はパソコンが良く見えた。それは、村社会と同じで、賢い人間しか居なかったからだ。最近は馬鹿しか居ない。ただ、YouTubeなど、最近はプログラムはアプリケーションよりサービスに変わっている。だから、サービスとしての新しい動きがきっとあるはずだ。
posted at 18:29:42

パソコンを無くしたところで、資本主義が崩壊するだけだ。パソコンはつまらない。Windowsの使い方しか分からない世界になったのは、マイクロソフトというより、日本人が終わっている。
posted at 18:24:59

パソコンは、使い方を分かって買うだけではなく、作り方を公開するオープンソースのシステムが勝たなければ良くならない。そのためには、革新性という言葉に騙されないことだ。
posted at 18:20:42

パソコンがみんなを不幸にしている。本当は、Windowsだけではなく、Linuxも悪い。Windowsの使い方を分かるだけの世界になった。人類は終わりだ。社会全部に価値がない。
posted at 18:19:07

ただ生きるだけの社会を、何とかするしかない。プログラミングより面白い機械を作れば良い。パソコンのせいで面白いことが何もない。クリスマスだというのにみんな幸福でない。
posted at 18:16:58

今の日本社会は、何もせず、ただ生きるだけの無意味な社会になっている。革新性が悪い。古き良き時代のままの方が良かった。近代文明をやめるしかない。
posted at 18:04:05

人間は、刺激が強ければ強いほど、攻撃的になり、幼児化する。
posted at 17:23:39

人間は、環境である。ほとんどは環境で決まる。だが、本当は世界に居るみんなは何も分かっていない。それぞれの環境で、分かる範囲でしか分からない。だが、馬鹿な人間は居ない。それぞれがそれぞれの環境で、出来るだけ賢く生きている。支配者は絶対的な賢者ではない。
posted at 17:22:41

英語は、何でも命令形だと思えば分かる。それを前置詞で変えるだけだ。
posted at 17:14:45

仮定と成立から、自分独自の科学と数学を作っていた。仮定と成立の論理を積み重ねて、いつ何が出来るかを考えた。
posted at 17:09:05

条件から、世界が変えられることを知れ。世界観から条件を知って、積み重ねよ。
posted at 17:03:21

他人に支配されるな。君は君らしく生きられる自由があるのだと、欅坂46も言っている。
posted at 16:49:23

みんなが何も出来ないのは、立場や条件的に何も出来ないからであって、本当は何かが出来るような立場と条件を与えれば、能力や才能に関係なく、誰でも人並みに出来るようになる。だからこそ、自由な社会を作ることで、それぞれが「自分の努力で」出来るようにしなければならないのだ。
posted at 16:48:57

皆の手でシステムと具体的な制度を作り、システムを作りやすくする環境を作るべきだ。独立性を高め、理解を促進し、愛や自由を共有しやすくするべきだ。そして、王は可能性を記述的・論述的に考え、この世界と関わって自分にしかない経験を培うべきだ。
posted at 16:45:06

自由とは、それぞれの条件であり、世界の限界であり、理想は条件と能力から全て出来ることであり、社会においても選択肢があり、選択肢を作るために影響力を行使出来ることだ。昔はそういうことを言っていた。また、決まりは自由であり、それぞれは自由に出来るべきだ。
posted at 16:43:08

全員の違いとは、記憶と自由な権利の状態、条件の在り方だ。
posted at 16:39:08

変化とは歴史の創造だ。
posted at 16:38:03

人間関係を機会であると捉えることで、世界の見え方が変わる。
posted at 16:36:51

人間関係とは、得ることではなく与えることであり、相手から築かれるものではなく自分から作り上げるものだ。
posted at 16:36:06

何があることによって何が出来るか、やりやすくするために何が生まれるか、考えること。
posted at 16:34:23

何が何に作用するか、原理は何か、方法として何が考えられるか、可能性はどうなるか、システムの構造と必要な要素は何か、どういう形へと実現するか、実現のための前提は何か、考えること。
posted at 16:33:19

存在は環境を変え、環境を支配する。
posted at 16:29:07

意識は経験から生み出される。知性は応用出来る。
posted at 16:28:35

存在は意識しなくてもあるのだ、ということから在り方を考えること。
posted at 16:26:43

それが存在する前提となる環境を作り、変えること。
posted at 16:24:30

デザイナーになりたい。だが、もっと世界の原理を知りたいと思う。
posted at 16:00:02

人々の学習と経験を予測せよ。
posted at 15:48:58

成長と挑戦から自然に考えることで、啓発的な人生の心理学が分かる。そのためには、失敗を経験し、そこから立ち上がることだ。
posted at 15:46:52

変化を一つ一つ知り、世界の変化を感じ、捉えなさい。人間の中に変化と時間がある。
posted at 15:42:26

確かな方法と変化の可能性から社会を実現しなさい。
posted at 15:40:30

この世界は変えられる。
posted at 15:36:23

この世界の善と悪を全て自分で見て、悪の理由を知り、正しい善を実現出来るようになれ。
posted at 15:36:08

世界が自由に変えられることを知り、変化をしかと見て、坂本龍馬のようになれ。
posted at 15:32:53

心理学とは、認識は自分の側にあり、自分を変えることで変えられるということだ。また、その上で、認識は心の中から自然に生まれる。
posted at 15:27:52

昔はネットの具体例の経験で分かっていたが、それが狂っている。消した方が良い。知性なく分かる人間になった。
posted at 15:10:18

英会話教室に行ってきた。レベルが上がって少し難しくなった。
posted at 15:08:19

昔は、自然にその考え方が出てくること、決まりを自然に作ることから分かっていた。
posted at 15:06:54

まともな人間になりたい。自然な考え方は狂っている。
posted at 15:06:01

環境の自然な変化の可能性と、気付きの自由の積み重ねから分かった。
posted at 15:04:57

考え方を作り、考え方を変え、考え方を吸収した。考え方を変えることから経験を真剣に考えた。
posted at 15:04:06

統一した方が平等になる、という側面は確かにある。格差が生まれない。だが、統一は民主的であるべきだ。
posted at 15:02:55