新・日記2に戻る | 2017年12月の日記に戻る

=2017-12-23=

分からなくなる意味がない。分かったままでいれば良い。

昔は、割り算を単位とか、比とか言っていた。それくらいのレベルで、作用とベクトルのような数学・物理学を分かっていた。

僕は、もう大学や専門学校には行かない。

今日は、父親とドライブに行って、その中でもっと専門的にパソコンやデザインのことを学んだらどうかと僕が言った。

だが、父親は、専門学校はみんなと一緒の授業の中でついていかなければならず、止めた方が良いと言った。

放送大学なら、自分のペースで出来るし、専門学校に行って今行っている作業所をやめるのは、現実的ではない。

だが、今の時代、大学を出ればそれで何とかなる、と言うものではない。

父親が言うには、仕事というものは経験であると同時に、そんなに難しいことはしていない。プログラミングを姉がしているというが、システムの保守と管理が主な仕事で、高度で複雑なプログラミングをしている時間は少ない。

父親が言うには、それを自分でもやってみようと思って、そのためにどうすれば良いか、どうすれば自分にも出来るか、を考えて、調べ、学び、頑張る、と言う発想が良いと言うことだ。

仕事とはそういうものであり、プログラミングの仕事をするのであっても、グラフィックデザインやWebデザインの仕事をやるのであっても、それが自分にも出来るかと思って、それをやるために色んなことをやろうとすれば良い、と言うことだ。

そして、今行っている作業所をやめるよりも、本当はやり方は色々とあって、IT技術のことを教えてくれる同じような作業所もある。専門学校に行くよりも、その方が良い。専門学校では、資格を取ることが主な勉強の目的になっていて、取れない学生のことは考えない。

今の時代、公務員になりたい人間は、大学に行くよりも、予備校に通って公務員の資格を取る。それは、公務員は範囲が広すぎて、本当にどんなことをやるのか、公務員になった後で何を仕事にするか分からず、そこから勉強するからだ。

僕は、それくらいの父親の話を聞いて、もう分かった。父親を信じて話をして良かった。人間を信じるのは良いことだ。

僕は、デザイン関係の学習として、絵画スクールに行ったらどうかと言った。その理由は、デザインをやる上で、プロのデザイナーになるのであれば、絵は上手い方が良いだろう。もう一つの理由として、ホームページに情報を投稿する上で、一番ネタになるのは絵やイラストだから、絵をアップすると良いかもしれないとも思った。

だが、今の自分が考えると、絵は自分の手でトレーシングペーパーなどを使って描いた方が良い。それは、絵画教室へ行くと、その方が自由な絵やイラストが描けなくなるからだ。僕が思うに、絵画教室で上手い絵が描けるようにはならない。もっと制限されたお仕着せの絵しか描けなくなるかもしれない。それよりも、自由に自分の趣味として絵を描いた方が良い。その方が才能が身につく。だから、教室に入るよりも、自分で考えながら描いた方が良い。

それから、大学は分からなくなる。大学は、歴史や哲学のことを勉強すると、大学の通り分かるようになって、自由な断片的な知識と知性がなくなり、哲学や歴史のことはもっと分からなくなる。だから、止めた方が良い。

ただ、作業所でデザインをしながら行くのであれば、柔軟に時間を組める今の放送大学が理想だ。放送大学で情報学を学んでも良いだろう。

あとは、違う話をするが、二律背反のように考えると良く分かる。何かが良くなると、別の何かが悪くなる。勉強すれば、時間は無くなる。治せば、怖くなる。そういう風に考えていると、きちんと知性がつく。

僕は、この世界をもう治せる。刺激の強すぎる世界ではなく、落ち着いた世界にすれば良い。この世界は、刺激があまりに強すぎる世界になっている。もっと、落ち着いた世界にすれば、この世界は正常になる。知的障害のような分からない脳が治って、落ち着いて聡明に考えられるようになる。

僕は、もう、刺激は欲しくない。ほとんど刺激の無い世界の方が、心が楽になる。

だから、刺激の少ない世界になってほしい。

あとは、昔は、国や政治思想のようなことを、それぞれの国として考えていた。特に、フランスとドイツが第二次世界大戦で戦っている時代のことを良く考えていた。当時、フランスは民主主義のレジスタンスで、ドイツはファシズムだったが、僕はフランスを自由の良い国としながらも、ドイツがもし勝っていたとしたら、今のような世界は無かったと考えた。逆に、ドイツの方が良かった可能性もあると言って、ドイツにヨイショするようなことを書いていた。それはどうでも良いかもしれないが、フランスとドイツ、そしてアメリカとソ連のようなことを、それぞれの国に分があると考えて、パスケやデメスの詩のように、ドイツが勝っても秩序のある国となって、ソ連が勝っても平等な国となって、それぞれ良い国になったはずだ、民主主義だけが正義ではない、と考えていた。

それから、ドイツは中世のキリスト教がそのまま新しくなった、新しい機械と中世のような宗教の民主主義の改善主義の国だとか、ロシアは帝国主義、近代主義、社会主義、民主主義の全てを経験した国を理性で考える国だとか、そういうことを言っていた。

僕が思うに、大学なんか要らない。大学の勉強をすると、自分のような体験や行動をしなくなる。昔は今よりもはるかに賢くて、分かっていた。この宇宙と国々の全てを分かって、神話の神々のように全てをやっていた。分かっていた。だから、大学になんか行かなくて良い。僕は今が一番楽で、昔の方が賢かったが、頭は昔よりも良くなった。勉強をするよりも、考えた方が良い。特に、昔の引き篭もり時代の自分は、思考と考え方だけでこの世界のほとんど全てのことを自分で作って分かっていた。あの人間が一番賢かった。だが、今が間違っているわけではない。今は、偉大な王のような体験をして、偉大なこの世界を守った。守るべきものが増えただけで、本当に素晴らしい人生だった。誰にもそれはまねできないだろう。

そういうわけで、みんなはもう、刺激の少ない世界へと僕によって導かれるだろう。それで、落ち着いた楽な世界になるはずだ。

ツイッター

フロイトの言うように、性的抑圧は狂う。だから、パソコンから刺激の強いものを排除していけば、世界はすぐに治る。それをしなければならない。
posted at 20:57:38

終わった。そして、明日はクリスマス・イブだ。今日でこの文章は終わりだ。
posted at 20:56:46

そして、もうやるべきことは全部やった。あとは自由だ。みんなも自由になってほしい。それで刺激を完全に抑制すれば、誰でも馬鹿の病気が治るだろう。刺激の強すぎる人間だけが馬鹿になる。最近はそういう人間が多い。
posted at 20:56:33

僕は最高の人間になる。そのためには、神の導きと対話はもう必要ない。
posted at 20:55:54

昔は、引き篭もりなのになぜか頑張っていた。人々の生の声を聞きながら、ブッダのように悟って、サルトルのように考えていた。あれは賢くなかったが、それでもある意味での理想の人間だった。あれをドイツ人だと言っているだけで、神は最後の最高の自分が自分に教えているだけだ。その神になろう。
posted at 20:55:40

ドイツ人からロシア人まで全員になると言いながら、国の全ての包括的な考え方を書いていたが、僕は今一度、そうではないものになりたい。そんんなに全員を完全にやろうとするのを、僕はもう目指さない。僕は最後に最高の人間になって、最高の世界をやる。その人間一人だけになりたい。
posted at 20:52:15

途中で終わろうとせず、長い時間と体験を望んだため、最大限に辛く苦しくなった。本当は、そこをもう止めれば良い。自分は、終わりのない泥沼の中で、治るわけの無い傷を治している。一度、脱出するべきだ。そういう神をやめよう。
posted at 20:48:44

昔は、神と対話したり、戦ったり、守ったり、維持したり、まるでヒンドゥー教の神話の神のように色んなことをやっていた。本当に、ものがたりのように神の世界を分かった。そういう人間だった。
posted at 20:45:51